もう夜は明けたのだと


※一部、暴力的な表現がございます。










「ねえ、花火しようよ」




 授業終わり宿泊所に戻ろうと歩いていた時、不意に硝子がそう声を掛けた。「コンビニで買ってこいよ」と悟が顔だけ硝子のほうへ向ける。




「えーめんどい」
「いいね、花火。たまには夏らしいことでもしようか」
「花火?」
「はぁ?お前、花火したことねぇの?」




 悟はどこか気怠そうに顔を上げ、「買いに行くぞ」と踵を翻した。「あれー。面倒なんじゃなかったっけ」と硝子が揶揄うように喉を鳴らす。悟はごく普通の手持ち花火を選んだ。
 辺りが暗くなるのを待って集合し、蝋燭に火をつけ、石畳の間に差し込む。なまえは花火を選ぶ3人を、ぼうっと眺めていた。




「ほら、なまえもおいでよ」
「、ありがとう」




 硝子に差し出された手持ち花火を受け取って蝋燭の火に近づければ、すぐさま花火の先から火花が噴出した。ざああ、と音を立てながら、夜闇を赤や黄色の火花が飛び交っていく。




「綺麗」
「でっしょー」
「おい、なまえ、こっち向けんな!あぶね!」
「あ、ごめん…」
「いい気味だ」
「あ?傑、もういっぺん言ってみろ」




 悟の両手から放たれた火花が空中を飛び交う中、硝子が「線香花火しようよ」と声を上げた。4人は円になってしゃがみ、線香花火を手元に垂らす。




「なまえ、知ってる?火玉が最後まで落ちなかったら、願い事叶うんだってー」
「願い事…」
「せーので火、つけようか」
「せーのっ」




 じくじくと音を立てながら線香花火の先端は真っ赤に丸まり、すぐさま火玉ができあった。その火玉から、ぱちん、と弾けるように火花が舞う。




「悟、揺らすな」
「は?俺はなんもやってねぇけどー」
「ちょっと!五条!」




 硝子の手元がゆらゆらと揺れ、火玉はあっけなく落ちてしまった。残る悟と傑、そしてなまえ。彼らの手元では、ぱちん、ぱちんと火花が舞い続けている。「綺麗」となまえが囁いた瞬間、集中力が途切れたのか、悟と傑の火玉が同時に落ちた。




「なまえ、頑張れ」




 硝子の声援になまえが少し困ったように眉尻を下げると、しゅわしゅわと音を立てながら火玉は小さくなり、そのまま落ちることなく萎んだ。なまえは、呼吸も瞬きも忘れたかのように、消えた花火を見つめ、瞼を閉じた。
 暗く沈んだなまえの視界に、ふつふつとこれまでの記憶が湧きあがる。夏の青空が眩しかったこと、電車に乗ったこと、隈に触れた傑の指先、色とりどりの火花。新しい記憶を重ねていくことに希望などなかった彼女は、初めて未来に向けて願いを込める。




「何を願ったんだい」




 傑が目を細め、なまえを捉える。なまえは顔を上げて「またみんなと花火できますように」と、呟いた。悟が「なんだよそれ」と舌打ち交じりに言う。蝋燭の火がゆらゆらと揺らめく。

 こんな感情なんて知りたくなかった。知らなければ、未来に期待をすることも、もっと彼らの傍にいたいと願うこともなかったはずなのに。なまえは、まるで真綿で首を絞められているかのようだ、と思った。













 その日の任務は、明らかに実力を超えていた。

 領域内に閉じ込められたなまえと傑は、既に複数の呪霊を祓ってはいたが、未だ本体ともいえる呪霊を探し出せないまま疲弊し切っていた。いったい何日、ここに居るのだろう。集中力が途切れた一瞬の隙を呪霊に突かれ、傑もなまえも負傷した。特に傑は重症で、手で押さえた脇腹からは鮮血が流れ、傑の手から零れるように地面を濡らす。なまえの腕は、まるで切り付けられたかのようにぱっくりと切れて血を流しており、死ぬことなど怖くなかったはずのなまえだったが、その拳はふるふると小刻みに震えている。




「傑、血が、」
「大丈夫だよ」
「でも、」
「とにかく…この状況は、まずいな、」




 冷静に受け答えをする傑だったが、その顔は痛みに歪んでいる。肌色はたちまち色を失い、ついに傑は足を止めて、地面に倒れこむように膝をついた。なまえがゆっくりと傑へ手を伸ばし、血に濡れた傑の手に重ねる。冷たいこの感覚を、なまえは嫌というほど知っていた。



「傑。私に考えがあるの」
「ふ、頼もしい、ね」
「ありったけの呪霊、私に預けて」
「…死ぬ気か?そんなことをしたら、君の呪力が、先に尽きる」
「お願い。信じて」
「手...震えているじゃないか」




 言われて目を向ければ、傑に添えられたなまえの手はふるふると、小刻みに震えていた。なまえは咄嗟に隠そうと腕を引こうとするが、その手を傑が掴む。どちらのものかもわからない血で、ぬるりと濡れる。膝をついた地面には血が水溜りのように滲み、傑がふらりと意識を失いそうになった時、唇に熱が落ちた。
 重ね合わせた唇。差し込まれたなまえの舌が傑の舌をなぞり、互いの唇から引き伸びた透明な糸が、ふたりを繋ぐ。そうしてなまえは、「大丈夫。とっても美味しくなるから」と、鮮血にまみれた自身の腕を傑の口元にずい、と持っていく。傑には彼女の行動が理解できなかったが、その身体は無意識に動き、先程まで接吻をしていたはずの舌先がなまえの血液を舐めとった。頭は拒否していたが、足腰の力が抜けていて傑は思うように手足を動かせない。彼女の血液を舐めとるたびに、傑の思考回路はまるで霧がかかっていくかのように遮断されていく。




「傑。格納している全ての呪霊をここに」




 ずるり、と傑の体内で格納されていた呪霊たちが顕現し、なまえの呪力で満たされていく。彼女は死ぬ気だ、と傑は思った。しかし、声も出せない。死ぬな、生きろと伝えなければいけないのに。「おやすみ」というなまえの柔らかな声に、傑の意識はそこで途切れてしまった。








ああ。もうだめだ。

 自身より数段重く大きな傑の身体を引きずるたびに、ぼたぼたと、傑ともなまえとも分からない血が地面に染みていった。閉じ込められていた領域はどうやら不完全だったようで、ようやく見つけたほんの僅かな出口に向かってなまえは傑を引き摺っている。
 あと少し、というところで、ついに地面に膝をついたなまえには、その手で抱える傑の輪郭すら朧気で認識できていない。なまえは手で顔を覆い、その場にうずくまった。きっと、傑も自分も、ここで死ぬのだろう。また、死を目の当たりにしてしまう。空はこんなにも青く澄んでいるのに、私は優しくしてくれた人を守ることもできず、大切にしたいものを奪われるのだ。


 ふと気配を感じて見上げると、そこには、自らが使役する女の呪霊がいた。ただそこに存在しているだけなのか、それとも、命を枯らそうとしている自分を食らおうと待っているのか。なまえは力なく笑って、まるで残る生命をすべて絞り出すかのようにその呪霊に最後の呪力を注ぎ込み、「お願い」と呟く。




「…傑を守って、お母さん」




 ぼんやりした意識のなかで、傑は、その彼女の声を聞いた。靄がかかったような視界の端に、彼女の白く細い腕が見え、ぐっしょりと血に濡れたその身体は、まるで傑を守るかのように覆いかぶさる。意識がまた遠のいていく。声が出ない。身体中の痛みはなかったが、動きもしない。なんとかしなければ、彼女が死んでしまう。早く、助けなければ。彼女の呪力が、生命が尽きてしまう前に、










「…っ、なまえ!」




 飛び起きた傑は、あたりを見回す。どうやら高専の診療所のようで、全身ぐっしょりと汗が滲んでいる。血塗れだった横腹の傷は反転術式で治療されたのか、綺麗に塞がっていた。消毒用のアルコールの匂いに交じって、血の匂いがする。ふと隣のベッドを見遣るとそこには赤黒く乾いた血飛沫が滲んでおり、傑には、なまえの痕跡のように思えた。




「傑」
「…悟、か」
「何日も帰ってこねぇから、助けに行ってやったらこのザマかよ」
「なまえは、」
「生きてる。お前のこと抱えて倒れてたのを見つけて、連れて帰ってきた」
「そう、か…よかった。それで、彼女はどこに」
「…いねぇよ」
「…どういうことだ」
「あの後、あいつの使役していた呪霊が暴走した。そのおかげで本体の呪霊は祓われて、俺もお前らを見つけることができたんだけど」
「なまえは」
「死刑対象だと」
「、は?」
「それで、禪院家が迎えに来たよ。保護するとか言って」
「君は、彼女を禪院家に渡したのか?」
「ここに留まったって、どのみち死刑だ。禪院家での監視を条件にあいつは死刑にならずに済んだ」
「…悟。本気で言ってるのか」
「ていうか、傑。お前に何ができんの?」




 傑が睨むような視線を悟に送ると、悟はハッと鼻で笑った。












(2023.11.29)









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