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愛とは燃えるものである

「嘘でしょ…」

燃えカスとなった出来立ての廃墟の前で、私は思わず膝を着いた。辺りには野次馬とマスコミがひしめき合っていて、それでも黄色いテープを乗り越えようと言う猛者はいない。私と同じ様に打ちひしがれた様子でへたり込んだり金切声をあげていたりするのは同じ入居者の人達だろう。
今日、つい先程。私が一人暮らしを営んでいたマンションは、丸焼けになってしまった。
なけなしの私の財産も殆どが灰になり、手元に残ったのは最近バイト代を叩いて買った新作コートと虎の子のノートパソコンくらいの物である。捨て渋っていただらしのない部屋着とか下着とか、お洒落して出かけたい時の為とか言って箪笥の肥やしになってしまっていた服とか、一人暮らしを始めてコツコツ買い揃えていたお気に入りの食器とか。
そう言うのが全部、もう、何処にも無いというのは絶望でしかなかった。

「お世話になります…」

だからそこへ手が差し伸べられたら飛び付いてしまうのは仕方なくて。
私はとんでもない選択をしてしまったんじゃないかと気付いたのは、一頻り泣いて眠り、目の前に出された朝食が美味しくてほっとしてしまった時だった。

「漸く喋ったと思ったら、なんだ今更」

一足先に朝食を終えてのんびり珈琲を啜っていた尾形の言葉は一見素っ気ないが、本当に冷血漢だったなら昨夜呆然とする私を連れ帰ったりはしなかっただろう。ビジネスホテルとまではいかなくとも、三千円もあればネットカフェのナイトパックで夜は明かせる。家に他人を上げるか三千円を貸し付けるかの二択であれば間違いなく後者を選ぶ人間であるはずの尾形が、火事場で呆然とする私のところに駆け付けてくれただけでも十分驚きなのに、更にウチに来いと声をかけてくれたのは意外に過ぎた。

「お世話になるんだから挨拶くらいちゃんとしとこうと思って」

遅まきながらではあるが、親しき仲にも礼儀有りと言う。昨夜は火事のショックで呆然としていたが、一晩休んで漸く思考が立ち直りつつある。これからのことを考えれなければならない。

「…顔色、漸く戻って来たな」

私の顔をまじまじと見ていた尾形は、やがてそんなことを呟いた。さて私はどんな顔色をしていたのだろう。

「朝メシ、食べたら出かけるぞ。 当面必要な物が色々あるだろ」

暗に車を出してやるという申し出に面喰う。本当にこれは私の知る尾形なのだろうか。

「あ、うん、ありがとう。 でも不動産屋にも寄らないとだから」

先ずもっての急務は下着に始まる着替えの調達だ。それと歯ブラシとか櫛とかの日用品。けれど尾形の1LKの部屋に間借りしているのだから数を買い込むことは憚られる。新居を決めて、それから本格的に揃えて行くことを考えれば態々車を出してもらう必要も無い。

「新居なら管理会社が世話してくれるんじゃねえのか?」
「え、そういうものなの? 火災保険には入らされてたけど」

火事の原因がマンションのオーナー或いは管理会社側にあるのなら他物件の紹介には期待出来るが、住人側の失火だとか放火だとかになると当然引っ越し先は自力でということになる。いや、そもそもそれらの調査結果を聞くまでには時間がいるのではないか。

「…やっぱり長居するのも悪いし、自分で何処か探すよ」

尾形には今現在恋人とかそれに準ずる存在は居なかったと思うが、知り合いの知り合いというレベルから始まった友人未満、それも異性が長く居て良いはずが無い。
と、そういう私の気遣いをどう受け取ったのか、尾形の顔がぎゅうと不機嫌に顰められた。見事なへの字にひん曲がった唇に困惑する。

「なんだよ。 俺のこと、そんなに嫌いか」
「そんなことないけど」

いつの間にか私の交友関係に混ざり込んでいた尾形だが、変わったヤツだなと思っても嫌ったことは無かった。もし苦手に思っていたとしても昨夜からの親切はそんな印象を好転させるに十分だろう。

「じゃあ泊まればいいだろ。 他にアテでもあんのか」
「いやまあそれを言われると…友達のところを転々としようかなって…」

管理会社からの連絡が入るまでどれくらいかかるか分からない以上、期限を切って居候が出来ない。そうして友人を失うくらいなら暫く切り詰めることになっても身銭を切るべきなのは道理である。いや勿論こうなった以上、落ち着き次第尾形にも現金という形で謝礼するつもりではいるけれど。

「…じゃあ、取り敢えず一週間は居ろよ。 それでも何にも連絡なけりゃ俺の伝手で新しいトコ探してやる」
「ホントどうしたの尾形」

あまりに破格の待遇に腰が引ける。私自身被害に遭ったことはないものの、杉元くんや白石、鯉登くんあたりに悪辣な仕打ちをする尾形の姿を幾度となく見て来た。時には月島さんにまでその手は伸びて、やたらと荒事や珍事への対応が手慣れているあの人でなければ結構追い詰められていたと思う。

「どうしたってなにが」

恨みがましい目でじっとりと私を見つめる尾形はちょっと心配になるくらい覇気に乏しく、立派なはずの体躯も居心地悪そうに丸まっている所為で小さく見える。まるで怯えながらもこちらの出方を窺う野良猫の様で、下手に手を伸ばすとぴゃっと逃げてしまいそうだった。
…なんとなく、これ以上断ってはいけない気がする。

「…いいの?」
「、いいって言ってるだろ」

眇められていた尾形の大きな瞳がふわり丸くなる。そしてずいと身を乗り出して食いついてきた勢いに負けて僅かに身を引くと、その分空いた距離を更に詰められた。膝に乗りたくて迫ってくる猫を思わせるその姿に、嫌悪感は無い。

「じゃあ、あの。 暫くお世話になります」
「さっき聞いた」

にんまりと尾形の薄い唇を弧を描く。この距離で直視に耐え得るその顔の端正さを改めて知った。
と。

「かなみちゃん無事!?」

玄関の方からゴワンと震える音がして、次いで杉元くんの声が響いてくる。切羽詰まったそれに咄嗟に応えようとするも、大きな手に口を塞がれた。

「シー」

私の首を抱える様に回した手で口を塞ぎ、空いている手の人差し指を口元でぴんと立てる尾形に驚いた様子は無い。寧ろもう来やがったなどと口走っているあたり予想していたのだろう。

「むぐ、んむ」

口元を覆うだけだった尾形の手が蠢いて、私の唇の凹凸に沿うように指が宛がわれる。無理に喋ろうとして口を開くと中指を咥えてしまいそうだ。離してくれと手の甲をつつく。

「ああ、よしよし。 良い子だから静かにな」

しかし尾形は私の抗議を一顧だにせず、寧ろ駄々を捏ねるなと言いたげに逆の手で頭を撫でてくる。逞しい腕二本がかりで頭を抱えられる格好になり、玄関の騒音が遠くなった。

「おい開けろクソ尾形ァ!!!!!! テメエがかなみちゃん連れてったってのはウラ取れてんだよ!!!!! 扉ブチ破られて敷金吹っ飛ばしたくなかったらとっとと開けろ!!!!!」

ガンガンと続く轟音の波の中で杉元くんの怒声が負けじと聞こえてくる。まるで私が誘拐された様な騒ぎ方だが、火事のことを知って心配してくれていたのだとしても、私がここにいる経緯を誰にどう教えられたのだろう。犬猿の仲である尾形を前にすると杉元くんの沸点は著しく下がるが、顔を合せない内からこの騒ぎ様は中々珍しい。

「…アイツならやりかねんな」

ぽつりと零された尾形の呟きは静かで、だからこそ本気の焦りがあった。面倒臭そうにのろのろと私から離れ、玄関へ向かう。

「今開けるから静かにしろ。 朝っぱらからギャアギャアと…御近所迷惑だ、慎めよ」
「一から十までテメエに言われたくねえよ!!!! かなみちゃんになんにもしてねえだろうな!?!?」
「どんな妄想してンだよこの童貞。 ほら、開けて欲しけりゃ扉から離れろ。 おっかなくて近寄れねえ」

そこで漸く途絶えた扉への殴打音に、何故か私がほっと胸を撫で下ろす。まだ耳の奥では音が響いている錯覚に陥っているが、時間を置けば治るだろう。がちゃり、開錠音が聞こえた。

「かなみちゃん!!!」

ぐ、と呻く尾形の声と被さって響いた杉元くんの声に鼓膜を揺さぶられる。尾形も相当だが、それを軽く凌ぐ杉元くんの鋼の肉体から繰り出される大声はある種武器だと思う。

「おはよう、杉元くっ」
「良かった無事だったあああ…うん、きれいだ、良かったあ…」

私の姿を視認するなり跪きつつスライディングしてきた杉元くんの両手に襟ぐりを掴まれる。そのままぐいと前方に引っ張られ、思わず杉元くんの胸板についた両手が早鐘を打つ鼓動を捉える。こんなになるまで走り回ってくれたんだなと感動したのも束の間、私は杉元くんがどこを見ているかを知って息を呑んだ。

「あの、ちょ、杉元くん…」

私が今着ているのは尾形から借りた部屋着だ。洗ったら縮んで着れなくなったという虚実の怪しいそれは何とか肩口に引っかかってくれているものの、元々私と尾形では体格が違う。その為こうして引っ張られると容易く中身が覗けてしまい───即ち、私の前面が下着ごと杉元くんにお目見えしている。

「? どうしたの、かなみちゃ、」

しかしこれはセクハラとかではなくて純粋に杉元くんは私の無事を確かめる為の行動で、ただ恥ずかしいのは私だけで、私が恥ずかしがるのが間違いなのかも知れない。
と、そう血迷った結論に達しようとしていた私の眼前から杉元くんの姿が掻き消える。放された服はひらりと私の胸元に舞い戻り、しかし心なしか先程よりも繊維が傷んで緩んでいる様に見えた。

「こちらこそブッ殺すぞクソ杉。 かなみの肌を見て良いのは俺だけだ」

杉元くんが吹き飛んだことで、その背後に居たらしい尾形の足が視界に映る。一本はしっかりと床を踏み締めているが、もう一本はまるで振り抜いた様に宙に浮いている。嗚呼蹴飛ばしたのかと納得して、胸元を押さえた。

「…死ぬ程殺してやりてえが、今のは俺が悪いからまあいい。 ごめんねかなみちゃん」

暫しの沈黙を破って静かに起き上がった杉元くんは先ず尾形を睨んだが、冷静に自分の行動を振り返ったらしい。途端に声色を変え、本当に申し訳なさそうにして私に頭を下げる姿はいつものことながら温度差に戸惑う。

「いや、えと、うん、大丈夫、杉元くんが痴漢なんてしないって信じてるから、その、なにかワケがあったんだよね?」

一体私の身体を見て何を確認したかったのはいまいち分からないが、もしかしたら火事と聞いていた所為で火傷を心配してくれたのかも知れないし、第一杉元くんが女子供に乱暴する訳ないと言う信頼が勝つ。だから気にしないでと言いたかったのにまだ動揺が勝っていて、杉元くんは呆然と痴漢、と復唱する。

「ごめん…ホントだ俺嫁入り前のかなみちゃんになんてこと…痴漢だ俺…」
「自首しろよ証人になってやる」
「上等だその時は絶対ぇ道連れにしてやるからな」

睨み合う二人の視線は苛立ちを超えたもっと物騒な何かを孕んでいて、怖じもせずそれをぶつけ合って威嚇し合っている。困った、こうなった二人を止められるのはあの子しか。

「…あれ?」

あの子って誰だろう。



今世、彼女を最初に見つけたのが杉元だったことに、尾形はまだ納得していなかった。

「分かってて俺に隠してやがったんだ、絶対」
「まだ言ってるのかお前…」

尾形のぼやきに呆れ顔の月島は、何故今生でもこの男と同じ職場に居るのかと遠い目になる。鶴見も鯉登も今生は別の職場にいるのに、どうして、何故よりによってこの男と。なんなら杉元の方が良かった。

「まあ確かに、杉元はアシリパに前世のことを思い出させたくないらしいからな。 彼女…かなみさんだったか? 俺と鶴見さん、お前と杉元、白石とキロランケの様に、恐らく彼女がアシリパの対だろう。 顔を合わせると思い出してしまう」

お前は思い出させたいんだろうという月島の問いに、尾形は首を振る。

「知ってるでしょう。 アイツの死因は病死だ。 許嫁としてでなく好い仲だったこととか忘れられたのはそりゃ癪だが、結核に罹ってからのアイツには辛いことが多過ぎた。 それから解放されただけでなく今生じゃ文句無しの健康体なら、そのままでいい。 迫害されて血を吐いてなんて記憶は無くていいんです」

月島は終ぞ会ったことは無かったが、尾形には故郷から連れてきた許嫁が居るという話は師団内で有名だった。第七師団長の妾腹という素性が知れてから回り始めた話だったから、意地の悪い誰かが嗅ぎ回って吹聴したのだろう。許嫁を引き合いに出すとあの能面が崩れると笑っていた奴らは、尽く戦場で死んだ。被弾して絶命した後に後続の者に踏みつけられたのだろう、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられた顔は判別出来ず、識別札も血泥で潰れていた。骨の一片も遺族の元に帰れなかった彼らを、月島は一応戦友として弔った。

「…今生じゃ近くに生まれられなかった。 それだけで焦ってたってのに、杉元のヤロウ、見つけても隠しやがって」

確か小学校で再会したという尾形と杉元は入学式の日に取っ組み合いの喧嘩をしたのだったか。実は同じ小学校にいた月島の耳に、二人の騒動はことある事に聞こえていた。その二年後に鶴見に出会って記憶を取り戻し、改めて二人に気が付いた時には驚いたなんてものではなかった。

「彼女はお前に幼馴染としての情はあっても男として好いていたんじゃないと、杉元はずっとそう言っていたな」
「ハッ。 あんなの、横恋慕した男のくだらねえイチャモンですよ。 かなみは今も昔も俺と相思相愛だ」

その自信はどこから来るのか、ふんぞり返る尾形には一切の不安が見えない。本当に本気でそう思って、否、確信しているのだろう。少し羨ましい気もした。

「…まあ、でも、流石に結核のアイツをあの旅に連れ回したのは反省してますが。 でなけりゃ杉元とアイツが会うことは無かったし、何より俺が看取ってやれた」

と、突然しおらしく吐露する姿に変わったなと感心する。例えそう思っていても誰にも口に出来ない男だったのに。

「アイツの死を看取ったからアシリパが対になったんでしょう。 それ以外に早々交流は無かったはずだ」

最愛の女性の対という座に就けず、今生で見つけ出す役目も宿敵に奪われた。何よりも前世で不本意に死に別れた歪みが現状なのだろうと、月島は遠い目になる。
少し前に起こった、マンション一棟を全焼させた不審火。証拠は無いものの、あれは先ず間違いなくこの男の仕業である。

「…自首する気は無いのか」
「なんの話しです?」

彼女がバイトの為にマンションに居ないという事実を何度も確かめて、前世を彷彿とさせる昏い瞳をして外回りに出た尾形の後を追えば良かったと何度も後悔した。死人こそ出ていないが、重軽傷で入院に追い込まれた被害者は何人も居る。
普通に口説いて恋人になり、一緒に暮らさないかと持ちかければ良かったものを。これ以上他人でいる時間が耐え難く、一足飛びに関係を詰めることを選んだ尾形という男は恐らく今も容易く人を殺せるのだろう。自分はもう、きっと出来ないのに。

「じゃ、お疲れ様です、月島課長。 家でアイツが待ってるんで」

故に、死にたくないなら尾形の邪魔をしてはならない。癖毛のあの子との結納は来週に迫っている。

「…ああ、気を付けてな」

今生もどうか彼女と会わないことを祈る。顔を知ってしまえばもう他人とは思えない。どうにかしてやりたくなってしまうかも知れなかった。