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佐森へのお題は〔どこまでだって、追いかける〕です。
〔会話文のみ禁止〕かつ〔匂いの描写必須〕で書いてみましょう。





始まりはなんだっただろう。
必死に思考を巡らせても、背後からずっと鳴り続ける厚いブーツが石畳を踏む音に惑わされ、答えに辿り着けない。
私が何をしただろう。
何もしていない。そう、何もしていないのだ。自信を持って言い切れる。
ただ目が合っただけのように思う。
沢山の人間に囲まれた長身の彼。銀色の長い髪に恵まれた体格。それから神様が愛を込めて手を施したであろう美しい容姿。
顔の造形が整っているひとは大勢見てきたが、彼の美しさは息を呑むほどで。
ああ、そうだった。足を止めて見入ってしまったんだ。
ほんの数秒。たかが数秒。みっつ呼吸を数えるだけの、僅かな時間。

まるで示し合わせていたかのようにこちらの姿を収めた深い浅緑色の瞳が見開かれたところから、きっと始まってしまったのだ。


コツコツコツコツコツコツ


ずっと鳴り続けるブーツの音。
私の靴ではない。私の靴はヒールの無い、底の低いものだ。言うならば運動に適したようなものだろうか。
足音なんて響かない造りの筈で。だから相手も足音で追える筈もないのに。
息を切らせながら走る足はそのままに、後ろを勢いで振り返る。
何度も確認した、闇に溶け、揺れる銀色。
あの男はまだ私の背後を追い続けていた。
追われている。そんなの自意識過剰だと笑われてしまうのかもしれない。
けれど聞いて欲しい。この鬼ごっこのようなものを続けてかれこれ一時間弱なのだ。
なんだか嫌な気配を感じて複雑に入り組んだ道を通り、わざと大回りするように通り抜けてもずっとずっとついてくる。
現在世話になっている住処にこのまま戻れば、怪しいこの人物を招いたせいで迷惑がかかってしまう。
帰るに帰れない。土地勘の無いくせに複雑な道を進むせいで周囲にはひとがいない。
いや、いるのか。背後に。

ブーツの音を背後に据えながら当てもなく彷徨うように走っていれば、前方に光が射した。
人工的な明かりだが、あれは大通りを照らす光。
よかった、ひとがいるところに出れば少しは安心できる。それに助けだって呼べる。
安堵から一気に足を踏み込む。
もう少し。もう少しで暗い路地裏とおさらばできる。

はずだったのに。

音が止んだ。
コツコツ鳴っていた音が突然消える。
不思議に思ったけれど、それならそれでよい。もう気にも留めたくは無い。
前しか見ていなかった。光しか見ていなかった。

その視界が黒に覆われる。

これは、いけない。
有りっ丈の悲鳴を上げようと口を開くが、その口も覆われる。
背に感じるのは体温だろうか。あたたかな温もりがこれほど恐ろしいとは思わなんだ。
視界を奪われ、声も奪われた。
かたかたと震える身体。
鼻腔を擽るのは花の香りに混じる薬品の匂い。
機械に囲まれ、常に排気ガスが煙るこの街に居るとは思えない香り。
何処か懐かしさを覚えるけれど、依然恐怖に捕らわれていることに変わりは無い。
自由な腕で抵抗を試みようとした矢先、耳元に感じる熱い吐息。
やけに艶のある声で愛おしそうに紡がれたものは、私の名前だった。


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