番外:下鴨家の人々 「1月31日は愛妻の日:昼」

下鴨弘文視点。
 
 
 康介の耳に入らなかったので、なかったことにしたい。
 だが、子供たちが知ってしまった行事を無視するわけにもいかない。
 
 バレンタインデーがチョコレートを売りたいお菓子屋の企みだとしても定着してしまえば、もはや文化だ。
 愛妻の日というのが、認知され定着の兆しを見せているのなら無視し続けるのは難しい。
 
 毎年することになる変な行事が増えた。今後、面倒になる気配しかしない。
 子供たちが期待するように喜ぶことを康介はきっとしない。空気を読まないことにかけては一級品だ。
 思いやりに欠けているので、康介は平然と人の優しさに砂をかける。
 自分の好悪の感情が他人に与える影響を考慮しない。
 子供っぽいという表現で済ますべきじゃない。
 
 
「おい、なんでゴミ箱に入れた」
 
 
 俺が今まさに渡したものが康介の手から滑り落ちるようにしてゴミ箱に入った。喧嘩を売っている。だが、こうなると思った。下鴨康介はこういう人間だ。
 
 信じられないという顔で俺を見ている康介が信じられない。さすがに子供たちもこの状況で俺に愛がないとは言わないだろう。愛妻の日として康介に今後何かをする必要もきっとない。賢い子供たちは状況を理解するだろう。

「中身も見ないで捨てやがったな」 
「ゴミだから……」
「新品だ」
「じゃ、なくって」
「いらないなら、まあ……いい」
 
 ゴミ箱からとって包装を剥がす。
 不服な俺の気持ちを感じ取ったのか深弘が目を覚ました。
 だが、俺たちを見てまた目を閉じる。俺が帰ってきたのでお昼ご飯かと思ったが、二人で話しているので、まだなんだと自己完結したんだろうか。弘子とは別のベクトルで気遣い上手に育っている。感心していると康介が「弘文」と自分は何もしていないという顔をしてくる。毒の一つも吐き出したくなる涼しげな表情だ。
 
「俺が買ったやつじゃねえけど、ラッピングし直したのに」
「え、え、え」
「なにが『え』だよ」
「弘文が? 弘文が選んだ? このトランプのキングが偉そうな包装紙を?」
「悪趣味だって言いたいのか……」
 
 花を贈るのは俺の柄ではないというよりも邪魔だと思った。何かを渡すにしても日常的に使う消耗品がいい。
 そんなことを思って午前中にちょっと考えていたところ未使用品だというハンドクリームを貰った。女子に受けそうな商品は康介のイメージではないが、コンビニ菓子よりはマシだろう。そう思って康介に渡したらゴミ箱行き。
 
「いらないなら返しておく」
「返すって何? また誰かからの横流し!?」
「またってなんだよ」
「弘文は自分がいらないものをオレに渡しすぎっ。オレはゴミ箱じゃないんだから!」
 
 失礼極まりないので、ハンドクリームをテーブルに置いて康介の耳を引っ張る。
 反省の態度もなく生意気な表情なので頬をつねると蹴られた。正確には俺を蹴ってこようとするのでソファに押し倒した。音に驚いたような声を上げる深弘だが、目をつぶったままだ。大したことはないと判断したらしい。
 
「あ、夕飯は外で食べるって話したな」
「うん、聞いてるけど……この状態で夜の話?」
 
 押し倒されていることが気になっているのか康介は落ち着かない顔をする。
 耳や頬を引っ張られた記憶はすでにないのかもしれない。子供たちのためにもしっかりするべきだが、康介に理想の大人の姿を見出そうとしないなら今のままでもいいのかもしれない。反面教師の集大成のような状態だ。
 
「昼は簡単に作る」
「あ、弘文……オレが」
「お前はいいから座ってろ」
 
 立ち上がる俺の足にくっついて「オレはべつにできる、けど」と言い出す。
 いつにない康介の態度に首をかしげたくなる。愛妻の日のことを聞いていないつもりで実は聞いていたのかもしれない。
 
 自分が夫と思うなら相手を妻と感覚的に思うのかもしれない。
 康介は自分で出産しておきながら母性が死んでいる。男親的な無神経さで育児や家庭に対して無関心だ。なんだって「弘文がやりたいならいいよ」という女親に決定権をゆだねる男そのままの態度をとる。康介は悪人ではないが、親としては非常識のかたまりだ。
 
 下鴨の教育が両性である康介は何もしないでいいという方針だとしても俺は違う。
 康介の態度は人生を舐めた人間にしか見えないので改めろと言いたくなる。
 ストレートに伝えたところで響かないし、気づかないので、なんらかのタイミングで問題提起して理解させるしかない。
 
「ごはん作る!!」
 
 今日に限って康介が強硬に主張するのは愛妻の日だからだろう。
 康介が俺を妻あつかいして、日々の感謝をあらわそうとする心がけは成長だ。
 
「いいよ、どうせ食材をみじん切りかペースト状にしてるんだろ」
「離乳食は深弘だから! え、弘文も離乳食がよかった?」
「いいわけねえだろ」
「かきあげ」
「食材、刻んでんじゃねえか」
「みじん切りじゃなくて細切り」
 
 そういうことじゃないと返す時間もそろそろ惜しい。
 康介をソファに座らせ「作ってくる。今日はそばでいいな」と告げる。
 不満そうに何かを言っているが無視だ。付き合っていられない。
 
 
 昼間に家に帰ってきて康介たちと食事をするのは今に始まったことじゃない。
 朝のうちに肉や野菜を焼くだけの状態にしたり、電気圧力鍋に食材をセットして俺が帰ってきたときに康介が盛り付けして出してくる状態にしている。
 
 俺が簡単に料理をしているのを見ているせいか、深弘は手がかからないせいか、康介は料理に興味を示しだした。
 
 だが、食に対する意識が低い。
 食べごたえのある食事がしたい子供の時期に夕飯として雑炊を平気で出すような康介だ。どうかしている。
 離乳食以外はからっきしなことを責める気はないが、子供たちのことを考えると日々の食事を任せる気にはならない。
 
 康介が細切りにした人参とたまねぎに桜えびを入れてかきあげを作りながら、本当は何を作るつもりだったのか考えるが答えは出ない。とりあえず何かをしたかっただけで具体的な予定はないのだろう。
 
 そばを茹でて、一度水でしめてから温かい麺つゆに入れる。
 市販の麺つゆは不味くはないが、何かが違う。
 かきあげはサクッとあがっているが、つゆの味に何かが違うという気持ちが消えない。
 先にあたためて渡した離乳食を深弘は大人しく食べている。
 康介が口に運んだりフォローしなくても平気らしい。気づくと子供はすごい速度で成長する。
 
「冷めないうちに食べろよ」
「弘文、これ」
「ゆず七味?」
「七味でも一味でもないんだよなーって顔してるから」
 
 俺が麺つゆの味見をしているところを見ていたらしい。
 ゆず七味はきっと俺の祖母からの差し入れだ。先日、家に訪ねてきたと言っていた。
 使ってみると悪くはない。ただ違和感はやっぱりある。食べられないほど不味いわけじゃない。
 もう一度食べたいとか、どうしても口にしたいと思わせるだけの力はない。
 かきあげそばは好きな食べ物のひとつのだったはずなので、不思議だ。
 
「けっこう、これいいな。ゆずか」
「柚子だけじゃなくて、いろいろ入ってるから足りない旨味が補えるんじゃない」
「旨味とか分かるのか、お前」
「また弘文はそうやってオレに失礼なことを言うっ」
「お前じゃなかったら言わねえよ」
「なに、急に……愛の告白?」
「そんな要素は一ミリもねえな」
 
 俺の返しが不満だったのか康介は蹴ってきそうな気配がしたので足を絡ませて封じておく。
 エッチと言い出す康介の方がエロい。
 子供の前で行儀悪くするなという俺の言葉を覚えているまでは良かったが、食事の席で無言で俺を蹴る。そんな康介を止めるためには足を動かさないようにするのがいい。俺は合理的に動いているがエロ脳におかされた康介は「これってセクハラだよな」と言い出す。
 
「そばが伸びるから食えよ」
 
 放っておくと俺の足から逃げるために立ち食いしそうなので、足の指でふくらはぎをなぞって解放する。
 
「弘文はもう食べ終わったの? 早すぎるっ」
「ちょっと、髪伸びたな」
 
 冬は首元が寒いからか襟足が長くなりがちな康介だが、前髪も少し長い。
 深弘を見るついでに席を移動して康介の髪を触ると「食べるのが遅くなる」と変な苦情を言われた。
 俺が康介の髪をいじっていようが気にせず食べればいいものを箸をとめて「エッチ」を連発する。深弘に悪影響が出そうなので、さっさと会社に戻るべきかもしれない。
 
 康介の食事中に会社に戻ると酷いを連発されて、夕方に帰宅してもまだ不機嫌さを引きずっていたりする。
 面倒くさいので深弘の口元をふいて「早く食べろよ」と声をかける。耳を真っ赤にしながら、そばに息を吹きかける康介。急かしすぎると火傷するかもしれないので「ゆっくり食えよ」と言い直す。
 
 どっちだと言い返すことなく何故か康介はニヤニヤふにゃふにゃ表情をゆるませる。平和だと思いながら気になったので、ソファの脇にあったゴミ箱を見る。俺が捨てていた包装紙がない。
 
 すこし思ってテレビの近くに写真をまとめたアルバムを収納している棚に近づく。康介用の小物入れとして祖母が与えた小引き出しもそこに置いている。個人的に康介ゾーンと呼んでいる場所だが、小引き出しを見てみると包装紙が綺麗に畳まれて入れられていた。
 
 ゴミじゃなかったのかと言いたいところだが、一緒に行った動物園や水族館や映画館の半券や電車の一日乗車券の切符なんかもあるので、触れないでおく。ときどき並べて眺めたりしているのを知っているので、ゴミとは言い難い。
 
 包装紙ではなく中身のハンドクリームは興味なさそうに転がっているので、康介の考えはよくわからない。
 
 
2018/02/03
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