浮気攻めの聖夜の顛末2

 事実たぶん、恋人は俺を見放したりしなかった。
 愛し続けてくれた。
 そして、俺が望んだように劇的な結末で俺たちの関係は終止符を打たれてしまった。
 
 クリスマスイヴ、十二月十四日に恋人はバイトを入れていた。
 バイトバイトで俺を大切にしないのかと浮気をしてる分際で俺は恋人を怒鳴りつけた。
 クリスマスという恋人同士の一大イベントを前にしてケンカをするなんて最低の気分だが、同時にこれを機に自分たちの関係が正常に戻るんじゃないのかと期待していた。
 
 クリスマスの夜には奇跡が起こるに決まっている。
 そう願っていた。
 
 朝は女、昼は男、夜は一時間毎に男と女を交換で抱いた。
 ずっと一緒にいたいと誰もが俺に告げてきたがそれを振り払って恋人の待つ部屋に戻った。
 零時を過ぎた帰宅に罪悪感などなかった。
 眠っているだろう恋人を叩き起こしてコンビニで買ったケーキを一緒に食べようと思っていた。
 
 部屋に入って違和感を覚えた。
 室内に風があったのだ。
 コートを脱ごうとして外と変わらない寒さの部屋に驚く。
 何時に帰ってきてもいつでも部屋があたたかかったのだということに今更気づいた。
 誰かがいる部屋、彼のいる部屋、そのあたたかさを当たり前に思っていたのだと脱げないコートに思い知る。
 
 窓を閉めようとベランダに近づくと人影が見えた。
 こんなに寒い中で彼は軽装でベランダの手すりに寄りかかっていた。
 俺を見て口の端をゆがめて「賭けをしたんだ」と彼は言った。
 
「もし、お前が二十四日のうちに帰ってきたら全部許してやり直す。お前の子供じみた不満を解消せずに放置したのは俺の責任でもあるからな」
 
 彼はあくまでもどこまでも男らしかった。
 久しぶりに会話をしたような感覚になりながら俺は血の気がない彼を見つめる。
 
「お前が二十四日を過ぎて帰ってきたらジ・エンド。もうリセット。来世に期待だな」
「……なに言ってんだ」
「俺とお前はもう終わり。ついでに俺の命も終わり。……それだけの話だ」
 
 淡々と口にしながら彼は「星がきれいだな」なんて言って力なく笑った。
 彼と自分の関係が終わりなんて理解できない。
 したくなかった。
 
 散々浮気をして嫌われないわけがない。
 頭ではわかっている。
 でも、彼はハッキリとした人間で不満があれば言葉にしただろう。
 
「胸糞の悪い話をしとくと――」
 
 彼は薄着だったが更にシャツを脱いで見せた。
 上半身裸の彼の皮膚は酷い色をしていた。
 アザや切り傷、タバコを押し付けて出来たのだろう火傷の跡。
 思わず目をそらした俺に彼は笑う。
 
「今日、お前が抱いてた人間やその手下とかが入れ代わり立ち代わりやってくれた。……まあ、傷の古さから言えば今日だけのものじゃないのはわかるけどな」
 
 信じられなかった。
 自分が使い捨てにした彼の代わりの人間たちの所業ではなく彼がこうも冷静に口にしている事実が受け入れられない。
 長期的に彼がずっと酷い扱いを受けていたこと、それを自分が気づかなかったこと。
 どれほど彼の裸を見ていないのか今更に思い知る。
 
「もう、こんな呪いみたいな恋から解放されてもいいだろ? 俺は十分頑張ったと思う。お前は俺が何もしてないと思ってるかもしれねえけどさ……。愛してたからどんな仕打ちも耐えたし元通りになることを願ってた。毎日の光熱費とか学費とか時間とかそういうのはお前と俺じゃあ見てるものも考えているものも違うから――」
「お金は……だって、バイトしてたじゃん」
「それだけでどうにかなるほど甘くねえよ。このマンションの家賃とかお前は何も考えないで選んだだろ」
「全部俺がお金出すって……バイトなんかしなくていいって」
「それはフェアじゃねえって散々話しただろ。まあ、甘えとけばこれから無駄な出費が出なくて安上がりだったんだけどな、結局」
 
 彼は上半身裸のまま震えながらベランダの手すりから身を乗り出した。
 何をやっているのか分からずにいたら「どんな扱いを受けて、どれだけ恨んで憎んで失望しても嫌えないんだ」と彼は一筋涙を流した。
 
「お前を忘れることが出来ないからずっと俺は苦しいままだ。だから、世界にサヨナラ」
 
 彼はそう言ってベランダから落ちた。
 嫌いになれないから死ぬしかない、そんなこと理解できるわけがなかった。
 落ちた彼の生死を俺は確かめることが出来なかった。
 もし彼が死んでいたらと思うと怖くて足がすくむ。
 いつまでベランダにいたのか分からないが救急車の音が聞こえて弾かれるように一階まで降りた。
 
「遅かったな」
 
 高校時代に俺と同じように彼を好きだと言って毎日のように顔を合わせていたヤツがいた。
 渡米して卒業してからは一度も見ていない。
 ここにいる理由は分からないが彼の何かを知っているんだろう。
 
「結果はどうであれ、慰謝料は払っておけよ」
 
 そう言ってヤツに手紙を押し付けられた。
 破り捨てたい衝動は筆跡が見慣れた恋人のものだと気づいてやめる。
 
 手紙の中には同棲してから彼が思っていた不満や浮気に対して傷ついたという内容と同時に皮膚についた傷跡を消す金をくれというもの。彼らしくて泣きながら笑った。
 
 もし生きていたらと書き加えられていたのが悲しくて悔しくて痛い。
 死ぬ気にならないと動けないぐらいに彼が追い詰められていたことに気づけなかった。
 
 
 遊びほうけているような俺と馬車馬のように働く彼。
 彼が飛び降りた最大の原因は金銭面的なことだったのは意外だったが彼らしくもあった。
 センチメンタルなその場の勢いで彼が死を選ぶのは考えにくい。
 ただ経済的につらかったのでサクッと死んどこうと思ったという手紙の出だしに反応に困った。
 
 ベランダから落ちる前に光熱費や家賃のことを彼は確かに口にしていた。俺は全く把握していなかった。
 お金は親が口座に振り込んでいる生活費がある。
 それは俺のお金であると同時に彼のものだとも思っていた。
 けれど、彼は一切手を付けることなくやりくりしていたらしい。
 経済的な苦しさなど味わったことがないのでバイトの掛け持ちのつらさも知らない。
 労働らしい労働を俺はしたこともなかった。
 所帯じみた話をするのは嫌かもしれないと彼が気にしていたなんて手紙を読むまで知らなかった。
 
 
 劇的な人生なんかなくていい。
 彼との穏やかな日々でよかった。
 手紙を握りしめながら彼が搬送された病院にタクシーで向かう。
 聖夜の奇跡を期待して、神に祈っていた。
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