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温めて孵るもの

太いけれど、無駄な肉なんて全くついていない腕を抱き込んで横になっている。頭を預けているのは腕の持ち主の肩口で、背にはその胴体がある。相手の小脇に滑り込んでぬくぬくと暖を取っている私は、暖房を程々に利かせた室内ということもあって微睡んでいた。少し硬すぎるという点を除けば、この腕は保温性に優れた良い抱き枕である。

「おい、寝るならベッド行けよ」
「んー…」

ベッドに行けば本格的に寝入ってしまうからここでいい、と返せない程度には意識が溶けている。軽く身を添える程度だった腕を深く抱き込んで、暗に移動しない意思を伝えれば溜め息が聞こえた。それでも振り払わないのは優しさなのか物臭なのか、私には判別出来ない。だって私は彼の恋人を名乗ることを許されてはいるが、彼のことをまるで知らないから。
大きな手が頭を撫でる。

「ったく…仕方ねえな」

彼こと尾形百之助との関係が始まったのは半年くらい前に遡る。
その日、私は大学に入ってから仲良くなった友人と大学構内にあるカフェでお喋りをしていた。
友人は何故私のことを気に入ってくれたのか分からないくらいにお洒落で綺麗な子で、講義が終わると彼氏候補の男の子達と日替わりで遊びに行く程度には肉食系だが、遊ぼうとかご飯行こうとか誘うとこちらを優先してくれる様な子だった。あまり人とつるんで行動しない私に彼女が興味を持って話しかけてきてくれたのがきっかけとなり、講義までの空き時間には何となく集まって何となく話をする様になって暫く。彼女は不意にこんなことを問いかけて来た。

「かなみって誰かと付き合ったことある?」

あまりに唐突な問いに、直前の話題は頭から吹っ飛んだ。どうしてまたそんなことをと首を捻るが、私が出すべき答えは決まっている。

「無いけど…いきなりどうしたの」

生まれてこの方、異性と付き合ったことも無ければ告白されたことも無い。流石に恋をしたことが無いとは言わないが、夢中になったことが無いから忘れてしまっているものもあるだろう。我ながら淡白な人間だと思う。

「いや、そう言えばアンタの口からそういう色気のある話聞いたこと無いなと思って。 もしかして結婚願望無い人?」
「いや、あるよ。 子供好きだし、二人は欲しいなって思ってる」

質素で平凡ながら円満な家庭で育てられた。自分もいつかこういう家庭を築くのだろうと漠然と思いながら成長してきて、今はどんな相手と家庭を持つのだろうと思い描いている。白紙の顔の夫に覚えるときめきは無い。

「じゃあそろそろ誰かと付き合うくらいしてみたら? 大学出たらもうそんな暇無いかもしれないんだからさあ」

成程、一理ある。まだどんな会社に就職するかなんてわからないが、もしかしたら仕事が面白くてプライベートに割く時間を惜しんだりする自分がいるかもしれない。

「でも相手がいないしなあ」

サークルに入っておらず、ゼミが始まるのは三回生からだ。それまでに異性と関わろうと思うなら自分から声をかけるしかなく、しかしそれだって誰に声をかければいいのかわからない。声をかけた時点であなたに興味がありますよということになるのだから、ある程度は慎重に行きたかった。

「誰か紹介しよっか? アンタのマイペースさに丁度良さそうなの、何人か知ってるし」
「待って。 私ってマイペースなの?」

初めて言われた言葉に動揺する。私としては自己を空気の読める引っ込み思案だと思っていたのに、ある意味真逆ではないか。

「自覚無かったの? マジで? アタシと付き合えてるんだから相当マイペースだよ、アンタ」

彼女がマイペースなのは分かる。一匹狼風の遊び人といった振る舞いは、連れ立ってスイーツを食べたがる同年代の女子らとは確実に一線を画している。
…そうか、そういう彼女と親しく友人となっているのだから、私もそういう部分があるのかもしれない。

「優しい人がいいな」
「うん、そういうトコがマイペース」

最低限の希望を述べたところ、苦笑いで溜め息を吐かれた。そうして彼女に紹介されたのが彼、尾形百之助である。
正直、初めて会った時から今に至るまで彼を優しいと思ったことは無い。私以上に、友人以上にマイペースを極めた彼は唯我独尊という言葉がよく似合った。
けれど友人同様、どうしてか私を気に入ってくれたらしい彼は初めて会った日から暫くは三日と間を置かずに声をかけてくれた。何処其処に行くが一緒に行くかとか、今日暇なら飯に行くぞとかあくまで自分本位な誘い方は、しかし主体性に乏しい私にはありがたかった。
そうしてもう暫く経った頃、彼の家に初めて招かれた日に、恋人でもやってみるかと持ちかけられて今に至っている。肉体関係無しにあくまで真似事をしてみるだけというそれは、とても楽しそうな誘いに聞こえたのだ。

「…何の音だ?」

片足どころか両足揃えて夢の世界に突入しようとしていた私の意識を、何かの電子音と、それを訝しむ尾形の声とが呼び戻す。
ビービー煩い、ブザー音を模したその音は聞き馴染みがある。尾形の腕に絡めていた腕を解いて、のそのそと四つん這いで移動を開始した先にあるのは私のスマートフォンだ。画面に表示されるスヌーズという四文字の下にある、停止ボタンをタップする。ぴたりと静寂を取り戻した部屋の外はもう暗く、手の中にあるそれで時刻を確認すれば終電まで一時間を切っていた。うとうとしているだけと思っていたが少しは眠っていたらしい。

「帰るのか」

思ったよりも至近距離から落ちてきた声に背後を振り仰ぐ。背に張り付く様な距離に迫っていた尾形の胡乱気な眼差しは、私の手の中にあるスマートフォンに注がれている。

「うん、終電前に乗らないとね」
「泊まればいいだろ」

返す声は我ながら完全に寝惚けていて呆れる。うがいしてからお暇しようとささやかに広げていた荷物を畳もうとした手は、しかし尾形に捕まった。そしてかけられる誘いは最近やたらと繰り返されるもので、私は都度同じ言葉で断っている。

「寝床別にしてくれるならいいよ」

独り暮らしの尾形の家にベッドが一つしかないのは当たり前で、故に寝具が一揃いしか無いこと、この時間から買い求めるのは不可能だということを知った上での発言である。というか同じ文句で断りを何度も入れているのに相変わらず揃えていないあたり、尾形もそう本気で誘っている訳では無いのだろう。一瞬憮然とした表情を見せた後、律儀にも駅まで送ってくれるべくコートを取りに行く。
…いつもの流れならそうなるはず、だったのだが。

「同じでいいじゃねえか、恋人なんだから」

今日に限って何故か言い募ってくる尾形に度胆を抜かれる。しかもその理由が恋人って、私達は真似事をしているだけであって実際にそういう間柄では無い。それは持ちかけてきた張本人が一番よく分かっているだろうに、どうしたのだろう。

「何もしない」

だからいいだろうと言外に迫られていると知る。私程度の腕力では握られた手を振り払うことは出来ず、隙を窺って抜き取るしか出来ないのだが叶う気がしない。
…それにしても暖かい手だ。意外に子供体温の彼は冬でも触れているとぬくぬくと温かく、一緒に寝たらきっと快眠が約束されている。

「でも、準備無いし…」

ぬくぬくと微睡んでいる瞬間が好きだ。尾形と恋人ごっこをする様になってから他人の体温の心地良さを知り、ひとり寝だと寝つきが悪くなってしまった。
だから尾形と同じベッドで寝るというのは願ったり叶ったりではあるのだが、一度でも味わってしまったら二度三度を望んでしまうだろうことが容易に分かって躊躇せざるを得ない。
ごっこではなく、本当に恋人になりたくなってしまう。

「女物のシャンプーだのはねえが、試供品で貰ったモンがある。 今日はとりあえずそれで凌げるだろ」

意外だ。そういう物をとっておくタイプだとは思わなかった。

「着替えは貸してやる。 下着は…どうしても替えてえんならコンビニ行くぞ。 売ってるだろ、最近は」

尾形の服はきっと私には大きい。襟ぐりも袖口もきっと隙間は大きくて、この真冬の夜をやり過ごすには人肌が必要になるだろう。

「…化粧水も買わないと」

コンビニで化粧品の類を買い揃えるとなるとどうしたって割高になる。財布の中身が間に合うか少し心配だったが、その出費も仕方ないと割り切れる程度にはお泊まりに胸が弾んでいた。
私の答えを受けて、尾形がにんまりと笑う。

「全部買ってやるよ」

言って近付いてくるその顔が、唇が額に触れる。もしかして恋人ごっこは今日までかも知れないと予感した。



これ程までに色気の無い女に惚れた自分が信じられない。寝転んでいた自分の小脇に滑り込むなりくうくう寝息を立て始めた頭を見つめながら自嘲する。

「おい、寝るならベッド行けよ」

腕に巻きついた柔らかい身体が更に力を込めてくる。二の腕にあたる双丘の感触に誘っているのかと疑うが、すっかり眠気に蕩けた横顔を見る限り、ただ湯たんぽを離すまいとしただけだろう。こいつでなければ、惚れた弱味が無ければ鬱陶しいと振り払っているところだと嘆息する。
…このままベッドに連れ去って朝まで共にいられたらどれだけ幸せか。
しかしそれをしたら彼女は二度とここへ来ないことは目に見えていた。
何故なら彼女は、日鳥かなみは恋人であって恋人でない。
こうして気兼ねなく触れ合うだけの関係に至ってもこの部屋で朝を迎えようとしないのは、その関係故に一線を引いているからだと察していた。

「呑気に寝るくせになんで泊まるのは駄目なんだよ」

抱え込まれた腕をわずかに引いて、肉の薄い背を自分の胴体にぴたりとつけさせる。肩口に乗っていた頭がもぞりと動き、程なくして居心地の良い場所を見つけて大人しくなる。その頭のてっぺんに鼻頭を押し付ければ、彼女が愛用しているのだろう洗髪料の香りが鼻腔を満たした。
甘ったるい匂いは好きではない。花の香りだってよく分からない。
けれど彼女から香るというだけで、いつしか尾形もこの香りを好む様になっていた。彼女が部屋を去った後、漂う残り香が段々と薄まっていく寂しさは言葉にならない。

「かなみ…かなみ」

抱き込まれていない方の腕で彼女の首筋に指先を這わせ、鼻先を寄せる。香水をつけない彼女のそこから香るのは混じり気無しの彼女自身の体臭だ。彼女が起きている間は嗅ぐことすら出来ないそれを、じっくりと堪能する。時折唇が触れてしまうのは不可抗力である。たぶん。
仰向けになっていた身体を彼女の方へ向けた際、ゆったりと頭を擡げていた股間がその尻へ埋まってしまうのも不可抗力だ。恐らく。

「ふ…」

それはどちらの口から漏れた呼気だったのか。
押し付けては離すのを繰り返しながら、尾形は硬度を高めていく自身に危機感を覚えている。けれど中々止められない。完全に勃ってしまったら処理するしかなく、その最中に彼女が目覚めたらどんな顔をするだろう。
肉体関係無しで、恋人という関係性を体験してみるだけと言いくるめて今の関係に持ち込んだのだ。約束と違うと離れて行くのは、有り得ない話ではない。

「…ちくしょう」

結局惚れた方の負けだと思い知りながら腰を引く。じんわりと篭もり始めていた熱が発散するのを、目を閉じて待った。
…かなみとは、共通の知人の紹介で出会った。派手な見た目にそぐわずしっかり者のその女は、アンタのマイペースさによく似合う女を紹介すると言って連れて来られたのがかなみだったのだ。
最初は地味で眠たそうな女だと思ったが、愛想の無い自分の振る舞いに物怖じしないところが気に入った。我儘も無く、かと言ってリードされたがる様な甘えも無い淡白さも良い。
…それが物足りないと思う様になったのは、何度目のデートの時だろう。
何か派手な反応を引き出してやりたくて、彼女が好みそうなところへ連れ出すのが目的になったのは。
それまで自分の用事に彼女を同行させていた名ばかりのデートが、本来の意味でのデートに変わる。ある水族館に行った帰り、彼女が満面の笑顔でまた来たいと言った時の嬉しさは未だ忘れていない。
恋人になりたいと、その時に自身の想いを自覚したことも。

「俺以外にこういうことさせねえからな」

自身の腕を抱き枕に眠る姿を見る度に決意を新たにする。
その淡白さ故にいまいち彼女の気持ちに確信が持てず行動しあぐねていたところ、そう言えば自分が引き合わされたのは彼女に経験値を積ませる為だったと思い出し、思い付いた妙案が恋人ごっこの提案だった。友人としては有り得ない、肉体関係一歩手前の触れ合いをする関係になって疑似体験してみないかと。
面白そうだと二つ返事で頷いた彼女を、もう逃がす気など無かった。
そして今夜こそものにするのだと燃えるにも理由がある。恋人ごっこなんて妙な真似してるくらいなら別の男を紹介すると、かなみの友人を自称するあの女に宣告されたのだ。
意気地無しに友人は渡せないと息巻く姿に後がないと知り、どうやって頷かせたものかずっと考えているが未だ何も思い付かない。最悪力ずくという選択肢も残しつつ、気が付けばこの時間になってしまったと頭を抱える。
それでも諦める選択肢だけは頭に無い尾形が、真正面からの力押しで彼女を手に入れるまであと十分である。