番外:下鴨家の人々 「1月31日は愛妻の日:朝」

下鴨弘文視点。
 
 
 朝にニュースを見るのは今日に限ったことじゃない。
 いつも適当にトレンドとしてあげられている食べ物や雑貨の特集を見る。
 各局でブームを作りたいという意気込みが空回りすぎて、トレンドという言葉が上滑りしていることもあるが、朝のニュースでとりあげられているものはSNSの一過性の爆発よりも信頼性がある。
 
 一過性では終わらず定着したので「若者の定番」として話題にするので、流行が終わった後ということもあるが、その場合は自分の仕事をテレビ越しに見ることにもなる。
 
 二週間契約で中身が入れ替わるテナントの内装工事を請け負うことが増えた。
 だから、ふとした拍子に会社が関わった場所がテレビで特集される。
 店のコンセプトにあっていると局アナが感心している姿に誰かしらが誇らしげにしてると思うと和むものがある。
 
『一月三十一日は愛妻の日と言われて〜』
 
 テレビから聞こえた言葉に、勝手な記念日作りやがってと思う一方で、販売チャンスは自分たちで作るのが最近の風潮だなと感心する。
 視線を感じたので見ると子供たち三人が俺を見ていた。
 康介は食後で眠そうにしている深弘の背中を撫でながら「牛になるから、消化するまで、もうちょっと起きてるんだ」と言い聞かせている。
 
 先日、食後に寝た深弘が嘔吐した。寝ながら咳き込み、吐いたものが気管に詰まった。深弘が窒息する前に康介が気づいて対応したので、なんともないが、それ以降、深弘はこうして康介に睡眠を妨害されている。
 
 あおむけに寝かせなければ吐いても大事にはならないが、康介からすると深弘のサイレントさは怖いのかもしれない。
 起きていると訴えるように康介の指を握る深弘はかわいい。目をつぶっているので康介が「あと三十分は起きてような」と深弘に語りかける。
 
 そんな感じで深弘にかかりきりの康介はテレビなんか見てはいない。
 一月三十日は平日だ。普通の何でもない日。
 そう思っているのだが、長男次男長女の視線が痛い。
 三人の瞳が「なにをするの? なにもしないの?」と無言のままに訴えている。
 
 あえて何かをする必要があるのかと口にしたら、弘子は力強く「ある」と断言するだろう。
 鈴之介は考えつつ悲しげに「ヒロくんはコウちゃんを愛してないの?」と聞いてくるだろうし、弓鷹は俺が何もしなければ諦めたように「ヒロくんって、そうだよね」と目をそらすだろう。
 
 自我の芽生えや成長は嬉しいが、子供たちが冷たい対応になるのは淋しい。大体にして康介の情緒不安定さに引っ張られてしまうんだろう。康介が落ち込んだり暗くなったりするのは俺が悪いという理論が子供たちの中で出来てしまっている。康介の心の動きが康介だけのものではないと康介本人に自覚がない。責任を取るべきなのは康介だが、子供たちから対応を迫られるのは俺だ。
 
 
「ヒロくん、コウちゃんを喜ばせるのはイヤだって思った?」
 
 小声で、そっと弓鷹にたずねられる。弘子に聞かれたら面倒になると気遣ってくれたんだろう。子供に見破られている自分の気持ちの底の浅さに頭を抱えたくなりながら濁すように「そうでもないんだが」と口にする。大体にして嘘だ。ちょっと嬉しそうにするとか、そういったレベルならともかく康介は反応が過剰なので面倒になる。
 
 喜んで楽しそうかと思えば急にとんでもなく不機嫌になって無言で布団にくるまってベッドを占拠する。そうなると理由を聞き出さなければいけないと思うものだが、煩わしいので子供部屋で子供たちと一緒に寝たりする。一人で寝るのは嫌だったのか朝には何故か康介が隣で寝ていたりする。つまり、原因は不明でも放置すると元通りになる。
 
 これはベッドを占拠しだす行動以外でも言える。
 康介が不機嫌だろうが怒っていようが無視に限る。
 気づくと勝手に俺にへばりついているので、どうしてそうなったのか追及する意味はない。
 どうせ聞いても答えないのだから、何もしないでいるのがいい。
 ただ、親として子供にこんな返事はなかなか出来ない。
 子供たちからすると康介の感情の乱れはビックリするものだが、俺からすると慣れ親しんだものだ。
 放っておいても元気なのは経験から知っている。下鴨康介は精神的にも肉体的にも子供に心配されるほど弱くはない。

 気落ちしている時は如何にも弱々しい薄幸の美青年にでも見えるからか、周囲は康介を甘やかしすぎだ。
 康介ほど図太くて無神経な人間はいない。
 心配するだけ損だ。
 
「いつもは何もしなくても愛妻の日だからってお花をあげるといいってテレビでやってた」
「そうだな」
「ヒロくんはやらない?」

 思わず「そうだな」と深くうなずきたくなったが、首をかしげて「どうするかな」と口にする。
 弓鷹が期待しているのは愛妻の日というイベントの成功だ。
 母の日や父の日と同じような感覚で愛妻の日というものを弓鷹は感じているんだろう。
 愛夫の日というのがない時点で愛妻の日というのは俺の中で成立していない。
 ただでさえ、康介は母の日と父の日の両方に子供からプレゼントを贈られるという不公平な行動をおこされている。
 ちなみに俺は父の日と勤労感謝の日に「いつもありがとう」の言葉と共に何かをもらっている。
 
 勤労感謝の日は働いている父親に感謝する日ではなく、国の神事である新嘗祭がおこなわれている日だ。
 一年の実りを神に感謝して新米を捧げたりなんだりする。
 
 新米は新嘗祭以降に口にするべきだと祖母が苦々しく言っていたのを思い出す。
 現在では新米は勤労感謝の日を前にして世間では出回っているが、神様が召し上がってからいただくべきだというのが木鳴というより祖母の考え方だ。
 
「俺たちが期待するのが、イヤ? 他人に動かされたくない?」
「そういうことはない。……ただな、康介は」
「自分のすることなら何でも喜ぶから何もしないでいい?」
「弓鷹、怒ってるか?」
「怒ってないよ、べつに。ヒロくんの思ってる通りにコウちゃんはきっと道端に転がってる石でも何でも、ヒロくんからのプレゼントに喜ぶだろうね」
 
 子供にこんなことを言われる康介は親としてダメな気がする。
 
「喜ぶんだって分かってるなら、やればいいじゃん。ヒロくんに何の損もない」
 
 もちろん、道端の石を拾ってこいというわけじゃない。
 なんでもいいから愛妻の日という名目で康介にプレゼントしろと言っている。
 たしかに弘子はそれを望んでいるんだろう。
 
「弓鷹はまだ分からないだろうが、康介は馬鹿なんだ」
「そうかな」
 
 ちょっとムッとした顔の弓鷹だが、反発はない。
 康介が抜けてるのは弓鷹も分かっているんだろう。
 
「愛妻の日は脇に置いて、今日はコウちゃんに何かあげて? ヒロくん、約束」
「あぁ、わかった」
 
 親思いな弓鷹の好物を夕飯にしたい気もするが、それは違うだろとツッコミを入れられそうなので夕飯は外にすることを決めた。
 
 
 そして、予想通り康介はご機嫌で浮かれた後に気分を急降下させた。理由を聞くのは面倒なので放置する。
 鈴之介は「なんでだろう」と首をかしげて、弓鷹は「ヒロくんの言葉も一理あった」と首を横に振り、弘子は「どんまいで残念賞なのですね」と首を縦に動かした。
 
 深弘はゴミ箱を覗き込んでくしゃみが止まらなくなった。
 どうやら深弘は匂いに敏感らしい。
 
 
2018/02/02
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