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何年も履き古したブーツのヒールが石畳の上で軽快な音を立てる。人通りの多くない通路ではそれがよく響いた。
薄暗くて狭い通りを抜ける。
決して人通りが多いとは言えない大通りに出て空を見上げると、天気予報のとおり快晴らしかった。

らしかった、というのも、高層の建物に囲まれ背の高い住宅が所狭しと並び、機器類の電線や配線が頭上で幾重にも交錯している此処ではその太陽の恩恵が地上まで届かないからである。
何よりも視界に映って仕方が無いのが、街の中心部。天高く聳え、街全体を覆い尽くすほどに大きな建造物。
悲しいかな、僅かに射し込む太陽の光がこんなにも恋しいと感じるなど。
排気口から漏れるガスの臭い、工場から立ちこめる灰色の煙、それから蒸すような不快な空気。
幼少期の頃の活気に溢れた光景と目に映る現実との差異に、アラネア・ハイウィンドは頭を悩ませた。




古代エネルギー"魔導"を再興し科学技術によって栄えた軍事大国、ニフルハイム帝国。
侵略戦争を他国に仕掛け、今となっては最大領土を誇る帝国の軍属であるアラネアは腕利きの軍人だ。
傭兵上がりでありながら"准将"などという肩書きを持つ彼女は、その名に相応しいほどの労働を強いられる。
雑務、デスクワーク、戦闘。詰めに詰め込まれたスケジュールの中でようやくもぎ取った休暇という名の休息は、たった一日であれどアラネアにとって貴重な時間だった。

自宅で一日中寝潰す予定だったのだが、そろそろ生活用品の買い足しが必要となっていたことを思い出し、だるさを訴える身体を起こして外出した。
いつも纏っている戦闘服、もとい鎧は必要無い。歳相応のカジュアルな軽装で歩く街並みは久しぶりだ。
時間的には久しぶりでも目に映る景色には変わり映えがない。
淀んだ空気、太陽が見えない空、蒸す熱気、そこら中から聞こえる機械の雑踏。
そんな中でもひとが生活をする場があるわけで。
昔と比べて随分と少なくなってしまったが、通りに並ぶ高層ビルのショップは営業中だった。
ひとの出入りはある。大賑わい、というわけではないが、それでも人っ子ひとりいないという帝都あるまじき奇妙な光景よりかは随分とマシに思えた。

いつからこうなってしまったのだろう。
昔はこんなに閑散としていなかった。もっと活気に溢れ、ひとの笑顔で溢れていたのだ。
空を遮る高層ビルが建ち並んでいなければここまで機械文明が発達していなかったし、緑だってたくさんあった。
子供が好みそうな菓子類の店や家族向けレストラン、映画館やゲームセンター、流行を取り入れた服やものが並ぶ店だって。
それらが次々と閉店し、軍事用の機材が運び込まれるようになったのは、いつからだったのだろうか。
最低限のライフラインは整っている。
それこそ少なくなってしまったが娯楽施設は僅かながらに存在する。
だがひととして、ひとが生活していくうえで大切なものが欠けてゆく光景を見るのは、未だに引っ掛かりを覚えるし疑心を抱かずにはいられなかった。


いつから帝国の内部情勢が緩やかに変化していってしまったのか。
思い当たる点がひとつだけあった。
シガイ研究。ある時を境にして行われたそれが急速に帝国内部を変えていったのだと、アラネアと同じく現在の帝国の在り方に疑問を示す人物が言っていた。

ある時とは、とある人物の研究介入によるものだとも。

アラネアが生を授かるよりも昔、三十四年前に帝国に姿を現した男の介入によりシガイ研究は急速に進んでいった。
研究成果が功を成し、それから次の段階へ。
生物研究に明るくないアラネア自身、その功績が如何なるものなのか理解に難しいところではあるのだが、シガイ研究が進むに連れ帝国の機器文明が発達していくのを感じてはいた。
今となっては生物兵器として実践投入される未知の生物。
他国への侵略のために次々と生み出されるそれは、アラネアの疑心を加速させるには充分だった。


そんなシガイ研究の発展に貢献した人物。
暗い茜色の髪と金茶色の瞳。何を考えているかわからない、道化のような立ち振る舞い。
日光を嫌うかのようにいつも黒い帽子に黒い外套を羽織り、寒冷地ゆえに極端に寒さに弱いのか衣服を着込むその姿は一般男性よりも頭ひとつ抜きん出ている。
三十四年前に帝国入りをしたにしては随分と若く見えるその容姿について言及する者はなく、素性すら怪しいひとりの男。
そう、丁度目の前から歩いてくる男性のような。


「げ」


今まさに思い浮かべていた男がそこにいた。
黒い外套をはためかせ、飄々とブーツを鳴らしながらこちらへ歩いてくる。
向こうがこちらに気がついていないことをいいことに、アラネアは盛大に顔を歪めて嫌悪の色を示した。
嫌悪といってもそこまでの感情ではないのだが、それでもこの男の何処か掴みようの無い人間性が苦手で関わるのを避けていたのだ。
彼も休暇か何かだろうか。わざわざ苦手とする人物の勤務表を確認してまで街で鉢合わせることを回避しようとは思ってもいない。
向こうに気がつかれる前にさっさと隣の通りに入ってしまおう。
アラネアが足を返そうとしたときだった。

「ああ、誰かと思えばアラネア准将じゃない」

金茶色の瞳に捉えられ、名を呼ばれてしまった。
完全に遅かった。自分の行動力と判断力の鈍さを憎むしかない。
一応、立場としては彼のほうが上だ。帝国宰相という肩書きを背負う風貌ではないにしろ、無視をすると後々面倒なことになるだろう。
気づかれないように小さくため息を吐き、嫌々ながら彼のもとへ足を向けた。
履き慣れたブーツの音が何処か重たい気がした。

「いつもの服装じゃなかったから見間違いかと思ったよ」
「どうも」
「久しぶりの休暇はどう」

にこにこと笑っているのかにやにやと笑っているのか。
どちらとも取れないが本心からの笑顔ではないことはわかっている。
向こうもこちらがそう感じているのを理解していて笑みを絶やさないのだろう。
せっかくの休暇だというのにこの男と話し込んでしまっては余計に心労を増やすだけだ。

「まあ、そこそこ。そっちは」

尋ねられたことに対して無難に返し、礼儀としてこちらも尋ね返す。
敬語を使わない時点で礼儀も何もないのだが、知り合った当初からこの態度であるし、改まった場では相応の対応をしているのだから構いやしないだろう。
なにより相手が大して、いや、露程にも気にしていないのだから。

「俺も似たようなものかな。車を買おうと思ってさ」
「は、車?なんで」

切り上げたい会話を続けてしまうような反応をしてしまったことに後悔が生まれる。
けれど少しばかり気になったのも事実だ。
機械文明の急速な発展により帝国領内には自動の市電や地下鉄が走っている。
遠方に赴くにしろ、揚陸艇という空を飛行する軍事用の機体もある。
軍事用であれど軍事部を統括する宰相殿ならば一声で借り出せそうなもの。
国内においてわざわざ車を利用する程の理由が思い当たらないし、ドライブだなんてこの男が似合わない趣味を持っているとは思えなかった。

「ちょっとドライブでもしようかなって、ね」

が、まさかの的中だった。
こんな機械に塗れた帝都内をドライブするだなんて変わった趣味をお持ちのようだ。
帝都内ではないにしろ、外は雪か砂漠しかない。
悠々とドライブを楽しむ景色でも地形でもないだろうに、本当にこの男の考えていることはよくわからない。

「何処をドライブするのか知らないけど、時と場所は考えた方がいいんじゃないの」
「もしかして帝国周辺をドライブするとか思ってたりする?こんな何の楽しみもない所、好き好んで車走らせる奴なんていないよ」
「じゃあ何処で」
「ルシス国内」

返答に言葉を失った。
ルシスは現在ニフルハイム帝国と争いの渦中にある国だ。
先日、長きに渡り火花を散らせてきた戦争を終わらせる調印式を執り行うという名目で攻め入った他国。
今や帝国の手中にあるが、各地でその反乱の芽が息吹いているのだとか。
占領した基地が再び落とされる。配置した帝国兵が討たれる。
その収拾を図るため連日駆り出され、僅かな休暇を挟んだ明日からも連勤が確定しているのはそのせいである。
そんな他国に渡り、わざわざドライブをしに行くだなんて。
いよいよこの男の思考回路が読み取れない。
誰と、ルシスの何処を。ひとりで趣味を満喫するつもりなのかは定かではないが、あまり深入りしないほうが身のためだろう。

「軽乗用車とか手狭で嫌なんだよねぇ。思い切ってオープンカーにしようかな」
「はあ」
「オープンカーでスポーツカー並の速度で走れる車ってあるかな」

アラネア自身、一応運転免許は取得しているものの、この職に就いてから車両を運転することなど無いに等しかった。
故に車の知識も乏しいわけで。相談されているていであれど、アラネアがこの男の満足のいく回答を提示できるわけがない。
どのくらい乗り回すのだろう。思い立っただけで車を買おうとするこの男の心情がわからない。
物価が上昇しつつあるこの帝国内において車など高級品だ。ましてやオープンカーなど。
帝国宰相殿の給金に掛かれば車を現金一括で購入することなど朝飯前、というやつなのだろう。

さあ、とぶっきらぼうに答えれば目の前の男は悩むように顎に手を添える。
なんともまあわざとらしい。たいして悩んでもいないことが見え見えである。

「いろいろ店回って決めたらいんじゃないの。そんなに店数無いだろうけど」
「そうだねぇ、そうするよ」

そうだね、とこちらの提案に沿う意向は見せれど、この男はきっと一番最初に赴いた店の一番高級な車を何食わぬ顔で買い上げるのだろう。

「アラネア准将も一緒にどう?なんなら向こうの喫茶店で奢るけど」
「いいや結構」

冗談ではない。何故貴重な休日をこの帝国宰相と過ごさなければならないのか。
ただでさえこの男は苦手であり薄気味悪く感じているというのに、何かの拷問だろうか。
とはいえ、帝国宰相殿も本気ではないのだ。こちらが絶対に断ることを踏んで提案しているのがバレバレである。
その証拠に全く残念に思っていないくせにわざとらしく肩を竦めてみせるのだ。
本当にいい性格をしている。

呆れを含ませた視線を送っても相手は表情のひとつも変えやしない。
薄笑いを浮かべたまま帽子の位置を直すその男に背を向け、この場を去ろうと足を返した。


「それじゃあたしはこれで」
「あれ、もう行っちゃうの。なんだつまらな……」


つまらないのはこちらのほうである。思ってもいないくせによく動く口だ。
もう話すことなどひとつたりとて無い。そのまま足を動かしてこの男の視界から消えるだけで残りの休日を有意義に過ごせる。

けれど、不自然に途切れた男の言葉が気になってしまった。

僅かに歩調を緩める。それでも男からは何の言葉も出てこない。
ここで振り返るとまたどうでもいい会話に巻き込まれてしまうのだろうか。けれどどうにも背後が気になってしまう。
アラネアははっきりとしないことが嫌いな性格である。
ええい、ままよ。そんな勢いで背後を振り返った。



男は遠くを見ていた。
こちらではなく、大通りの先。遙か向こうを。
その横顔を見留めたとき、アラネアの中にある男の印象がごっそりと抜け落ちたかのような、そんな気がした。



「name」



小さく呟かれたその名。音になるかならないか、それほどに小さな呟き。
空気に乗った音はかろうじてアラネアの耳に届くくらいで、周囲の雑踏にかき消える。

まるで夢にまで見た光景をその瞳に映している子供のように、目の前の男は一点を見つめていた。

おおよそ中年の成人男性に向ける印象ではない。けれど、その無垢に見える眼は確かに幼い子供のようで。世界の穢れを知らない、純粋無垢な子供のようで。
こんな眼をした男を見たことがなかった。過ぎ去った思い出を噛み締めるかのような、縋るような、こんな姿を見たことがなかった。
いつだって飄々としており、その腹では何を企んでいるかわからない、食えない男。それがアラネアがこの男に抱く不変の印象だ。
けれど今はどうだろう。その仮面も何もかも、男を覆う鎧を全て剥ぎ取ったありのままの剥き出しの感情が、目の前にある。

誰だ、この男は。

ニフルハイム帝国の宰相、アーデン・イズニア。確かにその人だが、目の前にいる男がまるで別人のように感じられてしまって。
アラネアはアーデンの視線の先を無意識に辿る。高層ビルが建ち並ぶ大通りのその先。
ゆったりとした歩みで進む女性の後ろ姿は、機械にまみれたこの街の中で色のある生命のように目に映った。
服装も髪型もとりわけて目立つ要素が見受けられない後ろ姿だ。それこそ、どこにでもいる平凡な女性の印象を受ける。
彼女を見て「name」と男は呟いたのだろうか。知り合いか、それとも。

ふと、視線をアーデンに向ける。彼はまだ彼女の後ろ姿を目で追っていた。
しかし、徐々に瞳は薄く伏せられる。夢にまで見た光景は夢のままであり、現実を思い知らされていくような、そんな虚無感を携えながら。
温度のあった瞳が冷え切っていく。そしていつものような色の無い、何も感じ取らせないそれに戻る。
そしてアラネアがこちらを見ていることにようやく気がついたのか、視線を滑らせたアーデンは「なに?気でも変わった?」と薄ら笑いを浮かべながら声を投げかけてきた。
その問いかけに緩く首を振って否定を表わす。いつものように、適当にあしらう言葉がとっさに出てこなかったから。
今度こそ踵を返したアラネアは止まること無く帰路を辿る。背にアーデンのせせら笑いを受けながら。

あれは誰だったのだろう。本当にアーデン・イズニアだったのだろうか。
わずか数秒の間に彼への認識が大きく変えられてしまったかのような、そんな不気味な感覚が背に纏わり付く。
name。確かに耳にしたその名は、アラネアの脳裏に強く刻まれた。
アーデン・イズニアの仮面を容易く剥がしてしまうその名前を。



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