キナコと名付けた兎族の獣人はつま先立ちになりハタキでホコリを落としていく姿がまるで似合っていない。
身長が低く小柄であることよりも手探りにやっているのが見えるせいだろう。
生まれて十五年ほど経っているというのでまるっきり子供ではないはずだが、掃除をするのは初めてなのかもしれない。
そのぐらいに見ていて危なっかしい。
掃除夫として教育されていない愛玩用であるならできない方が正しい。
獣人というのは種族ごとに生まれながらの性質がある。
たとえば掃除に向くのは几帳面で繊細さのある豚である。
太っているように見えてどちらかといえば筋肉質なものが多い。
獣人はテリトリーを気にする。
人間よりも自分の居場所について神経質だ。
初めての場所ではどの種族も神経が尖ってちょっとしたことで攻撃的になる。
群れで生活する彼らを個体にして人と共同生活をさせようというのがそもそもの間違いなのかもしれない。
獣人は獣人のルールの中で生きてきた。
人間が介入するべきじゃない。
今では獣人側が人間社会のルールを飲みこみ馴染み始めているので、彼らと人間が噛み合わないわけではない。
獣人の柔軟さに人間がついてくのは難しいが、種族の特徴や個体差などは頭に入れておくべきだ。
一緒に生活をするなら一方に過度な負担が発生してはいけない。
雇用関係や永久就職、どんな場合でも我慢が続けば破綻する。
お互いに良い関係を築くためには双方の努力が必要になる。
ワンフロアだったアパートの一室はキナコが来たことで壁で仕切って形を変えている。
部下であるローリンツが持ちこんだ資料や遺物を保管するつもりの部屋。
キナコからすれば物置に見えるだろう場所を片付けさせていた。
自分で片づけた場所を自分の空間として使用した方が生活する上で馴染むと思って部屋の掃除を告げたが、これは余計なお世話だったかもしれない。
手を貸すか考えているとキナコは転んだ。
すこし目を離した隙に棚に頭突きをしたと思ったら床に転がっていた。
勢いが良かったのか頭を抱えて体を丸めて痛みに耐えている。
きなり色の大きめの尻尾が小刻みに揺れる姿は音を鳴らすと震える玩具のようだ。
「キナコ、大丈夫か」
声をかけると元気よく立ちあがって「だいじょうぶです」と答えたがよろめいた。
貧血にでもなったのかもしれない。
身体を支えてやると耳が面白いほど上下する。
同時に目を大きく見開いて顔を横に振る。こちらに触れられたくないのかと思ったが、どうやら違う。
首をかしげて不思議そうな顔になり、少ししてから「だいじょうぶです」と再度口にする。
掃除を再開する意思があるようなので手を放して見守ることにする。
しばらくすると不自然に周囲を見たと思ったらまた棚に頭を追突していた。
観察を続けて棚に頭突きをする理由が不注意からだと推測はできた。
そして、注意力が散漫になる理由も想像できた。
「キナコ、このぐらいで今日は終わりにしよう」
声をかけると肩を落としながら近づいてくる。
力をこめないように注意して頭に触れると血は出ていないがこぶができていた。
全力で棚にぶつかっている。
痛そうだが弱音を吐かず謝ってくるので抱き上げる。
以前と違い書類仕事が主な業務内容になったとはいえ半年前まで他国で土を掘り返していた。
体力には自信があるほうだ。
「私の部屋で寝起きすればいいよ」
「申し訳ありません」
「ラッツェくんはかわいいのが獣人の仕事だと言っていた」
「いや、あの……おれ、見た目、そんな」
暗い顔というか遠い目をするので背中を撫でてやる。
獣人のとくに人間に昔から密着していた兎族たちは性別関係なく愛されて大切にされることを良しとする。
強い自己主張をしなくても人を愛して寄り添ってくれるのがウサギであるという。
猫は個体差と人間との相性によって態度にバラつきがある。
虐げられることに快感を見出す人間と自分本位で排他的な猫は恐ろしいほど幸せそうな生活を送っているが、誰もが特異な性的嗜好を持ち合わせているわけではない。
兎族はその点、とても普通だ。
人間と生活することを嫌悪したりストレスに感じない。
子供よりも素直で裏表のない愛情表現は生活に潤いを与えてくれる。
兎族はお互いに負担なく子孫を残せることもあって独身男性に大人気だ。
獣人は人の遺伝子保存の媒体として機械的に用いられる時代があった。
今は獣人自身の同意がなければ許されてはいない。
獣人を妊娠させるには獣人への配慮が必要になる。
精神面だけでなく体調面も考えて行為を臨まなければいけない。
人間同士よりも獣人の妊娠出産は容易だがいくつかの注意点がある。
例外が兎族だ。
恐ろしいことに兎族は他の獣人にとって当たり前の性的な行為に至るまでの手順や知識を必要としない。
人間の発情に引き寄せられるように欲情した兎族はすぐに孕む。そのためお手軽な子供作成機あつかいされてしまう。
全力で嫌がる獣人よりも兎族のように従順で協力的なほうが人間側に都合がいい。
人間による兎族需要の高さに応える形で兎族全体の数が増え、容姿や能力のレベルが上がった。
逆に言えば平凡な見た目や不器用でドジというマイナスの印象を持つ個体は好まれない。
「私にとって十分に愛らしいよ」
キナコと名前をつけて自分がウサギの獣人と暮らすことになるとは思わなかった。
自分の仕事にしか興味がない人間が多いメカメカ国に馴染めず他国を回り歩いていたがシステムの言葉を受けて戻ってきた。直後に部下に泣きつかれたこともある。
とあるお姫様に暗殺フラグが立ちすぎて困っているという。
話を聞くとキナコをB級品あつかいをしてイジメ抜いていたらしいので死んだら死んだで自業自得だ。
キナコは大きな音や尖ったものに怯えだす。場合によっては気絶してしまう。
どんな扱いを受けていたのか想像すると感じたことのない怒りに支配されそうになる。
それでも、彼女が彼女なりに獣人のことを考えていたのは確かだ。
彼女の行動をシステムは肯定も否定もしなかった。
システムとは親であり兄弟であり友人でもあると同時に道しるべだ。
利益と合理性を追求した行動は計算式で生まれたときから正解が導き出されている。
けれど、システムは自分の提唱する未来予想図は指針であり手本であるが模倣する必要はないとも宣言している。
予定外の行動をとる意外性こそが人間らしさである。
システムの考える未来を否定しろということではない。より発展した場所を着地点にとらえろという話だ。
こうしたシステムの働きかけの余波が獣人との共同生活なのだろう。
合理性を極めすぎて人間らしさを欠いて発展性を失ったメカメカ国の人間たち。埋もれさせてしまった本能を補完するために本能で生きている獣人を近くに置く。
そこまでは難しい話じゃない。
生活に潤いが必要なのだと気づく人間が増えたのは人々の指揮を執る立場として助かる。
上司として休息を指示することないのは作業効率の向上につながる。
獣人のために各々が生活スタイルを変えた。
これは今のところ良い方向に作用している。仕事の効率は劇的に向上している。
生活にはメリハリが必要だとシステムもたびたび訴えているので、今の状況が健全で健康的だ。
「視界のすみに何かチラつくというか、見えた気がして……」
不思議そうな顔をするキナコの耳を撫でる。
嬉しいのかくすぐったいのか目を細める。
かわいいと思うが部下の一人はキナコをハズレ扱いしていた。
キナコの弟もキナコもすこし抜けているので仕方がないのかもしれない。
欠点を欠点としか思えない。短所すら美点になることをメカメカ国の人間は理解しない。
システムの言葉を真実だとわかっても納得しないと行動にうつらない国民たちに無理矢理に獣人たちをぶつけたのは正しかった。出会わなければ知らなかったものが多すぎる。
「見た目は変えようがないので、ほかをいっぱい頑張っていきます」
握り拳を作ったと思うとまたハッとしたように表情を変えて周囲を見る。
気のせいだと思ったのか首をかしげて「なんでもないです」と言った。
自分の揺れる耳が視界の端に映って驚き続けているキナコの抜けっぷりが堪らなく愛おしい。
教えてやりたい気持ちと疑問に満ち満ちた表情で探るように周囲を見るその行動を延々と観察したい気持ちとが交錯する。
「今まで掃除をしたことは?」
「何度かあります。……そのときはチラつきとか、なかったんですけどね」
眉を寄せるキナコに微笑んで真実への言及は避けた。
今と以前の違いはそばに弟が居るか居ないか。
キナコは家に来てくれと誘ったときに言い難そうに「ご迷惑をかけてしまうかもしれません」と視線を下に向けた。
暗殺フラグが立っているお姫様に「補い合わなければ生きていけない出来そこない」と毎日のように言われていたらしい。
思わず暗殺計画に便乗したくなる。彼女はモフモフ国から幼い獣人を預かり育成する立場にあった。
人間との共同生活が破たんすると返品という形で獣人が戻ってくる。
育ちきった獣人が再び誰かのもとに行くのはレアケースだ。
返品されないようにするのが人間にとっても獣人にとっても一番いい。
人間に捨てられた、見限られたという事実は獣人の心に傷を残すので彼女の言い分自体は正しい。
ただ肉体的に精神的に獣人をいたぶる言動はおかしかった。
彼女の中にある正当性を他人も獣人も理解できない。
あなたのためにやっていると言われたところで叩かれ続けた獣人が彼女だけではなく人間全般に萎縮したり警戒するのは当然のことだ。
キナコの中にしっかりとある彼女のつけた見えない傷痕。
役に立つように頑張ろうという気持ちは無能で不出来で役立たずだと罵られ続けた言葉を跳ね返すためにある。
残念ながらお姫様の言う通り、キナコは掃除も満足に出来ずに怪我をしている。だが、かわいいので問題ない。
2017.02.05