※ほとんど夢主の話なので飛ばしても大丈夫です。


「ディーヴァジャパン…私が?!」

と、驚いて見せたものの、まだまだ浅はかだった中学3年生の私は内心、当然でしょという気持ちだった。
数々の大会でグランプリをもらったし、人の何倍も努力している。
小学生のころから放課後に友達と遊んで過ごしたことはないし、土日や長期休暇にダラダラするなんてとんでもない。
なにもかもを新体操に捧げる生活を送ってきた。
それができた家柄、友達がいなくても勉強についていけなくても許してくれた寛容な両親。
私は恵まれていた。
恵まれていたのに、どうしてこんなに残酷なんだろうか。

新体操日本代表、通称ディーヴァジャパンに選ばれるということは、新体操を続ける限り大半の生活をロシアで送るということだ。
話をしたこともない年上のメンバーと、日本語も使えない極寒の地でひたすら練習に励む日々。
急な話に、私は選ばれて当然と思っていたのに、あからさまに躊躇った。

結局、すぐに決断できなかった私ではなく、少し年上の別の選手が選ばれた。
その人だって高校生だったはずなのに、即答したと聞いて余計にショックを受けた。

覚悟が圧倒的に足りなかった。

チャンスを逃した。

それからの私は勉強により多く精を出した。
ロシア語が学べて、新体操の練習が可能で、寮があるといい。
そんな理由で入学を果たしたのが、稲城実業高校だった。

1年くらい迷ったっていいだろう。
そう思っていたのに。
入学早々、ありったけの覚悟をつきつけられることになった。

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入学前に相談してはいたけれど、私の大会成績を提出すると、学校は快く施設を貸してくれた。
古い体育館だったけれど、もともと練習に大掛かりな準備が必要な競技でもないし、手具は自前のものがある。場所さえあれば十分だ。
古くても新しい場所で始めなおすことに、私はワクワクしていた。
入学してすぐに自宅から持ってきた手具を持ち込んで練習を終えた帰り、20時は過ぎていた。
帰り道少し怖いかも、なんて思いながら練習着から着替えて外に出ると、思いのほか明るかった。
扉を閉めていると聞こえなかったけれど、かすかに金属音がする。それと人の声。
何か特定するのに時間はかからなかった。

(そうか、稲実って野球が有名なんだった。)

帰り道が明るいのは助かる。
でもこんな時間に一人で歩いているところを見られて怪しく思われたくなかった。
なるべく見つからないようにしよう。
まずは地形把握。
体育館前の小さな小屋の影から様子を伺うと、すぐ近くに野球部のベンチがあった。
監督っぽい怖そうな人が後ろで手を組んで立っている。
私がそれを確認すると同時に、タイミングよくその人がグラウンドの選手たちを招集した。

(やっぱりあの人が監督なんだ。分かりやすいなぁ。)

なんて、少し笑っていたのもつかの間、集まった選手たちを見て一気に現実、いや、過去に引き戻された。
同じだ、と思った。
これから何もかもを捨てて野球に打ち込むのだ、この人たちは。
あの時私になかった覚悟を持つ人たちだ。

この時の私は、まだ少し目を背けていたかった。

それから自分史上最大にふわふわした1年を過ごした後、転機は訪れるのだった。


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