平良と出右手が事故で搬送され、奇跡的に軽症で済んだ平良の意識が戻った時、側へついていたのは歩星だった。
平良は今でも、意識を取り戻してそのはじめに言った言葉を覚えている。
――豊は、豊の脚は…大丈夫か?
平良の言葉に、読んでいた雑誌を落ち着かぬ様子で放り出して、慌ててナースコールを押してから、歩星は平良へ大丈夫か、気分はどうかとたずねた。そして駆け付けた外科医師から、平良は出右手の死亡を告げられた。
驚くほど冷静に平良は医師へ問うた。葬儀には出られますか、と。彼は答えた、明日の検査結果に問題が無ければ出席は可能であると。

ただ、ぼうっとした一週を過ごした。平良の検査結果に何ら問題は無く、葬儀に出席し、また経過観察のために病院へ戻った。その間ずっと平良のサポートをしてくれていたのも歩星だった。そして外科を退院したその日、平良はまた歩星へ訊いた。
――豊の脚は、いつ治る?

それから2日程して、平良は精神科へ入院させられた。目を離せば今にも出右手を外科へ探しに行きそうだと、開放病棟から閉鎖病棟へと即座に移された。恐らく精神科医は、平良がまだ出右手の死を受け入れられずにいるのだと、出右手は生きていると思い込んでしまっているのだと診た。そしてそれを、面会に来たチームメイトへ話した。今無理に平良へ現実を突き付ければ、精神状態が悪化する可能性がある。故に投薬治療で精神を安定させながら、平良に出右手のことを訊かれたら脚は大丈夫だから心配するなと答えた方がよい、と。その後精神状態が安定した上で、徐々に現実を受け入れさせてゆけばよい、と。

しかし平良には全てが分かっていた。出右手が死んだことも、初めてチームメイトが面会に来たときの様子から、自身がどのような診断を下されたのかすらも。
本当は知っていた。それでも生きていて欲しかった。けれど死んでしまった。だからあの鮮烈な記憶を和らげたくなどなかった。出右手豊その人を愛しているからこそ、その全てを平良は眼に、心に、焼き付けておきたいと思った。そして薬は破棄されていった。

平良は自らの判断が正しかったのだと確信した。出右手は平良の眼に再び映り、他愛ない会話をするその声を今、再び聴くこともできる。
自分が狂っているなど一度も思った事はない。自分は自分を、自分で選択して狂わせた。そしてその判断と選択は医師の目にも正しく思われた。平良は順調に快方へ向かっているとカルテにも記載された。平良の眼は再び焦点をあわせ、声は明るくなった。

それでも平良は足りなかった。保護室で漸く出右手と再び会話ができたあの日から、平良はまだ出右手の後ろ姿しか見ていない。
ひとつ、姿が見たい。ふたつ、声が聴きたい。その切願は叶えられた。だからもうあとふたつ、あの笑顔が見たい、あの身体に触れたい。照れたようなその笑顔、少し戸惑いながら自分を抱き締めてくれたその鼓動。

既に外出許可は当たり前に降りて、出右手と話をしながら、かつて二人で分けながら食べたスナック菓子を食べて、外出時に買った、出右手が気に入りで使っていたノートに日記を書いた。
外泊許可は昨日初めて降りて、もう紫陽花のつぼみも和らいだ道を歩いて二ヶ月半ぶりに寮へ帰ってチームメイトと食事をした。
同級生の三人の、高校の制服姿が窮屈で見慣れなくて、呆れたあと大笑いして、それから病棟で出右手に早く皆に豊を会わせたいよ、と報告した。

その時だった。
出右手が顔を少しだけ平良へ向けて彼の頬が見えた。
『オレも、早く会いたいです。皆に』
その頬は、笑っていた。あの、照れたような笑顔だった。


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