運命の番には番がいた(平凡オメガ受け)

15:榊原春樹とお姉さん「自分が苦しいのは自分のせいだと知っている」

 お姉さんの名前は山田渚。
 山田さんや渚さんと呼びかけると返事をしない厄介な人なので誰もが彼女を山ちゃんと呼んでいた。
 名前について語るとき彼女は「年下に渚って呼び捨てにされるのが一番好き」と口にする。とはいえ、春樹は彼女の名前を呼ぶことが出来ず濁してしまう。
 
 年齢差のこともあり気軽に山ちゃんと呼びかけられないし、渚なんて呼び捨ては冗談でも言えない。
 
 いつだって優しく親切なお姉さんではあるが、彼女の押しの強さに春樹はどうしても気後れしてしまう。警察の相談窓口で働いていて正義感が強いものの、春樹に許可なく「SMクラブ下剋上Ω」での下働きを決めてしまうような人だ。
 
 住む場所がない春樹を寮に入れてくれたり、誕生日パーティーを企画してくれたのだって彼女なので、親切なお姉さんなのは間違いない。
 
 自分が着ることがなくなった服、自分には必要のない家具として春樹の部屋に彼女から貰ったものがいくつもある。有り難い人だと理解してもなお、お姉さんが自分の助けになるとは思えない。
 
 
 座り込んだままの春樹にお姉さんは首をかしげた。野球チームが勝った時のようにハイタッチをして微笑み合うことを期待したのだろう。彼女は春樹が普通の生活を送れるのか、αの番ができるのかチャチャンのようにくどいほど心配していた。
 
 ピンッと来た顔をして桐文隆司を退かして玄関の扉を開ける。置かれていた女性ものの靴をつかんで「この無神経男っ」と桐文隆司を罵った。
 
「春樹くんが何歳だと思ってるの! 二十歳になったばっかりだよ。奥手で初々しくて右も左も分かんないんだから、隆司くんが気にしてあげなきゃダメでしょう」
 
 靴を片手に溜め息を吐く。弱った顔で「出てけってメールしておいたんだけど寝てて見ていなかったんだって」と小さくつぶやく隆司に「仕方がないね」とお姉さんは笑う。自分が話をつけなければならないと持ち前の正義感を発揮するらしい。春樹は自分が後退するべき道が閉ざされていく気配を見ているしかできない。
 
 積極的に声を上げたところでお姉さんが自分の言葉を聞いてくれるビジョンが見えない。「あたしに任せておけば全部大丈夫にしてあげるから安心して」と力強い笑顔が返ってくるだけだ。実際、そういった形で春樹の働き口は「SMクラブ下剋上Ω」になった。
 
 
 家の主である桐文隆司を差し置いて、室内にいるだろう女性の靴を握りしめたまま「誰の許可を貰ってここにいるのかしらっ」とお姉さんは叫ぶ。
 
 お姉さんからのアドバイス通りなのか隆司はしゃがんで春樹と目線を合わせた。
 女性たちの言い合いに春樹が体をこわばらせるのを「渚はあれで演技派だ。さっさと話をまとめてくれるだろうね」と慰めにもならないことを口にする。話し合いがまとまらなければとりあえず今日は帰れる、とそんな希望は持つだけ無駄だ。逃げることなどできない。逃げられるわけがない。自分がΩであることは事実として変わらないのだから、現実を見なければいけない。
 
 思わずこぼれた涙を否定するように鞄の中からタオルを取り出して目元にあてる。
 
 ラクトから「使ってないからほぼ新品」という言葉と共にもらったゲームキャラクターがプリントされたタオルだ。元の世界と全く同じというよりはよくよく見ると二次創作程度の類似品だが、春樹の数少ない心のよりどころだ。
 
「心配することはないよ。話し合いのために渚を呼んだけど、邪魔なら日を改めてもらえばいい。私たちには何一つ障害がないのだから」
 
 仕事では出来る人なのだろうと分かる成功者特有の始まる前に終わったという空気。隆司の感覚を春樹は共有できない。現在進行形で女性同士が室内で言い争っているのに欲情した顔で春樹を見られても困る。
 
 桐文隆司がお姉さんを渚と呼び捨てにするたびに胸がすこし痛くなる。これが嫉妬だというのなら春樹は自分自身すら見失った迷子だ。
 
 タオルのイラストを見て深呼吸。自分が榊原春樹であることはゲームキャラクターにまつわる思い出が証明してくれる。SNSで友人たちと毎日いろんな内容を話していた。同じ価値観を持つ、同じものを好きな友人たち。誰かに罵られることも哀れまれることもない日々は幻じゃない。
 
 
 玄関から裸足の女性がボサボサな髪で出てくると隆司の隣にいる春樹をにらみつけてエレベーターに乗り込んだ。
 お姉さんが「ちょっと! 靴を忘れてるわよ」と玄関から顔を出したが、女性が乗ったエレベーターはすでに下の階に向かっている。
 悩んだ末に玄関すぐのところに靴をそろえて置いて「気づいたら靴を取りに来るわよね」と一人うなずく。春樹は女性はきっと一生ここには戻れないと感じた。一瞬しか見えなかったが女性は派手な顔の美人だった。今日のような失礼な扱いをβとはいえ受けたことがないはずだ。
 
「あのこ、聞き分け悪いんだもん。バタバタしちゃった」
 
 髪の毛の掴み合いでもしたのかお姉さんの髪型がくずれている。三つ編みにした髪を上に持ち上げるようにしてヘアクリップで留めていたのが今は悲惨なありさまだ。春樹の視線に気づいたのか「へっちゃらよ」と笑って鏡も見ずに手早く直した。隆司は「器用なものだね」と他人事みたいに見ている。
 
 今の状況に違和感を持っているのは、この場で春樹だけだ。
 
「あ、あれ、春樹くん。もしかして発情期(ヒート)?」
「きのう、に、……はい」
「弟さんのお店に寄らせてもらって良かったよ。義理立てって大切なことだと噛みしめている」
「Ωのお店なんて浮気だって普段は絶対に行かないものね。凪くんは元気にしてた?」
「ハルちゃんが発情期(ヒート)になって昨日はそれどころじゃなかったけど、今朝に顔を合わせたね」

 顔を合わせて話した内容は春樹の身の振り方についての一方的なものだったが、そこに触れることはない。
 
「春樹くんΩっぽくなかったけど発情期(ヒート)を経験すると色気が滲んだりするんだね。ちょっと今日はセクシーな感じがする」
 
 お姉さんにとっての笑い話が春樹にはまるで笑えなかった。彼女は言いたいことを口に出したかっただけなのか、返事など気にせず「入って入って」と棒立ちの春樹を手招く。押しの強さに山田凪との違いを感じる。ふわふわとしてとらえどころのない「SMクラブ下剋上Ω」のオーナーは春樹の言葉を常に聞いてくれていた。独特の感性があっても自分の考えや主張を山田凪が押しつけることはなかった。
 
 あえて強く山田凪が主張していたのは誰かが春樹を下に置く発言をしたときに「そんなことない」と、それだけだ。春樹すら自分を庇うことなく疲れて笑って流していた。その中で「そんなことない」と訴え続けてくれた。かわいいと言われても真に受けないように心の中で「ある意味」なんて付け足して保険を掛けていた自分を春樹は恥じる。
 
 山田凪の言葉で耐性をつけておけば桐文隆司に真正面から見つめられかわいいと言われても何も感じなかったかもしれない。まるで初めて褒められたような新鮮な衝撃と気分の高揚に落ち着かなくなる。
 
 
「ハルちゃんはいつでもかわいいよ」
 
 
 出会って二十四時間も経っていない隆司からの「いつでも」に苦笑しか浮かばない。心のままに喜べない自分が酷く嫌な人間に思えた。
 
 
2017/08/27
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