三十二

 前会長のセンパイから「揃いも揃って根深い人間不信者だな」と俺と水鷹を指して言われた。
 そんなことは知ってはいたけれど、という含みの持った言い方だった。
 言わずにはいられなかったけれど気にしていない、こだわっていないという顔をするセンパイは大人ぶりたい子供のようだ。そんな気遣いの仕方は不快じゃない。
 
 人の輪の中にいながら周囲の人を積極的に好きになれない。
 どこか欠陥でもあるように他人と深い関係になるのを避けていた。
 そこまで人に興味を持たず表面上だけの親切心を振りまいて自己保身の中にいた。
 
 俺にしても水鷹にしても外からどう見えたとしても根っこの部分で似通ったところがある。
 だから、なんだかんだで付き合いやすい。
 
 センパイは俺と水鷹の違いについて面白いことを言っていた。
 俺は人間嫌いでありながら人に期待をして点数を加点しようとしているけれど水鷹は逆。
 様々なハードルを用意して減点方式で採点して人間はくだらないという結論に持っていこうとする。
 そういったものが透けているからこそ水鷹を嫌う人間が出てくる。
 
 水鷹は他人がもたらす快感を評価はしても人間性への評価が厳しいどころかゼロだ。
 俺以上に冷ややかに他人を見ている。
 他人をわかりやすく見下し侮り傷つけようとするのは俺に対する愛がどうとかいう話以前に他人を重要だと思っていないからだ。他人の価値を軽く見ているからこそ水鷹はクズでしかない自分勝手な立ち振る舞いが出来る。
 
 センパイは呆れながらもどこか羨ましそうに妬ましそうに「おれは他人にそこまで絶望してないし見限ってもいないから藤高を理解しきれない」と笑った。突き放すようなものではなくどこか温かさがあるのは水鷹が出てこなかった場合の厄介ごとを全部かぶってくれる覚悟があったからこそだ。
 
 俺に向けたセンパイの愛情というものがどの程度でどういうものなのかは今回のことがなければ分からなかった。
 レイたち親衛隊の本気度というものも知らずにいた。
 他人の感情を俺は理解するように努めなかった。
 知ることで得をするどころか身動きが取れなくなると思った。
 実際に水鷹に向ける愛情や信頼と同じものを求められても渡せない。
 羨ましくて妬ましくて納得がいかないと言われたところで水鷹とそれ以外の人間を同じようには見えない。
 水鷹のように俺に接するわけでもないのだから当然と言えば当然だった。
 
 それでも人から望まれ求められることが出来ないのはストレスになる。
 自分の感情を吐き出すことができないことが情けなく罪深い気がして身体が芯から冷えていった。
 俺を温めて楽にしてくれたのはいつだって水鷹だったからこそ俺の特別は水鷹だけだ。他人を同列に並べることはできない。
 
 水鷹への気持ちは今も変わらない。けれど、センパイがセンパイの価値観の中で俺を思って俺のために動いていてくれたことは分かっている。否定しようとは思わない。今は有り難く好意を受け入れられる。
 センパイはセンパイの行動の責任を俺が感じないでいいように気遣ってくれた。その優しさは偽物じゃない。
 
 自分はこれだけの犠牲を払って尽くしているのを理解してくれと言われることが俺は納得ができない。
 けれど、ありふれた日常のように周囲は俺に対してそういった振る舞いをする。
 妄想癖で他人を決めつけたわけじゃなく実際に俺のために水鷹を批判したり俺のために転入生に危害を加えようとしたり俺に不利益を働こうとする人間を排除する人間はいる。
 俺が頼まなくても彼らは動きそして誇らしげに自分のしたことをひけらかす。
 利用するときは利用するくせに人を傷つけて平気な人間に対して嫌悪が積み上げられる。
 俺を理由にして行動を起こす人間が気持ち悪かった。
 打算的な自己満足に付き合わされている気がしてならない。
 
 勝手に俺が連想してしまうせいでもある。
 
 俺のために山波の父と結婚したと言われたり、俺のために富士さんから精子の提供を受けたと言われたり、俺のために折角生まれた弟を捨ててもいいと言われたりすることに吐き気がする。
 時に嫌悪を覚えて苦手意識しか持てなくなっても母が嫌いなわけじゃない。
 そして、母の俺への愛を否定したくはないけれど無理矢理高値で押し売りをされている感覚は未だに消えない。
 母の行動はいつでも言外に「俺のため」とくっつけている。


『フジくんはどっちについて行きたい?』


 頭の中で繰り返される後悔と苛立ち。
 そんなことを俺に聞いてくるなと叫びたい気持ちと同時に叫んで訴えたところで理解してくれないだろうと思ってしまう。
 母に自分がひどいことを言っているとか俺が傷つくなんてことを思ってもいないのは知っている。
 だからこそ、この世の誰も俺を理解してくれないと絶望感に支配される。
 
 母はどこまでも悪意はなく俺のためを思っての行動をとっている。
 それを受け入れないでいる俺こそが悪人であり間違った存在であるような感覚に襲われて吐き気がする。
 
 何が正しく何が間違っているのか。
 俺が欲しいものや俺というものはそもそもなんであるのか輪郭がぼやけて掴めなくなる。
 すがりつくべき自分の名前も家も全部が嘘のようで気持ちが悪い。
 
 出来ることなら普通の立場でいたかった。
 波乱に富んだ人生なんていらなかった。
 実の父がべつにいるなんていう展開はいらない。
 父と母の子供というそれだけで良かった。
 自分の名前に疑問や苦痛を覚えたくなかった。
 どういう風に生きていくのか想像して心細さと空虚さを覚えたくなんてなかった。
 
 
「水鷹、おまえはバカだ」
「ベッドの上で初めてを前にして唐突な罵倒!?」
「何もしねえ内からスタンバイOKとかねえって。空気読めよ、そろそろ」
「呆れてちょっと『うわぁ』って引いてる藤高を前にしたら誰でも股間に血が集まるって!」
「ちょっと一人で抜いてこい」
「それって、てめー早漏なんだよっていう遠まわしな宣告!?」
「遠回しじゃなくてダイレクトに言ったつもりだ」
「さすが藤高格好いい! じゃなくて!! 藤高が居るのに一人さびしくとか無理っ」
 
 
 両手を胸の前で交差させて大きくバツを形作る水鷹。
 バカだがそのバカさ加減がいつもと何一つ変わりないことに安心する。
 俺が恐れつづけた変化は来ない。
 ある意味では望んだ状態になる。
 
 好きになってしまったから友達ではいられない。
 俺はずっと女や男を抱きたかったわけでも気持ち良くなりたかったわけでもない。
 水鷹を忘れるために誰かを愛そうと思ったことなんかないし、誰も代わりにならないと知っていた。

 だから、俺が望み続けていたのは水鷹に愛されるというシンプルなもの。
 もっと具体的に言うのなら俺と同じ気持ちと同じ方向性の愛情。
 
 ただの愛じゃない。俺が感じて思うだけの同じ温度の同じ色をしたもの。
 そんなものはありはしないと諦めたのは水鷹を好きだと強く思ったからじゃない。
 自分の気持ちがねじれて歪んで一筋縄ではいかないように感じていたからだ。
 それでもずっと期待していた。
 
「水鷹は俺を好きな自分が好きなんだよな」
 
 口に出して感じるのは呆れでも不快感でも嘲りでもなく安堵。
 俺は水鷹の考えに安心した。
 
「ちゃんと言ってこなかったけど、俺もだ」
 
 俺は水鷹の全部が好きというわけじゃない。
 最低のクズで人でなしだと思う。常識はない変人で考えなしのバカなところがある。
 それでも離れられないし水鷹のためにいろんなことをしてやりたくなる。
 
「俺も水鷹を好きな自分が好きだ」
 
 誰かを特別に好きになれる自分を知ってそんな自分が好きになれた。
 俺のために何かをするような人間を否定していたのに俺もまた水鷹のために何でもしてやりたくなるようなどこにでもいる普通の人間なんだと知ることが出来て気分が楽になった。
 自分だけが愛情を理解できないおかしな人間ではないことの証明がなされた。
 恋愛感情なんて無縁のままで一生が終わりそうな俺に水鷹は突きつけてきた。
 相手として最低最悪だけれど同時にだからこその最善だった。
 水鷹は俺と同じエゴイストだ。お互いに自覚し合ったらどんな理由があっても離れない。
 自分のために相手が必要だというのは普通の恋人同士としても思うことかもしれないが、自分をより愛するために相手を必要とすることを許し合って認め合って胸を張れるのは俺たちぐらいのものだろう。
 
「心臓を交換するっていうのは面白いな」
 
 水鷹の胸に手を置くと心臓の鼓動が感じられる。
 きっと俺の心臓も同じ速度で動いている。
 
「この先、俺はもう何も痛くない」
「だよね! オレの心臓は鋼鉄だから!! でも、藤高の心臓も強靭だと思う。転入生を血まみれにして平然としてるし」
「ただのマゾ野郎だと思ったから適当に悦ばせて使っていくのがいいと判断しただけだ」
「だけとか言っちゃう格好よさ!! さすがオレの藤高!」
「だろ?」
「毎秒惚れ続ける!!」
 
 照れているのかそういう過剰な演技なのか顔を両手で隠して悶える水鷹。
 水鷹は喜びしか発しない。
 今まで待たせたことに対する恨み言は一切ない。
 俺の中にある俺のことが好きなら他人に触るな裏切り者というような恨み言などはなさそうだ。
 前会長との仲を嫉妬するようなことは水鷹からたびたび言われはするが俺の中のどろついた感情よりも健全に見える。
 堂々と恥ずかしげもなく口に出しているせいか水鷹の中にあるものは薄暗く感じない。
 
 俺がもっと早く自分の気持ちを水鷹にぶつけるというのはありえない仮定だ。
 出来るはずもないことを想像するのは無駄な時間だがそれでも水鷹にだけは俺を責める権利があった。
 それでも、水鷹が俺に向ける感情は両思いになれて嬉しいという純粋な喜び。
 へらへらとした軽薄な笑いではなくしみじみと味わうような噛みしめる笑み。
 
 俺のずるさを水鷹が知っているのは会長を押しつけた俺を知りながら平然と友達面してそばにいてくれた時点で分かっていた。
 
 水鷹はどんなときでも俺を責めないし俺に責任を負わせない。
 俺のために動く自分が好きだからこそ水鷹が俺のために行動するのは自分のためだった。
 冗談の中に入れ込んだ本音を俺が受け取らなくても文句を言うこともない。
 
 水鷹は触れてほしいところにも触れないこともあるけれど、触れないでいてほしいところには絶対に触れてこない。
 俺にとって都合のいい存在であるのと同時に瑠璃川水鷹という自由人である雰囲気を捨てていない。
 水鷹が我慢をして俺のそばにいると思えない好き勝手さがあった。
 それがあるからこそ俺は愛情を押し売りされているという感覚を味わうことがない。
 
 俺はレイに対して水鷹が好きだと口にした。
 間接的な告白は間違いなく俺の逃げの形だが水鷹は俺を嫌ったり幻滅したりはしなかった。不満が募るものだったはずだが気にしていない。
 水鷹は相変わらず俺に愛を伝え続けようとすることをやめない。
 変わらないと確信できる愛はどれだけの犠牲の上に成り立っていたとしても安らぎを覚えるものになっていた。

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