運命の番には番がいた(平凡オメガ受け)

14:榊原春樹にとっての正義「本能的欲求と生理的嫌悪はどちらが勝つのか」

 タクシーで一見して高級だと分かるマンションに到着した。
 最上階が桐文隆司の家だという。
 αにしてもレベルが高いのかもしれない。
 
 部屋の前で手を離されて、ずっと手を引っ張られてここまで来たことを自覚する。
 片付けでもあるのか先に隆司が部屋に入った。
 待っていてと言われたがエレベーターの目の前がすぐに玄関の扉という構造上、廊下と呼べるスペースが狭い。
 居心地が悪くて、男の一人暮らしなら散らかっていても普通だと春樹は玄関の扉を少し開ける。
 仕事として清掃を担当していたので手伝いを申し出ようとして失敗を悟る。
 厚意からでも相手の領域に踏み込むべきじゃなかった。
 
 
「出て行けって言っておいただろ」
 
 
 玄関にまで聞こえる桐文隆司の怒声。
 春樹に対する甘ったるい猫なで声ではなく少々神経質に響く高圧的な男の声。
 
「さっさと荷物をまとめて消えろよ」
 
 冷酷な命令にすがりつくような女性の哀願。
 結婚している相手とどうにかなるなんて考えられないと拒否感を持った理由。
 隆司がいくら春樹を必要としたところで、春樹は簡単にその腕の中にいられない。
 別の相手がいるというのに自分にその席を譲れと言うのはとても傲慢だ。
 
 略奪愛という単語は聞いたことがあるし、人の気持ちは変わっていくのかもしれない。
 他人のことならそういうパターンもあると受け入れられても自分が加害者になる立ち位置になるなら無理だ。
 不幸せな誰かが自分のせいで出来上がる状況は榊原春樹の選択肢の中にない。
 
 生活が苦しくても将来に不安があっても自分の利益のために平気で他人を蹴落とす生き方を選びたくない。
 鞄の中にある発情期(ヒート)をおさえるための薬と山田凪からもらったアフターピル。
 
 息苦しくて身体中に嫌な汗をかく。
 発情期(ヒート)だとか、それをおさえている身体の反応ではなく生理的な拒絶感だ。
 
 身体が桐文隆司を求めていても榊原春樹の今までの経験から育った人格部分がこれから先の自分の姿を気持ち悪がっている。
 
 ベッドの中で「番がいる」と聞いた時の不安感や突き放されたと感じた淋しい気持ちはすでに通り越している。春樹の中にある感情は今の状況を受け付けられないというところまで育ってしまった。
 
 言い争う男女の姿に向き合う勇気など春樹にはない。
 ただ待って隆司を手に入れることすら気持ち悪い。
 
 タクシー代は痛いが家に帰ろうと思った。
 春樹が身を寄せているのはβの女子寮なので薬を飲みながら閉じこもっていれば問題ない。
 彼女たちは万が一発情期(ヒート)が起きても平気なように春樹に缶詰やレトルト食品などの備蓄を勧めていた。
 年上の言うことは聞いておくものだと思い出して気が抜けたせいか玄関を締める際、音を立ててしまった。
 
 覗きを咎められるのも隆司と女性の前に引っ張り出されるのも春樹はごめんだ。
 いつの間にか下の階に行っていたエレベーターを呼び戻す。
 超高層マンションはすぐに最上階までエレベーターが来てくれない。
 直通エレベーターはないのかと焦っていると玄関が開かれた。
 
「待たせてごめんね。もうすぐだから」
 
 蜂蜜と練乳にメープルシロップとチョコソースをかけた胸焼けしそうな声とトロトロのとろける微笑み。
 女性に対して命令口調で追い出しにかかった人間には見えない。
 隆司に情がなくても女性からの執着が見てとれる、そんな状態でこの家を春樹と自分の愛の巣と呼称したことも信じられない。
 
 隆司に背中を向けたままの春樹に違和感を覚えたのか後ろから抱きしめてきた。
 春樹がマンションから出るつもりでエレベーターを待っていることには気づかないのか「もうすこしだけ辛抱して」と耳の後ろにキスをしていく。
 身体中がざわつく。発情期(ヒート)は期間中にも波がある。
 昨晩、身体中が干からびるほど繋がり合ったので今は落ち着いていたが隆司に耳を噛まれると春樹はまともに立っていられなくなる。皮膚感覚が敏感になりすぎて服を着ていることすら煩わしい。
 
 吐きだす息があつくて瞳は勝手にうるんでいく。
 
「ちゃんと話し合いするつもりで呼んだけど、ホテルで愛を確かめ合うべきだったな。……私もまだまだ冷静じゃないね」
 
 座り込んでしまう春樹を舌なめずりで眺める隆司。
 その視線を不快ではなく快感と判断してしまう身体についていけない。
 
 隆司の手が自分に伸びてくるのが嬉しいのか悲しいのか怖いのか春樹には答えが見えなくなってしまった。
 ひとりでいると隆司のいない日々が想像できるのに、隆司が目の前にいるとその手を取らない未来が見えない。
 
 エレベーターの到着の音がして、座ったまま顔をあげると見知った人がいた。
 こんな場面でいるはずのない人。
 
 この世界に来てからずっと力になってくれていたお姉さん。
 山田凪の姉であるらしい人。
 誕生日のお祝いで寮のみんなと一緒にケーキを食べたのは昨日の夕方の話だ。
 そんなに時間が経っていないのに久しぶりに感じてしまう。
 春樹が疑問を口にする前に隆司と春樹を見比べて両手を上げて飛び跳ねた。
 元々リアクションの大きい人だが、応援している野球チームが勝ったとき並だ。
 
「よかったよかった! 春樹くんだったんだ!! よかったよ。βの女は動き回るラブドールとか言っちゃう差別男だけど運命の人以外のΩと番になんかなりたくないって駄々こね続けてたんだ」
 
 お姉さんは「変なΩに捕まったのかと思ってあわてたよぉ」と胸をなでおろした。
 春樹は状況についていけなかった。
 
 
2017/08/26
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