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山猫の忍び足

尾形と付き合うにあたり、先ず彼に報告しないといけないことは分かっていた。今まで散々助けを求めておいて結局こうなったとはとてつもなく言い難く、ミーハーな気分であったと言えど密かに恋心を懐いていた相手とくれば尚のこと。
けれど誰か別の人間の口から彼の耳に入る居た堪れなさを思えば踏ん切りもついた。
大学構内で、講義終了後にお目当ての杉元くんと待ち合わせる。構内にいくつか点在する中庭というか坪庭というか、中でも日当たりが悪いからと夏以外は滅多に誰も来ない一ヶ所は内緒話にうってつけだ。どうしたのと首を捻る杉元くんに向き直り、腰を直角に折って報告を上げる。

「尾形と付き合うことになりました」
「大丈夫? 脅された? 無理矢理じゃない? ぶん殴ろうか? アイツの顎くらい何回でも割るよ?」

殆ど言葉尻を喰って上げられた杉元くんの声はいつも通り優しげだったが、その内容は物騒に過ぎた。しかしどれもこれも私を心配してくれているからこその言葉で、そも私が尾形から助けて欲しいと声をかけたのが彼との始まりだった。
最寄駅が同じとは言え、終電間際になっても帰ろうとしない尾形を摘まみだして貰う為に何度彼を呼んだだろう。嫌な顔ひとつせずに駆け付けてくれる彼を好きにならない方が無理で、緊急避難用とは言え合鍵を渡された時なんて勢い余って告白するところだった。まあ、したところで杉元くんも本気に取らなかっただろうけど。

「あー…うん、無理矢理じゃないよ。 強引ではあったけど」
「今更じゃんそんなの。 …何があったの?」

私と尾形の攻防戦を、杉元くんはよく知っている。私が巻き込んだのだから当然だ。
故にどうして付き合うことになったのか───一歩踏み込むことになったのか、訝しむのも当然のことだった。

「その…」

今迄散々助けてくれたのだから杉元くんには知る権利があり、私には話す義務がある。
けれどあの顛末をどう話したものか、言葉選びにも切り口にも困って話が始められない。杉元くんとデートすると言ったら嫉妬した尾形に押し倒され、そのまま押し切られたなんてどう言い繕えば良いのだろう。

「かなみちゃん」

坪庭に設置されているのはベンチでは無く長方形の大きな石で、背凭れも肘掛も何も無い。しかしその為に座り方は自由で、普通に腰かけて座って居る私に対し、杉元くんは石に跨る様な格好で腰を据えていた。その体勢で少し手を伸ばせば、膝の上で固く握り込んでいた私の手を取るのは容易い。大きくがさりとした手は熱く、尾形と違って杉元くんの体温は常時高いらしいと知った。

「俺は確かに尾形のことこれでもかってくらい嫌いだけど、だからって尾形を好きになった人のことまで嫌いになったりしないよ。 そりゃ、今までの尾形の元カノ達のことはあんまり好く思ってないけど…あの人達は尾形がろくでもない男だって分かって近寄って、自分だけは特別好かれるっていう思い込みを木端微塵にされて泣くだろ?
 そういうのは尾形絡みじゃなくても軽蔑するよ、俺。
 相手のこと特別好きじゃないクセに、自分だって殆ど遊びのつもりで近付いておいて、なのに振り向いてもらえなかったら被害者面するのは違うでしょ」

杉元くんが訥々と語る内容は悉く正論だった。真剣な眼差しを見返して、その言わんとするところを考える。

「その点、かなみちゃんは違うって信じてる。 かなみちゃんが尾形と付き合うって決めたなら本当に好きなんだなって思うし、幸せになって欲しいよ」
「杉元くん…」

じんわりと眦が熱くなる。こみ上げて来て言葉にならない感情が涙腺にぶつかっているのが分かる。涙ぐむ私の目元に袖口を宛がい、泣かないでと困った様に笑う杉元くんの優しさが沁みる。
どうして杉元くんがこんなにも私のことを信用してくれているかは分からないが、そんな理由はどうでもいいと思えるくらいに嬉しい。
と、不意に杉元くんの笑みが引っ込む。きりとした顔は本当に男前なのに、口元に手をそばだてる仕草が妙に可愛かった。

「でも実際、尾形で大丈夫なの? 前に元カノに絡まれて怪我してなかった?」
「…よく覚えてるね」

それは素直な感想だった。
以前、尾形の元カノらしい人に詰め寄られた際に手を引っかかれ、うっすら血が滲む程度とは言え流血沙汰になったことがある。少し酒臭かったから酔った勢いもあったのだと思うが、それにしてもすごい勢いの人だったと今でも思う。何せ言っていることの半分も分からなかった。
他にも尾形の恋人を名乗る美人に面罵されたこともあるし、尾形に片思いして拗らせたらしいゆるふわ系の子に粘着されたこともある。
今迄はそう言った手合いを付き合ってないから関係無いで躱せることもあったが、実際付き合うこととなったこれからはそうならなくなる。杉元くんが心配してくれているのはそこだろう。今まで以上の修羅場に見舞われることを考えると、確かに今からげんなりしてしまうところはあった。

「尾形が言うには、自分に寄ってくる様なヤツはちょっと放っとかれたら直ぐ余所へ行くから大丈夫だって」

自分で言っていて空しくならないかと思ったが、尾形はそういう嗅ぎ分けには自信があると豪語した。本当に遊んでいたんだなとつい冷めた瞳で見てしまう反面、私もそういう気配を嗅ぎ取られたのではないかと気が気でない。私だけは違うなんて言い切れなかった。

「あー…そこはまあ、確かに」

思い当たる節があるのか、神妙に頷く杉元くんの視線が明後日の方を向く。そう言えば杉元くんは杉元くんで、尾形の修羅場に巻き込まれたことがあるんだったか。高校の時からの因縁らしいし、私よりも見て来たものがあるだろう。

「ね、私って、その…尾形が今まで付き合ってきた人達と何か違う?」
「え。 全然違うけど」

何を訊くんだと言わんばかりの即答に驚かされる。予想外の反応故に、良い意味なのか悪い意味なのか追及するのが少し怖い。
しかし構わず杉元くんは言葉を続けた。

「だって先ず尾形を惚れ込ませてる時点でスタートが違うよ。 あと尾形のアプローチに全然気付かないトコとか、あのクソ悪い目つきに睨まれてもびびんないトコとか? なんか男扱いしてないでしょ」
「うん、でっかい猫だと思ってるトコあるけど…え、待って杉元くんも尾形のこと気付いてたの? 嘘でしょ?!」
「かなみちゃんが鈍いんです〜。 ハハ、腐れ縁だけどあんな分かりやすい尾形見たの初めてだったよ俺」

杉元くんの朗らかな笑顔に和む余裕も無く頭を抱える。一体いつ、どこで杉元くんは気付いたのだろう。私は面と向かって言われるまでまるで分からなかったというのに。

「俺が初めてかなみちゃんの家に行った日のこと、覚えてる? 終電まで時間無いのに尾形が帰ろうとしない助けてって初めて俺を呼んだ日。 俺が来たって知った時の尾形の目、めちゃくちゃやばかったんだよ? アイツの顎割った時以来の殴り合いになるなって覚悟したんだから」

覚えては、いる。
こんなことに巻き込んで申し訳ないと思いながら杉元くんを呼んで、近所まで迎えに行った。こんな時間に何処行くんだとついて来ようとする尾形を待たずに家を出て、通話しながら歩いていたら思っていたより二つ程手前の曲がり角ではち合って。こんな時間にごめんね、ううん気にしないでと定型のやりとりをしていたら結局ついて来ていた尾形が猛然と割って入って来たのだ。
あれはてっきり杉元くんの姿を見てかっとなった尾形が勢いで掴みかかったのだとばかり思っていたが、もしや違うのか。

「…そ、そうなんだ…」

つまり尾形はかなり最初の頃から、私のことを。

「ま、実際殴り合ったの別の日だったけどさ。 …あれ? かなみちゃん? 真っ赤だけどどうしたの?」
「見ないで…」

顔を両手で覆って再び俯く。耳まで真っ赤だと言って無邪気に触れてくる杉元くんの手を振り払う余力は無い。
あの勢いが嫉妬故のものだと知り、今更ながら猛烈に照れてしまっていた。今夜も尾形に会うのにどんな顔をすればいいのか分からない。
と、ざりと砂利を踏み締める音がする。そう言えば杉元くんはまだ夕方からの講義があるんだったか。
耳から手が離れたこともあっててっきり杉元くんが移動すべく腰を上げたのだと思った私は、顔を上げて───思わず静止した。

「テッメエ…クソ尾形ぁ!!!!! いきなりなにしやがる!!!」
「黙れ童貞野郎。 かなみにベタベタ触んな」

杉元くんが、地に転げている。私が顔を上げたその瞬間に受け身を取りつつ着地していたので、先程の砂利を踏み締めた足音は尾形のものだったのだろう。
立ち上がろうと背を向けた杉元くんの服に尾形のものらしい足型がついているのを見つける。そうか背後から蹴飛ばされて転げたのかと納得した。

「…何してたんだよ、こんな人目の無いところで」
「お前には関係ねえだろ」

先程まで杉元くんが座っていた場所を、どかりと音を立てて尾形が乗っ取る。ズボンに着いた草や土を払いながら吐き捨てる杉元くんの瞳は、私と話していた時とは比べ物にならないくらいに好戦的な光を宿していた。

「かなみ」

しかしそれを歯牙にもかけず、尾形の視線は真っ直ぐ私に向いていた。普段通りいまいち表情こそ無いものの、洞穴の様な奥底知れない瞳がこころなしか揺らいでいる。まるで不安がっている様な気弱さを感じて、尾形らしくないと思う。杉元くんを蹴飛ばす程に苛ついているのなら、衝動に任せて私にも凄んでくるのがいつもの尾形だろうに。何をしおらしくしているのだろう。

「尾形と付き合うことになりましたって報告してた」
「なんで」
「なんでって…杉元くんには色々迷惑かけたんだから、直接言うのが筋でしょ」

尾形にしてみれば義理を果たす謂れが無いにしても、私にはあるのだからこれは当然のことだ。しかし尾形は憮然とした面持ちのまま、そうじゃなくてと言い縋る。

「なんで二人っきりになる必要があるんだって訊いてんだよ」
「うわメンドくさっ」

傍らで様子を窺っていた杉元くんが思わず吐いた悪態が自分の思考と合致していて、一瞬、自分がつい口を滑らせたのかと思った。きろりとそちらを睨む尾形に、この焦った顔を見られなくて良かったと安堵する。
流石に杉元くんが好きだと言ってしまったことがある手前、仮にも恋人に対し私もそういう感想を抱いていると言うのは酷だろう。それは無頓着を通り越して無神経というものだ。
一頻り杉元くんと睨み合った後、尾形の視線がこちらに戻されるのを受けて口を開く。

「尾形の元カノ達の耳に入る様なことになったら怖いから」

尾形と付き合うと決めたからには避けられないことではあるし、今までも散々八つ当たりを受けて来たが怖いものは怖い。悪いのは彼女らをとっかえひっかえで弄んだ尾形だと分かっていても、実害を及ぼしてくる彼女らの方が怖かった。
途端、ばつが悪そうに顔を背ける尾形の姿に悪戯をしらばっくれる猫の姿が重なる。杉元くんはそんな尾形を呆れた様に見下ろしていた。ズボンにこびりついた土汚れは手もみで洗わないと綺麗に取れないだろう。そもそもの原因は私なのだから、尾形に代わってクリーニング代を出すべきか。

「杉元くん、ズボン…」
「ああ、このくらい平気平気。 だめになったら尾形に弁償させるから気にしないで」
「うん…本当ごめんね」

朗らかに笑う杉元くんを睨み上げる尾形の両目を手で覆う。ここで取っ組み合いの喧嘩が始まったら私では止められないのだから、事前に阻止しなければならない。

「かなみちゃんが謝らなくていいんだよ。 悪いのは全部尾形なんだから」
「ありがとう…わっ」

あまりの男前振りに語彙力が枯れる。
と、諸悪の根源扱いされた男が堪りかねた様に立ち上がった。きつく握られた手首は痛いくらいだが、訴える間もなく引っ張られた為に縺れかけた足を整える方が先決だった。

「ちょっと、尾形」
「杉元と二度と二人きりになるなよ」

非難の声を上げるも逆に釘を刺されてしまった。確かに恋人が居る身で異性と迂闊に二人きりになるのは避けるべきだったなと思い至るが、杉元くんなら大丈夫だという信用故にどうにも危機感が無い。むしろ恋人であっても尾形と二人きりの方が緊張感があるというか何と言うか。

「おい尾形! かなみちゃんに何かあったら許さねえからな!」

後方に取り残された杉元くんの声が辺りに響く。それに対し尾形は私の手を握っていない方の手を軽く上げ、中指だけを突き立てるという品の無い返事をした。あまりの態度に怒ってないかなと振り返る。
しかし杉元くんは呆れた様な苦笑を浮かべているだけで、私の視線に気が付くと穏やかに手を振ってくれた。それに緩く振り返して前を向く。なんだ、そうなのか。

「尾形、ちゃんと友達いたんだね」
「…いきなり何の話だよ。 いいから、二度と俺抜きで杉元に会わないって約束しろ」
「はいはい」

杉元くんに会うなよと言わないあたり可愛いと思うけれど、言わない方が良いだろう。