惨めな気持ちと喜びが同じだけ湧き上がる。心が助けてくれと叫んでいたのは、もう随分と昔の話だ。まさに今、求めていたくせに、いざ手を差し伸べられたら、どうして今なんだと悔しくなる。
 
 今の俺はもうあきらめてしまっている。生き続けるだけの気力がない。生きていくのは億劫すぎる。死にたいわけじゃない。けれど、生きていたくない。
 
 失敗した人生をただ過ごすなんて苦痛すぎる。
 過去に戻って助けてくれる誰かに出会えたのなら頑張れたかもしれないが、もう手遅れだ。
 嬉しかったのに、嬉しいからこそ、優しさが痛い。
 
「起き上がれないなら支えましょうか」
 
 だらりと垂れさがった俺の手をヒロさんと呼ばれていた子は意外にも強引に握った。
 遠慮したような声音に反して俺に触れる手は力強い。
 
「腕を痛めてるわけじゃないですね? じゃあ、行きましょうか」
 
 重そうなバッグを持っているヒロさんに引きずられるようにして俺は謎のマンションにやってきた。
 さびれていて、暗く、誰も住んでいるようには思えない場所だ。
 コンビニの周辺は大きな工場が閉鎖してゴーストタウンと化した場所がある。
 この静まり返った住宅地は他県から肝試しのためにやってくる物好きやヤンキーのたまり場になっていると聞く。
 
 玄関で立ち尽くす俺にヒロさんは手招く。
 照れくさそうに「ここ、無断で使ってるんじゃなくて友達の家だから」と笑う。
 堂々と入っていながら自分の家ではないことが、気まずいらしい。
 少年らしさが見えて安心する。
 落ち着いて本を読む場所が欲しいと話したら使っていいと言われたという。
 生活感がないので友達は住んでいるのではなく家を所有しているのだろう。もしかしたら、マンション全てが彼の友達の家かもしれない。
 
 
「……俺のこと、もしかして知ってた?」
「えっと、ヒロさん?」
「呼び捨てで構わないですよ。お世話になってます」
 
 見た目に反してちゃんとしている。
 堅苦しくない程度に俺を年上として扱うし、値踏みするような失礼な視線を向けてくることがない。
 武道をやっている人の独特の厳しさのようなオーラがあるけれど、威圧感はない。先程の照れた笑顔を見たからだろうか。
 一見して髪型も服装もただのお洒落さんでヤンキーっぽくない。一緒にいる子は月森と名乗った。彼の制服は進学校のものだ。塾帰りとクラブ帰り対照的で今どきっぽい二人だ。
 
「川田さんでしたっけ?」
「いや、五月雨《さみだれ》だよ。五月に雨で、さみだれ。コンビニの時につけてる名前は昔の店員のやつ。俺のも作るって言ってくれてたんだけど、五月雨って読めなかったりもして面倒があるから」
 
 最初にからかわれたのは名前からだった。仕方がないとどこか自分でも納得して受け流していた。珍しい名前は目を引くものだ。ずっとその話題でかわかい続けるなんて出来るわけがない。反応してターゲット認定されて、話を引っ張るよりも穏便に済ませるべきだ。その計算は失敗だった。
 
「五月雨さんは言い難いから、サツキさんとかになりそうかもね。あるいはアメさん」
「さー君なら、いいんじゃない」
 
 何がだと月森くんに対して思う一方で、親しげに話しかけてくれる他人がいることに救われる。
 コンビニに来るヤンキーはみんな優しかった。態度の悪い子も俺の仕事の遅さが原因の苛立ちだったりするので、素直なだけだとも言える。周りがきちんと注意していたので、落ち込んだ気持ちを引きずることはなかった。
 
「あいつら馬鹿だけど人が嫌がることはするなって言ってるので、人の名前イジったりしませんよ」
「バカだから人が何を嫌がるのか分からない子もいるけどね」
「……物知らずな一部を除いて、人が嫌がると分かって上で行動するやつはいません」
 
 二人の言い分はわかる。コンビニに来るヤンキーは入店時に騒がしかったとしても俺の視線に一瞬で声を落としたり、頭を下げることができる子ばかりだ。反発して「何見てんだよ」と言ってこない。見た目がヤンキーで、喧嘩上等と言いながらもコンビニの中で暴れることはない。
 
「それをわかった上でも俺はきっと川田っていう名札で自分を守りたかったんだ」
 
 大人びて見えても子供なのに三十手前の大人が懺悔している。
 気持ちが悪くて情けない。カーテンのない窓から見える外は驚くほどに暗くなっている。
 いつの間にか雨雲が迫って来ていた。
 俺が窓を見ていることに気づいたヒロさんは「大丈夫かな」とつぶやいた。
 
「今日は台風だって予報、知ってました?」
「知らない」
「あそこで寝てたからバイトのシフトはないと思いますけど、朝一シフト入ってるなら今のうちに連絡した方がいいですよ」
「そんなに酷いんだ……」
「ここら辺は直撃コースだから。公園にいたら死んだかも」
 
 淡々と言うヒロさんは雨に濡れる前に俺を移動させたというより、命を救ってくれたらしい。
 大きめの雷の音に死を感じる。
 あの時の俺は雨が降ったとしてもベンチから立ち上がれなかった。
 どうでも良かった。天気予報だって見ちゃいない。自分のことも、世界のことも、どうでもいい。
 
「ヒマつぶしの本はあるから、読みたいものがあったらどうぞ」
 
 ヒロさんが持っていた重そうなバッグから出てきたのは、多種多様な本だった。
 分厚いミステリー小説から少女向け小説、世界の偉人シリーズやビジネス書籍。
 俺が手にしたのは「人から好かれる立ち振る舞い」という本。
 ヒロさんらしくはないが、ヒロさんらしいのかもしれない。
 人から好かれないと人を動かすことはできない。
 
「それはあんまり役に立たないと思う。俺の行動と真逆なことが多いから、参考にならない」
「ヒロの場合は、ただしヒロに限るってやつだよね。ただしイケメンに限ると同じで普通の人は同じ行動をしちゃダメなやつ」
「それ、久道にも言われたけどな。俺以外だって構わないはずだ」
 
 ヒロさんが「な?」と俺に向けて同意を求めてくるが、否定も肯定も出来ない。
 
「俺に、ふつうの、人は声をかけないと思う。ココに連れてきたりも、きっと、しない」
 
 声が震える。
 あちらから話題を振られて、あいづちを打っていた時と比べて自分の考えを口にするのは恐怖があった。
 俺は今、何を恐れているんだろう。

 このままコンビニに戻って同窓会のことを忘れられると期待してるのかもしれない。
 ヒロさんと仲良くなったら、コンビニでどんなヤンキーに対してもビクビクとした対応にならずに済むかもしれない。
 そういったことを考えていることもある。つきまとう打算を見透かされて幻滅されたら嫌だ。失望されるのは嫌だ。ガッカリされて、お前はその程度なんだと値踏みされるのも嫌だ。底辺で這いずっている負け組だと思い知らされるのは嫌だ。
 
 嫌なことばかりが俺の現実だと思い知るのはもうウンザリだ。
 
 何も言わずに黙ったまま生きることを諦めて公園のベンチで眠っていればよかった。
 稲光に、雷鳴に、心臓がドキドキする。
 俺はまだ生きている。
 
「生きることを、あきらめたのに」
 
 月森くんがテレビをつける。
 ちょうど俺が寝ていたベンチに似た場所が沈んでいくのが見える。
 風でブランコが舞い上がった。
 
「僕たちが移動した後に誰かが撮影したものをSNSに投稿してバズったからテレビでも取り上げられたみたい」
「あそこ、他よりも低かったからな」
「ヒロが積乱雲を見て慌ててたのは正しかったね」
 
 想像でも、妄想でもなく、本当に俺は助けられていた。にもかかわらず、まるで、そんな必要はなかったかのように失礼なことを言い出した。
 
「生きることを諦めたのにまだ生きてるって凄いことじゃない? 一度死んだようなものなら、もうこの先ずっと怖いものなしだな」
 
 無邪気に笑うヒロさんに涙腺が刺激される。
 
 大丈夫かと聞いて欲しかった。
 これから先も大丈夫だと言って欲しかった。
 俺は俺をどう頑張っても負け犬の失敗作としか思えないから、違うのだと他人に言って欲しくなる。
 
 甘く優しい偽りの言葉はいらないのに望んでしまう。
 
 お世辞も腫物に触る態度も全部が全部優しくない。
 苛められている俺を見る周囲の目を思い出して萎縮する。
 カワイソウで惨めなこうはなりたくない見本として俺を見ている。
 
「百歳以上も生きる人がいるから、第二の人生が他の人より早めでもいいんじゃない」
 
 普通は第二の人生というのは定年後のことを言うんだろう。
 けれど、確かに俺の中で高校までの人生とコンビニのバイトをしていた半年間は地続きでありながら違っていた。
 普通に生きていけるんだとこの半年ほどで思うことができるようになっていた。
 
「もし、自分に何もないって言うなら、どうして何もないって感じたのか教えてくれます? 外に出れないから、どうせなら話をしませんか」
「……なんで?」
「守るべき秘密はないと思ったから? 自分を大きく見せようとかで事実に脚色を加えたりしそうにないから、きっと面白い話が聞けると思って」
 
 好奇心を前面に出すヒロさんに悪気はないんだろう。それにこのぐらいの軽さがある方が俺も救われる。
 悩み相談など子供にできない。そのぐらいのプライドはある。けれど、俺に起きたことを語るのならば、面白くなくとも彼の好奇心を満たすことはできるだろう。
 
 ヒロさんが探しているのはヒマつぶしなんだろう。
 大量の本から考えれば分かることだ。
 台風で外に行くことができないから、その間に時間つぶしに俺の話を聞いてくれる。
 助けてもらったのだから、そのぐらいやらなければいけない気もする。
 
 お金や感謝の言葉よりもきっと、俺だけがヒロさんにできることをヒロさんは無意識に選んだのだ。
 月森くんが電子レンジでたこ焼きを温めて出してきた。
 いつ停電が起こってもいいようにと冷凍食品を温めていくらしい。
 俺の話が長くなっても二人は聞いてくれる気がした。
 
 
2018/09/25

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