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プレミアムにフライデー

「日鳥、帰れるか」
「んー…まあ、うん」

プレミアムフライデーなんて実行出来ている会社は果たしてあるのだろうか。定時上がりが推奨される華の金曜日は、卸業者にとっては毎週プチ繁忙期なのだけれど。

「なんだ、歯切れ悪いな」
「見てこれ」
「…全部発注書か? 結構な束だが…」
「別に週明け処理して間に合うやつばっかりではあるんだけどね。 ここ、いくら言っても週末に纏めて発注してくるからイヤになる」

週明けに仕事が溜まっていることが今から分かっていると、日曜の夜の憂鬱が増す。納期まで日があればそれでいいだろうじゃないんだと営業からも何度も言って貰っているが、長年のスタイルはあちらも変え難いらしい。

「…まあ、なんだ。 晩メシ奢ってやるから」
「トンカツ食べたい」
「駅前のあそこでいいか」
「座れるかなあ」
「少し待つかもな。 あまり混んでいるようならうちの裏手の、ほら、あそこ」
「あー…お寿司屋さんなのにカツ丼美味しいよね、あそこ」

言いながら帰り支度に取り掛かる私を待つ月島は、歳こそ三つ程違うものの、私の同期である。中途採用だった月島と新卒で入社した私は研修で同じ班になった縁から親しくなり、違う部署に配属されてからもこうして交流を保っている。
それでも金曜日に必ず晩御飯を一緒に食べる様になったのは、ここ最近のことになる。プレミアムフライデーとやらが始まった頃から。

「トンカツ定食二つ、一つはご飯大盛りで」
「あと生ビールと米焼酎、ロックで下さい」

はいと愛想良く頷いて去っていく店員さんはすっかり私達の顔を覚えてくれていて、今日あたり来ると思ってましたと席に案内してくれた。メニュー表を見ずに注文する自分らの常連振りに、私と月島は何となく目を合わせて破顔する。

「月島は私と体格変わんないのに、よくそんなに入るよねえ」
「使うエネルギー量が違うからな。 出荷場で荷物の積み下ろし、やってみるか? 痩せるぞ」
「は? 今で適正体重ですけど?」
「絞るだけならあと五キロは落とせると思うが…肉付き悪いのはなあ。 俺個人としては三キロくらい太って欲しい」
「え? 私の体重把握してるの? 嘘でしょ?」

冗談だと笑う月島の前に生ビールのジョッキが置かれ、私の前には濃厚なアルコール臭のロックグラスが置かれる。この店は氷が少なくて良い。

「ハイ今週もお疲れ! かんぱーい!」
「ああ、お疲れ」

カチンとささやかに乾杯の音を鳴らし、そのまま互いに半分飲み干す。月島は白い髭をつくらずに生ビールを飲むのが上手かった。

「そうそう、先週入ってきたバイトの子、もう辞めちゃうってホント?」
「なんだ、耳が早いな」

今日のお通しはホタルイカともずくの酢漬けらしい。口の中でぷちんと噛み切ったホタルイカの歯応えと酢の風味に、米焼酎にして良かったと心底思った。

「先週はたまたま、珍しく忙しかっただけなんだが」

根性が足りんと、その厳しい風貌通りの愚痴を漏らす月島につい笑みが零れる。やっぱり五つ以上上だと言っても通用すると思うのだけれど、そんな逆サバを読む意味が分からんと不貞腐れるのは目に見えていた。

「そっちは来月から産休明けの人が戻って来るんだろ? 引き継ぎは上手く行きそうか?」
「資料は作ってるんだけどねー…お子さんがちょっと、体調安定しないみたいで」
「…やっぱり育休取るべきだったんじゃないか?」
「うん、課長もそう勧めてるから、復帰は来年になると思うよ」
「そうか。 うん、その方がいいだろう」

話しながらよく他部署のことを覚えているものだと感心する。特にどの部署の誰が産休に入っていて、あまつさえその復帰時期まで。

「月島、部署異動しないの?」
「…なんだ突然」
「いや、まあ、何となく。 前働いてたトコじゃ総務職だったんでしょ?」

どこの会社も同じかは分からないが、うちの総務は現在月島のいる部署とは基本給からして違う。月島のいる「出荷場」は言ってみれば倉庫番というか、商品の積み下ろしと在庫管理が役目であり、常に体力と人手が要る現場だ。夏場なんかはもうみんな汗だくで、どんなに気を付けていてもひと夏に五人は熱中症で倒れる人が出る。
過酷は過酷な部署なのだが、反面、定時で上がりやすいというメリットがある。学生バイトや掛け持ちしてるフリーターあたりには魅力的なメリットが。

「一日中ケツを椅子にくっ付けてるのは性に合わんと分かったから総務職は懲り懲りだ。 決算の時期なんかは本当に会社に泊まり込みとかあったし…月イチの棚卸しも易々と終わった試しがなかった。 今でも伝票を探し回る夢を見たりする。 納品されてるはずなのに現物がなくて倉庫を駆け回ったりとかな」
「悪夢じゃん…」

思いがけず地雷を踏んでしまったらしい。
が、遠い目で語った月島は、私の一言を受けてか思いの外穏やかな笑顔を見せてくれた。

「ああ、本当にそう思うよ。 だから今の仕事は楽しくて良い。 在庫管理も自分の手で、更にはリアルタイムで掌握出来るだろ? これで合わなきゃ諦めもつく」
「ふふ。 でも月島が来てから在庫の数の差異が少なくなったって総務の人たち、喜んでたよ」
「それなら頑張ってる甲斐がある」

本命のトンカツ定食が来る前にジョッキを空けてしまった月島は、身振り手振りだけでカウンターにお代わりを頼んでいる。あれで分かる店員さんもすごい。

「じゃあずっと出荷場?」
「いや、それは…今は独り身だから出荷場の給料でもやって行けるが、家族が出来たらそうはいかないだろう。 だから営業部に異動は考えてる」
「お」

営業部。つまり私と同じ部署にいる月島を想像してつい口元の締まりがなくなる。作業着をバッチリ着こなしている月島だが、きっとスーツも似合うだろう。

「ふふふ。 歓迎するよ」
「頼みます、センパイ」
「うわさぶいぼ立った。 見てこれ」
「うるさい。 衣つけて揚げてやろうか」

月島がそう言った直後だった。

「はーいトンカツ定食お待たせしました!」

元気な店員さんの声と共に、私と月島の目の前にトンカツ定食ががさつな着地を決める。横たわりそうになった味噌汁のお椀を慌てて捕まえて、しかしそれに気付かず次の配膳の為に走り去ってしまった店員さんの背中を呆然と見送る。見れば正面の月島も呆気に取られながら黒塗りのお椀を捕まえていて、多分、今ほどお椀に蓋があって良かったと思ったことは無いと互いに考えているに違いなかった。

「…ふふ」
「…はは」

顔を見合わせて、笑う。
そして黄金と見間違う衣のトンカツに同時に齧り付き、酒も交えた食卓は和やかに進んでいった。



ほろ酔いで外を歩く。ひんやりとした夜風は火照った頬に心地良くて、ついつい千鳥足の真似事をしてみたくなる。勿論、実際はいい歳してみっともないしやらないけれど、それでも足取りは気持ちの先を行った。

「ふらふらするな」
「はーい」

私の逸る足取りをいち早く見咎めて腕を掴んでくる月島は、トンカツ定食を平らげるまでに生ビールを結局五杯も飲んでいた。アルコール度数は私の焼酎の方が高いのは言うまでも無く、だからか三倍呑んだところで止められてしまったが為のほろ酔いだ。これが普通の会社の飲み会なら私も淑やかにサワーだとかチューハイを嗜んでいる。酔っ払って正体を失い、会社の誰かとワンナイトラブという名の事故に遭うなんて想像するだけでぞっとする。

「お前は変わらないな」

行き交う酔っ払いのざわめきと電車の走行音。ところによっては忙しなく稼働する室外機の重たい駆動音を聞き流しながら歩いていると、不意に月島がそんな言葉を溢した。

「なに、突然」

いつの間にか私の手を引いていた月島は前だけを見ている。仕事中は作業着で、オフとなればジーンズかチノパンにシャツだけというラフな彼はともすれば日曜日のお父さんだ。華の金曜日に呑みに行こうと誘うつもりならもっと着飾って来てくれても良さそうなものだが、そんなあからさまなことをされたらされたできっと困る。何と言うか、私は月島をそういう目で見たくはなかった。

「入社して直ぐの飲み会で、お前、あっさり酔っ払ってただろう。 同期の女共を庇って一気飲み肩代わりして、限界超してたクセに虚勢を張って一人で帰れると言い張って」
「あー…そんなことあったね、うん」

歓迎会と銘打たれていた割に、特別感なんてまるで無かった飲み会を思い出す。ただ人数がそれらしく多かっただけで、始まりの言葉も締めの言葉も無く始められたぐだぐだの飲み会。なのにアルハラなどという蛮行だけは一丁前に始めた上司の行く先々を遮り、気持ち悪くてもう飲めないと半泣きの同期からグラスを奪って飲み干すこと十数回。酔い潰れる前に潰してやると、上司に返礼の御酌を浴びせ、良い飲みっぷりですとおだてて更にお酌した。こちらが一杯飲み干す度に三倍呑ませた結果、急性アルコール中毒で運ばれた上司が小さくなって出社してきたのは三日後のことだった。いい歳してみっともない飲み方してと、奥さんとお医者さんに散々絞られたとか何とか。
共有する沈黙はそんな一連を互いに思い返しているから生まれたものだろう。横目で窺い見ると、月島もまた丁度こちらに視線を寄越したところだった。

「お前は覚えていないだろうが、あの後ぶっ倒れたお前を家まで送ってやったのは俺なんだぞ」
「えっ…えっ!?」
「一人暮らしの女を送っていくとどうしたって勘繰られるだろ。 転職して早々ややこしいのはゴメンだったから、同期の、ほら、お前と仲が良かったあの子に頼んで彼女が送ったってことにしてもらってた」

月島が身代わりを頼んだのが誰か、言われずとも分かる。一気飲みを肩代わりした同期の一人で、その御礼だからとタクシー代を固辞したまま去年退社してしまったあの子。本当はノータッチだったならそれは受け取れなかっただろう。困らせてしまったなと頭を掻く。

「だからお前は、良い意味で最初っから年下には思えなかったよ」

私の手を引いていただけの月島の手に力が籠る。手を握られていると改めて認識して、なんだか猛烈に恥ずかしくなってきた。ほろ酔いで良かったのか悪かったのか。話題に挙げられている時の様に、記憶に残らない程酔っ払っておけばこんな居心地の悪い思いをしなくて済んだのに。嗚呼でもそれじゃ、あの上司みたいに飲み方を知らないバカになる。

「どうした。 急に静かになって」
「…トンカツの油と焼酎が良くない反応起こしたみたい。 お腹ぐるぐる言ってる」

今すぐ月島の手を振り払って駆け出したくなる衝動を抑える。アルコールの所為で弱くなった自制心が可哀想だった。そうかそれは大変だと含み笑う月島も相当アルコールにやられている様で、今まで見たことも無い程ご機嫌だ。

「ここからなうちの方が近いな」

同じ最寄駅の、線路を跨いで西と東。また駅に戻って向こう側へ渡るよりは、このまま歩いて月島のアパート近くの踏切から渡った方が回り道にならないだろう。

「トイレ、貸してやろうか」

揶揄う様な軽い調子とは裏腹に、私の手を握り込む力は強い。指を引き抜こうとじりじり後退していたのがバレたらしい。見逃してくれればいいのに、いつもなら見逃してくれただろうに。今夜の月島は何を考えているのか分からない。

「…月島の家って、ユニットバスじゃなかったよね」

風呂好きの月島が家を借りるにあたって唯一拘ったのが風呂トイレ別という一点だった。それ以外なら多少の治安の悪さとか壁の薄さとかは我慢するつもりだったと言っていたが、実際我慢しなければならないのは家賃の高さだった。ユニットバスにするだけで五千円から一万円は違う都会の家賃相場に疎かったと見える。

「ついでに言うとお前が愛用してるシャンプーとリンスがある」

試供品だから使い切りだけどなと言う口元は笑っているのに引き攣っていて、私はそこで初めて月島も緊張していたことに気付いた。顔の熱がぐわと上がる。

「…なんで、そんなの、」

互いに愛用している日用品はいつの間にか知って居た。金曜日の度に呑んで帰る道すがら、ここはこれが安いんだと色んな店を教え合いながら買い物をしたりしたから。
しかし短く刈り込んだ頭をボディソープで身体ごと洗ってしまう月島が、女物の整髪料の試供品を取っておくなんてことあるのだろうか。街角で配布しているティッシュだって断ってしまうこともある月島が。

「…言わせるな、そんなこと」

大きく一歩を踏んで私の前を歩き出した月島の真っ赤な首筋を見る。多分私も、同じ顔をしているのだろう。