なにそれ
なにそれ、まず最初に口をついて出たのはその言葉。
今日は恋人の誕生日。
プレゼントを買うためにやりたくもない姉や従姉妹の手伝いをしてお金を貯めた。
他人に何かを買うために頑張るなんて自分らしくない。
それでも恋人のために何かをしたいと思ったのだ。ある意味これは成長だろう。
恋人が男だとか、自分が恋愛初心者であるとかいう戸惑いを脇に置いて、俺は俺なりに頑張った。
ベッドの上にいる恋人の乱れた服装に手探りの数か月が走馬灯のように思い出される。
積み重ねていた気持ちが泡になって消えた気がした。
周りからイケメン、美形、男前なんていうのは腐るほど言われても実感がわかない。
美醜の判断がつかないわけではなかった。
けれど自分が特別とは思わなかった。
姉や従姉妹や両親を見慣れているので、自分の持ち上げられ方が分からない。
テレビや雑誌で取り上げられている男と似たようなものじゃないかと口にすれば「芸能人気取りかよー。たしかにそのレベルだけど!!」なんて騒がしい友人は喚いた。
芸能人気取りも何も昔は子役としてCMに出ていた。
今もよく仕事をしないかと声をかけられる。業界自体に馴染む気はないので断っているが特別なものとは思わない。
昔からかわいいと言い続けられて中学に上がって格好いいと言われるようになっても俺自身は何も変わらない。
成長に合わせて褒め言葉が変わっただけだ。
褒め言葉はお世辞だ。
所詮、社交辞令で本気で受け取るものじゃない。
容姿の他にいい場所がない俺を慰めるために彼らは毎日うるさいぐらいにさえずっているんだろう。
そうじゃないと納得いかない。
格好いい、見惚れる、輝いている、イケメン。
その言葉は軽い。すこし髪型が流行に沿っているとすぐに人はもてはやす。
俺以外にも簡単に向けられるそれを不快でも喜ぶでもなく淡々と受けれいていた。
だから、中学二年のクラス替えでクラスメイトになった恋人、鋼子朗(こうしろう)から告白された時は驚いた。
俺を好きだということの理由が飼育委員として真面目だからという内面的なものだったからだ。
性格を褒められたことはない。今まで俺は俺という人格に評価をもらったことがなかった。
褒められたいと思ったこともないけれど、けなされたいと思っていたわけでもない。
今まで飼育委員の活動について誰かから何かを言われたことはなかった。
放置すれば死んでしまうのに誰も真面目にうさぎたちの世話をしない飼育委員会。
くるっていると思った。
ふれあい学習、アニマルセラピーなんて言いながら教師も生徒もきちんと面倒を見ていない。
必要最低限の餌やりと動いているかの確認だけ。
決められた毎日の掃除をやらなかったり、具合を見るために触れたりしない。
誰かがやっているだろうという気持ちで幽霊委員も多い。
当番をさぼったり誰かに押し付けるのだ。
生き物に対する愛がない。
俺はこの飼育委員会の現状に小学校で夏休みにめだかの面倒を見たくないとクラス中の気持ちが一つになっていたあの空気を思い出して気分が悪くなった。
誰も責任を負いたくない。
自分があずかっている時に死んだら怒られる。
それと同じでうさぎの様子がおかしいと気づいたら自分に非があると思われると恐れているのかうさぎ小屋に餌を投げ入れてうさぎの様子を観察せずに元気とレポートに記入する。
うさぎが好きだから委員になったのではなく押し付けられて仕方なくやっている、そういう姿勢。
投げやりであることが格好いいという理解できない考え方。
上級生から掃除や餌などの仕事についてきちんと後輩に指導をしない上に仕事を押し付けているのでみんなのやる気がなかった。教師は監督責任を放棄していたのでうさぎ小屋は死を待つ汚い穴倉だ。
俺は自分が上級生やほかの飼育委員に批判的な発言をしたらどうなるのか想像がついたので一人で完璧な仕事をした。結果として病気になっているうさぎを見つけたり飼育委員会がなくなることになったが俺自身は何も動いていない。教師の給料が減ったりしても俺のせいじゃない。
それでも、傲慢だとか自分たちを馬鹿にしているなんていう意見が出る。
理由は今でもわからない。
最善の行動を思いつけない俺が非難されるのは仕方がないのかもしれない。
いつでも俺の褒めることができるのは容姿だけ、その前提を壊すように鋼子朗《こうしろう》は俺の仕事ぶりを好きだと言ってくれた。
周りとコミュニケーションをとらずに一人で行動していた俺を自分があって堂々としてすごいと言ってくれた。
自分の人格をはじめて褒められて嬉しかった俺は鋼子朗と付き合うことを決めた。
鋼子朗は名前の固くて強そうな響きに反して、小さく弱く素朴な顔でどこかうさぎのような奴だった。
卒業した先輩である鋼子朗の兄は有名だったので鋼子朗自身も顔が広い。
本人はそう思っていないようだが周りから大切にされて愛されている奴だ。
俺は鋼子朗ぐらいにしか人格を認められたことはないし、顔がいいのなら悪口を言ってもいいとよくわからない理由で「ムカつく」「腹立つ」「不幸になれ」と言い捨てられることは多い。
鋼子朗の周りは穏やかな空気で友人は多いし、トラブルもなさそうだ。
俺の周りで女子はそれぞれ興味のない話題で盛り上がり男子はそれを冷ややかな目で見るか、からかいのタネにする。女子は入れ代わり立ち代わりひとり相撲を楽しんでは消えていく。俺の見ていないところでお互いの足を踏みつけあったりしているのに気づいたときはゾッとした。
友達らしい友達もいないつまらない俺のことを鋼子朗は毎日毎日褒め続けた。
無理をさせている気がしたがお世辞でも嬉しかったので俺は礼だけ言って褒め言葉をもらっていた。
手をつないでキスをしてお互いの家を行き来して、外で遊んでみたりと恋人らしいことをしてみたのだがいつのころからか鋼子朗の瞳に不満が浮かぶようになっていった。
俺が成長期に入って身長を伸ばしだしたから不機嫌なのだろうと小柄な鋼子朗に微笑ましい気持ちでいたら気づいたら手遅れになっていた。
いつから俺たちの関係が壊れてしまったのかわからない。
高校受験に本腰を入れ始めようと中二の夏を前にして俺は塾に通い始めた。
夏休みの前に鋼子朗の誕生日なので勉強をしながら姉や従姉妹の手伝いをしてお金を貯めた。
大変だったが塾のことは鋼子朗にも話している。何も問題ないと思っていた。
当日に会うには塾の終わる時間が微妙だったので、俺から鋼子朗の誕生日の話は出さなかった。
自分の誕生日だから会いたいと言ってくれたら予定を教えるが、俺から予定を開けさせるのは無駄に気を遣わせるに違いない。
恋人らしくサプライズをしたいという気持ちもあったし、夜にはどうせ鋼子朗が家にいるはずだという気持ちもあった。
鋼子朗の兄である先輩は卒業してしまっているが俺が行きたい高校に行く人だったので交流があった。
気さくな人で同性愛に批判的でもないので俺は彼に鋼子朗との関係を告げている。
だから、鍵を渡されて誕生日の日に勝手に上がっていいと言われた。
サプライズをしたかったので俺は素直に先輩から鍵を預かって音をたてないように鋼子朗の部屋の扉を開けた。
さすがに寝ていないだろうと思ったが部屋は一番小さな電気をつけている状態で薄暗かった。
スイッチの位置は知っているので「鋼子朗、寝てんのか?」と声をかけながら電気をつけた。
「なにそれ」
俺の目の前に下半身が丸出しで上半身もまくれあがって乳首丸出しの鋼子朗。
鋼子朗を押し倒すような体勢の下半身丸出しな男は鋼子朗の幼馴染で親友だと紹介された覚えがある相手。
ふたりともどう見ても勃起状態でこれから挿入するのかその前の段階なのかベッドにローションが転がっている。
鋼子朗の幼馴染の手からこぼれ落ちたのかもしれない。
誕生日にセックス。
それは恋人らしいかもしれない。
なんだか一気にすべてが馬鹿らしくなった。
うさぎのような庇護欲をかきたてるような小柄でかわいい鋼子朗。
そんなものはどこにもいない。俺の勘違いだった。
初めに動いたのは鋼子朗の幼馴染だった。
「邪魔すんな。鋼子朗はもう、俺のだ」
「……なっ、なに言ってんだよ!! ちがう。ちがうんだ」
顔を真っ赤にして首を横に振る鋼子朗のあわてた姿はいつもなら微笑ましい気持ちになるところだが今は苛立った気持ちしかわかない。
恋人だと思っていた相手が誕生日に自分以外に足を開いているなんて嫌悪しかわかない。
「あの、ちゃんと話を聞いてくれ」
言い訳をさせてほしいと言われてもどんな言葉も心に届く気がしない。
うんざりとした気持ちになって手に持っていた誕生日プレゼントをベッドの上に放り投げる。
「お揃いのものが欲しいって言ってたからリングを買った、けど……もういらねえよな。あぁ、そいつとお揃いがいいのか?」
中指から引き抜いたリングを投げようと思ったが、どちらかの頭に当てそうだったので部屋の入り口近くにある棚に乗せる。
「やるよ。これで終わりだ」
格好つけた言葉だがすでに鋼子朗と俺とは終わっていた。
この姿を見ると始まってもいなかった気がしてくる。
「やだっ、いやだっ!! 好きなんだっ」
ぐずった子供のように下半身を丸出しにしたままですがりついてくる鋼子朗。
好きだと言いながら抱きつかれたところで決定的な浮気の現場に居合わせて何も思わないでいられるわけがない。
俺がやりたくもない姉や従姉妹の手伝いをしていた間ずっと鋼子朗は幼馴染で親友だという間男と一緒にいた。
許すなんてまず無理だ。
ただ鋼子朗の泣き落としに失くしたはずの愛情がくすぶって、俺は仕方なく浮気者の言い分を聞くことにした。
話は簡単だった。
鋼子朗は自分から告白してきたくせに俺に相応しくないと悩んで幼馴染に相談。
俺の派手だと脚色された女性関係に不安を抱いたところで俺との時間が少なくなり飽きられたのだと自己完結。
本当に自分のことを俺が好きなのか疑い続けて、誕生日を一緒にいたいと言われなかったことがショックで幼馴染に泣きついた。結果、鋼子朗が浮気して俺の反応を見るということになったという。
この相談の結果の意味が分からない俺がおかしいんだろうか。
「うわきの、ふりの予定で……」
「鋼子朗もその気だったじゃん。気持ちよかっただろ?」
服装を整えて汚れたままのベッドに腰掛けるふたりはいちゃついているようにしか見えない。
俺はかわらず部屋の出入り口あたりで立っている。
「嫉妬してもらいたかったんだ。好きだと思ってるなら……」
「ってか、散々浮気してたのはそっちでしょ。未遂ぐらいでぐちぐちウザっ。不法侵入とかキモいし」
「……浮気なんかした覚えはない。外で一緒にいることが多い女のことなら姉や従姉妹だって説明しただろ」
「浮気の常套句じゃん」
「俺の言葉を鋼子朗は信じてなかったのか?」
視線をそらす鋼子朗に俺は衝撃を受けた。
外見のせいで勘違いされることは多い。
だから、内面を見てくれた鋼子朗と付き合うことにしたのだ。
俺のことを分かってくれていると勝手に勘違いした。
情けなくて馬鹿みたいで俺は気が付いたら泣いていた。
声だけは出ないようにグッと奥歯をかみしめる。
きっとブサイクな顔になっただろう。
「なにそれ」
鋼子朗の幼馴染から呆然とした言葉が出た。
なんなのかは俺が聞きたい。
浮気されて泣くほどに俺はきちんと鋼子朗が好きだったんだろう。
それが分かっても、もう遅い。
乱暴に涙をぬぐって俺は鋼子朗の家から出た。
恋人の誕生日を祝いに来た人間の心境じゃない。
鋼子朗の兄である先輩になんて言おうかと考える余裕ができたのは家に帰ってシャワーを浴びてからだった。
そして、俺は紆余曲折というほどの状態じゃない、わりとストレートに鋼子朗の兄である先輩と付き合うことになった。
今回のことを語る際に思わず自分の信用のなさや今までのつらさなんかをぶちまけてしまったせいだ。一度弱いところを見せたからか先輩は俺にどこまでも優しかった。
人に甘えたい、甘えられたいなんてことを思っていた俺なので先輩の存在はありがたかった。
ただ落とし穴のように先輩に俺の姉や従姉妹もついてきた。同じ年代ではない三人の共通点はコスプレ。
俺が手伝わされてふたりからお金をもらっていたのはコスプレのモデルだ。
その道に染まっているわけではないのでコスプレイヤーというわけじゃない。
そういった人たちが着る衣装のモデルとして撮影会に参加しただけだ。
場合によってマネキンで済むものでも姉や従姉妹は俺に着せたいらしい。
いくらお金を積まれても断っていたが鋼子朗のためにふたりの要望を飲んだ。無駄な努力だった。
普通のモデルは何度も経験があるが、姉と従姉妹が俺に着せてくるものはいつも腹だし、肩だし、へんてこな衣装が多い。
元ネタにあたる作品を知らないせいで、着ても嬉しくない。
先輩はどうも有名な男のコスプレイヤーらしく姉や従姉妹と知り合いだった。
オタトークを繰り広げる三人に「なにそれ」とつぶやいたのは記憶に新しい。
ついていけないのが淋しいとかそんな気持ちがあったからじゃないが先輩の頼みでこっそりとコスプレ衣装を着たりもする。
好きな相手には喜んでほしい単純にそれだけの気持ちだ。
そして、鋼子朗の幼馴染に会うたびに口説かれるという謎の事態に見舞われているのも地味に困っている。
勘違いしていたと謝ってくるのはいいが俺は先輩と付き合っている。この状態で鋼子朗の幼馴染になびくことはありえない。口説かれても迷惑なだけだ。
俺の涙に惚れ直したと言い出して先輩のいない少しの時間に鋼子朗が俺を押し倒してくるという訳のわからない状態についても「なにそれ」としか言いようがないと思う。
※男前受けとはちょっと違うかもしれない??
なにそれが口癖にならざるえないカオスな状況で強く生きてほしいです。