番外:下鴨家の人々 「1月31日は愛妻の日:夕飯前」

下鴨弘文視点。
 
 
 会社の廊下を歩いていたらヒナに会った。
 ヒナに伝えるべきでもないが、該当する相手を探し出して改めて口にすることでもない。大事(おおごと)でも何でもない日常なのだから、何かのついでに話をすればいい。
 
 そう思って軽い気持ちでヒナに対して話題に出した。俺の気持ちに反して何かヒナの地雷を踏んだらしい。
 
「ヒロさん! 今、ヒナってか、人殺しが歩いてたんすけど」
「まだ、殺してねえだろ」
「殺しそうでしたよ。キレてた目でした。あの瞳、ヤバいやつっすよ」
 
 震える新見に「犯人は俺か?」と首をかしげる。ヒナに「月森に礼を言っておいてくれ」と告げたら目を見開いた後に何かを理解したようにどこかに向かった。月森を探しに行ったのだろう。だが、礼を伝えに行くにしては、ずいぶんと勢いのいいメッセンジャーだ。ヒナがそんなに意欲的なわけがない。康介絡みだ。どうやって知ったのか、考えるだけ野暮だが康介が何かしたのだろう。
 
 昔、晴れた日に傘を渡されたことがある。その日は帰ると家にいるはずの弘子が玄関に向かってやってくることがなく、部屋の中にもいる気配がなかった。警戒しながら最終的にベランダに出ると水風船をぶつけられた。俺にぶつかっただけでは水風船は破れなかったので濡れなかった。俺も察したので「弘文、覚悟っ」という康介の声を聞く前に傘を開いて防御した。康介は少し前に購入した水鉄砲で攻撃してきた。
 
 傘を持ったまま部屋の中を移動するなんていう無意識の行動の勝利というよりもヒナに感謝だ。
 康介と弘子の悪だくみをどこからか見てそれとなく警告をくれた。
 
「ヒナも大人だから、もうそんな大怪我を負わせないだろ」
「ヒロさんやっぱり、殺人犯の受け入れはやめましょうって」
「ヒナはまだギリギリ誰も殺してねえって」
「ホントっすか? 大丈夫なんすね? よかった」

 安心するように息を吐く新見がおもしろかったので「どうだか」と笑う。

「今日が命日かもな、月森の」
「ひぃ! ヒロさんはあの人に恨みでもあるんすかっ!!」
 
 新見が涙目で震える。
 感情表現が大げさだ。
 悪いことができないタイプなので、こういうときに使える。
 
「新見はデカいのに小動物みたいでおもしろいな」
「ヒロさん格好いいっす! 一生ついていきます!!」
「お前は言い分もテンションも適当だな」
「あざっす!」
 
 褒めてないが訂正するのも面倒なので、退社することを伝える。
 新見に伝えておけば月森の件も俺が業務も切り上げたことも社内の必要な個所に伝達されるだろう。
 噂好きというわけでもない新見は話を盛ったりせず、事実だけを口にするのでどう転ぶか見る分には発信源として、とてもいい。
 
 まだ寒い外を見て、自分の手に視線を移す。
 
 康介のおかげというわけじゃないが、手荒れがない。
 皮が厚くなっていたことが嘘のように柔らかな指先になった。
 ヒナに会った時に手の状態を見せてもらおうと思っていたと廊下を歩きながら思い出す。
 きっとその機会はないだろう。
 なんだかんだでヒナと会う時は偶然なようでいて理由がある。
 今日もまた何か理由があったからこそ俺の前に顔を見せた。
 そして、原因を知ったから行動を起こす。
 
 ヒナの感性やジャッジが正しいのか、はたまた間違っているのか、俺は答えは出せない。
 誰かが正しいとか間違っているなんて人それぞれの価値基準だ。
 
 どの方向に結果が転がるのか、俺はそこには興味がないんだろう。
 結果はたぶんタイミングなどによっていくらでも変わる。俺の意思も関係なく決定する。
 過程には俺の意思が反映されている。どうなるんだろうという、ちょっとした好奇心や興味があるからこそやらなくてもいいことをした。
 
 そんなことを思って駐車場に向かう。
 
 誰かの怒声が聞こえるが、俺がいなくてもどうにかなる。そうじゃなければ会社がある意味がない。俺は夕飯を予約したイタリアンで家族一緒に過ごして、子供たちを九時前には寝せたい。その予定を変えてまで人の喧嘩の仲裁などするわけがない。
 
 車に入ってシートベルトを着けた際にスマホが鳴った。見ると「お疲れ様です。愛妻の日を楽しんでください」とメッセージがあった。先程、話題に上がった月森からだ。誰かと誰かが争う原因になっている相手は俺に恨み言を告げることもない。
 
 運転するので返信することもなく前を向く。
 メッセージが来たということはヒナと月森が対面することはなかったということだ。
 
 
 昼に家に戻る前に何かを買いに行こうか考えていたところ月森と顔を合わせた。使っている最中の俺が少し惹かれるところのある香りのリップクリームと新品の少し嫌な香りのするハンドクリーム。
 
 欲しいならどちらでもくれると言われた。
 
 普通に考えて使い途中のリップクリームを貰うわけにはいかない。
 とはいえ康介の手に塗ることを考えると微妙な匂いだと感じたものを貰うのもおかしい。
 気持ちだけを受け取って俺はどこかで何かを買うべきだった。
 それなのにハンドクリームを渡していた。
 月森から渡して康介が気に入らなかったら返してくれてもいいと言われたからかもしれない。
 ダメでもともとの気分で康介に渡そうとした。
 
 ゴミ箱に入れ出すというとんでもなく失礼極まりないが、康介らしい行動に出た。それは想像の範囲内だ。ハンドクリームは月森に返品するべきなんだろう。いや、マナーとして買い直したものを渡すべきか。
 
 
 
「あれ、ヒロくん? ご機嫌?」
 
 
 外で夕飯ということで弘子のテンションが上がっていると思ったが、意外とそこまででもなかった。服装はよそいきのかわいらしいワンピースだが、表情は早くお店に行きたいと急かすものではない。外食が特別なものと感じられないのだろうか。そうなるほど、外に連れて行っているなら問題かもしれない。去年の自分を振り返るが答えは出ない。こういうときに久道がいるとバランスの調整をしてくれて便利だ。
 
「おにいたちからヒロくんが愛妻デーを失敗したとお聞きしました」
「あぁ」
「プレゼントは心なのです。コウちゃんもヒロくんがくれるという行動だけはきっと評価しているはずっ」
 
 長男次男のどちらかが情報を整理して弘子に伝えてくれたらしい。俺や康介の内心を想像で付け足すことがない仕事ぶりから考えると兄二人が示し合わせたのかもしれない。
 
 弘子が知った、俺がハンドクリームを渡して康介がそれを気に入らなかったというのは事実だ。だが、事実は事実でしかなく、真実は人それぞれ別の場所にある。
 
「ヒロくんがそんなにパスタ屋さんが好きだとは……。いえいえ、コウちゃんに喜んでもらえなくてショックを引きずってるよりかは良いともさ!」
 
 腕を振り上げる弘子を抱きあげて車の助手席に乗せる。
 俺が弘子と話している間に康介を含めて全員が車に乗り込んでいた。
 
 弘子のシートベルトをしめていると小声で「愛妻の日である今日は八時九分にハグタイムがあるという情報がある筋から」と弘子が教えてくれた。
 
 ある筋は夕方のニュースとかだろう。となると康介も知っていそうだ。
 食べ終わって帰宅すると八時過ぎぐらいになる。
 
 ちょうどいいタイミングかもしれない。
 
 
2018/02/04
×
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -