番外:下鴨と関係ない人々「久道の1月31日」

久道視点。
 
 
 一月三十一日は平日なのでいつもの何でもない日常だったはずだ。
 ヒロからの電話がなければ。
 
 
「どうしたの、ヒロ。めずらしいよね? 勤務中でしょ」
『ギリで、昼休み』
「勝手に延長した疑惑ぅ」
『社長なめんな』
 
 社長だから無理が通るのか、社長だからしっかり規則を守っているのか、ヒロはどちらもあるから困る。
 
「なになに、なんかあったの」
『この時間にワンコールで出るってことは暇か』
「断定調ってどうなの、それ。……現在閉店休業中ですけどぉ」
 
 ヒロが俺の無職いじりをしてくるなんて、めずらしいどころじゃない。
 勝手に休み時間を延長して康介くん絡みで俺に連絡をしてきたことに決定だ。他のことでヒロがルールを捻じ曲げたりしない。子供のことですらヒロは常識的な言動をする。モンスターペアレントになりそうなほどに子供を愛していても、愛しているからこそ歪んだ姿を見せたくないと思っている。子供を真っ当に育てたいという希望はとてもヒロらしくて、そして、悲しいぐらいに無理難題。
 
 康介くんを半ば軟禁した状態の今の生活に子供たちは成長すればするほど違和感を持つはずだ。
 普通の専業主婦とは康介くんの状況は違う。
 積極的に康介くんから仕事を奪って何もない空間に追いやっているように見える。
 
 ヒロ自身に余裕が足りない時期だった名残なのかもしれない。
 
 とりあえず外界から康介くんを隔離して自分だけのものにして安心しておきたかった期間。
 俺は引越しの手伝いに駆り出されたけれど、引っ越し先を知らなかった。運転手をした先輩以外は目隠しをした上で作業員としてヒロの家に来たのだから、どうしようもない。
 
 妊娠が確定した康介くんに力仕事を頼めないからと俺たちに声をかけておきながら家の場所を教えないように目隠しを強要するヒロ。それを異常と思うよりも仲間はみんな、ちょっと嬉しかった。もちろん、おかしいというのは感じた。誰もがツッコミを入れた。でも、誰も目隠しを拒否しなかったし、先輩はヒロの家の場所を誰に聞かれても答えなかった。
 
 引っ越し業者じゃないのにあれこれすることになった俺たちは無償でも苦じゃなかった。ヒロから信頼された結果、選ばれた人間だと分かっているから誰も不満や愚痴を吐かない。テンションがハイになっていたからだろう。後日、筋肉痛に苦しんだ。
 
 この時の経験があるから、ヒロが大学生で会社を立ち上げて生計を立てられる状況になっても当然だと思える。お金があれば安心は得られる。心に余裕も持ちやすい。でも、お金があっても満たされないこともある。お金は通貨だ。通り過ぎる途中経過の代物であって、最終的な満足は金銭では得られない。少なくとも俺がそうだ。転職や休職の理由は給料ではないと口にしたところでヒロ以外から理解されないのは分かりきっている。
 
 ヒロだけは俺の考えを聞き終わる前に整理した結論を投げかけてくる。
 
「なになに? 助っ人に欲しいのは、俺の知恵? 俺の身体? どっち?」
『どうだろうな。……愛妻の日って知ってるか?』
「知らない。ちょっと待って」
 
 タブレットで検索をかけると一月三十一日である今日が愛妻の日と出た。数字の1をアルファベットのIに見立てて、愛で三十一を妻(さい)という語呂合わせ。強引にも感じたが「なるほど」と言える程度には理解できた。由来を読み上げる俺の声が聞こえたのか、ヒロが溜め息を吐いた。
 
「今日を康介くんといちゃいちゃデーにするために夕飯を作りに行こうか?」
『夕飯は外にする。宮白先輩んところのイタリアン』
「あー、クズ先輩。何店舗も経営しちゃってますよねぇ。動画とかアプリとかでガンガンど〜んと金儲けしたね」
『タイミングが良かったな』
「え〜、でも、宮白ってヒロのこと好きじゃん。ガチじゃん」
『ちげーよ』
「いやいや、現役でしょ。愛妻の日に康介くんを連れてく店じゃないって」

 ヒロのことなのでシェフの様子をうかがいに行くという名目もあるんだろう。
 宮白は俺たちの先代にあたる生徒会の人間だ。商才はあるし発言も正しいが、気に入らない人間に向けるトゲが鋭すぎる。人が言われて嫌なことを瞬時に把握できる能力があるクズとしての力が強い。ヒロは愛されまくってかわいがられていたので、宮白に嫌味の一つも言われたことがないだろうが人間性がクズなことは知っているはずだ。
 
 学校を卒業して先輩後輩の関係を解消したのだから関わらなければいいものを、ヒロは宮白が人を殺しかけるので救いに行ってしまう。
 
 シェフも宮白からのモラハラで自殺を考えるほどに落ち込んでいたらしいが、ヒロと出会って気持ちが変わったという。ヒロは人間なので、ヒロと出会ってから宝くじが当たったとか彼女や彼氏ができたというのは気のせいだと言いたいが、できない。
 
 ヒロに引っ張られてうつむいて踏みつけられるだけの人生じゃなくなったり、誰か良い人と出会えたというのは、ありそうな話ではあるので奇跡の力を否定できない。ヒロを介しての出会いというだけで、特別に感じるので運が舞い込んだのは、その人の力だと言い切れない。
 
 とはいえ、何も愛妻の日に不愉快な相手と顔を合わせに行く必要はない。
 
「康介くんが、かわいそうでしょ! ヒロってば、デリカシーがないんだからっ」
『かわいそうってなんだよ。……宮白先輩は前から新店舗にこいって誘われてたし』
「シェフの子がかわいそうだからじゃないの」
『ときどきランチのテイクアウトを持ってきてくれるぞ』
「ちょっと、お弁当!? それはアウトでしょう。テイクじゃないよ、アウトだよ」
『普通はやってないサービスだとは言ってたな』
「もう、なんだってそう他人からの好意を無防備に受け入れるかなぁ。……既婚なのは言ってるよね、さすがに」
 
 ヒロは地雷の埋まった大地を軽装備で歩くような心臓に悪いことを平気な顔でする。自分が戦場にいる自覚が足りない。普通なら骨までしゃぶられるところだ。いや、ヒロならしゃぶられるのは骨じゃなくて下半身かもしれない。
 
『男だぞ』
「そうですね。宮白も男だよねぇ。でも、ヒロはひとりで別荘に執拗に誘われてたよねぇぇ」
『忙しいから宮白先輩とは会わなかったけどな』
「奇跡的に予定が合わなくて別荘をただの無料の宿泊地として使うっていう偉業を成し遂げたね。誰も傷つかず角が立たず損がないっていう」
 
 一歩間違えばどうなっていたかとひやひやする場面だ。俺も一緒にいたけれど、理由をつけて外に放り出されたに決まっている。あのクズはヒロにしか優しくなかった。康介くんもヒロにしか興味がないけれど、許せてしまうのはきっちりとヒロとそれ以外という区分けがなされているからかもしれない。
 
 自分にとって味方となりえる人間、自分に利益をもたらす人間、それすらも康介くんからしたらヒロじゃないならヒロ以外でしかない。
 
 宮白はダメで康介くんが良い理由をヒロの態度以外に求めるなら信用できるかできないか、というところだろう。康介くんは自分のためにヒロを裏切ったりしない。そういう理想を夢見ているのだとしても、愛されるために存在している天使でいてもらいたい。
 
「それで? 宮白のところに行った後にホテルにでも行くの? へこんだ康介くんと慰めっくす」
『なんで康介がへこむんだよ』
「宮白がクズだからじゃねえの? クズは理由なくクズな行動するじゃん」
『久道、お前……人のことをクズクズ言うけどなぁ』
「いいですぅ。説教はいりませんですぅ」
『まあ、俺たちの夕飯の話はいい』
 
 ヒロは切り替えが早いというか、たぶんどうでもいいと思っている。
 俺のことも康介くんがどう思うかも。
 その雑な態度のヒロらしさにどこかで安心する俺がいる。
 俺が知るヒロから大きく逸脱するわけじゃない今まで通りのヒロがいる。
 昔から知る腐れ縁の幼なじみが常識や正論を使って他人の気持ちを踏みつけにしている状況に安心する。
 俺も俺でまともじゃない。
 
「うんうん。電話の要件は、なんなのさ」
『康介に何をやるべきだと思う?』
「えー。そりゃあ、ヒロじゃねえ?」
『だよな』
「おいこら、惚気かよ」
『経済を回すためなのか物を買えっていう訴えが前提の愛妻の日だろ』
 
 そうでもないだろうという言葉は出ない。気持ちが大事だと訴えかける場面なのに声が出てこない。
 物より思い出が大事だなんてありきたりな言葉は気持ちが悪い。
 
『男が貰って嬉しいもの』
「え〜っとぉ、ベルト、財布、時計、名刺入れ、ネクタイ、カバンとかが定番だよね」

 サラリーマンの定番アイテムの羅列だ。

『康介にはいらないだろ』
「その通りだろうけど……」
 
 康介くんのスーツ姿も似合うと思うけれど、そういうことじゃない。
 ヒロが必要としている知恵や情報というのは康介くんに合う合わないじゃない。今日中に渡せる品物の話だ。
 何も渡さないでいいと言いながら、渡すのは宮白の店に連れて行く埋め合わせに見える。
 ヒロからすると康介くんを傷つけたいわけでも何でもない。
 康介くんが嫌だと意思表示をすればきっと外に食べにはいかない。その程度のどうでもいいことだ。
 
「アロマオイルは?」
『女子かよ』
「いやいや、男でも普通だし」
『お前の中では?』
「刺激的な夜の演出になるんじゃないかなっていう親切心」
『アホか』
「じゃあ、ヒロは? なに? マッサージ器とか?」
『康介はどこも痛んでない。変な体勢になって疲れたって言い出したら俺の責任だから揉んでる』
「はいはい。惚気ごちそうさまでしたぁ」
 
 何を言っても結論はいらないに持っていきそうなヒロがいる。
 康介くんに必要なのは自分だけだという答えが無意識でありそうだ。
 
「……発想の転換で康介くんにオリジナル香水を作ってもらうとか?」
『今日?』
「バレンタインデーとか」
『今年はクルミ入りのブラウニーを作ることになってる』
「え、弘子ちゃんと?」
『いや、俺が作ったものを康介の父親に渡すっていう約束をしてる。余るだろうから、康介にもやるだろうな』
「ちょっと待って。なんで、康介くん主体じゃないかなぁ」
『義理の父親にくれって言われて何も渡さない気か?』
 
 これが悪意ゼロの発言だから怖い。
 ヒロは本気だ。
 康介くんに対するあてつけとしての行動じゃない。
 義理の父親からの要請に従おうとしているだけだ。
 
「それ、康介くんから欲しいっていう父心じゃないの」
『そうか?』
「うんうん。そうそう。絶対にそう。ヒロは空気読んで、作るなら作るで康介くんと一緒に作りなよ?」
『ありがとう。そうだよな。おかしいとは思った』
 
 軌道修正できたことにホッとする。
 バレンタインデーなんていうこれ以上にないラブラブイベントで斜め上に外した行動は後からフォローできない。
 
「あ、アロマオイルの話に戻るけど……たぶん、ちょうどいいんじゃない? 位置的に」
『……ん? あぁ、少女趣味の店か』
「もしかして知り合い? 俺まだ何も言ってないけど」
『誰かから聞いたのか分からねえけど、内装工事は俺がやった店。ときどき店内レイアウトの変更の依頼もくる』
「惚れられてんの?」
『いやいや、おっさんだぞ?』
「ヒロはいつも年齢関係ないじゃん」
『いや、恋人がいたはずだ。たぶん』
 
 ヒロを信頼していいのか、どうなのか。
 俺は試されている気がする。
 
「店に行ったらすぐにヒロに渡せるように用意してもらおうか?」
『電話番号分かるか?』
「だいじょうぶ。……あのさ、ヒロ。節分って」
『予定はないな』
「子供たちと一緒に豆まきしないの」
『片付けるのが大変だろ』
「俺の家、使っていいよ」
 
 思わず口にしていた内容に頭を抱えたくなる。部屋は綺麗とは言い難い。
 
『……仕方ねえな。部屋掃除しに行ってやるよ』
「バレたか」
『来年な』
「おいっ。ひどいよぉ。ヒロの人でなしぃ。鬼ぃ」
『人をこき使いやがって』
「むしろ、俺が言いたい!!」
 
 俺がいなかったら大惨事じゃないかと口にする自分の顔を鏡で見ると笑っていた。
 ヒロにこうして頼られていることに喜びを覚えている俺はどうしようもない。
 康介くんを試しているんじゃないのかとヒロに言えない。俺もヒロからの相談をどこかで待っていた。幼なじみだから、どこか似ている。幸せに不安を覚えてしまうから石橋を叩く。いつか石橋を叩き壊して息の根がとまる日が来るかもしれない。ヒロはそんな日が来ても反省も後悔もしない。永遠に続く幸せという幻想が壊れるのは当たり前だ。嘘が証明されるのは喜ばしい。
 
 通話が切れているのを確認してから口にしなかった言葉をそっと吐き出す。
 
「ヒロと話すのが久しぶりだからかな。俺はとんでもなく嫌な奴になっちゃった」
 
 自分の心が擦り切れているのを感じても、自分ではどうしようもできない。ヒロは気づいても気づかなくてもいつの間にか治してくれる。それを目当てで近づいてくる人間を軽蔑したくせに俺が一番そういう意味でヒロを利用している。自分の気持ちを楽にするために祈るように康介くんを思う。ふたりが幸せに笑っている姿が見たい。
 
 
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番外:下鴨家の人々 「1月31日は愛妻の日:深夜」」としてアロマオイルエロを入れようと思ったりしましたが、とりあえずはここで今回(この年)の愛妻の日はエンド。

海問題の前というのと節分→バレンタインデーの前振りみたいなところもあるので内容に含みがあります。
 
 
2018/02/07
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