彼は聡明な子供であった。一を聞けば十を解し、スポーツのみならず日常においても完璧なまでの振る舞いをみせた。
彼は外の世界を知らなかった。彼は幼少期よりイシド自らが傍らに置き、養育した。
さながら息子か弟か、寵愛を受けた彼の名前を、黒裂真命と言った。

黒裂は眠っていた。
ホーリーロードの決勝戦、前半終了時までの記憶を留めたまま彼のなかで時は止まっていた。白い部屋にはベッドがひとつ、更にたった今ひとつ、ドアノブが軽薄な音をたてて回った。重い目蓋が否応なしに開く。光を処理しきれず眉根を寄せて白いドアをみれば、そこに千宮路大和が立っていた。

彼は何も語らなかった。
憤りだけを身に纏い、黒裂に歩み寄る。黒裂はこの後々、何が起こるかを不幸にも理解した。
「聖帝…イシドは、解任だ」
大和は黒裂の襟元を掴み上げ、そのまま壁に叩き付ける。
「雷門が、勝った…」
黒裂が呟くと、大和は身動ぎひとつしない黒裂に神経を逆撫でされる。
「驚いて見ろよ、なあ!お前の大好きな聖帝様とはお別れだ!行く宛もないお前なんざ、今ここで処分してやっても構わねえんだぞ!」
更に腹を蹴る。咳き込んで蹲った黒裂は、それでもなお大和に対して感情的になることはない。
「それなら、それでいい。俺は、構わない」
舌打ちして大和が黒裂に背を向ける。黒裂の立ち上がる音が、衣擦れの微かな音が、大和の背後で咳き込んではひびく。
「…最後に、伝えておく。お前の処遇は決まってる。悪いようにはされな…」

言いかけた大和の背に黒裂の小さな声がぬかるんだ泥のようにへばりついた。
「聖帝がお望みなら」
悪寒とともに振り向いた大和が見たものは、微笑む黒裂の足元に転がる肉片だった。

舌を咬み切った黒裂は微笑を浮かべたまま、大和の目の前で、既に姿を消した「聖帝」を、見つめていた。

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