窓の外は冬の枯れ木が三日月の光を浴びて、恐怖心を煽るほどに美しい影を刻んでいた。明天名はシーツただ一枚を身にまとわせて、足音も立てずにベッドから降りた。
「ようやく起きましたか。朝食をどうぞ」
在手が声をかける。
「…月が出ています、先輩」
「起床したのですから、はじめの食事は朝食でしょう」
そう言って明天名の椅子を引く。背や腰がぎしりと痛んだ。先ほどの情事のなごりの残る己の体を、明天名は疎ましく思った。
有無を言わせぬ朝食の、香ばしいパンのにおいが、うす暗いとばりのかかった電灯の下で揺らいでいる。引かれた椅子に、痛む体を預ける。
「さあ」
羽織ったシーツの袖口がわずらわしい。
「いただきましょう」
そっとパンをちぎる明天名を、バターを塗るその姿を、在手はただ見つめている。目玉焼きの黄身が破れてベーコンにかかる。少なめのドレッシングのかかったサラダを口に運ぶ。もとより量の少ない朝食である。静かにフォークを置いた明天名が紅茶に手を伸ばすより早く、在手がその手を遮った。彼のもう片方の手元には白い粉末の包みが乗せられている。遮った手はそのままに、在手は器用に片手で包みを開いた。
「これは毒です。もちろん致死量の」
「はい」
「紅茶をこちらへ」
「はい」
ためらう事もせず、明天名はティーカップを差し出し、在手は粉末をそれに入れ、ティースプーンでいく度か混ぜる。
「さあ、暖かいうちに」
「はい」
ティーカップに手をかける。大丈夫、この手は震えてはいない。恐ろしくはない。初めての情事の方が、恐ろしかったではないか。引き裂かれる苦痛の方が、少なからず好意を抱いていた「先輩」に犯される恐怖の方が、恐ろしかったではないか。それに勝る恐ろしさなどありはしないのだ。明天名は紅茶を、一息に飲み干した。
「あなたは素直ですね」
意識が朦朧としてくる。ああ、これで終わるのだと思った。
「毒など混ぜるものですか」
体勢が保てない。椅子からずり落ちそうになる明天名を抱え、在手は彼を再びベッドへ寝かせた。
「私がほんとうにあなたを殺す時は、あなたが毒を飲むのをためらったときでしょう」
窓の外で木の影が揺れた。飲んだのは睡眠薬か、明天名はぴくりとも動かない。在手が明天名の纏っていたシーツをそっと剥がし、厚手の布団をかけてやる。
「私も朝食に、紅茶をいただきましょう」
ティーポットから注がれたばかりの紅茶は温かく、食道を通る感覚が心地よい。
「朝まで眠りましょう、明天名」
暖かく、しかし動かぬ頬を撫でる。
テーブルの上に二つ並んだティーカップの残滓は、溶け切らなかった粉薬を残し、じきに乾くだろう。
朝日を浴びた枯れ木の、その恐ろしさを、明天名はまだ知らない。
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