番外:下鴨家の人々「下鴨弘文と鯉のぼりという名の何か」

下鴨弘文視点。


 家に帰ると玄関先で康介が鯉のぼりの中に入り込んで眠っていた。
 靴を脱いで、しばらくそのまま玄関で待っていると「ヒロくんおかえり〜」といつものように弘子がやってきて俺に飛びつく。抱き上げてリビングまでそのまま進んだ。そろそろ四歳になる弘子は活発さが以前よりも落ち着いてきた。「私はおねえさんなのですよ」と年長組を見据えた発言も増えだした。子供の成長は早い。ひとしきりお疲れさまコールを聞いた後に洗面台で手洗いうがいをして、もう一度玄関に行く。
 
 床の上で、微動だにしていない康介がいた。
 
 弘子の反応のなさから考えると俺がまぼろしを見ている疑惑がある。疲れているのかもしれない。普通、人は玄関先の床に寝転がったりしない。康介は普通ではないのでありえるかもしれないと顔を寄せて呼吸を確認する。正式にはティッシュを顔に乗せるのかもしれないが、康介にはこれが一番だ。
 
 スッとした寝姿が俺の顔が近づいたことを察知して、わずかに乱れる。全身に力が入り、まぶたが痙攣する。
 目を開きたいが開けない。そんな葛藤が康介の顔面から伝わってくる。くちびるに触れるとすこし開いた。形のいい歯に指先が当たる。力を入れるとバレると思ったのか、無意識に誘っているのか。簡単に俺の指をくわえこむ康介にすこしだけ苛立ちを覚える。
 
 玄関を開けるのが俺だと分かっていたとしてもこんな場所で無防備さを出すのはどうかしている。
 危機感が足りないというタイプの注意は康介からすると「自分に言え」と返したくなるようで、話し合いは平行線になりがちだ。自分が魅力的だとナルシスト発言を繰り返しながら、どこか康介は抜けている。自分の思い通りに他人が動くと思っている。玄関先で見知らぬ他人に襲われる危険性をありえないものとして考えない。
 
 セキュリティはもちろんしっかりとしているが、完璧なんてこの世のどこにも存在しない。
 わざわざ玄関で寝転がる必要はない。たとえ康介として意味がある行動だとしても、自分の身を危険にさらしてまでする必要があるわけがない。異常なほどに自分に対して降りかかる火の粉に無頓着だ。
 
 声をかけて揺り動かそうとする前に視線を感じて、それとなく後ろを振り返る。
 
 弘子が体半分を壁から覗かせながらこちらをうかがっていた。親子仲がいいことを称賛すべきか、床に寝るならバスタオルを敷けと説教をするべきか悩む。
 
 とりあえず、ちょっとした悪戯を仕掛けることにした。
 
 康介の上半身を持ち上げて俺は顔を近づける。
 弘子からはキスをしているように見えるだろう。
 しばらくすると転びそうになりながら弘子が駆けつけてきた。
 
「すごくいいものが撮れました!!」
 
 そう言って渡されたのは写真だ。
 シャッターを押してその場で写真が出来上がるポラロイドカメラは康介と弘子の今、一番のオモチャだ。
 興奮気味に自分の成果を見せて来ようとする弘子と動かない康介。キスはあくまで振りだから、死んだままということなのか。
 
「宇宙人にイタズラされてるっ」
 
 光がふわふわと浮いていて、悪い酔いしそうな写真になっていた。ハッキリ言って盛大な手ブレが起きていた。
 弘子の手にはまだカメラが大きいのかもしれない。いつもは手ブレなどしないようにテーブルに置いたり、固定してシャッターを押すように伝えている。今は角度からして脚立などもないから上手く撮れないのも無理はない。
 
 誰がお前の思い通りになるかよという、どこか挑戦的な気持ちは弘子がしょんぼりと肩を落とした姿で消える。どうでもいいプライドに固執して娘の表情を曇らせている方が、有り得ないことだろう。
 
 弘子に見える位置で康介の唇に触れる。
 
 くちづけの持ち合わせる意味はお姫様を目覚めさせる小道具ぐらいにしか思っていないだろう弘子は「シャッターチャンス」と楽しげに俺たちにカメラを向けた。康介の指先がピクピク動いているので、気道が確保しにくいという無言の訴えだろう。弘子の身長やカメラの角度を考えると康介には頑張ってもらいたい。
 
「あー!!」
 
 床に数枚の写真が散らばったころ、康介は息を吹き返した。死んだ設定だったのかは分からないが、弘子が人魚姫と白雪姫が好きなのは知っている。喧嘩をしたら勝つのは庶民出のシンデレラだと言っていた。シンデレラは元々、良い家の令嬢なので庶民というわけでもないが、生粋のお姫様である人魚姫と白雪姫には敵わないのかもしれない。
 
「弘文っ! 背中が釣りそうっ」
「人魚さんはコウちゃんでしたぁ」
 
 康介の批判と弘子の種明かしは同時に行われた。
 気づかなかったと笑うと絶対に「嘘だ! ヒロくんは知ってた! コウちゃん以外にキスするのっ!?」とフォークボールのような責められ方をするので、康介を抱き上げてリビングに向かう。
 
 鯉のぼりに下半身を食べられた康介はソファで大きく伸びをした。弘子は嬉しげに康介に写真を自慢する。
 
「すごいね。弘子の腕はまた上がったな」
「でしょでしょ!! 私もそう思います」
 
 宇宙人の仕業だと騒いでいたブレた写真は床に落として康介に見せていない。こういうところは康介にもあるが、バレバレまとりつくろいをする。かわいいところだ。
 
「どういうストーリーだったんだ?」
「ヒロくんはコウちゃんが人魚になったら驚くかなー? ビックリやんす?」
「見間違えかと思った」
 
 大人は普通、玄関で鯉のぼりに下半身を突っ込んで寝転がらない。
 
「コウちゃんが、そろそろこいのぼりは仕舞いますって! でもでも、まだまだ活躍の機会が必要だと私は思いましたっ」
「それで今回の」
「コウちゃんのサイズにちょうどよかったじゃろう? コウちゃんカワイイ。私はすっぽ抜けたでやんす」
 
 すっぽ抜けたというのがどういう状況か分からないが、きっとかわいい。
 
「海で人魚の格好で写真撮ったり、遊んだりできるらしいよな。弘子、リベンジするか」
「海かい? 海っていいね!! いきたいなぁ?」
 
 俺と康介の顔をチラチラと見る弘子に「今年に都合をつけよう」と言った。
 ベランダに置いていたプールに不満があったのか「まだ見ぬ大海が私を待っている」と格好いいことを言い出した。
 弘子と視線を合わせるために屈んでいたが、夕飯を作ろうと、立ち上がる。
 
 康介が何か言いたげに俺の手をつかむので振り払うことなく待つ。
 
「弘文は人魚姫って」
「俺なら王子を刺し殺すから、あのセンチメンタリズムに共感はしないな」
 
 これに関しては弘子も知っているので人魚姫批判とは受け取っていない。「ヒロくんってば過激派」とくすくす笑う。かわいい。
 
「オレは自分のやりたいことしかしない勝手な女だから、わりと好感持てるけど」
「言いたいことを言わないタイプの淑女っぽい女性が好きだよな。ポメさんってお前が呼んでる、鈴之介の同級生の母親とか」
「……なに? 嫉妬?」
 
 康介が目を丸くして俺を見る。
 もし嫉妬したとするのなら康介が共感する人魚姫か、康介が殺さないことを選んでいる王子に対してだろう。
 
「ヒロくんてば、かわいいところあるじゃないのぉ〜」
 
 弘子に突き飛ばされるように体当たりされて思わず笑う。
 子供の力なのでよろけたりはしないが「人魚のうろこは高いのです。真珠は涙だから稼ぎ放題っ」という言葉に腰が砕けそうになる。
 
「泣いてお金になるってすごいね! 涙を売ってお金にすれば笑顔になれそう!! 人魚ってお得っ」
 
 昨日はシンデレラ不幸体質の幸せを語っていたが、今日は康介のおかげか人魚の話題が弘子の頭の中を占めているらしい。話を聞いてやりながら台所に向かう。
 
「人魚さんは魚食べれんのか?」
「康介は弘文が魚の骨を取ってくれるのを待ってます〜」
「本当に姫かよ」
「仕方がないにょろ」

 弘子が俺の腰あたりをトントンと叩く。
 
「明日は母の日なのです。コウちゃんに私たちを産んでくれてありがとうとお伝えして敬う日です」
「……母の日ってもっと軽いイメージだったが」
「私の贈答品は先程できもうした。ヒロくんには感謝を!」
 
 母の日として康介に撮った写真をあげるらしい。
 そうなる気はしていた。
 
「ちゅーぷりってやつです? 母の日はカーネーションか、ちゅーぷり」
「たぶん、テレビでやってるのを見たなら……チューリップだろうな」
 
 どうして謎のシチュエーションが作られたのか、理由が分かった。
 チューリップ畑に連れていくには少し時期が遅いが探せばまだ咲いている場所もあるだろう。
 
「チューリップ、見に行こうな」
「え、え、……わかんないけど、いくっ!!」
 
 出掛けるのが好きな弘子は飛び上がって喜ぶが、ソファに座る康介をチラッと見た。
 康介は俺たちの会話を聞くこともなく写真を見ている。どこまでもマイペース男だ。
 
「だいじょうぶだ。急だから鈴之介や弓鷹とみんなでは無理かもしれないから」
「三人でもだいじょうぶ!! 三人でもいいよっ!!」
 
 三人を強調する弘子はもしかして俺が康介を家に置いていく可能性があると思っているんだろうか。
 そんな危ないことはしないが、俺はどうも娘に勘違いされている気がする。
 
 
2018/05/11
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