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手足がもげ、両目が潰れて、身体の半分を失っても。何度だろうと救ってみせる。必ず。


腹の中まで暴かれて、見るも無残なあの人の身体が血の海に沈んでいる。
呆然と立ち尽くすイヴは、杖を握ったままだった手からだらんと力を抜いた。
とても目の前にあるこれが、あの高潔で美しい彼の身体だったとは思えない。
太陽の下が似合う滑らかな肌も、桜を思わせる柔らかい髪も、イヴの愛した彼を彩るすべてが禍々しい赤によって塗り潰されている。
なぜ、どうして。意味のない癇癪だけが頭を駆け巡る。
心配になるほど誰にでも優しいあの人に、決してこんな酷(むご)い終わり方が許されていいわけがない。
視界が真っ黒に染まってしまいそうだった。いっそ手の中に収まる武器とともに、すべてを投げ捨ててしまおうか。

でも、私は地獄に堕ちるから、あの人には会えないだろうな。

屈託なく微笑む彼の姿を思い出し、一筋の涙が押し留められることなく白磁の肌をつうっと滑り落ちた。
零れた雫は足元まで侵食する赤い水面に小さな波紋を広げる。
あの人を守ると誓った日、頼りにしていると言われた夜、苦しげに私の傷跡を撫でる指。
過ぎ去った日々が走馬灯のように蘇って、眩しさのあまり、閉じた瞼の奥で瞳が焼けてしまう気がした。
イヴは胸を巣食う遣る瀬無さに喉を引き攣らせ、そして掠れた小さな声でかの名前を呟く。

「――――……」

今にも倒れてしまいそうなほど、よろよろとした足取りでイヴが遺体の側に跪いた。
絶望に打ち拉がれて丸まった華奢な背中。それは世間から英雄と呼ばれ、数多の期待を一身に背負う姿とは程遠い。
身に纏う白いドレスの裾から赤が侵食していくのにも構わずに、イヴは縋るように手を伸ばし、彼の額にかかる髪をそうっとよけた。
顕になった瞳は濁りきって、ただ虚ろに沈んでいる。
かつて自分が北国で見れるオーロラのようだと称した、吸い込まれそうに輝く瞳は見る影もない。
痛々しげに薄いグレーの双眸が細められた。
彼の持つすべてが美しかったのは、魂がそうであったからだ。
一度それが失われてしまったのなら、どんな魔法も、技術も役には立たない。もはやこの瞳に光を戻すことはできないのだと思い知る。
イヴはせめてもの思いで、手のひらを彼の目元に重ねた。刹那、その指先がびくりと震える。

「………………っ、」

白さを通り越し、半透明にさえ見える彼の肌は氷のように冷えきっていた。
生前の温もりなどまるで感じられないことに、再び心が軋んだ音を立てている。
死体を前にするのは何も初めてのことではない。むしろ手にかけたことさえあるというのに、無残に引き裂かれた身体や、辺りを覆う大量の血液によって、彼の死を十二分に突き付けられていながら、何度その死を実感しても、その度に深く傷つく自分がひどく滑稽に思えた。

もう何も見たくない。これ以上、この人を救えなかった私を、私の愚かさを見せつけないで。

膨れ上がる悲しみに飽和した心が引き千切れてしまいそうだったが、不思議と一筋の涙以外に頬を濡らすものはなかった。
イヴは彼の目元に触れていた手を頬へと滑らせる。
血の気のなさと飛び散る強烈な赤い色を除けば、目蓋を閉じた彼の表情は、今も深い眠りについているかのように穏やかだった。
その一方で、頬を包む手のひらには硬質な冷たさしか感じられない。
これが夢であればどんなにかよかっただろう。
血の気のない唇に親指を這わせてから、イヴは首だけになった彼をそっと胸に抱いた。

「――――――――……」

静かに目を瞑り、まるで祈りを捧ぐかのようにしてイヴの唇が言葉を紡ぐ。
それから一度、名残惜しげに腕の中の彼をその瞳に映すと、おもむろに自分の唇を彼のそれに押し当てたのだった。







永遠の眠りについたお姫様が横たわる棺の縁に手をかけて、王子様は彼女の唇に口づけを落とす。

「ねえ、イヴちゃん。王子様がしたキスは冷たかったと思う?」

リビングの大きなソファから、流れる映画のクレジットをぼうっと眺めていたモリは、おもむろに隣のイヴへと問いかけた。

「まあ、現実的に考えたらそうなるよね」

お伽噺としては随分と夢がないけど、とモリのほうを見てイヴがおかしそうに笑う。

「でも、映画を観た感想がそれなの?」
「違うよ、もう。ちょっと気になっただけ。もしそうなら勇気がいる気がして」

なぜか納得した様子のモリを横目に、イヴがひっそりと目を伏せる。
冷たいキスの味なんて、彼女は知らなくていい。あんな思いをするのは後にも先にも自分一人で十分だ。
いつかの現実が現在(いま)に重なって揺らいで見えた。

「なあに、キスのことなんて真面目に考えて。気になる人でもできた?」
「イヴちゃん!からかわないでったら!!」

拗ねた顔で怒るモリが、反撃とばかりにイヴへのしかかる。
イヴは完全に不意をつかれてその重みを支えきれず、二人一緒にソファの上で倒れ込んだ。その体勢のままエメラルドとグレーの瞳が交差する。まるで鏡のように互いの姿が映り込み、それから――
どちらともなく漏れ出たくすくすという笑い声は、静かな夜に溶けて消えていった。



――――――――

◇メモ

プリン様宅のヒカセンと拙宅のヒカセンもりちゃん(もりちゃん?)とのお話



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