番外:下鴨家の人々 「1月31日は愛妻の日:夕方」

下鴨康介視点。
 
 
 冬は弘文に会ってから好きな季節の一つだ。
 それよりも前はいろんな注意事項を頭に入れながら過ごさなければならなかった。
 チェック項目は頭の中に羅列しているので、物心ついたころにはいちいち何かを言われることもない。
 ただ、母の声なのか、自分の声なのか、頭の中で「こうしなければならない」という声がした。
 弘文も「こうするべきだ」という言い方をするけれど、根本的に何かが違う。
 
 何がどう違うのか、子供たちを見ていると少しずつ理解していける。そんな気がした。
 
 
 少し前までの話をすると食事の後片付けとして、弘文と一緒に洗い物を処理していた。
 オレが洗ったり弘文が洗ったのをオレが食器棚に戻したり、それはその時々だ。
 深弘の出産後に体調が崩れて日中ソファでだらだら寝ている生活が三カ月ほど続いたと思う。
 でも、弘子の時よりは、覚悟や慣れもあってか復帰が早かった。
 オレがだるそうにしていると弘文が細やかな気配りを見せてくれるので、寝たきりでも良かったのだが、子供たちの手前、仮病はよくない。とくに鈴之介と弓鷹はオレが弘子を産む前と産んだ後の体調の悪さを見ていたせいで、過保護だ。
 
 出産は世間的に重労働だが、鈴之介も弓鷹も産むのに苦労はなかった。妊娠中も出産後もオレは何も変化はなく体調は普通だったと思う。下鴨の両性は安産だというから誇ることでもない。オレは当たり前を当たり前として受け入れていた。そのせいか、弘子を妊娠していた時や出産後の体調不良についていけなかった。
 
 鈴之介を妊娠した際も出産した後も、オレの中にあったのは今後の育児についてではない。これから弘文がどうするのか、弘文が何を考えているのかという疑問だ。
 
 結婚というものを飲み込む前に結婚生活は始まっていた。今後どうなるのか、どうするのか、わからなくて、オレは不安なのか、安心しているのかよくわからない心境で暮らしていた。
 
 弓鷹を妊娠したことを理解した時は安心と同時に残念な気持ちがあった。お腹の中から子供がいなくなったら弘文との縁も切れてしまうのだろうとさみしくて、泣きそうになったこともある。
 
 もちろん、弘文は途中で投げ出す人間ではないし、口にしたからには実行する真面目さんだ。跡取り問題が終わったので、下鴨康介のお役目御免。ご苦労様、さようなら、とはならない。だって、弘文は弘文だ。そこはいつでも揺るがない。
 
 オレが、これで終わりなのかと思うたびに弘文に本気で怒られる。
 そのつもりがなくても弘文を安く見ている発言になるからだ。
 弘文は「お前の人生ぐらい背負うつもりがなければ結婚なんかしねえよ」と口にする。
 その場のノリじゃない。いいや、口から出た段階で弘文は真実にしようとするから格好いいと思ってしまう。
 
 弘文は正しすぎてオレに優しくなくなる時も多々ある。
 非常識だと批難されるが、やっぱりどうしてもイライラする。
 
 
「コウちゃん? なんだか、すねてる?」
 
 
 弓鷹の声に跳ね起きる。
 
 ソファの上であおむけになっていたオレ。
 その腹の上でうつぶせになっていた深弘。
 
 オレが起き上がったことで深弘が床に転がり落ちそうにそうになった。
 あわてるオレに弓鷹が「大丈夫、落ち着いて」と声をかけてくれる。
 弓鷹にしがみついて体勢を整える深弘にホッと息を吐く。
 もう弓鷹が家に帰ってくる時間になっていた。長く心ここに非ずで過ごしてしまった。
 
 お昼に弘文が作ってくれた蕎麦はおいしかった。でも、きっと木鳴のおばあさまから聞いた秘伝のたれを使えばもっとおいしかった。そう思うと惜しい気持ちが消えない。
 
 市販のつゆでは弘文の舌は満足しない。
 おばあさまが忙しくても市販品を使わない方だったからだ。
 日持ちがしないので作り置きができない出汁などは弘文からすると不要なものかもしれない。
 でも、弘文は食べるからにはおいしいものを口にしたいと思っている。
 自分の作っているものに不満を覚えた弘文がとる行動として、他人に作らせるというのは何とも合理的だ。とても弘文らしい。
 
 オレはそんな中で声を大にしてオレが出来ると言いたい。
 言いたい気持ちがあるだけで、現実として目標値にまで達していない。
 そんな気がして気分が落ちる。
 
「弓鷹、おかえり」
「コウちゃん、なんか……しょんぼりしてる。おじいちゃんから食器洗い乾燥機をくれた時みたいな感じになってる」
「弓鷹は賢い。記憶力がある」
 
 凡庸な褒め言葉で頭を撫でると弓鷹は、はにかんだ。
 うまい言葉を探すよりも子供にはストレートな言葉をすぐに伝えるのがいい。
 このあたり、弘文よりも絶対にオレの方が得意だ。弘文はすぐに言葉をこねくり回そうとする。
 
「えっと、ありがとうコウちゃん」
「うん、心配してくれてありがとう」
 
 オレが弓鷹を撫でているのを見て深弘もやりたくなったのか、手をあげる。
 弓鷹に座るように伝えて深弘を抱かせる。ソファで深弘と並んで座りながら戸惑っている姿はかわいい。写真を撮っていると「お昼に何かあった?」と聞かれる。
 
「かきあげ蕎麦を食べた」
「それだけ?」
「あ、これ、変にかわいい。表情が小憎らしいってか、ニヒル? そういうの、弘文っぽいかも?」
 
 木鳴のおばあさまにもらった小さな引出しをオレは思い出ボックスと名付けて弘文にもらったものを入れることにしている。
 
「包装紙?」
「弘文がわざわざ買ったんだって。そういえば、絵本とかも自分でラッピングして弘子とかにあげてたし、風呂敷使うの得意だからラッピングうまいのかも」
「……コウちゃん、中身は? ヒロくんに何もらったの」
「え、なんだっけ。捨ててた」
 
 深弘のふくふくとした手をいじっていた弓鷹の表情が固まった。
 口にしてから弁解するように「いや、弘文がゴミ箱から救出してた」と口にするが、弓鷹の表情に変化はない。まったく弁解になっていないことはオレでもわかる。
 
 どういうべきか悩んでいたら弓鷹のほうから「コウちゃん、最初っから話して」と言われた。
 
 最初とはいつだろう。
 昼間に弘文が昼食を食べに帰ってきたときだろうか。
 
 いつも通りに「これから帰る」と連絡が来た五分後に弘文は帰宅した。
 
 弘文が帰ってくる前にお好み焼きを焼こうと思って食材を切り刻んでいたが、そもそも用意するものが違った。
 キャベツとたまねぎを勘違いして用意していたオレは潔く途中経過の食材を放置した。弘文がいいようにするだろう、と思いながらオレはかきあげを作ることを思いついた。これはレベルアップだ。料理の経験値が溜まったので食材を見て出来上がりの料理を想像できるようになった。今までは出来上がった料理から使われた食材のことなど考えないので、逆のことも即座に出来なかった。
 
 弘文は冷蔵庫にあるもので何だかんだと作り出すのでオレが料理の才能ゼロ人間に見える。だが、木鳴のおばあさまが褒めてくださるので、オレはそこまで壊滅的ではないはずだ。無駄な社交辞令などされない方なので、おばあさまは信頼できる。
 
 かきあげを思いついたものの、揚げ物は絶対禁止令が出ている。代替え案として揚げずにフライパンで焼くことを閃いた。自分が冴えていると思ったが、お好み焼きもどきになるのが目に見えた。
 
 なんとかもどきは大体マズイ。それは常識だ。だから、弘文が揚げ物OKにしてくれれば、オレがやると訴えたものの無視されたので、結局、弘文に任せることになった。この点に不満はない。
 
 もちろんオレも自分で作ったかきあげを弘文に食べさせたくはあるけれど、自分の作ったかきあげに得意げな弘文に和んだ。オレと弘文の共同作業になっているので、いつも以上においしく感じるお昼ご飯だった。今日はいい日で満足だ。
 
 かきあげ蕎麦の話をしたオレに弓鷹は淡々と「それより前は?」と聞いてくる。
 冷静な弓鷹の視線にオレは帰宅直後の弘文とのやりとりを思い出す。
 
「帰ってきて早々に弘文がカバンからこれを取り出した」
 
 トランプの王様をモチーフにしたような柄の包装紙。
 これをオレに渡すものとして選ぶ弘文はなんとも弘文らしい。
 
「なんて言って?」
「つけたときは近寄るなよ?」
 
 意味が分からなかったので思わず貰ったものは手から滑り落ちた。ちょうどよくゴミ箱の中に落下した。これも運命だと思って、なかったことにしようとした。でも、わざわざ弘文がラッピングしたのにと文句を言うので思い出ボックスに保存することにした。
 
「……包装紙の中身は、ここに転がってるハンドクリーム?」
「そうそう。弘文は匂いが嫌いらしい」
「うーん、そうかも。ヒロくんは好きじゃないかもね。このタイプの匂い」
「食器洗い乾燥機があらわれてご褒美時間がなくなったのにっ」
 
 食器洗いが終わったらオレが洗ってる洗ってない関係なく弘文がハンドクリームを塗ってくれる。
 無言ではあるけれど、食器洗いお疲れさまという気持ちが滲んでの行動だ。
 それは下鴨のご当主様からの賜りものである食器洗い乾燥機によって終わった。
 さすがに壊したり捨てると弘文に怒られるではなく、弘文が怒られるかもしれないので洗い物の件については考えることをやめた。
 
「なるほど、わかった。……他人はみんな余計なお世話なんだよね」
「うん?」
「おじいちゃんとか、元々ちょっとズレてる人だから親切心が空回りだ」
「親切?」
「コウちゃんにとっては嫌がらせかもね」
 
 弓鷹の言葉に本当にその通りだとうなずく。権力者の勝手な行動によって小さな幸せは詰み取られてしまう。世は無常なり。
 
 
2018/02/03
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