六
目が覚めると病院のベッドの上だった。
空き教室に放置されるという事態にはならなかったことをまず安堵した。
クズで無神経だとはいえ友達甲斐のない男ではない瑠璃川水鷹。
もうすこし先が見通せる人間ならもっとよかった。
医師からいろいろと説明を受けたが頭の中にまるで入ってこない。
気のせいか不能とかEDそういった単語が聞こえた気がする。
十代だからとか詳しい検査とか経過を見てとかフォローにもならないことを言われるが死にたい。
頭の片隅ではきちんと自分の行動の結果が返ってきたのだと理解している。
当然のようにこの結末になると水鷹の挿入前に想像できていた。
俺の冷静な部分は好き勝手していればしっぺ返しがくると今回のことをすでに受け入れ始めている。
怒ったことは仕方がない。取り返しがつかないから開き直るしかない。
一瞬で奪われた男の尊厳は取り戻すことが出来たとしても消えない傷を俺に残している。
機能のあるなしじゃない。
生理的にいろんなことがダメになってしまった気がする。
損失感と先の見えない不安感と何も考えたくなくて神経が無闇に尖って世界を拒絶する感覚。
ひとことでは言い表せない、まとめきれない気持ちがある。
この先ずっとつきまとい続ける心の傷なのか事件後すぐの今だから一時的なショック状態になっているのかは判断できない。
医師に相談しようとも思わなかった。
人から恨みは買わないようにしているものの人から憎まれない生き方はしていない。
巡り巡って踏みにじった人の悲しみや不満は戻ってくる。そういうものだ。
自業自得だ。自分が悪い。
水鷹を好きな俺が悪い。
病室のベッドの傍らで俺よりも悲しんで泣きじゃくっている水鷹を未だに嫌いになれない俺が悪い。
俺の目覚めを看護師に知らせて医師を呼んだり、状況説明でいちいち嗚咽を漏らしている水鷹をここにきてもまだ憎みきれない。
だって、俺は分かっている。
瑠璃川水鷹が大馬鹿野郎だと知っている。
生徒会長にふさわしいと中学の入学初日から打診を受けて瑠璃川であるというだけで自分よりも水鷹がいいと放り投げた。
単純に自分が会長をやりたくなかったのを理由をつけて水鷹になすりつけた。
瑠璃川の人間だということや水鷹の成長に期待するようなもっともらしいことを口にした。
本心からじゃない言葉でも俺はべつに罪悪感を持たずに吐き出せる。
自分の利益を守るためというこれ以上にない大義名分があるからだ。
けれども他人に危害を加えたかったわけじゃない。
自分が損をしないように立ちまわり人の利益をかすめ取りはするが貶める考えなど持ってはいない。
水鷹を傷つけようと思って会長職を押しつけたわけじゃなかった。
それを全部分かっていて水鷹は俺を責めなかった。
俺さえ会長になると頷いておけば何もかもが丸く収まった。
それを知りながらも俺は会長にならなかった。
なりたくないという理由だけでならなかった。
どれだけ言葉を重ねたところでわがままな子供と同じでやりたくないものはやりたくない。
高校に上がる前に仕方がないから引き受けてやると笑ったように水鷹は俺の本当にやりたくないことはちゃんと見抜いて引き受けてくれる。それで自分がくるしくなっても弱音は吐かない。自分の状況への不満は俺を責めることになってしまうと知っているから口をつぐんだ。
一方的に責任を押しつけてそのまま放置するのは気が咎めて中学の時に水鷹の様子をうかがったことがある。
睡眠不足になり風邪気味だと顔色の悪い水鷹はそれでも俺のせいでこうなったんだとは一度として言わなかった。
ただ俺は察してしまって水鷹が損をした分を埋めてやりたいと思った。
結果が俺たちの友情の始まりだ。
そのはずなのに最低最悪だとか無神経だとかバカだと思った上でも水鷹が俺を思って泣いていることが嬉しいと思えるほどに好きでたまらない。
恋なんかするものじゃなかったと後悔する一方で泣きながら水鷹が俺の手を握っていることに誰にともない優越感を持ってしまう。
自分の状況は分かっている。愛想つかしたいとも思ってる。
殴りつけてやりたいし罵倒してやりたいし絶対に許したくないのに俺の名前を涙声で口にする水鷹に溜め息を吐く。
他の誰かにされたのなら徹底的に復讐を誓ったかもしれないが相手が水鷹であるというだけで気持ちがフラットだ。
実感が湧いたり将来的に激しく落ち込む日もあるかもしれないが目覚めてすぐに号泣している水鷹を見たせいで感情の大部分が水鷹に持って行かれた。無意識に泣きやませるために頭を撫でて涙をぬぐってやっている。笑いながら「泣き顔ぶさいくすぎ」と茶化すぐらいの空元気だってある。
医師の言葉はショックだし何も聞きたくないのに俺よりも傷ついた様子で反応する水鷹に呆れかえった。
俺の頭はどうかしている。
瑠璃川水鷹なんて人間をここまで好きであるのは自分だけだと断言できるほどに頭がおかしい。
これがお前の顔なんか見たくないと水鷹と決別する最後のチャンスなのに俺は心のどこかで打算が働いている。
ここまでの被害を受けたんだから自分にもっと得があってもいいはずだと思ってる。
水鷹を手に入れることができる絶好の機会なんじゃないのかと脳内で計算が働く。
自分の身に起きた被害を直視したくないからこその悪知恵かもしれない。
ピンチをチャンスに変えるなんてどこかで聞いた珍しくもない言葉だ。
水鷹が泣くたびに思う。
そんなに泣いて悔むなら誠意を見せろと告げたくなる。
あふれでる仄暗い感情で水鷹を縛りつけて俺だけのものにしたい。
本当は水鷹が他人を抱くのを見るのはイヤだし、他人を用意するのだってうんざりしていた。
誰かを傷つけるかもしれないという人を思いやる気持ちは水鷹のために俺こそが傷ついているという勝手な考えを免罪符にして受け流していた。
純粋な気持ちで俺だけを求める相手はいくらでもいたし、水鷹よりも性格も立ち振る舞いもいい人間なんか数え切れないほど出会っている。
それでも俺は瑠璃川水鷹じゃないとダメなんだ。
人の気も知らず簡単に好きだと口に出して永遠に親友だと胸を張る自分以外の気持ちなんか見ちゃいない傲慢な男を愛している。この恋は救いようがない。
水鷹がまるで従者のごとく俺の荷物を持ってくれる。不気味すぎる。
今までどちらかがどちらかの荷物を持つなんてしたことがない。
じゃんけんやクイズなんかのゲームで荷物持ちを決めたことはあったかもしれないけれど自主的に水鷹が俺の荷物を持ってきたら荷物を漁りたいからだと邪推する。
ただ荷物を持つということが水鷹からすると反省の意思表明なんだろうというのはわかるので触れないでおく。
病院から学園に戻ってきた俺たちをどこまで事情が知れ渡っているのか生徒たちが遠巻きに見ていた。
水鷹がどんな処罰を受けるのか分からないが転入生の言い分で罪が軽減するのは目に見えている。
警察に被害届が出ていないならどうにでもなる。
転入生を丸めこむのはそう難しいことじゃないだろう。
話せばわかるのかはともかく根は悪いやつではなさそうだ。
情に訴えればどうとでもなる気がする。
そんな楽観を打ち破ってこその転入生であるらしい。
心配だと表情をゆがめたセンパイの会計と役立たずだった数合わせのような書記を後に引きつれて転入生がやってきた。
人目につかない場所で話をしようと切り出すよりも先に先制攻撃。相手は意外にも手練れだったのかもしれない。
「山波っ!! もう勃起できなくなったんだって!? だいじょうぶだ、オレが責任をとって嫁にもらう!」
大きな声で身体に発生した障害を暴露されて俺の心は絶大な被害を受けた。
転入生からの報復だろうか。
レイプ犯が水鷹だとバレているなら水鷹側の俺もまた敵だ。
だからこんな精神的な攻撃を受けている。
そうじゃないならさすがに納得できない。
名誉棄損で訴えて勝てる事例だ。でっちあげやデマではなく事実であっても人に言いふらしている今の状態は名誉棄損が成立するはずだ。
「勃起しないならもう男じゃないけど、だいじょうぶだ!!」
力強く俺の男としての価値を否定された。
俺の心は大丈夫じゃない。
深刻な打撃を今まさに受けている最中だ。
吐きそうだし泣きそうだ。
生きながらに死んでいる。
「オレがちゃんと責任をっ」
「藤高に触るな」
転入生が俺に向かって手を伸ばすのを水鷹が払いのける。
となりにいる水鷹がいつになく怒っているのがわかる。
自分を棚に上げるのが大得意の水鷹からすればどんな行動をとるのか目に見えている。
そして、だからこそ最低最悪のダメ男と思うのに嫌いになれない理由でもあるんだろう。
「なにすんだよっ」
「オレが怒るのは筋違いだと思うか?」
冷え切った水鷹の声に動揺したような転入生。
思わず後退しているのはそれだけ水鷹から出ているオーラが威圧的だからだろう。
基本的には軽いノリでチャラチャラしていて真面目要素がない水鷹だ。
いつも快楽を求めて遊びを見つけて子供みたいに笑ってる。
誰にとっても瑠璃川水鷹は絵に描いたようなお金持ちのおぼっちゃん。
世間を舐め切ったクソガキさま。
「てめぇの発言で傷ついた藤高のためにオレが怒るのはおかしいと思うか?」
「っ、おか、おかしいっ。おかしいに決まってる!! だって、おまえのせいじゃん」
「そうだな、そうかもしれねえよ」
かもじゃなくて確実に水鷹のせいだがあくまでも仮定で話すらしい。
自分を擁護するのが俺以上に得意なやつだ。拍手したくなってくる。
水鷹がこの場を引き受けてくれたことで俺は茶番劇を見届けるただの傍観者になる。
「まずは大前提を教えてやる」
「はあ?」
胡散臭そうに水鷹を見る転入生。
バカバカしいやりとりがバカバカしいからこそ俺を冷静にしてくれる。
吐き気は消えていく。
「オレはおかしいんだよ」
「なに言ってんだ、おまえ……」
転入生をドン引きさせながら水鷹は言葉を続ける。
これは実のところ転入生に向けた発言じゃない。
「おかしいのがオレなんだよ。誰がなんと言おうとオレはおかしい」
開き直る水鷹に静まり返った空間。
誰もがいぶかしんだ顔で事の成り行きを見守っていた。
自信満々に自分を卑下する言葉を吐き出す水鷹の頭を半分ぐらいの人間は心配してくれたかもしれない。
「おかしいからこそオレはオレの考えを堂々と主張させてもらう」
何を言うのかなんて分かりきっている。
いつでも瑠璃川水鷹に変わりはない。誰も代わりになんかなれない。
「人のイチモツ噛んだ上にインポだって言いふらしやがって死ね、ひき肉にするぞカスって思っている藤高はオレの親友だ」
「そこまで口悪くねえだろ、俺は」
「てめぇの髪の毛を全部引っこ抜いてホウキを作ってやりてぇって思ってる藤高とオレは親友だ」
「水鷹もっと詩的な表現をしろよ」
「脳みそ吸い出しても同じ状況におとしいれてもこの苛立ちは消え去らねえって思ってる恨むと根深い藤高だがオレの親友だ」
「詩的表現が脳みそとかおまえの脳みそ溶けてるだろ」
「憎しみで人を殺しだしたとしてもオレは絶対に藤高の親友をやめない」
親友以外になれないという痛みを覚えたとしても転入生に与えられた痛みは消えている。
悔しさも惨めさも耳をふさぎたいような感覚すらも全部が水鷹の質の悪いジョークに上書きされていく。
「藤高に夢見てるおまえに出来る責任の取り方なんて藤高の視界に映らないことぐらいなんだって分かれよ」
これは俺のための喜劇。
誰も笑えなかったとしても俺の笑いのツボを直球で攻めてくる。
他の誰でもない加害者の立場である瑠璃川水鷹が被害者である俺の気持ちを代弁してもう一人の被害者である転入生を責めている。
最低最悪に悪趣味だけれど俺の気持ちは最高にスッとする。
バカみたいだと腹を抱えて笑いたくなる。
公衆の面前で転入生に話を切りだされたことも斜め上のフォローも苛立ちしか湧かない発言の全部を水鷹は塗りつぶす。
俺が吐き出さずにいた感情の一部をすくいとってさらけ出して肯定する。
全部なにもかもを分かっているというように笑って終わらせる。
水鷹が口にすることで俺の感情は濁ったドブ臭いものからどこにでもある不平不満やちょっとした悪口に軽減する。
俺にとって俺の感情は笑い飛ばせない深刻なものだが水鷹が言うとたいしたことがないように思えてくる。心は救われる。
「瑠璃川水鷹は頭がおかしく面の皮も厚いから藤高に嫌がられても隣をキープっすけど、おまえは無理だろ。藤高に笑顔で死ねって言われたら泣いちゃうぐらいのメンタルだろ。貧弱貧弱。藤高の近くにいる人間として豆腐メンタルはノーサンキュー。ゴミが人間語をしゃべんなよって言われてビビらないでいられる? 無理だろ?」
「そんなこと言ったことねえけどな」
転入生に向かって言っている言葉に俺が返事をする。
元々が転入生に向けたように見せかけた俺に対してのパフォーマンスなのでこれでいい。
「水鷹ほど俺は口が悪くない」
「いーや、オレは感じるね。藤高が藤高さまって呼ばれるのはオーラが『様をつけろよ』って言ってるからだ」
「妄想おつ」
「視線で死ねって言われて耐えられる人間以外は藤高と居ようと思うんじゃねえーよ。おこがましいにもほどがあるっ」
転入生を指さしての言葉は狂人を自称するだけあってメチャクチャだ。
それでも、多少はそのとおりなので否定は一切しない。
俺に不利益をもたらす存在は消えろと思ってるのは事実だ。
わざとらしく恥をかかせてきた転入生は被害者だと分かった上で死ねと思ってる。
大声で俺の状況を知らしめることで逃げ場をふさいだのかもしれないが水鷹がいっしょにいることの意味を知らない。
水鷹が俺が望まないだろうことを見過ごすわけもない。なにせ、本人が連呼している通りに親友だからだ。
友達のことは当然庇ってくれるわけだ。どれだけ自分が泥をかぶる形になったとしても引かない。
水鷹はそういう人間だ。
「それに藤高に処理の相手が必要だって言うなら他の誰でもないパーフェクトなイケメンがここにいるだろ」
「まさか会計のことか? センパイを立てることを覚えたのか?」
センパイは話題を振られると思わなかったのか心底おどろいた顔をして飛び上がった。
ここで俺を抱きたいといったネタで乗ってこないあたりがまだまだだ。
俺たちの会話に転入生も含めて誰もついてこれていないがそれこそが狙いでもある。
「藤高の水鷹くんがいるでしょ!! 大親友の! 大大大親友の水鷹くんがいるでしょ!?」
「あれ? 俺の知ってる水鷹って瑠璃川水鷹しかいねえんだけど?」
「オレだよ、イケメンだよ! 格好よさ日本一に自分で認定してるハイパーイケメンだよ」
「ただのクソナルシストじゃねえか」
俺の言葉に水鷹はうなずいた。
どうやらクソナルシストだったらしい。
「大半の人間は藤高を格好いいだけの奴だと勘違いするけどな、実際のところはこんなにもクレイジーだ」
「それで?」
「結論から言うと、転入生……残念だったな」
水鷹が俺の左手を転入生に見せつける。
「責任はオレが、この瑠璃川水鷹がとる。入籍もすでに済ませている」
「う、うそだっ!! 山波とはオレがっ」
「人の話をちゃんと聞け。藤高はすでに瑠璃川藤高だって言ってるだろ」
ちなみにこれは当然のように茶番だ。
転入生に見せる直前に水鷹が俺に指輪をはめてきた。
前戯はしない雑な男だが不器用ではない。余興で手品をするとなかなか上手かった。注目を集めて黄色い声援を受けるためなら努力できる水鷹だ。
俺としてはツッコミよりも転入生を追い払いたい。
すでにかなりの優先したい事柄として転入生との絶縁が俺の中で持ち上がっている。
だから、水鷹の話に乗らない手はない。
「海外暮らしのおまえならわかるだろ」
よくわからない援護射撃でも他でもない俺が口にしたことで水鷹の発言を肯定したことになる。
予想以上に転入生には効果が抜群だったらしく泣きながら背後にいた会計と書記を殴りつけた。
水鷹の件では被害者だがこの混乱からの謎の暴力は一方的な加害とみていい。
転入生の免責はそのまま水鷹の罪を軽くするための材料になる。
何の役にも立たないセンパイだと思ったが意外に仕事をした。
「おうおう、悪徳弁護士みたいな顔してるぅ。藤高さま、そちも悪よのう」
「わざと煽ててこうもってっただろ。ホントは泣いて逃げだしてほしかったのか」
水鷹は笑いながら「藤高の親友ですから」と口にする。
俺の親友だと性格が悪くなるみたいな言い方はどうなんだ。
泣きながらあばれだしている情緒不安定な転入生を周囲の人間がとりおさえるのを横目で見ながら完全なる被害者の扱いになっている俺が水鷹のそばにいる理由は言いふらさなくても誰もが察するだろう。
結婚するかはともかくとして二人は付き合いだしたんじゃないのか、と。