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旦那さまの職場(の廊下)

 
「アッシュ様、ソレなんですか」
 
 
 ソレと言われるようなものに心当たりがないので「何のことかな」と返すと腕の中にいるキナコを指さされた。
 へし折るか切り落とすかしてもいいが、痛みを得意としているタイプでもないので聞き流す。
 
「バルダーくん、口は災いの元だとシステムに言われたことはないかな」
「俺よりローリンツのほうが、いえ、すみません。……獣人を持ち運ばれているのは訓練の一環でしょうか?」
 
 バルダーは少々童顔なところがあり、それを隠そうとしてか口調が変に馴れ馴れしいものになりがちだ。わざわざ、こちらが上司だぞと注意はしないが、緩みすぎるのもどうだろう。
 考える前に吐き出してしまうローリンツの言葉遣いとバルダーの浅慮さが透ける話し方は違う。大人というものを履き違えて粗野な言動で背伸びしようとしている。良い傾向ではない。
 
「機械の補助なしで肉体労働に励まれていた反動ですか。重しがないと落ち着かないと言いますか?」
「私の腕の中で寝てしまったのでこうしているだけだよ」
「頭叩けば起きるんじゃないで、いえ、はい。寝てるなら寝かせておけばいいですね」
 
 口にしかけた言葉をあわてて飲みこんでバルダーは視線をそらす。息を吐き出して改めて視線を腕の中のキナコに向けた。
 
「獣人ブームにラッツェどころかアッシュ様まで汚染されるなんて意外です」
「汚染ねえ」
「侵食ですよ。俺の生活が壊れていく予感がします」
「きみは性的な感受性が高かったね。周囲の環境が変化していくと馴染むまで大変だ」
「含んだ言い回しありがとうございます」
 
 苦笑するバルダーは「俺は性欲発散ブースに寄っていくので」と手を上げて去っていった。
 
 バルダーは獣人を下に見る傾向がある。機械などと違って目に見える成果を上げないので不要な異物と受け止めている。悲しいことではあるが、こればかりは一緒に生活してみないと理解できない。
 
「キナコと出会うまで私も分からなかったことだからね」
 
 部下にもパートナーとして獣人との生活を勧めたいが、バルダーは獣人を尊重して愛するのは無理だろう。自分の欲求ばかりを押しつけて生活を破綻させてしまう気がする。機械であるなら壊れてしまっても替えがあるが獣人はそうはいかない。完全に同じ個体などこの世に存在しない。
 
 双子の弟であるらしい部下のラッツェの元にいるキナリに腕の中で寝ているキナコと同じ感情は持てない。見た目が似ていても性格も行動も違う。同じようには扱えない。
 
 
「アッシュさま!?」
 
 
 曲がり角で見知った顔に出会う。衝突することはなかったが驚かれた。王子に雑用でも頼まれたのかラッツェとローリンツの二人が機械と共に箱のようなものを持って動いている。頭を下げてあいさつしようとする二人を止める。手にある荷物が不安定になってしまう。
 
「アッシュさま、あの、なんで、ウサギが」
「キナコだ。名前の提出は家に連れて行く前に済ませたよ」
「あ、はい。そのキナコをなんでこちらに? 獣人の施設に返品ですか?」
 
 ラッツェがローリンツの膝を蹴飛ばした。崩れ落ちるローリンツを壁から出てきた機械の腕が支える。過保護だからこういった補助機能をなくしたいところだが、システムがいじれないところにプログラムがあるという。正確にはいじりたくないのだろう。
 
 昔、システムを自分だけのものにしようとした狂人がシステムにウイルスを仕込んだ。なんとかウイルスは削除してシステム自身がワクチンを開発したが、昔のプログラムに偽装して残っている可能性がある。人間が外側から機械に働きかけるならシステムに影響はないので人が転んだときに手出しされない廊下は王族の助けがなければ作れない。
 
 緊急性がないので棚上げしているが、どうにかして機能をなくすか制限したい。
 
「職場への獣人の持ち込み規定はありませんが、いいんですか」
 
 ズルい、羨ましいと顔に書いているラッツェに苦笑する。
 
「壊されると困るものばっかじゃないですか! ダメですよ。そいつもラッツェのとこのもバカっ子でしょ!!」
「失礼な! キナリは馬鹿ではない」
 
 ローリンツを踏みつけるように蹴り続けるラッツェ。とくに同情する気持ちにならないので二人を放置して歩いていると後ろから「行くところ一緒なんですから、待ってくださいよ」と叫ばれた。メカメカ国の人間らしからぬローリンツの態度がおもしろいのでその場で待っているとキナコが目覚めた。
 
 耳を押さえて目の前に影を作っていたのは無意識らしく「まっくら!? ひえぇぇ」と絶望的な声がした。顔の前まで耳を持ってくるために押さえている手を軽く叩く。気づいて手を耳から離すかと思ったらもっと強く握り込んで身体を縮こまらせようとする。
 
「キナコ?」
 
 ウサギの耳が立つとはこういうことなのかと目の前で見せつけられた。前のめり気味な耳の形をしているので近くにいると角度によってはキナコの耳がぶつかってくるが、やわらかいので問題ない。
 
 旦那さまと言いたそうに口をわななかせているキナコを落ち着かせるために目の前にあった耳を口に含む。先っぽは毛ばかりだが耳の付け根に近づくにつれて軟骨の気配がする。
 
 追いついてきたらしいローリンツが「うわぁ」と失礼極まりない反応をするが気にしない。ラッツェに気づいた賢いキナコは落ち着くために深呼吸を三回ほどして「こんにちは、です」と頭を下げてから周囲を見た。
 
「キナリなら連れていない」
「そうですか」
 
 ラッツェの答えに目に見えて肩を落とすキナコ。しょんぼりという表現がこんなに似合う愛らしい存在はこの世界にキナコ以外にない。かわいいがかわいそうなので考えるより先に「ラッツェくん、連れてきていいよ」と許可を出していた。

 初めて見るいい笑顔で「はいっ!」と即答するラッツェと絶望するローリンツ。
 
「やらぁ、壊れちゃうっ、機械がぁぁ、やらぁぁぁ」
 
 頭を抱えて「やらぁぁ」と咆哮をあげるローリンツのほうがよっぽど壊れていた。キナコが怯えてコートの中に無理矢理あたまを突っ込んできた。かわいいのでキナコの頭を撫でながら「静かにしなさい」と蹴り上げる。ラッツェに踏まれ続けていたので上にあげるのが親切だろう。
 
 すこししてから意識を取り戻したローリンツは記憶が飛んだのかキナコがどうしてここにいるのかたずねてくる。
 キナコも気になっているのか見上げて返事を待っているので口にすることにした。単純な話だ。
 
「歯を磨いていたらキナコが寝てしまってね。私のワイシャツの裾をつかんでいたので抱き上げて連れてくることにした」
「シャツを脱げばいいじゃないですかっ」
「目が覚めたときにシャツだけあって私が居なかったらかわいそうだろう」
「そうなのか?」
 
 ラッツェに聞かれてキナコが小さくうなずいて「いってらっしゃい、言えなかったの、情けないしさみしいって思うんじゃないかなって」と考えながら口にする。連れてきて正解だったとしみじみ思っているとローリンツがうるさい。
 
「さっきラッツェにも許可してましたよね。アッシュさまのはずっと、そうやって拘束しているからいいとして、ラッツェにそんな筋力ないから放し飼いでしょう。問題しかありませんよ! 絶対に壊すでしょ」
「だいじょうぶです! 弟にはちゃんと言って聞かせます。変なことしないよう、おれが、見張っています!!」
 
 自信満々に宣言するキナコは本当にかわいい。
 
「ドジグズなうさぎちゃんズが何言ってんだっ。おまえが見張っていて、役に立つわけないだろ」
 
 言われると思わなかった切り替えしにキナコはビックリした顔をする。恐る恐る周囲を見渡して「だ、旦那さまも、そう思ってます?」と瞳に涙をためて聞いてくる。
 
「キナコはしっかり者だよ。お兄さんだから弟の面倒は見れるよね。信頼しているよ」
「はいっ。だいじょうぶです、がんばります」
 
 目を手でこすって何度もうなずくキナコ。世界の宝だ。
 ローリンツが「アッシュさま、それは逆にひでぇですよ」と言っているのは聞こえない。
 
 
2017.09.02
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