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愚直に、恋

物心着いた頃には竹刀を持ち、素振りに励んでいた様に思う。道場は遠いからそう頻繁に通えなくて、親の都合の付く日曜日にだけ通って指導をしてもらっていた。他の子達よりも遅れを取っているのだから頑張らなくてはと意気込んで、指導されたことは絶対に忘れない様に、稽古が終わると着替えよりもメモを残すことに執心していたから周りの子からは少し変な眼で見られていたかも知れない。
とにかく私は剣道が好きだった。相手と二人、向かい合って挑む勝負の場の緊張感は病み付きだと言えば親には変な顔をされたっけ。

「日鳥、先鋒、頼むぞ」
「はい!」

本当は剣道部のある中学校に行きたかったけれど、そうなると中学受験をしなければならないということで高校まで我慢した。剣道が出来ればどこでも良かった私は、自分の学力と通学時間とを鑑みてここを選んだ。
北鎮高校。ここの剣道部は古豪として戦前からの歴史を持つとは、入部後に知ったことだった。

「すごいね日鳥さん、ホントに大会のメンバーに選ばれちゃうなんて」

一年から三年まで、女子部員は二十名程在籍している。その中で今年の新入部員は私を含めて四人しかおらず、その分先輩方には丁寧に指導して頂いていると思う。
その甲斐あって、私は夏の大会における先鋒に選出された。毎年新入部員の中から一名を出来るだけ入れる様にしているという話だったが、高校から剣道を始める者も多い中、実際に抜擢される例は少ないのだとか。

「気負わなくていいからね。 って言っても日鳥さんなら力まなければ勝てると思うけど」

大将に抜擢された先輩が優しく激励してくれる。それにありがとうございますと答えて、私は友人と連れ立って挌技場を出る。丁度男子達も稽古を終えて下校するところだったらしく、挌技場から下駄箱へ向かう渡り廊下は珍しく人の波でごった返していた。

「お、お疲れ。 お前らも今帰り?」

幼稚園から高校まで同じ進路を辿った彼は広義的に見れば幼馴染と言えるのだろう。特別仲が良い訳ではないが、長年の顔見知り故の気安さがある。私の直ぐ傍に立っていた友人が一歩退いた分を埋める様に踏み込んできた彼は、いつの間にか私よりも背が高くなっていた。

「うん、大会が近いから今週いっぱいは自主練無しにしなさいって」
「え、じゃあお前、大会出られんの?」

どうやら男子の方でも大会に出場する者は調整の為、自主練の禁止を言い渡されるらしい。緊張を振り払う為に我武者羅に打ち込んで、どこかしらを痛める者は毎年どうしても出てくるのだと言う。

「すっげえ!」

まるで我が事の様に喜びながら賛美してくれる彼の素直さは美徳である。
と、彼は高揚した面持ちのまま傍らを振り返った。私達に声をかけるまで話をしていたらしいその人は背が高いからてっきり先輩だと思っていたが、その上履きの色が私と同じ赤であるのを見て同級生なのだと知る。私どころか彼と比べても頭一つ分高いなんて。
…やや後方に下がっていた友人がそっと耳打ちしてくる。格好良いねと。

「なあ鯉登、こいつも一年だけど大会出るんだって! すげえだろ、俺の幼馴染なんだぞ!」

コイトと呼ばれたその人は、確かに友人の言う通り格好良い人だった。
やや角ばった輪郭に反し鼻梁はすっと通っており、きりりと上がった眦には意思の強さが見て取れる。浅黒い肌は多分地肌なのだろう、この時期でこうまで日焼けするのは早過ぎる。
が、何より私が目を惹かれたのはその真っ直ぐな立ち姿だった。ただ立っているだけでもゆらゆらと動いてしまうのが普通であるのに、その人は全く身動ぎもせずにそこに立っていた。重心の据わりが安定している。長く武道をやっている人に見られる佇まいには、同年代の男子には早々感じられない落ち着きがあった。
と。

「ないごてわいが自慢すっど」

耳慣れない響きの言葉に思わず首を傾げる。方言だろうけれど、どの地方のものか全く分からない。

「身内自慢だよ、お前だってよく親父さんの自慢言うじゃん」

が、幼馴染を自称する彼は苦も無く受け答えしている。コイトくんはやや呆れた様に彼を睥睨していたが、すっと視線を私に移して口を開いた。

「わいん打ち込みを見たこっがあっ、見事なもんやった」
「え、と…ごめん、なんて?」

関西弁ならば「わい」は自分のことを差す言葉だが、度々言葉尻が飛ばされる口調は聞いた事が無いから違うのだろう。コイトくんの打ち込みを見たことがあるかと訊かれているのかと思ったが、見事なものだったという評価を自分に下して、それを初対面の私に向かって言うのは違う気がした。恐る恐る聞き返すと、鯉登くんの眉間にぐっと皺が寄った。

「お前の打ち込みを褒めてるんだよ、見事だったって」

するりと割って入ってくれた彼の翻訳に目を瞠る。一体何時見られていたかは定かでないが、こんな見事な立ち居振る舞いの人に褒めて貰えることは素直に嬉しい。ほぼほぼ我流に等しい剣筋だから尚更に。

「ありがとう、コイトくん」
「…別に、礼を言わるっようなことじゃなか」

ふいと顔ごと逸らされた視線と、それまでのはきはきとした口調とは打って変わった呟きに笑みが零れる。浅黒の肌の為に顔色がいまいち分かり難いけれど照れているのだと分かる。
格好良いけど、可愛い人。それが私のコイトくんに対する第一印象だった。

「おとくん、また告白されたんだって?」

コイトくんの名前が鯉登音之進だと分かっても暫くは鯉登くんと呼んでいたが、二年に進級した際にクラスメイトとなり、彼がその名前の響きの珍しさから下の名前で呼ばわれることが多いと耳で知ったことから呼び名を変えてみた。音之進くんでは長過ぎるからおとくんと呼んでいいとかと訊いてみたところ、他人じゃ無し、好きに呼べばいいと快諾してくれて今に至る。
しかしそうなってから気付いたのだが、彼を下の名前で呼ぶのは男子が多く、女子は揶揄混じりにおとの様なんて呼ぶ子ばかりだった。
端的に言えば私は浮いてしまっていて、尚且つ思春期のそういう噂は出回るのが早い。私は怖気付いて早々に呼び方を戻そうとしたのだが、鯉登くんと呼びかけた時のおとくんのあの表情。自分は何か怒らせる様なことをしたかと幼馴染の彼経由で聴取された時は罪悪感で胸を掻き毟りたくなった。

「何故会話もしたことのない相手と交際したいなどと考えるのか、理解に苦しむ」

忌々しげに苛立ちを零すおとくんの様子からして、今回もけんもほろろに断ったのだろうことを察する。
今時大分お堅い家で育てられたらしいおとくんは、婚前交渉など有り得んと口外して憚らない。これと決めた相手が今見つかったならその限りではない様だが、来る別れを見据えた上で交際するなど何の意味も無いとまで言い切るのだから彼は一途なのだろう。
そんな彼の純真を己に向けさせたいと燃える猛者が居れば、何て重い男だと敬遠する者も居る。私はどちらかと問われればどちらでも無く、こういう価値観のおとくんを受け止めてあげられる女性の出現を心から祈っていた。

「おとくん顔が良いからね。 一目惚れから始まるものもあると思うよ」

恐ろしいことにまだ背が伸びているおとくんは、その長身も手伝って顔の良さが更に目立ってしまう様になっていた。お蔭で私達が入部した頃は不在だった剣道部のマネージャーになりたがる女子が急増し、竹刀を握る方の部員になってくれた女子も若干増えた。浮ついた理由で来るなんてと友人は憤慨していたが、中には入口こそおとくんへの好意だったものの、真面目に取り組んでいる子も居る。
…だから私は初めの動機なんて大したものではないと思うのだ。例えば私が竹刀を握った理由を憶えていない様に、大事なのは始めたその後、やり遂げられるかどうかだろうと。

「顔だけ褒められても嬉しくない。 俺は顔だけの人間ではないぞ」

腕を組んで踏ん反り返るおとくんは、確かに自称する通り顔だけの人間では無い。成績に反映されにくくはあるが高い教養があり、歴代の校内記録を塗り替える程の身体能力を持っている。これで短気と過ぎた潔癖がどうにかなれば完璧そのものである。

「かなみは俺の顔が好きか」

クラスメイトになる少し前、クリスマスを終えた頃。年内の稽古納めの帰り道で、おとくんは私をかなみと呼んだ。それまで日鳥だった呼び名が突然変わった理由を、私はまだ聞けずにいる。

「腕前の方が好きかな」

言わずもがな剣道の、である。おとくんの自顕流を汲んだ太刀筋は一際鋭く、竹刀の切っ先を振り下ろす軌道はいつまでも見ていられる程に美しい。後輩のお手本用に撮影させて欲しいという建前で撮らせてもらった動画は私の宝物になっていた。

「良い答えだ」

ふんと鼻を鳴らして更に踏ん反り返るおとくんが椅子ごと倒れてしまわないか心配になる。言ったところでそんなドジはしないと聞き入れてもらえないから黙っているが、つい心配が顔に出てしまっていたらしい。おとくんが私の顔をちらと見て姿勢を戻した。

「…そういえば長谷は桃田と付き合い始めたらしいな」

長谷とは私の広義的な意味での幼馴染の彼で、桃田こと桃ちゃんは同じ剣道部の友人である。
最初はおとくんに夢中だったのに、何時の間にやら長谷と仲良くなっていた桃ちゃんは今頃彼と一緒にお弁当を食べている。互いに委員会や友人との付き合いもあるからと、昼食を一緒に摂るのは週二回ということにしたのだとか。
そうしてその日、いつも桃ちゃんと食べている私と、長谷くんと食べているおとくんが取り残された結果。ただ何となく一緒に食べるかということになって、こうして空き教室でひっそりと昼休みを過ごす様になった。一つの机を二人で共有し、向かい合って弁当を広げる。おとくんのお母さん手作りだと言うお弁当は、何時見ても彩りも栄養も豊かな逸品だった。

「ずっと長谷は誰と会っているのか気になっていたのだ。 俺もそこまで追求するつもりは無かったが、頑なに相手の名を言おうとしないからムキになってしまった」

一年前の今頃は故郷の訛りが全く抜けていなかったおとくんの言葉も、今や片鱗さえ見せぬ標準語になっていた。寧ろ気にかかるのはちょっと芝居がかった様な尊大さの目立つ口調と言葉選びで、いつか参考図書だと示した時代小説の影響を存分に受けた結果だと思われる。それでも似合ってしまうのだからおとくんはすごい。

「長谷くんのシャツの襟が縒れてたのって、おとくんの所為だったの?」

ばつが悪そうにしながらおとくんは頷く。今日教室まで桃ちゃんを迎えに来た長谷くんは、まるで暴風に巻かれた後の様な姿をしていたのだ。第一ボタンは取れて無くなっていたし、襟もちょっと指で撫で付けた程度では取れない癖が着いてしまっていた。
…それにしても意外である。男女交際に関して潔癖の信念を持つおとくんだが、それを他人にまで強要するようなことはしてこなかった。自他共に認める親友の長谷くんだけはその限りでは無かったのだろうかと首を傾げて、気付く。
男女が二人、人目を避ける様にこうして密室の中に居るのは彼の潔癖の許容の範囲内なのだろうか。それは少し、いや、どうしても違う気がした。

「…怒ったか?」

首から下は変わらず正しい姿勢で正面に居る私の方を向いているが、少しばかり顔を背け、ちらちらと横目で機嫌を窺ってくる様は酷く子供っぽかった。怒られるのを恐れている子供の仕草。普段の凛々しさからは到底想像もつかぬそれは、きっと彼のファンに黄色い悲鳴を上げさせることだろう。

「どうして私が怒るの」

苦笑交じりに怒っていないと伝えれば、彼は漸く顔も正面に戻してくれた。視線はまだ落ちている。

「長谷に、手荒な真似をしたから」

少しの沈黙の後、おとくんはそう絞り出した。
長谷くんに手荒な真似をされて怒るのは、まああるかもしれない。幼馴染とも言える長年の顔見知りで、今や親友の彼氏なのだから多少は思い入れがある。
しかし揉め事の相手が長谷くんの親友のおとくんであるなら、そこへ私が口を挟むのは野暮と言うものだ。況して今回は理由も判明しているのだからおとくんに詰め寄る必要はどこにも無い。

「それは桃ちゃんの仕事だよ」

仕事と言う言い方には語弊があるかも知れないが、権利というのは大袈裟な気がした。
大人に言われるのは腹が立つが、高校生の恋愛の多くが恋人ごっこに憧れているだけとは当人の私達にも少なからず自覚がある。熱に浮かされる様に恋人になって、一通りのイベントをこなしたらなんだかつまらなくなって別れてしまうというルーティンは実に手軽に行われている。結婚と違って恋人は契約に縛られた関係では無いから、気持ちひとつどころか言葉ひとつで決着がつけられるのが大きいのだろう。
いつか長谷くんと桃ちゃんもそうして別れてしまうのかと思うと悲しくなる。彼らだけはあんな軽薄な関係に終わって欲しくないのだが、私が口を出せた物では無い。

「そんな顔でそういうことを言うな」

知らず俯き気味になっていた顔におとくんの手が触れる。頬を伝うなにかを拭う様な動きをしているが、私は決して泣いていない。確かに物悲しい気持ちになってはいたがそれだけだ。泣く程のことなんて何もない。
それよりも固く唇を噛み締めているおとくんの方が今にも泣き出しそうな顔をしていて、少し焦る。激昂しやすくはあっても、泣くなんてかたちで感情を暴発させたこと無いおとくんが一体どうしたというのか。

「おとくん、どうしたの」

まさかお腹が痛いのか、さっきおとくんは何を食べていたかと記憶を掘り返す。
と、頬から離れたおとくんの手が机上に置いていた私の手をがっちりと握った。驚きのあまり肩が跳ねるが、弾みでおとくんの手が離れるなんてことは無い。びくともしない熱の中で、私の手は縮み上がる。

「長谷のことが好きだったんだろう」

…一瞬、何を言われているか分からなかった。桃ちゃんのことかと考えて、しかしおとくんの視線に含まれる憐れみを感じて違うと踏み止まった。

「…違うけど…」

何故おとくんがそんな勘違いをしているかは分からない。おとくんの前で格別長谷くんと仲良く接していた覚えは無いのだが、一体どこで。まさか桃ちゃんや長谷くんまでそんな勘違いを起こしていやしないだろうかと思うと、ぞっとするものがあった。

「隠さんでいい」

否定の勢いが足りなかったか、おとくんは聞く耳を持ってくれなかった。
私が本心をひた隠しにしようとしているのだと思い込んでいるらしく、ぐっと顔を近づけて瞳を覗き込んでくる。

「初めて会った時からお前と長谷の間には特別な距離感があった。 近すぎず遠すぎず、馴れ馴れしくないお前たちの関係が、俺はずっと羨ましかった。 長谷は友達ならあんなものだろうと言っていたがそんな事は無い。 少なくとも俺にはお前の様に見守ってくれる女の友人など居なかったし、今も居ない」

おとくんは男女問わず人気も人望もあるが、それは一方的に寄せられているもので、おとくん自身が寄せる者となるとほんの一握りだろう。特に異性ともなれば彼自身のスペックが邪魔をする。皆が皆彼に惚れる訳では無いとは身を以て証明しているが、惹かれたことが無いと言えば嘘になる。だって彼の剣筋は本当に美しいから。

「だからと言って…お前にそうなって欲しいのかと問われれば、そうではない」

おとくんの視線が、手の内に握り込んだ私の手に下ろされる。長く竹刀を振るってきた手は同年代の女子とは比べ物にならない程に固く厚く、手首だって異性のおとくんと変わらない程に太かった。恥じ入るものではないと思っているが、改めてそうまじまじと見られて良い気持ちがする筈も無い。必死に手を引っこ抜こうとするが、おとくんの手はやはり微動だにしなかった。

「かなみ」

それどころかぐいと手を引っ張られ、僅かに机上に身を乗り出す体勢にさせられた。そんな私の動きとは反対に姿勢を正したおとくんは、瞳に静かな決意を滾らせていた。まるで試合に臨む直前の様な眼光の力強さに気圧される。

「俺はこれから卒業の日まで、お前を全力で口説きにかかる」
「───え」

何やら同年代の男子の口から出るとは思えぬ言葉が出た気がする。
くどく。口説くと言ったのか、彼は。

「俺は何れ親の用意した相手と結婚して、それでいいと思っていた。 両親が見定めた相手ならば俺も伴侶として尊重し、慈しみ、家族としてかたちを成していくことがきっと出来ると。
 だが今は違う。 俺はお前が良い。 お前が他の男を見るなど我慢ならんと思い知った。 絶対にお前を連れて故郷に帰る」

つらつらと思いの丈を並べ立てていく彼を前にして、ただただ呆然とする。
高校生の身で受け取るにはあまりに重い求婚宣言に、私はなんと返事をしたらよいものか。そも返事を求められているのかすら分からない。
いや、どう返事をしたところでおとくんに前言を撤回させるなど出来る気はしないのだけれど。
おとくんに握られた手がその口元に持ち上げられていく。そっと指先に触れた唇が、その熱量を移してやるとばかりに押し付けられる。

「俺の剣に惚れてくれたお前が良いのだ」

…おとくんは知らない。
私が出会った当初、剣筋と同じくらいその見目に惹かれていたことを。剣道部で初めて出来た友人が一目惚れだと騒ぎ立てるから、あっさり諦めてしまったことを。
一年以上前に鎮めた恋心を、私はどうすればいいのか。
指先から食べられてしまいそうな心地に慄きながら、遠く鳴るチャイムを聞く。予鈴が鳴り終わるまでに彼が離してくれることを切に願った。