異世界からやってきた人間は一年間、国が援助してくれる。
もちろん金額には上限があるので自分でも働かなければならない。
Ωともなれば医者が気にしていた薬以外にも必要なものが多いので出費ばかりでお金は貯まらない。
一番は安全な家。
お金がないからといってΩは安いアパートに住めない。
もしΩがセキュリティに不安のある場所で寝起きをして不慮の事故が起こったら罰を受けるのは不動産屋や大家だという。
発情期(ヒート)中のΩのフェロモンにあてられてαは興奮状態になり望まぬ妊娠や番持ちになってしまう。
本能が理性を上回る状況は人ではなく獣だ。
人間社会で獣を野放しにするわけにいかないのでΩは過剰な量であっても発情抑制剤の服用が義務付けられている。
義務を破れば罰がある。
罰の詳細は公には伏せられているが心身ともに悲惨なことになるらしい。
具体性がないのが逆に春樹の恐怖をあおった。
同時に薬ギライな子どもには効果的なんだろうと国の方針に納得する。
αが主体の事件でもΩが原因になっている場合はΩを悪とした形で報道される。
支配階級がα主体なのでαを批難する風潮は肯定されない。
αの在り方を否定するαもいるので一概には言えないがΩの社会的立場は弱い。
自衛に自衛を重ねてやっと安心が得られる。ここはそういう世界だ。
自分がΩだったという検査結果を持って春樹は警察の相談窓口に戻った。
そこで医者と同じように将来を心配され、住む場所を聞かれた。
通常、お金のないΩは理性的でΩの性質に理解のあるαの下で働く。
使用人や性サービスを提供することが多いという。
春樹に使用人として求められるスキルはなく、性サービスなど考えられない。
国からの援助ではやっていけないのが目に見えている。
事務のお姉さんは国が管理する公務員用の寮に来るように提案してくれた。
βの女子寮だが未成年でΩということで男でも春樹の居住許可が下りた。
お姉さんが正義感から周りを説得してくれたからかもしれない。
普通にマンションを借りるよりも格安とはいえバイトがうまくいかず首になりお金が貯まらない日々。
榊原春樹がこの世界は自分の知っている場所じゃないと思うのは男と男が手をつないでいたりキスしている姿を見る瞬間じゃない。
『βのくせに生意気なんだよ』
こういった罵り文句を接客中に頻繁に聞くことだ。
言い返したりはしないが意味が飲みこめずに反応が遅れる。
αである相手が春樹に求めるのはこの場合、謝罪だ。
凡庸なβが優秀なαの期待に沿えずに申し訳ありませんでしたと頭を下げる。
そういった対応をαというクレーマーは望んでいたが春樹はわからない。
この世界で当たり前に行われている差別的な発言に馴染がなさ過ぎて他人事のような顔で聞いてしまう。
相手からするとαを舐める生意気なβに見えて怒りに火をつけることになる。
周囲に当たり散らす高圧的なαは元々αの中で下の方にいる。
βやΩに苛立ちをぶつけるしかないかわいそうな人たちだ。
優秀なαの中にも上があれば下もある。
能力の低いαは勤勉なβにも劣ることがある。
低い立場のαはストレスもたまるだろうとこの世界で生き続けている者はみんな理解している。そのため彼らの苛立ちなど適当に受け流す。
わかっていないのは、この世界への理解が低い春樹だけだ。
思った以上にバース性の取り扱いは繊細で世間で暗黙の了解となっているものが春樹にはわからない。
簡単な仕事のはずのコンビニやファミレスといった接客業を常識知らずの烙印を押されて首になる。
上手くいったと思ったらある日Ωであることを理由に辞めさせられた。
見た目からβだと思って雇ったらしい。
ポリシーとしてΩは雇わないと決めている企業は少なくないが逆に従業員をΩだけにしている店もあるという。
Ωだけを雇う店というのは見目麗しいΩの容姿が最低条件だ。
榊原春樹には関係のない話だ。
ニュースを見て、Ωやバース性全般について調べたり、バイトを首になったり新しいバイトをしたりと一年なんてあっという間だ。
異世界でひとりぼっちだなんて忘れるほど気が抜けない日々だ。
この世界にやってきてから一年後、国からの援助が打ち切られる前日に春樹はやっと新しい仕事が決まった。
ブラックリストにでも入れられたのか平凡顔のΩというだけで避けられたのか誰でも出来るはずの仕事すら面接で落とされ続けた。
そんな中なんとか決まったバイトは「SMクラブ下剋上Ω」の下働き。
SMクラブなんて以前なら絶対に務めようとは思わなかった。犯罪的な匂いしかしない。
だが、春樹もこの世界を知って性を扱う仕事に対して考え方を改めた。
発情期(ヒート)という生理現象があるせいか性的なことに関して人々はオープンだ。
それはαやΩだけではなく人口の大半を占めるβもまた性に対してあけすけだった。
少子化などこの世界では縁がない単語になっている。
最初にいろいろと説明をしてくれたお姉さんが「見た目はともかく根は良い子だって話したから」と笑顔で持ってきた仕事が「SMクラブ下剋上Ω」の下働き。心配してくれるのは有り難いが春樹には不安しかない。
それでも、お世話になっている年上の女性の厚意を無にすることは出来ない。薬代もいる。家賃だって払わなければいけない。生きていくためにお金は必要だ。
異なる世界に馴染むのはいつだって苦労する。
異世界で楽な生活などあるわけがない。
2017/08/10