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「キャーーー!?えっ!?うそ!?ギルガメッシュ!?あなたが!?おじいちゃんじゃなくてイケメンじゃない!」

ルシス王国の首都、インソムニア。
荘厳な城は今日も静かにその気高さを主張するように聳え立っているが、ここ数日間は纏わせたことのない気配が城中に渦巻いているような気さえした。

「ギーゼルベルトって何!?本名!?何それあたし知らない!ていうかファンもみんな知らないと思うわ!あたしだけしか知らないのね!」
「……お嬢ちゃんよぉ、そろそろ稽古を始めたいんだが」
「お嬢ちゃん!?そんなキャラだったの!?やだ!声もいいし!顔もいい!素敵!」
「……おーい、お前らそろそろ助けてくれてもいいんじゃねぇかなぁ」

つい数日前にインソムニア城の中庭にて突如姿を現した謎の少女、雛野姫乃。
nameの機転により客人という立場でインソムニア城内での生活を許可された彼女は、アーデンやソムヌス達が武芸の訓練をする稽古場に我が物顔で着いてきた。

現在、稽古場にて繰り広げられているのは木刀を打ち合う音ではなく、姫乃の興奮した甲高い声が奏でる一方的な会話。
アーデンとソムヌスの師範となるギーゼルベルトは姫乃の勢いに珍しく引き気味であり、ぐいぐいと身体を近づけてくる彼女から逃げようと半歩ずつ退いている。
しかしその距離も難なく埋められ、また退き、接近を許し、埋められ、を繰り返していた。
やがてとうとう耐えきれなくなったのか、これまた珍しく覇気のない瞳をこちらに向けて助けを求めるギーゼルベルト。
向けられた三人のうち、ソムヌスは苦笑いしながらそれでも動かずに手元の防具を調整しており、アーデンは休憩椅子に腰掛けて隣に座らせたnameに張り付きながら木刀を磨き、それからnameはと言うと、梃子でも動かなそうなアーデンとソムヌスの様子に苦笑いしながらギーゼルベルトと姫乃を眺めることしかできなかった。



インソムニア城での滞在を許されたその日から、姫乃はとても熱い熱い思いの丈を全身でアーデンにぶつけていた。
彼女の何がそうさせるのか、その熱意はとても凄まじいようにnameの目に映る。
カッコイイ、素敵、好き、大好き。彼女自身が持ちうる好意的語群をこれでもかというくらいにアーデンにぶつけたり。
潤んだ瞳で見上げる、甘く蕩ける猫なで声で話しかける、果てには無防備な隙を狙ってその手に触れてみたり。
言葉や視線、声だけではなく、接触を試み始めた彼女の積極的な行動に、姫乃が如何にアーデンに好意を寄せているのかをnameは悟る。

が、当のアーデンは驚くほど彼女に対して無関心で。
姫乃の愛らしいアピールを受けても冷ややかな態度で流し、手に触れられようものならすかさず弾き返したり。
態度はさておき女の子の手を弾き返すのは頂けないのだとアーデンを窘めれば、アーデンは不服そうに小さく頷くだけだった。

つまるところ、アーデンは姫乃のことが苦手なようなのだ。
今まで一目たりとも見たことがないアーデンの表情や言動や行動。行き当たるのは好意的ではないという結論。
少々強引で周りが見えないことがある姫乃だが、nameからしてみるとそれも若さゆえの可愛さのように目に映る。
しかしながらアーデンはそうもいかないようで。

ここ数日間、姫乃はずっとアーデンに引っ付きっぱなしだ。
さすがに入浴時や就寝時は傍に居させることなどできるはずもないが、それ以外の時間はほとんどアーデンと姫乃のペアをよく見かけていた。
まあ、それも先程述べたように朗らかな雰囲気ではないのだが。
朝起きれば姫乃が侍り、昼を歩けば姫乃が擦り寄り、夜を迎えればようやく姫乃から解放される。
心労が溜まるのか、げっそりとした様子のアーデンにソムヌスが声を掛け、久方ぶりとなるギーゼルベルトの稽古場に足を運んだのだ。

ソムヌスはわかっていた。アーデンの心労が姫乃の相手をすることだけではなく、彼女が侍ることによってnameとの時間が奪われていることに対する苛立ちによるものなのだと。
それからソムヌスは妙案を思いついてしまったのだ。彼女の関心が向く他の生贄をすえればよいのだと。
結果的にそれは上手くゆき、姫乃はギーゼルベルトの周りをうろうろと物珍しげに歩き、眺め、一人でいたく興奮している。
その中心にいるギーゼルベルト。最初のうちは可愛らしい歳若い女の子に言い寄られるのを嬉しそうに、いや、楽しそうにしていたのだが、ものの数分もしてみればその変わりようは一目瞭然だった。
アーデンほどまではいかないが、げっそりとしたような空気を纏っている。姫乃の弾丸トークはそれほどまでに凄まじいのだろうか、と、未だ彼女と大して言葉を交わせていないnameは首を傾げる。

ギーゼルベルトという尊い犠牲のもと、アーデンはnameとの久方ぶりの憩いの時を得られたのだ。
さすがにべったりとくっついたり膝を貸したり等は人目につく場所でできるはずもないのだが、それでもアーデンはnameの傍にいられることが嬉しいのか、姫乃の甲高い声に時折耳を塞ぎながらも張り付いていた。
しかしそんな癒しのひと時もあっという間に終わりを告げるのだ。

「でもでもぉ、やっぱりアーデンさんが一番好き!」

小さな兎のようなハーフツインテールをぴょんぴょこ揺らしながらこちらへ駆け寄ってくる姫乃は、アーデンの隣が自分の居場所とでも言うかのようにnameとは反対の場所へと腰掛ける。
それから凭れ掛かるようにアーデンの腕に身体を寄せてご満悦の表情を見せれば、アーデンは助けを求めるかのようにnameを見上げた。

「助けて」
「う、うーん」

言葉にもされてしまった。心做しか迫真めいている。
とりあえず姫乃に声をかけようか。
そう考えてアーデン越しに姫乃を覗き込む。しかし、nameが声を掛けるよりも先にソムヌスが割り込んだ。

「さあ兄上、久方ぶりの稽古です。共にギーゼルベルトさんを打ち負かしましょうね」
「おいおいおい俺でストレス発散する気なの見え見えなんだよ」

にこにこと笑いながらアーデンの手を取ったソムヌスは、そのままアーデンの身体を引き上げるようにして立たせた。
凭れかかる人間がいなくなった姫乃は僅かに瞠目してバランスを崩しかけたが、体幹がよいのか、nameのほうへ倒れることなくぶすくれながら体勢を整える。
受け止めようとしたnameの両手は虚しく宙を彷徨ったけれど、姫乃に大事がない事を確認してその手を膝の上に戻した。
ソムヌスにしては強引なやり方だな、なんてぼんやり思いながらそちらを見上げれば交わる視線。
アーデンは不安そうに眉を顰めながら。それからソムヌスは申し訳なさそうに目を伏せながら。

「行ってらっしゃい、怪我の無いようにね」

姫乃のことは任せろ、と言葉の裏に隠しながらふたりへエールを送る。
するとふたりは曇った表情を少しだけ晴れさせながら頷き、そのままギーゼルベルトのもとへと歩いて行った。

「アーデンさぁん!あたし見てますから!アーデンさんのカッコイイとこちゃんと見てますからねー!」

まるで野球部に声援を送る女子高生のような黄色い声だ。
自身の高校生時代を振り返り、確かに聞いた事のある系統の声援に懐かしさを感じた。
向けられたアーデンは振り返ることなくギーゼルベルトと対話していて、またしてもその素っ気なさにnameは苦笑いを浮かべるしかなかった。



◇◆◇



「アーデンさんかっこいいー!やっちゃえやっちゃえー!」

ガン、ガン、と木刀を打ち合う音の中に混じるのは甲高い黄色い声援。
もちろん、その声の主がnameであるはずもなく、距離を空けて隣に座る姫乃は握りこぶしを突き上げながらアーデンとギーゼルベルトの打ち合いに声援を送っていた。

「きゃーーー!ラスボス戦のときの適当に剣を振ってる姿も素敵だったけど、そういうしっかりとした振り方も素敵ー!」
「ひ、姫乃ちゃん」

ガン。音がいっそう激しく、重くのしかかる。
アーデンの重い一撃を受け止めたギーゼルベルトが困ったように笑い、それからアーデンの舌打ちする姿を目に捉えてしまった。
言わずもがな、姫乃の止むことの無い声援のせいである。
静かな稽古場がけたたましい喧騒に包まれている。それもたったひとりの少女のお陰で。
集中できないことへの苛立ちか、アーデンの顔がどんどん顰めっ面になっていく気配を感じたnameが姫乃に静観を促すが、それでも姫乃は聞く耳を持たずに興奮した様子だった。

このままではアーデンの貴重な稽古時間が実りのないものになってしまう。
それを危惧したnameは、激しい木音の中、姫乃に語りかけた。

「姫乃ちゃん、あの、ちょっとここから離れようか」
「はあ?なに?なんでよ」
「ええと、稽古終わりの時に差し入れる飲み物を用意しに行かない?」
「なんであたしが?見てわからないの?今とぉっても忙しいのよ。ぼけーっと座ってるあなたが行けばいいでしょ」

アーデン達に向けてたものとは正反対の眼差しを向けられてnameはその圧に押される。
言動も尖っており、薄々感じてはいたがやはり姫乃に良く思われていないのだということを改めて実感した。
ここまで嫌われるような行動や言動をとってしまった覚えは無いのだが。
そうは思ってもnameと姫乃は他人であり、姫乃がnameの何を嫌うか、察することはできてもそれを言葉にされない限りnameには明確に理解することなどできないのだ。

「姫乃ちゃんみたいな可愛い子が差し入れくれたら、きっとアーデン君達喜ぶと思うな」

姫乃の気を逸らせるように知恵を働かせる。
姫乃はアーデンのことを大層気に入っている。その熱い思いが届いているかは定かではないが、蚊帳の外であるnameには十分伝わっている。
どうやらここから動きたくない様子の姫乃に、アーデンのためという理由を添えてやれば姫乃はぴくり、と肩を反応させた。

「気の利くいい子だなって、きっと思ってくれるよ」
「あたしがいい子なのは当然でしょ、ヒロインなのよ!」

締めに姫乃への利益をほんのり匂わせれば、素直なのか疑うことを知らないのか、姫乃は頬を緩めて自身有りげに口角を上げた。
それから勢いよく立ち上がり、行くわよ、案内しなさい、と目線で促してくる。
珍しく視線が絡んだことに安堵と仄かな喜びを感じたnameは姫乃に並ぶように立ち上がり、稽古場の出口へと足を向けた。

「name、どこ行くの」
「nameさんどちらへ」

それと同時に掛かるふたつの声。
木刀を持ちながらこちらに駆け寄ろうとしてくるアーデンと、座って打ち合いを見ていたソムヌスが腰を上げているのが確認できた。
今すぐにでもこちらへ飛んできそうなふたりに向けて手の平を向ける。
所謂止まれ、という意味合いを持たせたその行為に、ふたりは意図を汲んだのか動きを止めた。

「飲み物持ってくるだけ。ふたりはそのまま稽古していて」
「僕も行きます」
「いいの、私と姫乃ちゃんで行かせて」

現在打ち合っているのはアーデンだ。
控えるように待機していたソムヌスが気を利かせてくれるのは有難かったが、これはふたりの稽古。
そもそも少しばかり騒がしく、アーデンやソムヌスの気を散らせる姫乃を僅かでも退場させる意味合いを持たせているため、ソムヌスがこちらに来ては意味がないのだ。

「ですが」

それでも尚渋る様子のソムヌスにゆるりと首を縦に振る。
ソムヌスが何を心配して渋っているのか少々理解が及ばないが、大丈夫だから、と根拠のない頷きを返せばソムヌスは唸るようにしてその足を引いた。
続いてアーデンを向けば縋るようにこちらを見ていて。
そんなに私は頼りないのか、と見当違いな想像をしたnameは苦笑いを浮かべながらもソムヌスへ向けたものと同じように頷いてみせた。

動きをみせないふたりを確認したnameは姫乃を連れて稽古場を後にする。
扉の閉まる音が重く、木霊したように思えた。



◇◆◇



姫乃はnameに対して無関心である。
時折鬱陶しそうに、邪魔者を見るように冷たい視線をこちらへ向けることはあるけれど、それ以外は本当に無関心だ。
そもそも、姫乃の中ではアーデンとnameへ向ける関心など雲泥の差。
アーデンに寄り添うように常に傍を歩き、少しでも気を引こうとしているのか、キャッチボールにもならない会話を繰り広げるほどに姫乃はアーデンに構い倒している。
そんな忙しない日々の中でnameが姫乃とふたりきりになったことなど無いと言っても過言ではなかった。

が、今はどうだろう。
稽古場から厨房への僅かな道程ではあれど、奇跡的に姫乃とふたりきりになれている。
アーデンとソムヌスのためではあるが、nameにとってもうひとつ、重要な目的があった。

それは地球について聞き出すこと。姫乃と、nameの故郷について聞かせてもらうこと。

姫乃がインソムニア城に現れたあの日、顔を合わせてこちらを認識した姫乃が零した独り言が、nameはずっと気にかかっている。

こんな日本人顔のキャラいなかった。

日本人という長く耳にしたことも口にしたこともなかった言葉。
愛しい故郷。遥か遠く、別の次元の愛しい故郷。
姫乃がどんなに怪しくとも、その言葉だけで縋ってしまいそうになるほどにnameはずっと気にかけていた。

どうしたら帰れるのか。向こうは今どれだけの時間が過ぎているのか。そもそもどうしてこのような状況になったのか。
訊きたいことは山程にある。
けれど自身が異世界の人間であることを知っているのはこの世界に来た時に出会った二十四使と呼ばれるあの女性、ひとりだけだ。
異世界人であることを隠しているわけではないが、従使などという大層な呼び名を預かった身として、アーデンのため、ソムヌスのため、立場が危うくなるような言動は避けたかった。
故に、他者の前で姫乃にその話を振ることなくここ数日過ぎていた。

しかし好機に恵まれたのだ。姫乃とふたりきりという、絶好の機会。
今なら話せる、今なら訊ける。
こちらが案内しているというのに浮き足立って先行する姫乃の背に、nameは緊張した面持ちで話しかけた。

「姫乃ちゃん、訊きたいことがあるの」

足を止め、姫乃の背に言葉を投げかける。
こちらのことなどお構い無しに歩いて行ってしまうのを想定していたが、姫乃は立ち止まり、面倒そうに振り返った。
辺りにひとの気配はない。そもそもこの時間帯に厨房付近を利用する使用人がいないことをここ数年で確認済みだ。
本当はどこか部屋を借りて話し込みたかったが、いつ姫乃の気が変わるかわからない。
ここが勝負時なのだ。

「姫乃ちゃん、日本のひと……だよね」

訊ねるような口調ではなく、断言するように言葉を向ければ、姫乃は眉を顰めながら口を開いた。

「まさかとは思ってたけど、あなたもなの?」

肯定の言葉は得られなかったが、も、という副助詞が聞けただけで十分だ。
あなたも。つまるところ私も。
あまりの感動に強く頷き、一歩詰め寄るように身体が動いてしまう。

「そう、そうなの、私、日本生まれで、突然こんなことになって、どうしてこの世界に来てしまったのか何もわからないの」

頭は働いているけれど、気持ちが追いつかない。
話したいことがたくさん溢れてきて収集がつかず、言葉に詰まりながらも縋るように姫乃に投げかける。
教えて。どうして異世界に来てしまったのか。
教えて。どうしたら元の世界に戻れるのか。
ずっと歳下の女の子に対してなんとも情けない姿ではあるが、nameはそれだけ必死なのだ。

「そう、やっぱりあなたもトリップ主なのね。しかもライバル枠」
「え?」

こちらの質問の答えになっていない言葉が姫乃から冷たくぶつけられる。
あなたも、と姫乃は先程言っていた。
それは同じ故郷から来たもの同士、という意味合いであると解釈していたが、今の言葉を聞くにトリップ主、というよくわからない単語に付随しているような気がしなくもない。
どちらにせよ意味がわからないのだ。
困惑するnameは姫乃の冷ややかで敵対するような圧を感じながらも退くことはしなかった。

「ええと、そのトリップ主って?この世界に来たらそういう名前がつくの?」
「ヒロインであるあたしが優遇されるべきなのに、やけにアーデンさんと仲が良いと思ってたのよね。まあ、あなたがライバル枠っていうのなら納得がいくわ」
「何の話を……」

会話にならず、困り果てて眉を寄せるnameを気にすることなく姫乃はずかずかとこちらへ歩み寄って来た。
美少女が纏う気迫が鋭い。
どうしてそのような感情を向けられなければならないのか、nameは欠片もわからない。

「あたしのほうがずっとアーデンさんのことを知っているわ」

ずい、と迫られ、一歩たじろいだ。

「プレイ時間だってきっとあなたよりずぅっと長いしエピソードアーデンだって何度も周回したしアーデンさんとのドライブや台詞だっていろんなパターンを回収したわ」
「あの、姫乃ちゃん」

睨みつけるような視線を間近で浴びせられ、どう反応すればよいのかわからない。
しどろもどろになるnameの胸倉を掴んだ姫乃は、そのまま威嚇するように言葉を続けた。

「あたしのほうがアーデンさんを知ってる。アーデンさんの苦しみや悲しみを知ってる。癒してあげられるのはあたしだけよ。あたしだけがアーデンさんの傍で生きる権利があるの。みんなに愛されて、アーデンさんから一番愛されるのはあたし。アーデンさんもあたしを一番愛してくれる。そう決まっているのよ。だってあたしはヒロインだもの。アーデンさんのことをなんでも知っていて愛される資格があるヒロインなんだから。アーデンさんはあたしと生きるの。あたしを愛することが決まっているの。だから邪魔しないで」

つらつらと休みなくぶつけられた言葉たち。
最後にどん、と肩を強く押されてnameは鑪を踏んだ。
呆然と見つめるのは姫乃の怒りの形相。
先程まではその圧に恐ろしささえ感じていたけれど、今は静かに、心落ち着くような不思議な感覚だった。

「姫乃ちゃん、それは違うよ」

すっ、と真っ直ぐな言葉が零れた。


「アーデン君が誰を愛するか、誰と生きるかを決めるのはあなたじゃない」


姫乃の言葉はひどく自分勝手だ。
自分が一番、自分の思い通りになる、自分が一番幸せになる。
そう思うのは構わない。誰だってそう思いたいものだから。
だが、その思想の中にアーデンがいることに引っ掛かりを感じた。
それがアーデンではなく他人ならば引っ掛かりを覚えることなく流してしまうのだろうが、アーデンとの縁があるnameはどうにも流すことなどできなかった。

「アーデン君にはアーデン君の人生がある。それを全部決めつけるようなあなたの発言を、私は聞き流せない」

アーデンの意思など関係ない。アーデンのこの先の生を全て掌握している。愛情の向く先を勝手に解釈している。
そんな身勝手な言葉の数々であの子の全てを決めつけないで。

「アーデン君を誰よりも愛してると言うのなら、誰よりも理解していると言うのなら、そんな自分勝手な言葉、言えないと思う」

アーデンという人間を愛すること、愛されることに資格だの権利だの必要ない。
アーデンは姫乃のものじゃない。ちゃんと意思や感情のある、ひとりの人間なのだ。

「ちゃんと彼を見て、向き合って、それでも同じことが言えるのならあなたの思いはきっと本物だよ。でも、私はあなたの言葉をずっと違うと言い続ける。あなたとアーデン君が結ばれたとしても、ずっと」

アーデン君を理解した気になって勝手な言葉で全てを決めつけたこと、私は覚えてる。

しん、と辺りが静まり返る。
冷静に姫乃を見つめるnameとは裏腹に、姫乃は愕然とした表情を怒りに染めてゆき、固く拳を握りしめた。
愛らしい丸い目元が釣り上がる。怒気に塗れた言葉が、nameに牙を剥いた。

「偉そうに説教!?あんた何様よ!?」

静かな廊下に姫乃の怒声が響き渡る。
アーデン達に向けていたキンキンとした黄色い声以外にもこんな声が出せるのか、とnameは心静かに怒りを受け止めていた。

「あんただってアーデンさんのことを何も知らないくせに!アーデンさんがどれだけ辛い人生を送るかも知らないくせに!わかった気になっているのはそっちでしょう!」
「うん、そうかもしれない」

確かに、そうかもしれない。
姫乃と同じく、アーデンのことを理解した気になっているだけなのかもしれない。

けれど、アーデンと一緒にいた時間、過ごした時間は本物だ。
姫乃がどれだけアーデンのことを知っているのかは定かではないが、nameはこの身体で感じた、経験したアーデンとの時間が、確かにある。
全てではないが、アーデンの為人を理解した上で、大切に思っているからこそ、姫乃の言葉に反感を覚えたのだ。
そう、大切に思っているから。

「あの子のことを大切に思っているから知りたいと思う、教えて欲しいと思う。わかったような気になっているのは、あの子と過ごした時間が本物だからだよ」

知らないことは教えて貰えばいい。わからないことは訊けばいい。
もちろん全てを知ることなどできはしないのだが、信頼関係を互いに認めあえれば、それだけできっと理解し合える。

「この邪魔者……!」

歯を噛み締め、姫乃が右手を大きく振りかぶった。
これは張り倒されるやつだ。よくドラマで見た記憶がある。
嫉妬や怒りに狂う女がとる行動を、まさか自分が受けることになるとは。
なんて妙に冷静な面持ちでその右手が動くのを視界に捉えていた。
この年頃の子は怒りに駆られると後先考えずに行動してしまうものだ。
一度落ち着き、自分の言動や行動を振り返ったり、相手の意図を汲むことなどできないほどに思考や経験が浅い子もいる。
もちろん、name自身の言葉が全て正しいわけではないので、姫乃がそうに至る人格の持ち主である可能性も無きにしも非ず、だ。

とりあえずこの怒りを落ち着かせるために一発貰った方がよいだろう。
痛いよね。
なんてわかりきったことをぼんやり思いながら、ぎゅ、と唇を噛み締めて目を閉じた。


「待て兄上!!」


が、ソムヌスの怒声が背後から聞こえてきて驚きに目を見開く。
一陣の風がnameの頬を掠めたと思ったら目の前には見慣れた背が立ち塞がっていて。
振り上げた姫乃の腕をへし折れてしまうのではないかと思うくらいに掴み上げたアーデンの背は怒気を発していた。

「今何しようとしていた」

発していた、のではなく、発している。
怒りを滲ませる地を這うような声音は、大声でもないのに冷ややかに廊下に響いた。

「nameを傷つけることは絶対に許さない」

アーデンの大きな背に隠されて見えないが、姫乃の苦痛の声が耳に届いた。
掴まれている姫乃の手が小刻みに震える。
このままではいけない。
nameはアーデンの背に触れ、並ぶように前に出た。

「アーデン君、離してあげて」
「name」
「大丈夫だから」

隣から見上げたアーデンの視線がこちらを向く。
垣間見えた怒りの色が、こちらを見留めるなり不安げに揺れる。
身体は大きくなったのに表情は昔のままだ。
落ち着かせるように微笑めば、アーデンは渋々ながらも姫乃の手を解放した。

「姫乃ちゃん、大丈夫?」

だらり、と下ろされた姫乃の腕を取り、服の袖を了承なく捲る。
手加減することなく掴みあげたのだろう。アーデンの手跡が姫乃の白い肌の上に赤く浮かび上がっていた。

「医務室に行って湿布か何か貰いに行こうか」
「あ、あた、あたし……あたしはただ……!」
「姫乃ちゃん?」

ガタガタと震え出した姫乃は声を震わせながら怯えるようにして言葉にならない音を発する。
その原因が背後に立つアーデンからの怒気だと察したnameは、一旦姫乃と共にこの場を離れようとするが姫乃はnameの手を振り払い、背を向けて一目散に駆けて行ってしまった。

「姫乃ちゃん!」

手を伸ばし、追いかけようとした。
が、素早く伸びてきた腕がnameの手を掴み、腰を引かれ、先に進ませまいと後ろから抱きしめられてしまった。
その原因を推察する必要もない。
後ろから覆いかぶさったアーデンは、nameに縋るようにして首筋に顔を寄せて黙したままだ。

「nameさん、無事ですか?何かされませんでしたか?」
「ソムヌス君。うん、私は何も、大丈夫」

動けないnameの視界に入り込むようにしてソムヌスが姿を現した。
彼もまた苛立たしげな表情を浮かべてはいたが、nameの身を案じる姿はいつものそれで。
どれほど心配をかけてしまっているのか、nameは自覚せざるを得ないのだ。

「どうしてここに?」
「……やはりnameさんのことが気になって」

抜け出して来たのだと。
まあ、ギーゼルベルトの承諾が得られているだろうから、抜け出すという表現が合っているかは定かではない。
結局稽古を中断させてしまった、と落ち込みはするが、それよりもやらねばならないことがあった。

「アーデン君」

腰に回された腕をぽんぽん、と叩く。
離すよう促してもアーデンは張り付いたままで、困ったようにしてソムヌスを見上げても彼は首を横に振るだけだった。

「大事な話をしたいの」

呼びかけるように静かに言葉を紡ぐ。
みっつ、呼吸を数えたのち、緩慢な動作で身体を解放された。
向き直り、アーデンを見上げる。
へにゃり、と眉を下げたその様子は怒られるのを待っている子供のようにも思えた。

「姫乃ちゃんの腕を掴みあげたこと、後でちゃんと謝ろう」

nameを守るという名目であることを十二分に把握しているつもりだ。
だがそれとこれとは別で。
姫乃の腕は痛々しいほど赤色に染まっていた。
あの怯えようは、アーデンの怒気だけではなく振るわれた暴力にもよるものなのだろう。
思い返すとこちらまで辛くなってくる。

「でもあいつ」
「アーデン君」

聞く耳を持たない、わけではないが、姫乃の身を案じるどころか吐き捨てるような物言いをするアーデンを、nameは語気強く窘める。
あまり聞かない声色に、今度はアーデンが言葉に詰まっていた。

「理由はなんであれ、いいことだとは思えないよ。誰かを傷つけたらごめんなさい、昔から言ってるよね」
「……うん」

段々と気落ちするように首も肩も下がるアーデン。
決して怒ってるわけではないのだが、言い方がよくないのだろうか。
けれどアーデンならばnameの言いたいことも、意図も理解してくれている。
それがわかっているからnameは言葉を続けるのだ。

「じゃあこの話は今はおしまい。次は」

ゆっくりとアーデンの頬へ両手を伸ばす。
そのままやんわりと頬を包んで視線を合わせれば、アーデンは少し驚いたような表情を浮かべた。

「庇ってくれてありがとうね」

nameが受けるはずだった平手打ちを防いでくれたのはアーデンだ。
あれはnameが受けるべきものではない。完全に姫乃の感情に任せた暴力だった。
正直なところ痛いのは御免被りたかったので、アーデンの登場はとてもありがたいものだったのだ。

アーデンの頬を包んだまま微笑めば、ゆらりとその瞳が揺らめく。
耐えきれない、といった様子で真正面から性急にnameを掻き抱いたアーデンは、そのままいつものように落ち着いてしまった。
仕方ないなぁ、と、あやすようにぽんぽんと背中を叩けば抱擁は強まるばかりだった。

「兄上がすっ飛んで行った時は血を見るかと思って焦りましたよ」
「いやいやそんなさすがに」

ふたりの様子を見てにこやかな笑みを浮かべていたソムヌスはアーデンの様子を語りだした。
血を見る、とは流血沙汰になる寸前だったのだろうか。
アーデンは姫乃の腕を掴んだだけだった。
殺傷力のある行為に及ばないだけの理性があったはずだから、そのことを聞いたnameは苦笑いを浮かべながら否定した。
が、ソムヌスは薄目でにこやかに微笑むだけで。
あれ、本当に危なくなる一歩手前だったのかな、なんて薄ら寒い想像をしてしまったのだ。

「ありがとう、name」
「ん?」

唐突にアーデンから礼を言われたnameはそうされるだけの理由に思いつけず、アーデンの背を宥めながら聞き返した。

「俺の事、大切に思ってくれて」

思い当たる節があった。
姫乃の言葉に反論をした言葉の数々だ。
アーデンが大切だからこそ口にした言葉に後悔や恥ずかしさなど微塵も無い。
けれどそれを本人に聞かれたとなると、少しだけ、ほんの少しだけ恥ずかしいと思えた。

「聞いてたんだね」
「あの馬鹿女がプレイ時間がどうとか意味のわからないことを言い始めたぐらいから」
「馬鹿女って……」

なんとも酷い言い様である。
アーデンが口悪くなることなど早々ないのだが、それほどまでに姫乃のことを快く思っていないのだろう。

そこでnameは思い至る。
アーデンとソムヌスが会話を盗み聞きしていたのなら、異世界や日本のことを話していたことも聞かれてしまったのだろうか、と。
会話を遡るだけの余裕がないが、確か、その会話をしたのは姫乃が捲し立て始める前だった気がする。
きっと、聞かれてはいないのだろう。まあ、聞かれていたとしても彼らにだけなら構わないか。
なんて考えを巡らせ、それからアーデンを身体に貼り付けながらnameは姫乃との今後を思い憂いた。




――――――――――――――――

■リクエスト内容

短編「来訪者」の続き
嫉妬丸出しの愛が重いアーデン

アヤ様、この度はリクエストありがとうございました。
来訪者の続きは私自身も書きたいと思っていたので、こうして機会を設けてくださいましたこと、感謝申し上げます。
嫉妬丸出し愛が重め。佐森はやりすぎる傾向にあるのでマイルドにしてみました。如何でしたでしょうか。
少しでもお楽しみいただけますように。
リクエストありがとうございました。




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