気付いた時にはもう、部灰の肝臓は悲鳴を上げていて、手の施しようなどなかった。
薬物の多量摂取に未熟な体がついていかなかった、ゆえに部灰の他にも身体を壊す元チームメイトたちは続出した。そして、一番始めに症状が劇的に悪化したのが部灰だった。

集中治療室の部灰は、明天名が駆けつけた時にはもう、ただ目を閉じて、静かに息を繋いでいた。
明天名は震える声で部灰の名を呼んだ。部灰がそっと、目を開いた。
「先輩」
明天名が部灰の手を握る。骨張ってしまったその手が、頬が、愛しくて悲しくて、必死で笑顔を作るのに、涙が流れてしまう。

「アテナ」
部灰が明天名の頬を撫でた。
優しく優しく、弱々しく撫でるその手で、部灰は明天名に微笑んだ。
「泣かないで、アテナ」

部灰が亡くなったとの報せが来たのは、そのたった半日後だった。


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恋とは落ちるものだと誰かは言った。
それならば、落ちたまま這い上がれずにいる人間は何なのだろう。落ちたなら手を差しのべてくれる者がいればこそそれは恋として成り立つのだ、と今は思う。

自分に手を差しのべてくれたあの人は、きっと空の向こうで、あの頃のままに、微笑んでいる。
明天名は今一人、遠く静かに響く鳥の声を聴き、新緑芽生えたそよぐ皐月の風を頬で受ける。

「部灰先輩」
部灰に初めて会った、かつてのあの日も、今日のような皐月の暖かい風が柔らかく吹いていた。

少し照れながら二人で手を繋いで歩いたその川沿いの道を、明天名はそっと歩きだす。新芽を静かに踏みしめて、顔を上げて空を見上げた。
どこまでも突き抜けるような青に、気付く間もなく涙がいく筋も流れていた。

「泣かないで、アテナ」

またふわりと吹いた暖かな風が、何時も優しく優しく、明天名の頬に触れた部灰の手に、とてもとても、似ていた。



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