番外:下鴨家の人々 「1月31日は愛妻の日:夕飯とその後」
下鴨弘文視点。
こいつはどうしてこうなんだと思うタイミングはいくらでもある。
たまたま一月三十一日がそうだったのか、一月三十一日だからそうなったのかは分からない。
違和感に気づいたのは弓鷹だけだったようだ。
デザートが運ばれる前にトイレに立った弓鷹は俺を見た。
弓鷹自身にその自覚があるのかはともかく、呼ばれている気がしたので俺も席を立つ。
「コウちゃんはパズルしてるみたい。いや、パズルをしたいのかな」
上の空という単語が出てこないのか、弓鷹は康介の状態を指摘する。
康介は気にいらないことがあったのか、それとも周りは関係ないのか、感情を内に閉じこめるか外に発散する。
外に発散する場合、ターゲットは俺だ。
中高と小鳥がさえずるように朝から晩までうるさかった。
俺が寝ていたり疲れていたり康介を黙らせようと思っている時は静かなので空気が読めないわけじゃない。
思い返すと周囲の声に自分の声がかき消されないようにしていたのかもしれない。
弘子が自分に注目するよう、うながし方はときどき康介を連想させる。
人混みの中ではぐれたら見つけてもらえないから喉を鍛えると弘子は言っていた。
案外、康介の言動もそういうところから来ていたのかもしれない。
物静かで思慮深く集中型な天才肌と大言壮語を吐きだしてはそれに見合うように努力する秀才。
正反対とも言える性質を康介は矛盾せずに持っていた。
「パズルってコウちゃんにとって精神統一とかだと思うんだ」
「精神統一ってほど高等なものじゃなくて、気分転換の上位版だろうな」
「ヒロくんはすぐ、軽く考える」
用を足して手を洗う弓鷹がすこし不服そうな顔をする。
俺は弓鷹が背伸びして手を洗っている状態なので、抱き上げてやるべきか、それは男としてのプライドを傷つけるのか悩んでいて、康介のよくわからない感情の浮き沈みのことなど考えていられない。康介は放っておいても気づいたら笑っていたりするが、弓鷹はそうじゃない。
親しき仲にも礼儀ありだと木鳴に叩き込まれたのか、親や大人に甘えない。あえていえば鈴之介には甘えているかもしれないが、俺とはどこか距離がある。距離というよりも遠慮だ。康介がどこまでも無遠慮にわがままし放題であることを子供の前で叱りつけていたせいだとするなら身から出たさびだが悲しい。
鈴之介は思ったことをそのまま口に出すタイプなので探りを入れなくても考えていることは気づけるのだが、弓鷹の気持ちは俺では想像できない。ヒントを一番得ているだろう康介はポンコツなので、弓鷹のことを聞いても「元気だよ」で済ませたりする。
「愛妻とかそういうの、関係なく今日という日を笑顔で終わっていた方がいいよ」
弓鷹が親思いのいい子に育っていることに感動しつつ一緒に席に戻る。
康介は笑っている。
深弘の背中を撫でている。
普通の食事の風景だ。
心ここに非ずの空っぽな状態だと弓鷹に見破られるほど言動が雑かといえば逆に物静かながらスマートさがある出来る人間に見える。外食だからよそいきの康介なんだと鈴之介も弘子も思っているんだろう。食べ方も綺麗で店員への気配りも忘れない「下鴨康介」だと思わなければとても上等な人間だ。
見た目通りに品のある言葉と立ち振る舞い。
子供たちからすると誇らしいかもしれない立派な大人の姿だが、俺からすると「こいつ何も考えてねえな」と思ってしまう姿だ。弓鷹はそこまでは思わなかっただろうが、こういう時の康介は自分がしていることも覚えてなかったりする。
見ているようで見ていないので食事の味も分からないだろう。
ちゃんと康介が喜ぶものをプレゼントするべきなのかもしれないと反省する気持ちはある。
弓鷹の反応を考えての後悔というよりも康介が自分に下鴨弘文の伴侶だという意識が薄い。
だから、今日が何の日だとか、どうして急に物を贈られたのかも理解していない。
夫婦のイベントは康介にとって他人事で自分は不参加の催しだ。
デザートを食べ終え、会計をしつつ、オーナーや店員たちと話をする。
コートを受け取ることもなく動きが鈍い幽霊のような康介。
電池が切れたように覇気がない。
鈴之介と弓鷹に弘子と深弘と先に外に出るように告げる。
康介のコートは俺が受け取って康介の手を引く。
八時九分にはまだ早いが、タイミングとして今が一番いいだろう。
抱きしめて康介の呼吸をみる。
安らいだように深く息を吐き出した。
店の中が息苦しかったと言うような失礼な態度だが、康介らしい。
変に周囲を気遣うのは下鴨康介のキャラじゃない。
「満足したか」
どうせ康介のことなので、八時九分に抱き合ってる人たちがいるんだろうと思って羨ましがったのかもしれない。
自分とは関係のない世界の話として他人事に夫婦の話題を受け取るなんてのは、如何にも康介らしい。
俺の想像が正解に近いのか心ここに非ずに見えた康介が地に足がついた状態で目に前にいた。
足元がおぼつかないのか寒いのか少し体が揺れる。
「弘文は?」
吐きだす息が白くて、冬の寒さに悪寒が走る。コートを催促することなく期待するように潤む瞳。もう一度抱きしめろとねだるような表情。赤く染まった耳は健康的で清潔な魅力なのに視線は男を誘惑する色を乗せている。
「お前、ときどきエロいよな」
無意識だとするなら色情魔なんじゃないかと糾弾したくなる。子供たちを待たせているのでこれ以上ができるわけないのでコートを着せる。
駐車場から車に乗るまでの短い距離ですでに目に見えるほど上機嫌なのが分かる。
来る時と足取りが違う。
康介がドライブに行きたいと言い出したが、無理があるので帰りに寄り道をすることにした。
少女趣味にも見える店舗の外見は中に入りにくいところだが、弘子が喜んでいたのでいい。
薄暗い店内に中年のおっさん店員が椅子に座って小さくなっていた。
いらっしゃいませすら言わずに会釈する店員は弘子の質問攻撃に丁寧に対応する。気の小さいおっさんだが変な人ではない。アロマオイルやキャンドルや大人女子向けの雑貨が好きなおっさんだ。
好きなものを売りたいが客としてあらわれる女性が苦手だといって客が来にくい場所に店舗を構えたいと言い出した。どうしてうちの会社に相談してきたのか謎すぎるが、よくわからないニーズにも対応してきて今がある。普通じゃない依頼はうちにするとアドバイスをもらえるとでも営業が話してるんだろうか。
「ヒロくん、おっさんが話があるって」
弘子の手には花が散りばめられた便せんがあった。
買うのかと受け取ろうと手を出すと「おっさんがくれるっておっしゃるので、いただきます」と言い出した。
「乙さん、娘がすみません」
「花言葉が書かれたロマンチックなものだから娘さんには早いかもしれませんね」
「なにかオススメとかあります?」
「久道と名乗る方から電話でうかがっていたアロマオイルのセット一式はご用意しております。自分でオリジナルの保湿オイルを作れるようにいろいろ込みこみにして勝手にセットにしたので、お値段がその」
「構いませんよ。急なお願いをすみませんでした」
「いやいや、ぜんぜん、あ、作り方とか、やり方とかは説明や効能の一覧とかを作ってみたので参考にしていただけたらと」
「丁寧にありがとうございます」
「あ、それとはべつでのオススメは今の時期だと終わった感じになってしまいますがクリスマスローズが好きです」
顔を真っ赤にした中年のおっさん。
俺に対して思うところがあるわけではなく赤面症だ。
康介を見ると弘子と和気あいあいと商品について話している。
「クリスマスローズの花言葉に私の不安を取り除いてくださいというのがありまして意思表明にいいですね」
常に不安感を覚えていそうなおっさんらしい言い分だ。
俺の反応がよくないからか「いたわりという意味もありますよ」と追加の補足情報をくれた。
「クリスマスローズのオイルもあるんですか?」
「いえ、一般的に家庭でも育てられていますが毒草の部類なのでないと思います。スズランは良い香りですが毒草なので精油はほぼなく合成されたスズランの香りがするものを各社が作っています。スズランのように合成でクリスマスローズのオイルを作っているメーカーもあるかもしれませんが……」
正確な情報を伝えたいからか、いつになく言葉が多いおっさん。
棚の一つにクリスマスローズと書かれた商品を見つけて「こちらにあるのは?」と指でさす。
「クリスマス用に特別配合したローズオイルをクリスマスローズという商品名で提供されているようです」
詐欺のような気もするが、商品名であって原料とは違う。
久道と冗談で話していたことを思い出していくつか購入する。
保湿オイルの材料として選んでくれたものと被っていると言われたが、それはそれだ。
康介が自分で組み合わせて作るオイルは俺用のプレゼントで、俺が選んだものは康介に渡す花代わりだ。
喜ぼうが喜ばなかろうが、どうでもいい。
「弘文、買い物終わり?」
「お前を悦ばせるよう」
「え、エッチな話? 変態さんかな?」
「そっちの漢字を脳内で変換するお前が変態だ」
「だって、ニヤッとした。えっちぃ表情」
悪いのは俺だと主張しながら満足そうな顔をしている。
道端の小石あつかいをするつもりはないが、適当に拾った名前の知らない花だとしても喜びそうな康介。わざわざ人から貰ったものを渡すのは無駄の極みだった。
手のひらサイズのアロマオイルの入った瓶を握りしめて遊んでいる。包装も何もないそのままを楽しむ不作法。康介らしい前のめりさだ。
2018/02/06