ぼっちゃまと秘書1

※ほのぼの?


 松葉という家について俺はあまり多くのことを知らなかった。
 本家と言われる雇い主の実家は大きくて各種有名企業との付き合いも多い。
 具体的にどんな仕事をしているのか不透明だったが雇い主の仕事を手伝っていて見えてきた。
 
「釣鐘と似たようなことしてるんですね」
「釣鐘さん? あぁ、そういえばわたしもこの前、学園の理事になったね?」
「ちょっと、なんでそういうこと言わないんですか。聞いてません」
「わたしの方の名義じゃなく奥さんが――」
 
 雇い主の奥さんは松葉の家と婚姻関係になるには強すぎると言われる朝霧の人だ。
 朝霧は釣鐘の分家のようでありながらすでに朝霧として確立している。
 そして、家の掟やしがらみのようなものが松葉と違いとても厳しい。
 二人が出会った場所が病院でなかったのならビジネス上のライバルとしてして顔を合わせただろう。
 
「奥さんは奥さんで朝霧の名を捨てたわけではないからね」
「朝霧と釣鐘と魁嗣は昔から旧知の仲ですから……なるほど、学園の理事ですか」
「うちのぼっちゃま達も入学するだろうから、奥さんが理事にいるのはちょうどいいだろう」
 
 雇い主には子供が三人いる。
 三人目はまだ奥さんのお腹の中だけれど予定日は来月だ。
 無事に元気な子を産んでほしい。
 秘書として公私ともに雇い主を支えているので子供が生まれたらしばらくは奥さんの補佐に回りつつ育児係になるだろう。
 今は奥さんの仕事を旦那である雇い主がしているが産後に落ち着いたらあの奥さんはバリバリ働きだす。そういう人なのは長男を出産後すぐに起こった騒動で知っている。驚くほどパワフルで苛烈な奥さんは独特のリズムで生きている雇い主とお似合いだ。
 
「うちのぼっちゃまと言えば長男の方がすこし様子がおかしいね?」
「……そうでしたか。話を聞いておきます」
 
 秘書の仕事なのかと言われると疑問だが自分で望んだ立ち位置だ。
 手の届かないものを求め続けるのが苦しくても見れないよりはいい。
 相手を愛しているのなら相手から愛されなくても構わない。
 無償の愛とは見返りを求めないものだ。
 相手から愛されることがなくても愛せること。
 
 
「ひしょー、おとうさまを寝とるです?」
 
 
 かわいいぼっちゃまからそういうことを言われると死にそうになるけど秘書をやめたくないので否定する。
 自分の気持ちはすでに自分だけのもので相手に返してもらうのは諦めた。家族愛的なものを貰えるようになっただけでもきっと幸せなんだ。そう思うしかない。
 
「寝とりません。誰ですか、それをぼっちゃまに言ったのは」
「ねむくんです」
「……ねむ? あ、あぁ……父方のいとこですか」
「ねむくんはちょっと変です」
 
 唇を尖らせるぼっちゃまはとてもかわいい。
 顔立ちは雇い主に似て平凡だが表情がコロコロと変わり幼いということもあって素直。
 顔の造形だけでいえば次男が奥さん似でかわいいというより麗しい、美しい、という表現が似合うが性格も奥さんに似て苛烈なところがある。奥さんよりも昔の雇い主に似ているのかもしれない。子供らしからぬ割り切り方と周りに期待することない姿。弱みは見せないとばかりに気を張っている次男はぽやっとしたところのある長男とは大違いだ。
 
「事故から違う人みたい……です?」
「事故以降変わられた?」
 
 子供の言い分だと無視するのは簡単だが気になってぼっちゃまと一緒にいとこのねむくんのところを訪ねた。
 ねむくんはぼっちゃまと同じ八歳だが母親が運転している車が崖から落ちて海に沈むという事故にあった。
 その影響で現在は休学中。本当は同じ学校だが精神が不安定だとかいう理由で自宅から出なくなっていた。
 定期的に学校の提出物や連絡のプリントなどをぼっちゃまはねむくんに届けているがおかしいらしい。
 
「ねむくん、言いにくいかもしれませんが……前世を思い出したりしました?」
 
 雇い主から聞いている松葉という血筋に現れる特有の症状。
 思えば誰も事故の話を聞いて幼いねむくんを心配しなかった。
 他家から嫁いできたねむくんの母親の安否を気にはしてもねむくんが死ぬはずがないと思っていた。
 
 普通の感覚しかない俺には理解しにくいことだが松葉家は死に難い一族とされているらしい。
 歴代の松葉の人間を見ても確かに長命の人間ばかり。
 事故や病気で死んだ人間はおらず全員が老衰。
 そして、十人中一人ぐらいの割合で飛び降り自殺を未遂に終わらせている。
 雇い主が言うには大体死のうと思うと松葉の人間は突発的でも計画的でも飛び降りを企てるがそれで死ぬことはありえないらしい。
 実際、死んでいない人間ばかりとはいえなんだか納得がいかない。
 
 ともかく、松葉に限って言えば死として直面する悲劇は恋愛沙汰ばかりなので周囲が手を出せるものではないという判断で周りはみんな放置している。ただ他家から来たねむくんの母親は強運ともいえる松葉の補正の範囲外だろう。だから、安否を気にされた。
 
「前世って何だよ、中二病かよ」
「……ちゅうにびょうってなに?」
 
 吐き捨てるように口にしたねむくんにぼっちゃまが首を傾げた。
 八歳の口から中二病なんて早々出てこない。
 雇い主のところの次男は頭の回転が速く子供らしさが全くない。
 かわいげがないのが昔の雇い主を連想してかわいいが構いすぎると嫌われてしまうかもしれないので自重している。
 そんな次男だってネットスラングのような言葉は知らない。
 
「で、ねむくんは前世を思い出したんですよね? だから、事故でも冷静に対処した」
「……なんのことだか分かんねえな」
「隠さなくてもみんな知ってますよ」
「はあ?」
「頭の中にある程度の年齢までの経験が宿ったからこそ事故から生還したという方が八歳の子供がどうにかしたと思うよりも現実的です」
「……お前の現実はわけわかんねえな。まあいいや。じゃあ、おれに八年間のねむ以外の記憶があるとして、なんだよ。どうすんの」
「どうもしません」
 
 そう、ねむくんがどうしてこうなったのかは答えが出ている。
 前世の記憶なのかどうなのかはともかくねむくんの人格が八歳児のものではないのは話していてわかる。
 見た目はぼっちゃまと同じような子供だが表情や受け答えがスレている。
 次男の理知的過ぎて超然としているのとはまた違う。
 あれは子供だからこその無邪気さとわがままさとプライドがあるからこその意地だ。
 大人が割り切れることも子供は割り切れない。
 
 大人と足の長さが違う子供は大人が気にしていないと足の長さの違いから先に疲れてしまうが子供はそれを理解できない。次男は俺が抱きあげるのを嫌っていた。自分が歩けないと思われるのが嫌なのだ。自尊心が傷つくという。だから、俺は次男に「ぼっちゃまは秘書を手足として使っていいのです。自分の手足に遠慮はいりません」と告げている。
 
 特に疲れていない時も次男のぼっちゃまを抱き上げて運ぶことが増えたのは良いのか悪いのか。
 かわいいからずっとお姫様扱いしていきたい。
 
 話はズレたがつまり子供らしくないねむくんは八年以上生きている存在だ。
 断言するには事故で生き残ったから以外にも理由がある。
 
「松葉の家で以前からねむくんのような人は報告されています」
「ひしょー、そうなのです?」
「はい、ぼっちゃま。……生命の危機を回避するための手段として松葉の血筋には記憶喪失や先祖返りのようなものがあります」
「……せんぞがえり?」
「前世というのが分かりやすいんじゃないですか? ねえ、ねむくん」

 苦々しい、子供とは思えない表情を見せるねむくん。
 まだ自分の中で気持ちの整理がついていないのかもしれない。
 
「……わかんねえよ。おれにおれじゃない記憶があるのは確かだ。このままじゃ死ぬってなって頭の中にぶわっと知らないものが入ってきた」
「それで生命の危機を回避できた。先人の知恵と言いますか言い分では現状は運命として受け入れるしかない、らしいです。どうしたところで新しく手に入った記憶が消えるわけではありません」
「異常じゃねえか。八歳がリーマンの記憶あるなんてキモイだろ」
「ねむくんはサラリーマンだったんですか?」 
「大学生だった記憶が一番濃いけどな。スーツ着たりしてた」
 
 就職活動をしていた記憶を勘違いしているのかと思ったがそこには触れずに肉体年齢と十歳以上離れていると大変だろう。大人である意識があるのに子供に混じるのは苦痛かもしれない。
 
「大人びている子供ってぐらいのものですよ」
 
 大学生なんか子供だ。秘書として雇い主の元にいて俺は昔の自分のことを最悪だったと改めて思い知っていた。
 
「ねむくん、一緒に学校いこう?」
 
 純粋な八歳児であるぼっちゃまの誘いを年長者という自覚があるねむくんは断りにくいらしい。困った顔をする。
 ぼっちゃまはねむくんの葛藤に気づかず「ねむくんがねむくんじゃなくなってもねむくんはねむくんだから」と口にする。
 
「また、仲良しになって?」
 
 以前のねむくんと今のねむくんは違う。
 記憶の違いがねむくんには気持ちが悪かったんだろう。
 知らない記憶、でも、消えない記憶。
 否定できない自分の記憶。誰も知らない頭の中だけで起こった変化。
 相談することが出来ずに学校に行かず引きこもっていた。
 
「ねむくんのことまた教えて」
 
 ぼっちゃんがねむくんに起こったことを理解しているかはわからないが今のねむくんを受け入れているのは確かだ。
 ずっと不安だっただろうねむくんは泣きながらぼっちゃまに抱き着いた。
 
 
 ぼっちゃまとねむくんは仲良くなってめでたしめでたし、かと思えば話はそんなに簡単じゃなかった。
 
 
「婚約者? ぼっちゃまにですか?」
「長男にね? ほら、いとこのねむくん」
「はい? ぼっちゃまもねむくんも男子ですよね」
「だから、どうしようかな?」
 
 断る一択しかないと思うが雇い主はなぜか悩んでいる。
 先日産まれた三男は俺の腕の中で寝ているのであまり大きな声も上げられない。
 雇い主は非力なので赤ん坊を抱きかかえることが出来ない。
 非力というか事故の後遺症で右腕の握力が日常生活で支障ない程度に落ちているので俺はそのサポート業務もしている。
 
「本人たちが好きあっているのなら親として後押しはしたいかな?」
「……ぼっちゃまはまだご自身で未来を決められる年齢ではないかと」
 
 口の中に苦いものが広がる。
 なら、いつならいいのか。
 きっといつまで経っても俺の中でぼっちゃまはぼっちゃまで独り立ちを認められないかもしれない。
 上手くいくはずがないからやめておけと言いたくなるのは自分の経験からじゃない。
 ねむくんには松葉としての症状ともいえる記憶の追加が行われた。
 松葉の人間であるぼっちゃまにもいずれ何かがあるかもしれない。
 そのときに二人は愛し合ったままでいられるのだろうか。
 
「そんなに深く考える必要はないのだよ? 恋愛なんてなるようにしかならないのだから」
 
 雇い主の言葉はたしかにその通りだろう。
 俺は賛成も反対もできなかった。



続いたり続かなかったり。
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