榊原春樹二十歳の誕生日は入店して一週間目のお祝いとセットで店のイベントにしようとウララが言った。
元の世界のテレビで見たホストクラブの「おれ誕生日なんだよね」と言ってお客さんに高いお酒を注文させる風景を想像したが違った。
ここは「SMクラブ下剋上Ω」であってホストクラブじゃない。
誕生日と一週間目のお祝いに春樹に稼がせてあげようという意図はあるが、売るのはお酒ではなくSMっぽい要素。
まだ今日のキャストが全員出勤してないバックヤードで見目麗しいΩたちが顔を合わせて春樹のために盛り上がる。
「やるなら唾(つば)と厚底キックとモミジとケツバットでしょ」
唾とはお客さんを下に寝かせて口から唾をだらっと落として相手の口に入れることらしい。
初心者は狙いが外れて間抜けになるのでグラスに唾を出してお客さんに渡す方法でもいいという。
厚底キックは厚底靴でのキック。
見た目に反してお客さんが痛くなりすぎることはなく、靴のおかげで蹴り慣れていなくても足を痛めないのでオススメらしい。
モミジは赤く手形がつくほどにお客さんの背中などを叩くこと。
最初の五回ぐらいは余裕でも人数が多いと腕が上がらなくなるという。
綺麗に手形がついていないとリテイクを要請するお客さんも多いのでコツをつかめるかが鍵になる。
ケツバットはバットでお尻を叩くこと。
思い切りの良さと、きちんとしたコントロールが必要になる。
バットを当てるのはお尻の肉の部分でないとならない。腰はいけない。痛めてしまう。骨に響かない力加減も重要になってくる。
一通り説明を受けたが春樹は少し青ざめる。
キャストは今上げられたプレイ以上のことを日常的にしているが、それは魅力的なΩだからという但し書きがつく。
春樹がやると宣言したところでサービスを受けたいと手を上げるお客さんなどいるのだろうか。
企画倒れになる未来しか見えない。
「唾なら百人分ぐらい余裕でしょ、春樹」
発言者はキャストの中でも古株のロゼリィー。
子持ちでもαの旦那がいるわけではないという。
ロゼリィーは赤黒く染めた髪の毛を頭の上でひとつにまとめている。
きつめに化粧をしているのでウララから感じたΩらしさのような艶っぽさよりもどこかガサツで荒っぽさを感じる。
ハスキーな声とメイクに合わせた攻撃的な衣装のせいでヘヴィメタルが好きそうに見えるが、趣味はアマチュアのクラシックコンサート。意外だ。
ノーメイク状態はたれ目気味でゆるい雰囲気になる。年齢が高いからこそ包容力を感じて魅力的だが、仕事上の釣り目メイクではふわふわとした顔立ちの魅力を塗りつぶしている。春樹からすると残念に感じるが何を売りにするのかは人による。
「はるきゃん、Sっ子一日体験としてきっちりお客さまに印象づけてαの番(つがい)をゲットするんだよ。玉の輿計画だ! がんばれっ」
セミロングの黒髪で少女のように見えるチャチャンは春樹を「はるきゃん」と呼んで会うたびに心配して、励ましてくれる。
現状の認識がいまだに不十分な春樹は、バイトを首になり続けるという実害がない以外の部分で悲観してはいない。
春樹はまだ二十歳になったばかりだ。
若いので選択肢はそこまで狭くない。と思いたい。
「今日は自分の魅力をアピール、がんばれっ。魅力がなくても!!」
声を作っているわけではなく素で高いらしい。お客さんのいるフロアでもバックヤードでも声の感じは変わらない。
性別不詳かと思ったら立派なものを持っているのか下着からはみ出しそうな盛り上がった股間を見せられた。だが、その下半身を隠してしまえば、やはり美少女にしか見えない。
これはチャチャンがΩであるというより男の娘といった路線を極めているせいだろう。
店で稼ぐにはお客さんの指名は重要だ。
指名されるためには他とは被らないキャラクター性が必要になる。
従業員をキャストと呼ぶのもロゼリィーの化粧が濃いのも素の自分ではなくお客さんに求められる役割を演じているからかもしれない。
「魅力がないのも魅力って言えるかもっ」
面と向かって春樹に失礼ことを言っているが今に始まったことではない。自己紹介で春樹がΩだと知ってからずっと「はるきゃんマジ、ヘビーすぎ。人生ずっとハードモードだ」と同情され続けている。
十代の少女のように見える相手の軽率な言い分には生ぬるい気分になるだけで腹は立たない。
ビジュアルの大切さがよくわかる。
チャチャンは甘い少女の顔で中年男性を全裸にして床を舐めさせて高笑いしていた。もちろんそういったプレイではあるが、生き生きとしたいじめっ子の顔は美しいからこそ許せてしまう不思議な力があった。それこそ、Ωらしさという常識をキャンセルできるこの世界の圧力なのかもしれない。
この一週間、チャチャンのプレイを春樹は何度も見た。
かわいらしい声音で男を翻弄して、いたぶるチャチャンを知っている。
αとの遭遇頻度をあげる手伝いなのか、客にオプションを頼むようにねだっていた。
新人で店に馴染んでいない異物感があるので春樹に見られることに抵抗感がある人も多かったが、チャチャンはそういった客にこそ羞恥プレイを強要する。
今まで見たことのないぐらいにしっかりと他人の陰茎の形状や色を観察した。
プレイに参加しないと聞いていたがチャチャンが春樹に客の股間を晒して、どう思うのかを聞く。
春樹に対しての羞恥プレイになっていたが逆にそれがお客さんにはいいらしい。自分も春樹のようにチャチャンにいじられたい、いじめられたい、という気持ちになったり、恥ずかしい気持ちが伝染して初心に戻る。
何人かのお客さんに春樹は良い刺激になったと礼を言われた。こっそりチップも貰ってしまった。
SMクラブに来たのだからお客さんはみんな非日常を味わいたいのだろう。
チャチャンは「SMクラブ下剋上Ω」のキャストとしてお客さんを満足させつつ春樹が新人として店に入ったことをアピールした。
たとえ雑用を行うとしてもΩである春樹をチャチャンは仲間だと認識してくれている。
春樹よりも店に長くいるはずのラクトをβというだけで見えていないように扱うというのに、キャストたちは失礼であっても心から春樹を心配して気にかけてくれる。
元より春樹は失礼に感じる言い方をされても腹を立てたり不思議に思う前に頭の中で変換作業をしなければならない。
自分が言われていることが、身長の低い男はモテない、太って眼鏡をかけていたら無趣味でもオタク扱いされる、そういうレベルの決めつけの上で話されているのだと解釈しなおさなければいけない。
平凡な見た目をからかわれてもどのぐらいのレベルでのいじられかたなのか春樹は理解しきれていない。本気で見下されたり不快にさせているのか、親しさを覚えての軽口やお約束のいじりなのかを以前の世界の常識に一旦、置き換えてから理解する。
会話がワンテンポ遅れることになるが、逆にそれがおっとりのんびりとしていて心が安らぐとオーナーは言う。
この一週間で春樹を褒めたのはオーナーである山田凪だけだ。
仕事なので雑用をどれだけこなしても褒められることも注意されることもなかった。
求められた仕事に忠実であったので期待を超えた働きをしたわけでも、まるっきり使えないやつだったわけでもない。
毎日、山田凪が春樹を褒めたので誰も何も言わなかった可能性もある。
仕事を邪魔するわけでも手伝うわけでもなく使用後の部屋を掃除する春樹を見つめる山田凪。
一段落着いたと息を吐き出した瞬間に「お疲れさま」の言葉とともに抱きしめられたり頭を撫でられる。
お姉さんから聞いて春樹の境遇に胸を痛めているのかもしれない。
独特なリズムで会話をする山田凪はキャストたちからの受けが悪い。
Ωたちには高圧的であってもプライドの高いαらしいαが好まれて、オーナーとはいえ掴みどころのないゆるさがある山田凪は下に見られる。
Ωに見下されるαというのは、この店「SMクラブ下剋上Ω」として正しいスタイルだ。
オーナーとして店の雰囲気づくりに一役買っているのだと春樹が感心すると結婚しようと言われた。
冗談だとしても場に受け入れられたようで嬉しい。
バイト先で散々、失敗しているという自覚のない失敗を繰り返して空気の悪さを味わった。
オーナーが率先して春樹に構うからこそ、キャストとの距離も近くなるのかもしれない。
一週間など働いていればあっという間だ。
「オーナーである凪さんが開催するのは握手会だと宣言しました」
初耳のことを以前から伝えてあったように山田凪は口にする。
その言い分をまるっと無視して春樹に「無理せずαたちと顔を合わせていこうね」と告げるウララ。
春樹は店の中でβの富裕層と顔を合わせることがほぼない。
おためしで来店しているβに席の案内をしたり、システムの説明はするが必要以上に触れあわない。
これは春樹が以前のバイト先でトラブルを起こし続けたことが原因だろう。
一週間、なんの問題もなくやってこれたのは店側の配慮のおかげだ。
店というよりはオーナーである山田凪の力が多分にある。
「先着三十人に握手かハグか股間踏みの無料サービスが妥当だな」
淡々と妥協案をまとめたのはキャピタル。
髪を短く刈り上げたクールな印象のボンデージ服の似合う女性だ。
重量感のある胸を持っているのに印象がどこか男性的なのは男を性的にいじめ抜く技術が高いからかもしれない。
一度、服を着た男性を椅子に縛りつけて言葉と鳥の羽根で何度も絶頂に導いているのを見てしまった。
服を着ているのに全裸よりも恥ずかしいと思わせる話術。鳥の羽根という触れているのか触れていないのか分からないものを感じようとして感度を高めていく男。鞭で叩くなどよりも男はキャピタルに支配されていた。
時間が終わっても脱力してすぐには帰らないお客さんが多い。お店のプレイだと分かってもしばらく、現実に戻ってこれないほどにのめり込んでしまう。
部屋の清掃をしなければならない春樹からするとすぐに帰らないお客さんは邪魔だが、無理やり追い出せないので地味に困る。
「はるきゃんは魅力はないけど良い子だって訴えなきゃ」
「凪さんはわかってるよ」
「運命の番でもあらわれなければ一発逆転もむずかしいほど、はるきゃんに魅力はないけど応援してるからっ」
魅力がないを連呼されるのは今に始まったことではない。
春樹だって人間なので恥ずかしくなったり情けなくなったり居心地が悪くなったりもするが、山田凪がしきりに「凪さんは魅力的だと思ってるよ」とフォローしてくれるので気にならない。
チャチャンには聞こえてないように無視されているが「趣味がいい凪さんが認めてるから大丈夫」と言い続けてくれる。
口を開くとαらしさが激減する残念な男だとキャストから酷評されてもこの店で山田凪だけが年上らしい気遣いをしてくれている。
運命の番(つがい)という都市伝説のような話を聞きながら春樹は時間を作って改めて山田凪に礼を言おうと思った。
2017/08/16