9 双子の弟は依存系M気質?
大智に電撃を食らわせることができない俺を牧さんは責めなかった。
仕方がないというように大智を後ろから羽交い絞めにして引きずる。
酔っぱらいの連行の仕方だと友人から聞いた気がする。
顔を上に上げさせていることで吐かれないで済む。
暴漢に向けた対策にしても殴られないでいいのかもしれない。
最初は嫌がった大智だが牧さんが何か囁くとおとなしくなった。
風呂場に連れて行くようだ。
学生時代の風紀の経験によって牧さんはこういったトラブルが対処できるんだろう。焦ることもなく淡々としている。頼りがいがありすぎて逆に俺は居心地が悪くなる。
口にせずにいる俺の過去の出来事や悩みは牧さんからすると取るに足りないものかもしれない。
それに安心は覚えない。
一緒に悩んでもらいたいわけではないけれど、たいしたことじゃないと言われたらショックだろう。
お湯の張っていない浴槽で膝を抱える大智の姿は胸に痛い。
牧さんがシャワーを浴びたので湿った浴室にも大智は構っていられないようだ。
脱げかけの服をそのままにして座り込んでいる。
身体が苦しいのか耐えるように唇を噛みしめている。
薬の効果は使ったことがない俺にはよくわからない。
ただ大智の姿から見て悪いものなのは間違いない。
それでも俺に出来ることはない。大智を楽にしてやれない。
大智を抱くことも抱かれることも選んでやれない。
たとえ大智を助けるためとはいえ、越えてはならない一線はある。
つらくても薬が抜けるのを待ってもらうしかない。
牧さんが清涼飲料水やお茶の入ったペットボトルを持ってきた。
血中の薬の濃度を下げるために水分を取るのが良いらしい。
その説明を聞いているのかいないのか大智は泣きだした。
頭を撫でてやりたくなるが、牧さんに無言で止められる。
耐えている大智の邪魔をするんじゃないと牧さんの瞳が言っている気がした。
俺に気をつかったのか大智は「放置プレイされてるって思ってがんばる」と口にする。
知らない間に俺がプレイに参加しているのか、大智の想像上の誰かに放置されている設定なのか怖くて聞けない。
「双子の弟として俺はちゃんと大智を大切に思ってる」
泣きながら身体を痙攣させる大智。
喘ぐように熱い息を吐き出す。
本当に放置プレイ設定で乗り切るつもりなのか俺に触れてこようとはしなかった。
涙を流しながらも「だいじょうぶだ」と告げる俺の言葉にうなずいた。
なにも大丈夫じゃなくても大智は信じてしまう。根拠なんていらない。
大智はいつだってそういう奴だった。
師範代やコーチなんかが「勝てる」と言ったら勝つ。
それをバカとは言えない。
しゃくりあげるような泣き声は風呂の扉を閉めても聞こえた。
大智に悪いところはいくらだってあるかもしれない。
物事を深く考えないとか、自分の言動を見直さないなんていうのはもちろん短所だ。
けれど、大智は人の言葉を素直に聞くし人の輪の中に積極的に入って行ける社交性を持っている。
俺が二の足を踏むようなことも大智は良くも悪くも簡単に出来てしまう。
悪いところだけがある人間じゃない。
長所も短所もある俺の双子の弟だ。
そう思うと今の大智の姿は他人事として処理することはできない。
牧さんは瑠璃川さんに連絡をとった。
引っ越すための物件を見に瑠璃川さんは近くにいたらしい。
あの状態の大智に会わせるのは不安だが、大智がおかしな行動に出ないように監視する人間は必要だ。
生徒会長をしていたこともあってお節介だが、大智に必要かもしれない。
ナルシストで自意識過剰ではあるが、少なくとも尾長さんのような悪人ではなかった。
それで終わりにしちゃいけない。
これは大智の話じゃない。大智だけの問題じゃない。
「尾長さんが全部悪いなんて言うつもりはありません」
そう言いながら俺は未開封の二リットルのペットボトルを尾長さんの腹の上に置く。
落とすという表現が正しいかもしれない。
蹴るのはスリッパを履いていても痛いし、踏むのは罪悪感がある。
電気ショックから意識を取り戻した尾長さんの腹の上でペットボトルを跳ねさせる。
腹に力を入れていたらたいして痛くない。
でも、俺の苛立った感情は伝わるはずだ。
今まで暴力的だったり攻撃的な部分を尾長さんに見せたことはない。
彼の前ではずっと年上の恋人に好かれたいと思って優等生として過ごしていた。
大智に対して思うところがあることも表に出さないようにしていた。
浮気に傷ついたことも、それを理解されないことも、きちんと伝えようとはしなかった。
向き合うことでもっと傷つくと思っていた。
尾長さんと大智から俺は自分の感情を理解してくれない相手だと感じ取って切り捨てていた。
分かり合う努力をするだけ無駄な相手だと距離を置いて自然消滅を選んだ。
「俺のことはまだいいです。でも、大智をあんなふうにしたのは許せない。許すべきじゃなかった」
双子の弟の交友関係なんて俺が口を出すことじゃないと思っていた。
尾長さんと続くなら続けばいいと突き放した考えで関わろうとしなかったのは間違いだった。
大智が非常識なことをしていると分かった時点で俺は口をはさむべきだったし、おかしいものはおかしいと主張するべきだった。
おかしいものを放置して見なかったことにしても勝手に普通のは戻らない。おかしいものはおかしいまま育っていく。
大智の問題を大智だけの問題だと思うべきじゃなかった。
家族である大智を俺は最終的に見捨てられない。口では大智も悪いと言いながら気持ちは百パーセント尾長さんを責めていた。
大智の泣き声にもらい泣きしたくなるほど心が揺れる。
双子の弟は美つの人間でも他人じゃない。家族だ。それなのに俺は大智のことを全部、他人事にしようとした。
他人事だから大智のことは何も知らない。自分でどうにかしろと思って連絡を絶っていた。
別人格だから何しても自分の責任は自分で持つべきだと俺の考えを押しつけた。
大智と俺は違う考えだ。
だからこそ、俺は俺の考えをきちんと大智に伝えないといけなかった。
嫌なことは嫌で、出来ないことは出来ないとハッキリと口にするべきだった。
噛み合わない会話に諦めるのではなく大智の不安や不満もわかってやるべきだ。
ゼリーとプリンのどちらかだけを食べることになっても大智が欲しがれば一口ぐらいは分け与えてしまう。
要領がよく自分勝手だと思いながらも俺は折れてしまう。
今まで折れるのが嫌だと思っていた。
大智ばかりが得をしているようで不公平さを覚えるのだ。
全部が大智の思い通りになっていて俺だけが不自由な感覚に絡め取られる。
でも、そういうことじゃない。
大智もまた俺に構われたいとかそういう気持ちによって自由とは程遠い場所にいた。
双子でも別人だと誰よりも俺が分かっていた。
そのはずなのに心のどこかで大智に俺の考えを理解しろと押しつけていた。
大智の非常識さだけを理由にして話し合いを避けたわけじゃない。
根底に一緒に育ったにもかかわらず考え方が違いすぎてしまったことへの不快感が絶対にあった。
俺は長いことこのことを見ないふりをしていた。
大智に感じる劣等感なんて「どうして俺の気持ちが分からないんだ」と騒ぐ気持ちから目をそらせるためのものでしかない。
大智に嫉妬しても、大智が努力家な頑張り屋なことを知っているので不公平だとは思わない。
素直に気持ちを口にすることだって悪いこととは感じていない。
大智の嫌な部分は尾長さんが並べ立てた性的な部分でも、牧さんが指摘した子供っぽいところでもない。
自分に合わせてくれと俺を引き寄せて俺自身の気持ちを無視しようとするところだ。
小学校のころは言わなくてもお互いの考えは分かることが多かった。
中学も今も言い合っても大智の考えがわからない。
話していても伝わる気がしない。
会話を諦めないといけないことは悲しかった。
それを誤魔化すために大智の言動が嫌だと思うようになった。
大智は俺の態度に人恋しさから他人との性行為をして、俺は逆に大智を含めて人との距離を開けた。
俺と大智は同じ軸にある反対側にいったからこそ、お互いの行動におかしさを覚えた。
誰もが人と理解しあえるわけじゃない。
だとしても、理解できなくても見捨てたり切り捨てたりするべきじゃなかった。
牧さんに言われて背中を撫でたときの方が俺の気持ちは大智に伝わった気がする。
俺が見ないふりをしていたのは大智じゃない。尾長さんでもない。俺自身だ。今まで自分を正当化しすぎて非常識なやつらなんか知らないと考えることを止めて逃げたのが悪い。当時は子供であれ以上は無理だとしても大智とだけは向き合うべきだった。
尾長さんがマンションのセキュリティーを突破して、ここにいるのは大智が引き入れたからだ。
大智がこの家に来たのは俺が居たからだ。
俺が大智と向き合わなかったら何年たってもいつまでも変わらない。
同じことを少し違った形で繰り返すだけだ。
普通ならそれはおかしいと言い切れる。でも、相手は大智だ。大智なら俺と会いたいという理由だけでどんな無茶でも平気でする。さびしいと訴えるためだけに自分の体を犠牲にできる人間だ。
牧さんが自分に任せてくれても大丈夫だと言うけれど、きちんとした別れが俺と尾長さんには必要だ。
中学三年にやりのこしたことを始めないとならない。