稲城実業高校の野球部はこの学校ではアイドルのようなものだ。
入学して1回目の夏、あっという間に甲子園出場を決め、テレビで活躍する同級生を見たときには驚いた。
稲実と言えば野球という印象はもちろんあったけど、私を含め野球にそれほど興味がなかった人たちも夏休があけたころには野球部を強く意識するようになっていた。
私もクラスの野球部員が誰なのかくらいは把握した。
それと、理由があって少しだけ、みんなより野球部のことをよく知っていた。


学園祭まであと1ヶ月と少し、クラスで係決めが行われた。
1年生は校内の装飾担当だったから多少余裕があるだろうということで、あまり活動が盛んな部活動に所属する人の考慮が少ないなとは思っていたけど、あろうことか野球部所属の白河くんにあてられた作業が大きかったように見えた。

いつも制服をきちんと着こなしていて静かだし、前髪で片目が見えないし、ほかの野球部に比べて少し線が細い彼は、あまり運動部のように見えないのかもしれない。
でも私は知っていた。
夏の甲子園が終わった今、多くの1年生が1軍入りを果たしたこと。
あの夏テレビで見た投手の成宮くんの調子が悪いこと。
ようするに、大事な時期なのだ。

チラリと見た白河くんは少し怪訝な顔をしているくらいで(いつもかも)特に意義を唱えたりはしなかった。
この時の私は”まだ”時間があった。
それとおこがましいけど、同じだと思っていた。
だから声をかけた。
周りに誰もいない時を見計らって、できるだけ自然に。

「ねえ、白河くんの担当になってる装飾、私ついでにやっておくよ。」

ついでに、は嘘だ。
貸しみたいにしたくなかったから、できるだけそう聞こえるようにつけただけ。
それとなるべく小さな声で、結構気を使って言ったのだけど、白河くんは一呼吸置いた後、顔をしかめたてこう言った。

「は?なんで?」

キッツ!
高校1年、初めて話すクラスメイトにこの仕打ち。
白河くんの周りにあまり人がいない理由が明確になっちゃたな…。

でも私だってキツいことなら言われ慣れている。
こんなことで怯まない、それくらいの覚悟で話かけたのだ。
同級生に話かけるのにそれなりの覚悟がいるっていうのも変な話だけど。

「1軍…。」

私がそう呟くと、細められていた白河くんの目がすこし開かれた。

「でしょ?」

「…………。」

「あっ、貸しとかじゃなくて。本当、私が勝手にやりたいだけ…。」

「…………。」

「…………………。」

「....勝手にやれば。」

沈黙の間、目を逸らさなかったのが功をなしたらしい。
でもなんでこっちがやらせてもらってるみたいになってるんだろうか。
流石というかなんというか。

白河くんてすごいなぁ。
と、初めて思ったのが野球以外のことになってしまった。
それから2年生に上がるまで、白河君とはほとんど話すことがなかった。


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