番外:下鴨家の人々「社内の噂話:マッサージその後1」

下鴨弘文視点。
 
 
 こいつ、馬鹿なんじゃないのかと康介に対して思うことは一度や二度じゃ済まない。
 
 人の言葉を額面通りに受け取ることが多い上に人の気持ちを慮ることがないので、相手の真意をつかめない。完全に他人の気持ちが分からない人間というよりは、分かった上で無視したり踏みにじることがある。
 
 自分にとって価値がないと判断したら相手の感情など気にせずスッパリと切り捨てる。
 声をかけてくるヒナを延々と無視し続けるという学生時代の鬼のような行動は、今の康介からも感じる。
 久道の兄貴が忙殺されようと知ったことじゃないという顔をする。あるいは「本望だろう?」と配下に無茶振りする独裁者のような振る舞いをする。
 
 俺の前だと少年らしさが滲みつつも落ち着きを持ち始めた大人を演出するが、俺以外に対して切れ味の良すぎるカミソリのような攻撃性を見せる。
 
 二面性があるというわけでもないのは分かっている。康介の中で俺に対する言動だけが例外であって、他人に対して無関心である意味、冷酷な振る舞いの方が素だ。
 
 学生時代に自分が学園でクールビューティー、たまり場でアホの子あつかいをされていたことを知っているんだろうか。知っていたところで康介のことだから気にも留めないのかもしれない。
 

「弘文が浮気してるかはともかく、男の喘ぎ声が社内に響いているのは事実……らしいんだけど」

 真っ赤になった顔を誤魔化すように康介が馬鹿馬鹿しい話題を続けようとする。
 浮気しているかともかくも何もしていないという事実を受け入れない。
 俺のことを上に見すぎて誰からもモテるとでも思っているのかもしれない。
 そうなると完全に勘違いを払拭させるのは難しい。俺がわざわざ自分を下げたらそれはそれで康介は怒りだす。
 
 康介にとって俺が一番だという結論が出ているので「俺がモテるわけないだろ」即座に否定が来るし「久道のほうがモテるだろ」と矛先を変えても「寄ってくる人間の種類が違う」とあながち間違ってもいないことを言われてしまう。ようは、自分の中で決めてしまったことに対して、人の話を聞く気がない。
 
 今回のように女性社員の噂話という事実かどうかも分からないことに俺の名前が付属していただけで、駄々をこねるようにこだわりだす。俺以外の名前が出ていたなら気に留めることもなく忘れただろう。
 
 康介の髪を手櫛で軽く整えながら「ってもなあ」と適当な相槌を打つ。

「野太い喘ぎが廊下に響くって」
「野太い?」

 てっきり俺が康介にちょっかいをかけて、たまにやらかしているものを盗み聞きされていたのかと思った。
 康介に聞こえる形で噂をした女性が誰かはともかく「聞こえてますよ。ちょっと気を付けてくださいね」というそれとない注意なのかと思ったが、どうやら違うようだ。
 野太いとなると康介の声というわけじゃない。
 康介にそれとなく注意をしたつもりで、伝わらないのはよくあることなので今回もそういった康介の人の思いやりを読みとれないせいで起きた勘違いだと思っていたが、勘違いしたのは俺だった。

「犯人が弘文じゃないなら社内に変態がいる」

 犯人が俺だと変態ではないらしい。
 ちょっと笑ってしまいそうになったが「……なるほど、ちょっと確認しておくか」と真面目な顔で返事をしておく。
 俺が座っていたソファの反対側を見ると深弘が熟睡していた。きちんと座るのではなく、まるまるように寝入っている。夜中に起きてしまうことが増えたのは、自宅ではない場所に居るのがストレスなのかもしれない。
 そのため今のような時間にうたた寝ではなく本格的に寝入っている。
 
 康介を見ると何かを待っている表情。求められていることが分からないのでソファに座りなおそうとしたら「ちょっと!」と止められた。

「弘文、服直して」
「自分で整えろよ」
「弘文が乱したなら、弘文が直すもんだ」
「はいはい」

 放っておくと触りたいだけ触って放置する鬼畜だとか勝手なことを喚きだすのが目に見えているので、従ってやる。
 少し胸を張るような誇らしげで満ち足りた顔つきになっているので、この程度のことは自分からしてやってもいいのかもしれない。

 ただやっぱり、どこか面白くないので康介の手首を噛んでおく。
 俺がしていた時計を隠すように着けると何か言いそうな気配が一瞬で消えた。
 康介のこういった機嫌の上がり下がりは分かりにくい。理解する必要はきっとないんだろう。
 
「オレが弘文に電話で時間を教えてあげる!」
 
 嬉しそうに得意げな顔をするので、スマホで時間が分かるから大丈夫だとはさすがに言わない。
 不満気に浮気がどうと言っていたことなど忘れたような上機嫌っぷりに今日も平和だと呆れつつ、社長室を後にする。
 俺には俺の仕事があって、康介には康介のやることがある。
 深弘もいるので社長室には顔を出すようにしているが、頻度を押さえていくべきかもしれない。
 
「社長の充電は終わった?」
「充電?」
「ヒロのことだから、康介くんが上手くやってるなら放っておこうと思ってそうだと感じたんで、釘さし」
「久道が何言ってんのか分かんねえな」
 
 直前の思考が漏れていて少し恥ずかしくなった。
 否定しているが久道には図星だったとバレてるだろう。
 ただ長い付き合いなので、そこには触れず「俺は康介くんを補佐する人員なわけだから」と久道は笑った。
 
「康介くんにとって一番のお給料は社内でヒロに会うことじゃない? 今まではお昼の時にヒロが戻ってくるまで子供の面倒見るか、誰もいない部屋の中にいたわけでしょ」
「外的刺激は会社にいる方が多いな。人の出入りもあるし」
「他人の話なんかしてないって。すぐ会える場所にヒロがいるかどうか。それは結構重要じゃない? 康介くん的にさ」
 
 肯定するのは簡単だが、気が進まない。うなずいたところで自分が自惚れているとは思わない。康介はそういう人間だ。康介の物差しが俺を基準にしているのは今更だ。
 
「すんなり納得できないのはきっと、ヒロの中で、そういうのは不愉快だったり不安定だったり不確かなものとしての分類だからだよね。そこはそれで、俺も突っつかないよ。でも、寂しがらせるのはNGじゃねえのって話」
「上機嫌だったぞ」
「……結局ヒロさえいれば、それでなんとかなるんだよね。知ってますぅ」
 
 久道が言わんとすることは分かるが、全部を飲みこむのも少し難しい。
 康介の機嫌を意識的にとろうとするよりもライオンの檻の中に入って直接エサやりをしたほうが精神的に楽だ。
 他人のご機嫌取りが苦手というよりは、俺のこの苦手意識は康介に限定しているのかもしれない。
 
 久道に「いってらっしゃい」と手を振られながら歩き出す。
 
 鼻の奥で何かが燃えたような異臭を感じたが、もちろん気のせいだ。
 幼い日の出来事は自分の中で根を張って抜け出せなくさせる呪縛かもしれない。
 
 大事にしていた人形がある日、父によって燃やされた。
 俺が作った物でも俺が買ったものでもないので所有権は俺にはなかったのかもしれない。
 そう思うと人形がなくなったことを上手く悲しむことも出来ずに空虚感を抱いた。
 どうしてそんなことをしたのか父に聞けば俺の心境も変わったのかもしれない。
 たらればは無意味で、生産性がない。
 
 永遠なんてないと分かっているから、俺の言動に振り回されつつも突き抜けている康介を見ると安心する。
 あるはずのないものを擬似的に摂取するのに利用しているようだが、康介は俺の中にあるよくわからない感情に対して答えにならない答えを出すだろう。

 たとえば「オレの輝きは永遠に色褪せない」なんて、馬鹿馬鹿しくもその通りだと納得しそうなことを口にするのが下鴨康介だ。そう思うと俺は肩から力が抜ける。

 そんな日々が続いていく。
 これは幸せなことかもしれない。


2018/05/10
×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -