運命の番には番がいた(平凡オメガ受け)

16:榊原春樹と桐文隆司「異常と正常は多数決で決まるのか」

 別れたいと思っているのにキスを拒めないとドラマで嘆く女性を見たことがある。どういう心境なのか、まともな恋を経験したことがない春樹には分からなかった。恋愛ドラマはピンと来ない。戦闘シーンがあるゲームや漫画の方が面白い。勝ち負けがきちんと判定される。白黒はっきりつくものばかりだ。
 
 キッチンでお姉さんが朝食の用意をしてくれているのを知りながら榊原春樹と桐文隆司は廊下で抱き合ってキスをしていた。寝室は荒れている感じで理由を想像すると足を踏み入れたくなかった。
 
 ちょっとした事故でお姉さんに見られるかもしれない廊下で抱き合ったり、ましてやキスをするなど春樹としてはありえない。それなのに身体は隆司に触れられたがっていた。思考がぐずぐずに溶けていて何も考えられない。
 
 春樹が話の前に冷静になろうと抑制剤を鞄から出した。お姉さんは空腹で薬を飲むべきじゃないとこんなときに春樹の胃を心配した。薬の量が多いのと習慣づけるために食前食後などを目安にして飲むように医者から言われている。隆司は飲む必要などないと春樹から薬を取り上げようとするが、お姉さんに怒られる。
 
 三人の中で一番強いのはお姉さんだった。お姉さんは正義感が強いので春樹が困っていることを無理にさせないように隆司に注意する。そして、朝食を作るとキッチンに入っていった。
 
 残された春樹はトイレに避難しようとしたが隆司が廊下までついてきた。どこにトイレがあるか分からないだろうからと言いながら寝室に連れ込もうとするのだから汚い大人だ。発情期(ヒート)中のΩはαを誘うフェロモンを出す。隆司が春樹をどうにかしたいのは当たり前だと言われてしまうと違うと言えない。
 
 この世界では実際によくある事例で、よくある事故で、世間的によくない事なので犯罪行為になったりする。
 
 Ωがαを無理やり襲うのも、襲わせるのも犯罪だ。αがΩに無理強いするのも犯罪だ。
 ならば、合意であるならどうなのか。問題ないに決まっている。
 
 春樹の乳首が服の上からでもわかるほどに硬くなっていた。濡れた下着が下半身に張りついている気配がする。耳元でキスしたいと囁かれながら抱きしめられて逆らえるわけがなかった。大人の余裕なのかαだからか気づいたら春樹は隆司の誘導に従ってキスを自分からねだっていた。
 
 唇同士が触れあうものでは物足りなくて、舌を絡ませ合ってもまだ足りない。
 
 我に返ったのはお姉さんがご飯が出来たと声をかけたときだ。隆司が寝室から下着とズボンを持ってきた。おそろしいことに隆司は春樹のズボンごと下着を脱がし、濡れた下半身を舐めようとした。廊下でそんなことをされてはたまらないので春樹はタオルを持ってきてもらって自分でふいて着替えた。
 
 一時の衝動のような熱が恥ずかしくて仕方がないが、隆司は平然としている。廊下に滴るほどの春樹の濡れ方は異常だと思ったが隆司は始終「感じやすくてかわいい」「渚が帰ったらずっと一緒にいようね」とにこやかだ。
 
 女性を追い出したときの冷酷な声は一体どこから出ていたのか不思議になる。
 
 
「はい、いただいちゃって。……春樹くんが発情期(ヒート)なら、どうせ引きこもるんでしょ。食べるもの何か作ってくよ」
「渚にはいつも世話になるね」
 
 
 お姉さんは「いいってことよ。ふたりが幸せになるなら、それで」と笑う。
 笑顔でも瞬間的に切なそうな顔になるのは隆司に対してなんらかの好意があるからだろう。二人の繋がりは春樹の予想など吹き飛ばすレベルのものだった。
 
「先に言っちゃうけど、あ、春樹くんは食べながら聞いてくれていいから」
 
 手を止めようとした春樹にお姉さんは軽く手を振る。
 朝食はみそ汁とパンとベーコンエッグとレタスを千切っただけのサラダだった。
 
「あたし、結婚してるんだ」
 
 住んでいる場所がβの独身の女子寮なので指輪を基本的にしないという。
 
「結婚してる相手っていうのが、隆司くん」
「ちゃんと話し合いするつもりで渚を呼んだけど、ハルちゃんの状態や私の忍耐を考えると一週間後にするべきだったね」
「廊下でちゅっちゅっしてたのぐらい気にしないわよ」
 
 それなら触れないでほしかったと春樹は思いつつ味噌汁を口にする。先に部屋にいた追い払われた裸足の女性はどんな関係なのかと疑問が出る。
 
「部屋にいた女性は」
「あれは……そうよ、隆司くん! あれなんなのよっ」
「弟さんに改めて挨拶するべきかと思ったからお店に訪ねたけど、運命の番以外のΩとどうにかなるなんて浮気だろ。雰囲気にあてられる可能性もあったから、ヤる用に部屋に待機していてもらった」
 
 隆司はオーナーである山田凪の顔を見てすぐに帰るつもりでいたらしい。遅れてきたのは店に長居する気が最初からなかったから。誘ってきた同僚のメンツや義理の弟になるオーナーの顔を立てるための来店。受け付けに春樹がいたせいで女性を呼んでおいて家には帰っていない。
 
「どーりで、彼女が頑なに家から出て行かないわけだ。あたしは妻だぞーって最強のカードをチラつかせてるのに『せめて一晩触れてもらえると思ったのに』ってメソメソしだすから面倒くさかったよ」
 
 さらりと毒を吐くお姉さんは自分の髪の毛を撫でる。メソメソと泣いただけではなくつかみ合ったのだろう。
 
「一度も関係がなかったせいで彼女ぬめっとしてたのねぇ」
「面倒をかけたね。今回のことは予定外だったんだ。思わぬ幸運だけれどね」
「運命の出会いっていつでも突然だよね。そういうものよね」
 
 お姉さんはうなずきながらパンにベーコンエッグをはさんで食べだす。口の端から半熟の黄身がこぼれだすが気にしない。豪快なのか考えなしなのか判断に迷う人だ。
 
「ハルちゃんが私が結婚していることを気にしていたら悲しいから渚に来てもらったんだ」
 
 隆司の結婚相手がお姉さんだったとしても春樹の気持ちが軽くなるわけじゃない。気遣いの方向性がおかしい。
 
「私はそこら辺のΩではなく運命の番と結ばれたかった。番にするなら運命を感じる相手が良いのは当たり前だ」
 
 力説されても春樹は普通の番と運命の番の違いがそこまで分からない。番になるのはΩが発情期(ヒート)のときにαがうなじに噛む、するとΩの身体にさまざまな変化が出る。
 
 番以外との性的接触が困難になる。自分のうなじを噛んだα以外の指先も熱視線も生理的に受け付けなくなる。番になったα専用仕様のΩに変わるのだ。
 
 発情期(ヒート)のときにαを誘うフェロモンを出すΩだが、番がいると番しか誘うことがない。外出中に急に発情期(ヒート)になっても犯罪に結びつくことが格段に減る。番と日常的に発散していたら発情期(ヒート)のときの性的な衝動もそこまで酷くならない。発情期(ヒート)を抑制する薬がなくても番さえいればΩには平穏が訪れる。
 
「まだハルちゃんとうなじが噛めてないのは残念だけど、こんなに体も心も求め合ってるんだから、結ばれる以外の選択肢なんかないよね。私はずっとハルちゃんを待っていたんだ」
 
 理知的なはずの眼鏡な三十二歳がやわらかな笑顔を見せる。子供のように無邪気と表現するべき桐文隆司の姿に「よかったわねぇ」と妻の立ち位置にいるお姉さんが笑う。
 
「適当なΩで妥協しても運命の相手を見つけたら絶対にそちらを取ることになるって思っていたからね。お互いに不幸になるよりは結婚しないのが一番だと考えていた」
「そう上手くいかないもので、隆司くんには大量のお見合い話が転がりましたとさ」
「……偽装、結婚ですか?」
 
 今の話の流れだとそうなってしまう。
 運命の番を待っていて、待ち続けるためにαなのにΩではなくβであるお姉さんと結婚した。
 
「世間的には政略結婚で別居状態。……あたしの家はαの家系なんだけど何の因果か突然変異でβが生まれたものだから嫁の貰い手がないのよね。研究結果であたしみたいな血筋は急に体質が変わってβじゃなくなる可能性もあるからってことをアピールポイントにしてもしんどいよ」

「こちらとしては渚が行き遅れてくれたおかげで助かったけどね。彼女の家柄は私の方の親を納得させるだけのものがあった。私は運命の相手を待っていて、渚は形式的にでも結婚したかった。二人の希望がちょうどよく噛み合った形だ」
 
 隆司はそう思っているのかもしれないが、言葉通りには受け取れない。お姉さんはαの美形な旦那が出来たことで期待したのではないだろうか。隆司がβの女性を自宅に招く姿に何も感じていなかったなら、朝から家に駆けつけて女性と取っ組み合うことはない。書類上だけの相手なら朝食など振る舞わない。
 
 お姉さんは親切で優しく正義感にあふれているが、料理が得意というわけではない。寮で生活しているので朝と夜は寮母さんが作ってくれる。月額でお金を払っているとお弁当もお願いできる。お姉さんはこのシステムを褒め称えていた。
 
 部屋もどちらかといえば荒れているズボラな人なのに寝室などを片付けると言っている。親しい友人の手助けをするにしてはお姉さんの態度は違和感がある。
 
「春樹くんの産んでくれた子はあたしが責任を持って育てるね」
「一人は私と渚の子として書類を申請して育てようと思っている」
 
 こんな話をどうして食べながら和気あいあいとできると思ったんだろう。
 春樹は食べた物が逆流しそうなストレスを感じた。
 
 
2017/08/30
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