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「#エロ」のBL小説を読む
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深い森の朝は風に揺られる優しい葉の音と小鳥の愛らしい囀りから始まる。
高い木々の緑の隙間を縫って地上の草花に射す一筋の朝陽はなんとも幻想的で、まるで御伽噺の一場面のようだった。

朝陽から始まる御伽噺。
朝陽で終わる御伽噺。

始まりと、終わり。
明確なその線引きのひとつである始まりは、よく、覚えていた。今も尚。
もうひとつ、終わりは。
終わり、は。

とてもとても、長い道程の先にあるのではないだろうか。
いつ、訪れるのだろうか。

いつ、辿り着けるのだろうか。



「name」

ことり、と近くで音が鳴った。
唐突なその気配と音に肩を揺らしたnameは、食用の葉を千切り真水で汚れを落としていた手を止め、そちらを向いた。

「考え事?」

台所の作業台に手を付き、こちらを覗き込むようにして窺うアーデンがいた。
後ろで低い位置に一纏めにした茜色の髪が肩から流れ落ちる。
いつもならその美しい髪の流れに目を奪われるところだが、目の前のアーデンの金茶色は静かにこちらを向いていて、目を逸らすことは憚られた。

「そう、だね。考え事。そろそろ冬の支度をしなきゃなって」

考え事という点では嘘をついてはいない。
内容については、咄嗟に思いついたことが口に出た。
本当はそのことについて考えを深くさせていたわけではないのに。
けれど、まるっきり嘘というわけでもない。
廻る四季に合わせて住み方や暮らし方を考えなければならないため、冬が近くなった今、支度を始めなければいけない時期だった。

アーデンは瞬きを数度落としてnameの言葉の真意を探るような間を作っていたが、もはやこちらも慣れだ。
何事もないように平然としていれば、アーデンは諦めをつけたのか納得をつけたのか、ひとつ息をついて手元を探り始めた。

「確かに。裏の畑で収穫できる物は保存用も差し引くと今月いっぱいかな」

こん、と木の音がする。
それはnameを思考の海から引き上げた音と同じで、アーデンが手にしている木の器から発せられる音だと気がついた。
大きい木作りのボウル。
中に収められているのはにんじんやかぶ、葉野菜など色とりどりのものだ。
今日と明日の晩ご飯は野菜をたっぷりと使ったスープになりそうだ、なんてnameは近日の献立を思い浮かべた。

「今日は日持ちする木の実とか探しに行こうか」
「うん、そうしよう。肉はどうする?必要なら狩り道具も持って行くよ」
「食糧庫のお肉は十分にあるけど、ううん、そうだなぁ。もう少しあると安心かな」
「わかった。じゃあ準備しておく」
「ありがとう、よろしくね」

茜色を揺らしたアーデンが頷きながら微笑む。
弧を描いた口元が静かに自分の名を呟いたかと思えば、近づいてくる端正なその顔。
反応する間も無く前髪をやんわりと掻き上げられ、額に落とされるのは柔らかい唇で。
もう、と諫めるように言葉を吐けばアーデンは幸せそうにはにかみながら身体を離して部屋を後にした。

柔らかい熱を当てられた額を指で辿る。
いつからだったろう。アーデンのスキンシップが昔と比べて密接なものとなったのは。


本当に、いつからだったのだろう。


遠くなる視線を首を横に振ることで流したnameは、朝食のサラダを作るために再び真水に手を浸した。




◇◆◇




今日はとても天気がよい。
深い色の青空を見上げると、高い緑から射す木漏れ日がちかちかと目を照らす。
早い朝の時間帯の空気は澄んでいて、緑に囲まれているためより一層清廉されている気さえする。

小鳥の囀りが左右あちらこちらから聞こえてくる獣道を、ふたりはゆっくりと進む。
nameは背にリュックサック、そして片手に木の実を詰めるための麻袋を持ち、アーデンも麻袋とそれから腰に細身の剣と背に弓を抱える。
並んで歩く道程は獣道ゆえ足が取られそうになるが、先導してくれるアーデンが行く手を阻む木の枝を適度に折り、背の高い草を踏んで道を整えてくれているため、後に続くnameは転倒することなく進めているのだ。
心優しい気遣いは相も変わらずだ。
ありがとう、とたくさん言葉にしてきた感謝を伝えればアーデンは、nameのために俺が何かをするのは当たり前のことだよ、なんて歯の浮くような台詞を言ってくる。
いいや、歯の浮く、だなんてとんでもない。これが様になっているのだから困ったものだ。

「あ、これ初めて見る種類かも」

森を突き進み、人の手が入らず整備されていない街道の隅にnameは屈み込む。
傍に生えている大きな木に生った実が落ちたのだろうか。
nameの手の平に収まる橙色の木の実は今まで見たことのない種類のものだった。
隣にアーデンが屈み込む。
随分と近い距離から伸ばされた手はあっという間にnameの手首を捉え、アーデンの目の前に差し出されてしまった。
見るべきは木の実なのだから、それだけ持っていけばよいものを。
なんてnameは心の中で密かに思う。

「本当だ。うちの周りじゃ見ない種類だね」
「持って帰って図鑑で探してみようか。毒とかあるものだったら大変だからね」
「毒……ああ、駄目だ。俺としたことが」

突如焦ったような声色で慌てだしたアーデンは、掴んでいたnameの手をやや乱暴に引いた。
引かれるがまま身体を任せざるを得ないnameはそのまますっぽりとアーデンの胸元に収まってしまった。
手の平からこぼれ落ちた橙色の木の実がこつん、と音を立てて落ちる。
急にどうしたんだ、と問い訊ねるようにアーデンを見上げれば、彼は懐を探り、布を取り出した。

「ごめんname、俺が浅はかだった」

ぐいぐいと手の平に押し当てられ、何も付着していないのにごしごしと拭う真似事をされる。
摩擦で手の平が焼けるように痛い、などということは無いが、こうも執拗にされると段々と感覚が鈍くなってくるものだ。

「アーデン君、なんともないから、平気」
「本当に毒木の実だったらどうしよう。触っただけでnameが危険な目に遭うものだったら、俺」
「アーデン君」

切羽詰まったように血相を変えるアーデンに凭れ掛かる。
その言葉を止めるように。意識を逸らせるように。
もちろん、体格のよいアーデンがnameの体重でふらつくなんてことはなく。
途端に凭れ掛ってきたnameの行動に驚いたのか、何かに取り憑かれたかのように繰り返していた行為をぴたりと止め、nameを間近から覗き込んだ。

「平気、大丈夫。なんともないから。ほら」

アーデンの目の前に手の平を突きつける。
平と、甲。数度繰り返し見せ、アーデンの反応を窺う。
しばしの沈黙ののち、アーデンは深く息を吐き、そして地に座り込んだ。
アーデンに身体を預けていたnameもつられる形で倒れ込むことになったが、アーデンがnameを地に落とすことなどするばすがなく、そのままぎゅうぎゅうと抱きしめられた。

「アーデン君」
「name、name、やっぱり戻ろう。危ないものだらけだ」
「アーデン君」
「nameが危険な目に遭うなんて耐えられない。帰ろう、name、name」

うわ言のようにぶつぶつと不安を口にするアーデン。
帰ろう、戻ろう。
四度その繰り返しを聞いて、nameはもう今日はおしまいかな、なんて残念そうに小さく息を吐いた。
久しぶりに散策に赴けたのだから、もう少し外を歩きたかったものだ。
しかしその残念という感情は微々たるもの。
有るには有るのだが、アーデンがこちらの身を案じてくれるその優しさから彼が心を痛めてしまうことに比べたら、本当に、小さなものなのだ。

「うん、戻ろう。そうだ、久しぶりにいっしょに」

nameの言葉を、草の音が遮った。
ガサガサと小さな葉が鳴る。その音は段々とこちらに近づいて来ているように感じられて。

抱き締めてくるアーデンの腕の力が強くなる。
何者からも守るようなその堅固な腕の牢の中で、nameは身動きを取れずただ音がする方向を見つめていた。
その視線を、そろりと上に逸らす。
喉仏を辿り、形のよい唇を辿り、鋭い眼光で草の影を睨み付けているアーデンの瞳を辿る。

久しぶりに見る色だ。警戒心を剥き出しにした、獣のような眼光。

前に見たのはいつだったか、なんて思い出す余裕も暇もあるはず無く。
どうか何事もありませんように。
まるで他人事のように心の中で祈りながら草の影へと視線を滑らせた。


「ひと、か?あんたらこんなとこで何してる」


がさり、と草を掻き分けて街道へ踏み出して来たのは初老近くに見える一人の男性だった。
ぼさぼさで整えられていない茶色の短髪、そして無精髭。
服装は珍しくはない至って普通の様相ではあるが、そのあちこちが草臥れており、また、汚れが目立っていた。

男はアーデンとnameを視界に入れるなり大袈裟に肩を跳ねさせ、一度後ずさった。
それからまじまじと観察するかのようにこちらを見てから、何を安心したのか、安堵の息を吐きながら少しずつこちらへ歩み寄って来る。

その間、アーデンはnameを男の視線から遮るように庇っており、男がこちらに一歩踏み出すと素早くnameを抱えて立ち上がった。
冷たい殺気がnameの肌を撫でる。
直接向けられたことの無いそれを感じるのも、また随分と久しぶりのような気がした。
男は気がついていないようだが、まだ抑えられている殺気は確実に男に向けられていて。
このままでは相手に手を出しかねないアーデンの服の裾を引き、意識をこちらに向けさせる。
眉を顰め、瞳孔を開かせたアーデンと目が合うが、怯むことも、怯む必要もない。
ふるふる、と首を横に振る。
言葉にせずとも、たったそれだけでじゅうぶんだ。
nameの意図を正確に汲んだアーデンは納得がいかない様子で不服そうに頷くと、ため息をついて男に向き直った。
殺気は無い。だが警戒心は向けたまま。

「まさか都のほうから来たのか」
「いいえ、私達は」
「あんたには関係ないだろ」

男からの問いかけに答えようとしたnameの目の前に大きな背が立ちはだかる。
いわずもがなそれはアーデンのもので、苛立たしそうにぶつける言葉もまた冷たく、素っ気ないものだった。
そのアーデンの言葉を受けた男は訝しげにアーデンを睨み付ける。
それもそうだ。初対面でこんなにも愛想の無い態度を取られれば誰だってそうなるものだ。
アーデンの手を引き、一歩前に歩み出る。
繋いだ手がnameの身体を再び後ろへ隠そうと引くが、nameは動じずにアーデンと手を繋いだまま男の視線の先に立った。

「あなたはこの近辺に住んでいるのですか?」
「まさか。ここはもうひとの手が入らなくなって随分と年月が経つだろ。みんな此処を離れて遠くに集落を移しているよ」
「そう、ですか。では何故こちらに?」
「うちの集落の若い奴が獲物を求めてこの近くの森を探ったことがあったんだが」

ぴくり、とアーデンの手が動く。
その手の平を握る力を強めて、アーデンの動きを牽制した。

「このご時世にしては珍しく、ひとが生活しているような小屋を発見したんだとよ」
「小屋ですか。ひとが生活しているような、とはどうやって判断したのです」
「なんでも、畑を構えていたり飲み水が入った樽が置いてあったからだとさ。つっても、畑なんて耕してもお天道様が……ああ、いや、とにかく人間が居そうな気配がしたとかなんとか」
「……その小屋に何か用件でも?」
「もしも人間が住んでいるのなら、俺達の集落に招こうかと思ってよ。それでなくとも、食料を分けてもらえれば、と思って。あんたらもわかってるだろ?みんな明日を生きるので精一杯なんだよ。生きている者同士、協力すべきだろ」

一歩前に踏み出すアーデンの身体を、背で押さえつける。
アーデンがどのような顔をしているのか窺うことはできないが、想像に容易い。
目の前の男が気がついていないのが不思議なくらいだった。

「なああんたら、行く宛が無いのなら俺達のとこに来ないか?他と比べて物資もそこそこあるし多くの奴らがいる」
「あの、有り難いお誘いなのですが、私達のことはお気になさらないでください」
「どうしてだよ。たった二人だけで何ができるっていうんだ。さっきも言ったが、生きている者同士協力して生きていくべきなんだよ」

男が一歩、また一歩と踏み出してくる。
それに合わせて後退しようにも、アーデンが男に向かって進もうとするものだからどうにも分が悪かった。

生きている者同士、協力して。

その言葉にぎゅ、と口を結び、視線を逸らした。



「そうやってこの三百年間、人類は生き残ってきたんだろ」



始まり。
明確な線引きの始まりは、今でもよく覚えていた。


アーデンの二十一回目の誕生日の時だった。
インソムニアの城下町で催されるアーデンの誕生祭へソムヌスと共に赴いたあの時。
突き付けられた自身の不老。
燻っていた予感が確信に変わってしまったあの日から、こうなることが決まっていたのだろうか。


隠してしまおうか。


他人に見られることを恐れ、知られることを恐れ、そして何よりアーデンやソムヌスに迷惑をかけることを恐れたnameに提示された救いの手段。
世間から、世界から隠れたところで、誰にも糾弾されず迷惑もかけず忌避の目で見られない、なんて甘美な誘惑。


その手をとった時、アーデンがとてもとても、優しく微笑んだのを今でも覚えている。


まるで前々から準備していたかのように、アーデンの行動は素早かった。
手をとったその日に城を、王都を出てnameを見知らぬ土地へ連れ出した。
深い深い森の中。空の陽射しを遮るかのような高い木々に囲まれた、静かな場所。
澄んだ空気の気配が濃くなってきたかと思えば、そこには一軒の小屋がひっそりと立っていた。

木こりを生業としている人間が住処として使っていそうな木造りのその小屋は、住宅と呼ぶには些か粗末かつ広々としてはいなさそうだ。
けれど、中は思っていたよりも生活感があった。
台所、水場、物置部屋。
城と比べれば当然見劣りする小屋ではあるが、ひっそりとひとりで生きてゆく分にはじゅうぶんすぎる。
いったいアーデンはいつこの場所を見つけたのだろうか。
本当に、まるで前々から準備していたかのよう。

余計な詮索は必要なかった。
今日から、今からnameが生きてゆく場所はこの小屋だ。
誰にも見られず、関わらず。
nameの生き方は変わったが、アーデンの生きる場所は、求められている場所はここではない。
王都インソムニア。輝かしい国、その中心。
こんな人の便りがこない場所では、今後アーデンの活躍も、成長も、見ることも聞くことも叶わないだろう。
ここから先はひとりきり。
仕方のないことだ。人目を避けるように生きたいと願い、その手をとったのは自分自身なのだから。

唐突な別れだ。何も準備していない。
けれど、アーデンと言葉を交わせるのがこれで最後。
最後の最後まで迷惑を掛けてしまうことに謝罪を述べ、それから今までありがとう、と言葉を繋ごうとした時、アーデンはnameの手を強く握りしめる。

なんでもひとりで解決しようとするのがnameの悪いところだよ。

そう言って笑ったアーデンを、nameは瞬きを幾度も落としながら見つめていた。



それから一年だっただろうか。
アーデンが我が物顔でこの小屋で暮らし始めたのは。

アーデンは語る。全てを。投げ捨ててきた、全てのものを。

王位をソムヌスに譲ったこと。
後事を全て託してきたこと。
アーデン第一王子の存在を歴史から葬り去ること。
民も世界も何もかも、置いてきたこと。

なぜ、どうして。
あんなにも国を人々を愛し、王になるために努力してきたのに。
nameの数々の問いかけも、諭しも、その全てをアーデンの言葉が丸め込む。

俺がnameと居たいから。

nameが居る場所が自分の場所なのだと、nameが安心して生きていられるのなら、nameといっしょにいられるのならなんだってできるのだと、アーデンは言う。
例えそれが国を捨てることであったとしても。
世界から目を背けることだとしても。



星の病。
不思議なことに、唯一アーデンのみが治癒を施せる大病。
その病の終息のために奔走していたアーデンが、たったひとり、nameと生きるためだけにその使命を捨てた。

苦しんでいるひとを救いたい。nameの願いは自分の願いでもあるから。

優しい言葉が、笑顔が、脳裏を幾度も過ぎる。
どこにいってしまったのだろう。あのアーデンは、どこに、いってしまったのだろう。

救世主であるアーデンが突如インソムニアから姿を消したその後のことは、nameは知らない。
何故なら、ここは深い深い、森の中なのだから。

だんだんと、陽が昇っている時間が短くなっているのを意識できていたのは、いつまでだっただろう。
ああ、そうだ、多分、三十年経った頃だろうか。
その時にはもう、諦めをつけていた。アーデンを光の元へ帰す、いや、返すことを。
それどころか、嬉しいとさえ思うようになってしまっていた。
ずっと、歳をとらず、寿命を迎えることなく長い時を生きるかもしれないこの場所で、たったひとりきりではないことが。

二十年前から容姿が変わらないアーデンは自身の身体の変化に驚きを見せてはいたが、早々にnameの不老を見抜き、如何にして己の寿命を延ばせるのか模索していたアーデンからしてみれば、この異常な変化も願ったり叶ったりだったようだ。

ああ、よかった。

ふたりの呟きが重なる。
目と目が合い、どちらからともなく笑い出す空間は、ひどくあたたかいものだった。


それから三十年が経ち、ソムヌスがこの世を去った。
あの時から今までの生きる道も、最期の時をも見ることなく別れたこと。
悲しさはあった。虚しさも。
けれど、隣にはアーデンがいてくれる。
この先も、ずっと。
それだけでnameはじゅうぶんだった。



かつて光に溢れ、命に溢れていた王都インソムニアは今はもう見る影もない。
黒い霧と異形の魔物が蔓延る地。

魔都インソムニアとして、三百年経った今でも、そこにある。

まるで何かを待つように。



「いいえ、私達はあなた達とは生きていけません」

生き方も、生きる道も、みんなとは三百年前から違えてしまったのだから。

男へ向ける視線を鋭くする。
怯んだのかどうかはわからないが、男の歩みは止まり、こちらへ近づく気配がなくなった。

それから背後にいるアーデンの手を握る力を強める。

この子といる。この子と生きてきた。この子と生きていく。
その進む道が人々から希望を奪う結果になってしまった。けれど、後悔はしていない。
後悔できるような人間的な感情は、きっと、もう、既に。

「どうしてそんな頑なに」

男の戸惑うような声と表情。
困惑した男の背に黒い物体が目にも止まらぬ速さで飛び掛かったのは、アーデンがnameを背に隠したのと同時であった。

男の悲鳴が辺りに響く。
骨が砕け、肉が裂ける音。それから生々しい水の音。
おそらく、きっと、想像通りの光景があるのだろうと、心静かにアーデンの背から顔を覗かせる。
ああ、やはり。
想像通り、街道には赤い液体がぶちまけられており、僅か数秒前までひととして形作られていた男の体はただの肉塊と化していた。
肉の塊は呻き声を上げ続ける。即死だったらどれほど救われたことだろうか。意識があるだけ随分と惨たらしい。
ぐちゃぐちゃと。肉塊に頭部を突っ込ませて何かを咀嚼しているのは黒い獣。
夥しい黒い粘液を纏い、四足歩行であることから獣だと推測するしかない程に体表が変形し、生き物としての原型を留めていない、化け物。

やがて黒い獣が顔と思わしき部位を凭れあげる。
滴る黒。滴る赤。血と異臭が酷く鼻につく。

黒い獣は静かにこちらを見つめるだけ。
そしてこちらも、静かに見つめ返すだけ。
どうしてか。
それは、きっと。

「帰ろう、name」

そっと、手を引かれる。
足を返すのは辿ってきた道。
導くような歩みに、一歩、二歩。早めた歩調で追いついて隣に並んだ。

「うん、帰ろう」

ふたりは歩く、家への帰り道を。

背に受けるのは助けを求める呻き声。

ふたりは歩く、仄暗く静かな未来への道を。

手を繋いだふたりを迎えるのは、暗雲立ちこめる暗い世界。


暗い、昏い世界で、生きていく。

あなたと私。たったふたりで。


緩やかに壊れていく、このやさしい世界で。

いつまでも。いつまでも。



――――――――――――――――


■リクエスト内容

長編の愛執の番外編(IF話)
愛執1部の44話後に本当にアーデンが夢主を隠してしまったら
合意でも無理矢理でもどちらでも

如月様、この度はリクエストありがとうございました。
44話執筆当初はこれ本当に夢主隠されてたらどうなったんだろうな、と考えてはおりましたがいつの間にか考えることすら無くなっていました。
ですので、こうして意欲といいますか、考えを文字にできる機会を与えてくださいましてありがとうございます。
44話の時点でアーデン青年は星の病と密接に関与しておりますので、既に手遅れです。
王都を放置したことで星の病は蔓延しててんやわんや……というところまで想像しましたが詳しく設定は練っていないのでなんとなくふんわりと読んでくださいね。
冒頭で朝の描写とか光の描写とかありますが、最後まで読んで頂くとほんとにこれ朝?光ある?ってなるので、次読んでくださるときは夢主にはこの世界がどんな風に見えてしまっているのか想像を働かせながらお目通しくださいませ。
それ本当に小鳥の囀りなの?本当に一筋の光射してるの?
ほのぼのディストピアスローライフを送る夢主とアーデンでお送りしました。
この度はリクエストありがとうございました。



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