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出会いは突然で、そしておよそ予期できないものだった。


陽が暮れ、漆黒の闇が遠い野山を覆う刻限。闇を弾くように浅草の町は煌々とした灯りに溢れていた。
行き交うひとの波、背の高い家屋、屋台。道行くひとの衣服は野山に近い土地で過ごすひとがあまり身につけることのない、西洋の物が目に多く留まる。
山村の奥で育ってきた炭治郎は浅草の灯りに負けないくらいに目を輝かせ、辺りのものを観察するように眺めており、禰豆子はと言えば眠そうに目を細めながら兄の後ろをとぼとぼとついて歩くだけだった。
そんな禰豆子の背に手を添えながら後に続くnameもまた、歩き通した身体の疲れが睡魔と共に押し寄せてくるのだが、炭治郎の興味津々な様子を見るとすぐに宿屋へ向かおうと進言しにくいものがあったのだ。

東京の浅草にて鬼狩りの指令。それを果たすべく赴いたはよいものの、新たな指令は出されずまた時が過ぎゆく。
鼻が利く炭治郎が鬼の臭いに反応しないところを見るに、この近辺で鬼が姿を現していないのか、それともどこかに上手いこと潜んでいるのか。
いずれにせよ発見、討伐を急ぐ件ではあるが、腹が減っては戦はできぬというもの。町はずれにある麺屋台を見つけ、そこで一服しようと腰をかけたのだった。

「nameさんはどれにする?」
「私はきつねうどんにしようかな」
「じゃあ俺もそれにするよ。おじさん、きつねうどん二つ」

炭治郎と並んで屋台を覗き見ると、うどんや蕎麦を扱ったメニュー表が置いてあった。かけそば、きつねうどん、おろしうどん。料理の写真が添付こそされてはいないものの、屋台の中かから香る汁の匂いで料理のひとつひとつが絶品であろうことが予想できた。
料理を待つ間、うつらうつらと船を漕ぐ禰豆子を傍の椅子に座らせて肩を貸してやる。すると禰豆子は子猫のように額をすりつけてすよすよと眠りだすのだ。
もう寝たのか、なんて驚いたように禰豆子を覗き込む炭治郎が彼女の頭をぽんぽん、と撫でる。ひどく優しい手つきのそれに、如何に禰豆子のことを大切に思っているかが感じ取れて、nameは柔らかい笑みが零れるのだ。
ふと感じた視線。出所であろう炭治郎を見上げると視線が絡み合う。ばちん、なんて音がしそうなほどに真正面からぶつかりあえば、炭治郎は慌てたように目を泳がせてnameと禰豆子から一歩離れた。

「はいよ、きつねうどん二丁」
「ははははい!ありがとうございます!」

間が良いのかなんなのか。料理の出来を伝える店主の声がふたりとひとりの間に割って入る。炭治郎はというと、挙動不審を疑わざるを得ない言動と仕草でnameから離れ、店主のもとへ早足で駆けて行った。
いったいどうしたというのだろう。nameも続いてうどんを受け取りに行きたかったが、肩を貸している禰豆子がいて身動きがとれない。
しかしこの炭治郎という男、実に善良でたまに空気が読めないが驚く程に気が利く。ふたり分のうどんを持ってきてnameの隣へと腰掛けた彼に礼を述べれば、先程の挙動不審が尾を引いているのか、しどろもどろとしながらも頷き返してくれるのだ。

「いただきます。あたたかくて美味しそうだね」
「そそそそうですね!」

ほくほくと湯気が上がるきつねうどんは見るからに美味しそうに目に映る。一口啜れば見かけ倒しではなく、本当に美味しさを感じるもので。
隣に座る炭治郎を見れば、やはり視線が絡む。また慌てたようにして顔を背けた炭治郎が麺を啜る様子を横目で観察する。その頬はすこしばかり赤みがかっており、うどん熱いのかな、なんてnameは的外れなことを思ったのであった。


そんな炭治郎の頬が急速に青くなっていったのは、きっと見間違いではなかった。


張り詰める空気。背を駆ける緊張感。
炭治郎の目付きが変わる。優しいあの丸い瞳ではなく、鬼と戦い、刀を振るう時のあの緊張感を宿す瞳。
けれどそのなかに驚きの色があるのをnameは見逃さなかった。信じられないものを見たかのような、そんな気配。
どうしたのだと言うのだろう。炭治郎の気を戻そうと手を伸ばした時、突如彼が立ち上がった。
がちゃん。地面に落ちて割れる陶器の音。まだ一口しか食べていないうどんが汁ごと散らばる。
これはいよいよ様子がおかしい。炭治郎につられて慌て出さないよう、nameは傍らにうどんの器を置いて炭治郎を見上げた。

「どうしたの」

nameの言葉に炭治郎は反応しない。わなわなと唇を震わせて、荒く息を吐いてる。
彼がその場から駆け出すのに、そう時間はかからなかった。

「あいつがいるんだ」

硬い声で言い放った炭治郎が地を蹴り、走る。
置いてけぼりになってしまったnameは、瞬く間に見えなくなったその背を見ていることしかできなかったが屋台の店主の声かけにより現実に引き戻された。
置いたままの木の箱、地面に散らばったうどんとその容器。それから眠りこける少女。
どうやってこの状況を説明しようか。慎重に言葉を選ぼうとしたのだが、真っ先に出てきたのは食べ物を粗末にしたことと、店の所有物を破損してしまったこと。
肩に寄りかかる禰豆子を一旦離し、立ち上がって店主に向けて腰を折る。禰豆子はとても不思議なことに座ったまま体勢を崩さずにまたうつらうつらと揺れ出していた。
店主はというと、訝しげにnameを見て、それから禰豆子に視線をやり、それからそれから走り去った炭治郎の姿を追うように向こうへと顔を向けた。
最後にはまたnameへと向けられた視線にもう一度頭を下げる。何かを察したのか否か、店主はこちらを責める言葉を吐くことなく、片付けのための道具を手にして屋台から出てきたのだった。

炭治郎の様子は明らかにおかしかった。
あいつがいるんだ。
その「あいつ」とやらが誰を指すのか、そもそもひとなのかどうかすらわからないのだが、炭治郎のあの澄み切った瞳が燃えるような憎しみを宿していたのだからただ事ではないはずだ。
探し出して、傍にいてやらねば。そんなお節介にも似た使命感を抱いたnameは、店主の片付けを手伝い早々に三度目の謝罪を済ませて、それから禰豆子にこの場を離れることを告げてから炭治郎が消えていった方角へ自身も走り出した。



◇◆◇



辿り着いた浅草の一角は騒然としていた。
何かを囲むようにひとだかりができており、ざわついた気配と、それからひとの声で溢れかえっている。

――まるで鬼のようだ。噛みついた。人殺しか。まるで化け物。少年が鬼を。

口々に吐かれる言葉はだいたい似たような意味合いのものだ。それらの単語を繋ぎ合わせ、推測する。
浅草の町に鬼が現れ、ひとを噛み殺した。もしくは噛み殺そうとした。その場を収めたのは少年――おそらく炭治郎のことだろう。
あいつがいる、というのは鬼の気配を察知してのことだったのだろうか。
人垣の向こうに炭治郎がいないか、なんとか潜り込んでひととひとの隙間から様子を窺ったが、その先にあったのは血が飛び散った地面と、傍らで現場検証のように佇む複数名の警察のような人物達だけだった。
見慣れた羽織の色合いも、髪の色も、そこにはない。炭治郎はどこにいったのだろう。血痕が見えるところからするに、ここで一悶着あったことに違いはとは思うのだが。
自分にも、彼のように臭いを嗅ぎ分けられる優秀な嗅覚があればよかったのに。そうしたら炭治郎とすぐに合流できたのに。
なんて無い物ねだりをしても仕方が無い。nameはその場から離れ、炭治郎が向かいそうな場所を割り出すことに専念することにした。

炭治郎がこの場にいないのは鬼を討伐した後か、逃げ出した鬼を追ったのか、このどちらか。
逃げ出した鬼を追ったのなら、鬼がいつ現れるかわからないこの浅草の町でこんなにもひとが出歩いているはずはない。まあ、ただ単に情報伝達ができていない可能性のほうが大きいのだが。
あるとすれば、鬼を討伐し終えたこと。ひとを噛み殺そうとした、という噂話を真実とするのなら、負傷者が出ているはず。心優しい炭治郎のことだ、怪我人を放っておくはずもない。
おそらく、その怪我人に付いて医療施設か何処かにいるのだろうと、nameは仮定した。

浅草の町を歩くのは初めてだ。炭治郎と此処へ訪れたのも初めてだし、現代の浅草とは様子が随分と違う。
そんな中で炭治郎が居そうな医療施設の目星をつけるのはとても難しいことだ。道行くひとに話しを伺いながら探すほうが随分と効率が良い。

「すみません、町で大きな病院は」
「鬼が出た?!本当か」
「あの、医療施設はどちらに」
「ひとが噛まれたらしい!」

人波に逆らうように歩くnameに気がついていないのか眼中にないのか、ぶつかられながらも声をかけるが応答してくれそうなひとはひとりもいない。
みな、興味津々といった様子で先程nameが確認した現場へ向かうのだ。
この分だと、鬼は町を徘徊している様子はなさそうだ。炭治郎が討伐したものだと思っていいだろう。
人波は途絶えることがない。野次馬のように現場をひと目見ようとする者が後を絶たない。
人間の好奇心とは時に残酷になるものだ。nameは悲しげに目を伏せ、それから人だかりのない路地裏へと身体を滑り込ませた。

ほっと息を吐く。ひとの気配が多いことは安心することもあるのだが、今のこの雰囲気はどうにも心をざわつかせるだけ。
路地裏を抜けて、もう少しでもひとが少ないところで話を聞ける者がいないか探そう。
そうして踏みだし、角を曲がる。さすが路地裏といったところか、黒い袋に詰められたであろうゴミの山が所々に見られた。
それらを避けてまた曲がり、そして真っ直ぐに進む。二手に分かれた道の、明るい方へと足を進めたときだった。


その姿を目にしたのは。


白いハットにスラックス。闇に溶けそうな色合いの上質なジャケット。
背丈は成人男性くらいだろうか。体格も良く、町のどこにでもいそうな雰囲気の男性の後ろ姿だった。
暗がりのため正確な確認はできないが、髪は短い。うなじから覗く肌の色はハットと同じくらい白くて。

どこかひとならざる者の気配がしたけれど。

ゆっくり、そのひとが振り向いた。
うなじと同じく、青白いその顔色。それから、鋭い瞳孔と紅い、あかい、赤い瞳。
ゆらり、と影が揺れる。
一歩一歩、まるで熱に浮かされたかのようにその人物はこちらに歩みを進めてきた。

「私は……私、は」

ぶつぶつと何かを呟きながら、ゆらり、ふらり、揺れる。
挙動が不審者だ。それでいて、言動も定まらない。酷く美しい容貌が拍車をかけて、その人物を浮世立たせていた。
目の前に立つ男。高い位置から見下ろされると、妙な威圧感に圧倒される。
――けれど。

「私は、死にそうに見えるか」

低い声が落とされる。骨の髄から溶かされそうなほど、危険で甘い声色。
一度聞けば引きずり込まれそうな音に引き摺られそうになるけれど、それよりも。

「青白くて、生きていないと、死にそうだと、そう思うか」

無表情に見えて、鬼気迫ったように感じ取れる鋭い眼光。
赤い瞳はこちらを見ているが姿として認識していない。捉えていないように見て取れて。
気迫さえ感じる。圧倒される。けれどその気配はどうにも恐ろしいもののように、鬼気迫るもののように感じられなかった。


「失礼します」


男に手を伸ばす。
了承の言葉を口にしたものの承諾は得ていない。
しかしnameの手は止まらず、指先が男の頬を撫でる。
それから手の平をぺとり、とつけると赤い目が見開かれた。

何に怯えている?何が怖い?

言葉の節々が震えていた。鋭い眼光が僅かに揺れるのを見逃せなかった。
気がついてしまったのだ。この男が抱える孤独という感情に。
その一端を拾い上げてしまったのなら、掬い上げてしまったのなら、どうにも放っておくことができなかったのだ。
幼い子供を撫でるように手を伸ばしてしまった。大の大人の男に。知らない男に。
だが後悔はなかった。反省点はあるけれど、それよりもそうしなければならない、という気持ちが先行したのだから。

手の平から伝わる熱は、ひどく低いものだった。ひとが宿す体温ではない。
死人に触れたことはないけれど、きっと、おそらく同等なくらいには体温というものを感じられない。
心臓は本当に動いているのか?血管は身体の隅々まで熱を血液として運んでいないのか?
生きるということは心臓を動かすこと、息をすること。けれど、nameはそれ以外の生きる理由を知っている。知ることができたから。

「生きるって、たくさん意味があると思います」

生きることが身体的に生きながらえることをだけを指すわけではない。ひとによって生きる概念は異なれど、大多数はきっと身体的条件を述べるだろう。
それだけではない。そう学んだから。

「息をして、心臓を動かしていることだけが生きているという証じゃない、私はそう思います」

生きる理由。生の先にある目的。それに向かって歩みを止めないこともまた、生きるということに繋がるのだと。

「目的があって、したいことがあって、そのために生きるひとだっている。その目的を失った時、本当の意味でひとはきっと死に近くなってしまうのだと考えています」

やりたいこともない、やるべきこともない。ただ人形のように呼吸をするだけの日々は、きっと「生きている」とは言えないと思うから。
目的や夢を掲げて、それに向かって生きる。原動力がある限り、ひとは生き続けられるのだ。

「あなたは、やるべきことがあって、やりたいことがあって、そのために生きている、ここにいる」

男の唇が震える。細く、震える息を吐いた。


「あなたは確かにここにいて、生きてますよ」


静かに息を呑む音。赤い目が揺れる。息が震える。
随分直情的な感情表現だ。外見でひとを判断するものではないが、もう少し感情を抑えそうな人物像だと思っていたのだが。
これも彼が生きているという証だ。生きてるから感情が揺れる、それが表に出る。
だとしたら、このひとは生きているのだ。

だいじょうぶ、だいじょうぶ。恐れなくても、生きているよ。
微笑んで、頷く。
そして、は、と気がつく。いつまでこの男に触れているのだ自分は。
nameは慌てて手を離そうとする。
けれど男がそれを許さなかった。

「え」

nameの手を握り、自身の頬に当てる。すり寄せるように、縋るように。
伏せられた瞳の奥にはきっと赤色があるのだろうけれど、今はその色を窺うことができない。
どのような感情を抱いているのだろう。どのような色をしているのだろう。
慈しむようなその行為を呆然と受け入れる。
どのくらい経ったのだろうか。しばらくそうしているうちに、じわじわと現実に引き戻される。

路地の向こうの町の喧騒が、nameを浮世離れた男から意識を離す。
ここは何処だっただろうか。そうだ、浅草だ。急に何処かへ行ってしまった炭治郎を見つけなければならなくて。
こんな暗がりの路地裏で大の男に手をとられて擦り寄られているだなんて、端から見たらとても不思議で、奇妙にも映るような光景だろう。

「あの、あの」

自分からしたことなのに、今更わたわたと慌てて男の手を離そうとする。しかし男は動きもせず、離しもしない。状況は何一つ変わらないのだ。

「名は」
「私の?」
「ああ、そうだよ」

伏せられていた瞼が開かれる。
赤色の瞳が生の色をより濃く彩っていて、先程との変化にたじろいだ。
まるでこちらを標的に定めた生物かのよう。

「name、nameです」

反射的に自分の名前を紡げば、男は薄く微笑んだ。妖しく、それでいて慈しむように、目を細めて。
どうしてそのような反応をされるのかわからず、nameは小首を傾げる。
つられて、それともわざとか、いいや確実にわざと男も小首を傾げる。黒髪が揺れ、赤い瞳が細められた。




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