平良の母は北欧人であった。母はもういない。おそらく今でも健やかに、誰か別の男性と家庭を築いているであろう。

平良の父は中学生まで平良を育てた。彼は時折夜中に平良を呼び出しては、その前に正座をさせた。
『どうしてお前は普通じゃないんだ?』
『どうしてお前は一番を取れないんだ?』
俺の息子なのだからやればできるのだ、と言われた。やらないからできないのだ、と時折殴られるし、手近な書籍などを投げられることもあった。
父は平良に将来の夢を訊いた。
『オリンピック選手になりたい』
父は言った。
『お前に才能はないよ』
『オリンピック選手なんてそうそうなれるもんじゃないよ、地元の趣味チームに入ってアルバイトで生活する人間になりたいのか?』
それでも平良は父が好きだった。父を愛していた。

平良は学校ではよく女子生徒に持て囃された。深い目蓋と通った鼻筋、その高い背に、優秀な成績に、魅了される生徒は多かった。

父は今日も平良を呼んだ。正座をする脚が痺れる。父はまた以前と同じ質問をした。
『お前は将来、何になりたいんだ?』
平良は答えられなかった。それでも答えた。
『…普通の人』
父は怒り、平良を殴った。お前には夢もないのか情けない、と言った。平良は父を愛していた。けれど、サッカーも愛していた。

平良は次の日にもごめんと言う。必死に書いたのであろう手紙すら受け取って貰えなかった女子生徒の涙に、平良の心は痛んだ。雨上がりの体育館裏の雑草は踏まれて、泥にすがりついていた。水溜まりに映る自分の顔は、確かに美しいと思った。
『どうしてお前は普通じゃないんだ?』
自分の顔は、母譲りの美しい、北欧人とのハーフのつくりの顔だと思った。

その夜平良は、自らの額にカッターナイフを押し当てた。人の肉のかたさを手のひらに感じながら、息を殺して強くカッターナイフを引いた。ぱっくりと開いた傷口から一瞬黄色い脂肪と何か白い筋が見えて、あとにふつふつと血がわいてきた。父は平良の傷を見て気が違ったのかといかり、精神科へ連れて行った。平良の精神に異常はなく、そして帰り道に父は、ごめんな、お父さんのせいだな、と泣いて平良を抱きしめた。何度も頭を撫でて抱きしめた。平良は父を愛していた。平良は父に頭を撫でられるのが好きだった。

額に傷痕のついた平良は、もう女子生徒に持て囃されることはなくなった。ただ、遠くからひそひそと平良のことを話しているのはわずかに聞こえた。平良はそれからずっと、期末テストの問題集を解いていた。
テストで平良は一位を取れなかった。父はまた、平良を呼んだ。正座をした膝にはいつも畳のあとがついていた。

平良が中学に上がるころ、平良の父が死んだ。平良は葬儀で泣かなかった。父を愛していたから、泣けなかったのだった。それでも足下から地面は崩れ落ちたような心持ちの日々は続き、平良はサッカーにひたすらうち込んだ。部活が終わっても河川敷でひたすらボールを蹴った。平良は劇的にサッカーが上手くなった。そうして、世宇子に入ったのだった。
平良は世宇子で絶大な力を得て、喜びを、自信を、恐ろしいまでの大きさのそれらを手に入れた。

『お前に才能はないよ』
平良は父を愛していた。
平良はずっと、父を愛しているだろう。
平良の父は、平良を抱きしめて頭をなでてくれた。
平良は父に頭を撫でられるのが、なによりも一番好きだった。


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