200万hit記念

出会いの前 【兄】
 思った以上におれはおれのことを知らない。
 おれは枕の抜け毛を集めながら情けなくなった。
 
 この屋敷に来て数日が経つ。
 
 苦労した覚えはない。
 弟の雇い主であるラッツェという人間が仕事をしている最中は風邪を引いている弟の面倒をおれが看ている。
 身体が丈夫なおれたちなので寝込んでいる弟が不思議だ。
 
 弟は日中はほぼ寝ているだけでラッツェの帰宅で目覚めてふたりで外を散歩している。
 その間におれは与えられた部屋で寝る。
 この屋敷はラッツェが所有しているものであり、ラッツェが手元に置きたいのは弟だ。
 おれの立場はなんとも微妙なものがある。
 
 弟はおれに危害が加えられることを良しとはしないだろうが、ラッツェに面倒を見てもらうのは違う。
 獣人を複数所有する人間は珍しくはない。
 けれど、おれと弟を見るラッツェの目は明らかに違う。
 今のところは弟の世話をする仕事があるが、弟の体調が戻ったらおれはこの屋敷で邪魔者になる。
 
 誰の邪魔になるのかといえばラッツェだ。
 弟の視線が自分だけに集中しないことに淋しさを覚える気がする。
 おれがラッツェにとって邪魔になることは悲しくない。
 裏を返せば弟とふたりで居たいと思うほど弟を大切に思ってくれているということだ。
 それは素直に有り難い。
 
 おれと弟を出来そこないのゴミだと罵った赤毛の女性は人間に貰われてもすぐに返品されたり拷問器具の実験台にされると脅してきた。
 
 人間との会話術や掃除の知識を教えてくれたので悪人ではないと思うが、絶望的な未来しかおれたちに告げなかった。
 悪いことを想像していれば、少しの幸せで満足が出来るという考えだったのかもしれない。
 怖くて恐ろしい人だと思っていたけれど、ラッツェに出会った弟の未来は安泰だ。
 弟からそれとなく赤毛の女性が原因でラッツェと知り合うことになったのだと聞いた。
 いつも一緒にいる弟とラッツェの出会いをおれが知らないのは不思議だったが、たずねても誤魔化されてしまった。
 
 ラッツェは熱がなかなか引かない弟を心から心配している。
 弟の体調不良をわずらわしく思うこともなく甘やかしてくれている。
 それはとてもありがたいことだ。
 
 このメカメカ国は獣人の国であるモフモフ国と密接な関係なので獣人との交流の手引きなんてものがあるらしい。
 ラッツェがシステムから得た情報が本当なのかおれに聞いてきた。
 システムの言葉を鵜呑みにせずに確認をとるということは獣人の真実を知りたがっているということだ。
 
 良き隣人として適切な距離を保ってきたので兎族の獣人と人間との共同生活は障害なく円滑に進む。
 ただし、人間が以下のことを守らなければならない。
 
 毎日抱きしめて頭を撫でるなどかわいがり大切にしていることを伝えなければならない。
 長期間距離を置く場合は事前に伝えてもしもの場合の通信手段を確保するべき。
 自分以外の誰かに預けたり世話を任せるなら温和な獣人を選ぶべき。預け先に人間はよくない。極力避けることが望ましい。
 
 兎族の獣人への注意点としては間違ってはいない。
 人間に比べたら丈夫で器用なところがあるかもしれないとはいえ、専門職の訓練を受けていない兎族の子は不安感を持っていることが多い。
 
 赤毛の女性に絶望的な未来を語られるまでもなくおれも弟も自分たちがこれからどうなるのか不安でいっぱいだった。
 
 毛色がいわゆる野うさぎのようなおれと弟の希少性は低い。
 顔は特徴に乏しい平均的な見た目で役立たずな平凡だと赤毛の女性には酷評された。
 あえて身体的に珍しいのは前のめりになっている耳の形かもしれない。
 大きく長いがロップイヤーのような見事な垂れ耳ではなく猫にときどきいる鍵尻尾の耳版だ。
 耳が大きく毛が長いので枕にわりと毛が残っている。
 
 兎族の獣人との円滑な共同生活は獣人側が人間に合わせるので簡単かもしれない。
 だからこそ、それに甘えず人間も大切にしていることをきちんと伝えたり表現して獣人に安心感を与えてもらえると助かる。
 その点、ラッツェは間違いなく合格だ。
 システムから情報をもらう以前の段階できちんと必要なことが出来ている。
 弟がラッツェに安心感を覚えているのが伝わってくる。
 
 長期間会えないことを事後承諾するべきではないのも獣人に不安感を与えるからだ。
 事前にきちんとした説明があって納得しない兎族の獣人はいない。控えめな性格に物が多い。
 中には勝気でわがままな個体もいるかもしれないがウサギは臆病で消極的だ。
 性に関することや出産に関しては自信があるので積極的なこともあるが、他は気が回らないことも多い。

 急に怒りだしたり、目の前から消えたり、他人に世話をさせてくるような人間は基本的に兎族受けが悪い。
 人間が何を求めているのか明確ではないことが不安感をあおり臆病さから慎重になる。
 態度が一貫しない人間を不審に思うのは獣人に限らないかもしれない。

 そして、おれはラッツェに聞かれるまで獣人の世話を雇い主である旦那様以外がすることを想定していなかった。
 
 てっきりラッツェの不在時であることと兄であることからおれが看病を任されたのだと思った。
 兎族と共にいたいと思っている人間は出産代行を望んでいないなら愛でることを目的にしている。
 
 完璧な家事、完全な予定の把握そういったことを求めるなら兎族以外の方が適任者は見つかりやすい。
 あえて兎族を選んだのなら自分以外の何かをかわいがったり愛を注ぎたいと少なからず思っているはずだ。
 獣人たちの国であるモフモフ国はそういった結論を出している。
 愛情の受け皿になることを拒絶しないからこそ兎族の人気は高い。
 だからこそ、人間は望んで兎族の所有権を欲しがるのだとばかり思っていた。
 
 けれど、注意事項としてあげられているのなら人間は簡単に獣人を手放せてしまえるのだろう。
 獣人の世話を自分がするという感覚を持っていない人間と愛されているならもちろん傍にいてくれるだろうと思っている獣人がいたのならこれ以上の不幸はない。
 
 当たり前に獣人が期待している生活が人間にとって不自然だなんて知るわけがない。
 ラッツェが弟を不安がらせたり簡単に他人の手を借りたりしないのは少し会話をしただけで理解できた。
 獣人にとってラッツェは理想的な雇い主だろう。
 それが分かるからこそおれは自分の今後について頻繁に考えていた。
 
 結果がストレスによる抜け毛。
 
 髪の毛が何本かあるが、それ以上に耳の毛が抜けて枕についている。
 情けないと思いながら毛を集めていく。
 
 このまま野良になるのはマズイが都合よくラッツェの知り合いがおれを雇おうと思ってくれるかは分からない。
 最悪、おれだけが赤毛の女性の下に戻されるかもしれない。
 想像だけで鳥肌が立った。
 殺されるよりもひどい目に合うだろう。


2017.02.05
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -