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七年目の正直

我ながら気の短い男だという自覚はある。
けれど諸々のことを経験してきた為に我慢強くなった自負もあり、こうと決めたら譲れない頑固さはある意味気が長いと言えなくもないとも思っている。一途と言えば聞こえがいいか。
けれどやはり、自分の中のどこかで喧嘩っ早い男であるが故に執念深いだけだろうと揶揄する声がある。そうなのだろうかとつい不安になるのは、その声曰く、矛先があるからだ。

「ふき、ひま、くん?」
「月島です、日鳥さん」

腕の中にある小柄な身体。その持ち主である彼女は実年齢の割に可憐という言葉が良く似合う人で、自分が老け顔ということを除いても年上とは思い難かった。けれど新卒の自分に仕事を教えてくれたのは間違いなく彼女で、一年間ほぼつきっきりで面倒を見てくれた彼女にあっさりと惚れたのも間違いなく自分だった。
それから数年経っても想いに変化はない。悲しいかな、彼女との関係にも変化は無いけれど。
更に今回の社員旅行でこそ進展をと臨むのも毎年のことだ。そろそろ片手をはみ出す頃合とあって焦りを覚えているのだが、毎年毎年、進展が無いなりに良い思い出が出来てしまっているのがまたまずかった。この心地良い関係を壊したくないという甘えが拭い難くなるばかりで、告白の決意が鈍る。だから今年こそはと格別の決意を持って臨んだ社員旅行なのに。

「んん、ねむい」
「寝るなら戻りますよ。 部屋の鍵何処ですか」
「やだー、だめー」
「ぐっ…!」

二泊三日の温泉旅行。一泊目のささやかな酒宴と違い、二泊目の無礼講は毎年のことながら酒盛り大会となっている。
彼女も自分もそう易々と酔いはしないからと、上司の機嫌伺いを優先したことがいけなかった。漸く彼女のところに辿り着いた時にはすっかりほろ酔いを通り越していて、脇に転がる一升瓶三本と後輩の死体三つに事情を悟る。そういえば今春の人事異動でやってきた数人は自称酒豪共で、女には負けないと笑っていたか。
そんな彼らを返り討ちにした彼女には素直に頭が下がるし、彼らの前で酔い潰れなくて良かったと安堵している。彼らの良識を疑う訳では無いが、力無く倒れる女性を前に魔が差すことがないとは言えないだろう。况してこんな可愛い人。
舌足らずに反抗する稚さは普段のお堅い雰囲気からかけ離れたもので、羽織りのポケットにあるルームキーを取らせまいと身体を丸める仕草など殺人的に可愛い。疼く胸を思わず抑えた。

「ごはん、ぞうすい」
「食べたでしょう、三杯も。 もうありません」
「つきしまくん、たべた?」
「はい、俺もいただきました」

酒瓶と死体が埋め尽くす座敷の中へ、出来上がった彼女を放す訳にはいかない。しかし彼女はへろへろと歩き出してしまうから仕方ないのだと自分に言い聞かせて、その小柄な身体を抱き込んでいる。自身の胸板に当たる、浴衣越しの背中が温かい。旅館備え付けのソープ類を使ったから香る匂いもお揃いだ。
…告白が上手く行けばこの感動が日常になる。失敗出来ないと、身を固くした。

「ほら、もう遅い時間です。 部屋に戻りましょう」

乾杯の音頭から数時間経っているが、日付が変わるにはまだ時間がある。時計を見せない様にしながらその腰を抱いて立たせようとするが、くたりと頭を預けたまま、彼女は動かない。

「日鳥さん?」
「んー」

呼びかければ律儀に返事をくれる。が、閉ざされた瞼は波打ちもしない。夢現といった境地にあるのだろう。
今一度、座敷を見渡す。
元々女性社員の参加率が低い社員旅行ではあるが、改めて探してみると同じ部署の顔触れが全く見えない。既に部屋に引っ込んだのかも知れないが、さて乾杯の時点でどの顔があっただろう。思い出せない。

「なあ谷垣、日鳥さんと同室は誰だった」

酒瓶を回収してまわる新入社員の一人を捕まえる。立派な体躯の割に気の大きくないその男の目元は赤く、やはりご立派な胸毛が浴衣の合わせ目から覗いていることを酔っ払い達から散々弄られて泣きそうになっていた名残だろう。反応が良いから可愛がられるのだと言ってやらないのは、そうしてべそをかく度に彼女に慰められていることへの意趣返しだった。

「日鳥先輩は一人部屋のはずですが……え、日鳥先輩が酔い潰れたんですか?!」
「うるさいぞ谷垣!」

月島の腕の中でくったりとする姿に、その酒豪ぶりを知る谷垣の驚愕の声が響く。それを鋭く叩き落として、月島は座敷の上の方でいまだ飲み交わしている生き残りの様子を伺う。あちらにこの体勢が見つかると少々厄介だ。

「…なんで一人部屋なんだ。 他にも女子社員はいただろう」

幸い気付かれなかったらしい。追加されるビール瓶を覚束無い手つきで開けながら手酌する彼らは、もう自分達がなにが面白くて笑っているのか分かっていないだろう。

「うちの部署から参加した女子社員は日鳥先輩だけじゃないですか。 部屋割りは同部署同士と決まってますし…」
「…そう、だったな。 忘れてた」
「月島先輩も飲み過ぎでは? 早く休んで下さい、日鳥先輩が潰れた以上、明日は月島先輩が頼りなんですから」

何を言うんだと言いたげな谷垣の指摘を惚けて誤魔化し、分かったと答えて追い払う。転がるビール瓶に足を取られそうになりながら回収する後ろ姿は大分遠ざかっても大きく、あのくらいの体格があればとどうにもならないことを悔やむ。やはり意中の相手と目線が同じというのは男として心穏やかではなかった。

「…失礼しますよ、日鳥さん」

先輩呼びを止めたのもそうした男心故だった。いつまでも後輩の立場に甘んじていては男として見てもらえないと思ったから、呼び方から変えて対等の存在に見てもらいたかったから。
彼女の羽織りのポケットを探る。今度は抵抗されること無くルームキーを見つけ出し、部屋の名前を確かめた。位置はエレベーターホールの見取り図で確かめればいいだろう。今は彼女を連れ出す場面を座敷内の誰かに見つからない様にする方が重要だった。
先ず上の方に背を向けて、彼女を横に抱き抱える。背と膝裏に回した腕を出来るだけ寄せれば彼女の身体はくの字に折れて、男としては小柄な月島の身体の陰に隠れてくれた。呼吸を阻害していないか心配になる曲がり様だが、その寝息に近い呼吸は一定を保っている。

「…よし」

そっと背後を伺う。谷垣が再び舞台上に上げられて盛り上がっている今なら行けると、一息に出口を目指す。
───果たして無事に脱出は成り、ほうと息を吐く。
しかしここでゆっくりしてもいられないと、夥しく居並ぶスリッパの中へ適当に足を突っ込み、彼女を抱え直して一路エレベーターホールを目指す。告白する前にお持ち帰りしたなどと噂を立てられては上手くいくものも駄目になる可能性がある。

「あえ…ふ…つきしまくん、ん? どこいくのお…」
「部屋まで送ります、じっとして」

小走りの振動を受けては寝づらかったのだろう、欠伸と共に目覚めた彼女が寝惚け眼を瞬かせる。下りるなどと言い出さない内に釘を刺し、足を早め───ようとして、阻まれた。エレベーターホールに着いてはもうゴンドラを待つしかない。

「へや…へやはね、ふじのま。 ひとりだけで…しゃいんりょこうなのに」
「…はい」
「みんな、おんせんいくならかれしとがいいって。 つみたてきん、かえってくるから、それでいくって」
「はい」
「わたし、いまさらやすんだらかれしできたのかって、いわれるから。 ひとりはやだけど、だからやすめないのに」
「はい」

訥々と、拙く語られる独り言に相槌を打つ。部署の女子社員の中で参加するのが自分だけだと、彼女は早い段階から知っていたのだろう。それなら自分とて来たくなかったのに、これまで皆勤で参加していた社員旅行を休んだら要らぬ憶測を呼ぶからそれも出来ないと葛藤していた。
思えば女子社員の参加者が彼女だけというのは今年に始まったことではない。去年も一昨年も、そういえば彼女は不参加者達への土産を買っていたではないか。
…例年、自分が告白するか否かで悶々としていた一方で彼女は悩んでいたのか。そうだっとしたら、それに全く気づかなかった自分は。
チンと音が鳴る。
無人のゴンドラの中へ、月島は無言で乗り込んだ。

「つきしまくん」
「…はい」

アルコールに浮かされた彼女の目の焦点は甘く、何を見ているか定かでない。赤々と染まった頬を見つめる。

「ッ…日鳥さん?」

するりと、首に腕が回される。旅館備え付けのソープ類の香りと酒精の匂いが同時に鼻腔になだれ込んできて、首筋に吹きかかる呼気の熱さに当てられそうになる。

「つきしまくんがいなかったら、ひとりでなんてぜったいこない」

え、と間抜けな声が知らず漏れた。同時に上昇していたゴンドラが止まり、扉が開くのに促されてふらふらと歩み出る。
…今言われた言葉を反芻する。
自分がいなかったら来なかったとは、つまり自分がいたから来たということで。
程よくアルコールを取り入れた心臓が、今更早鐘を打ち始める。首に回された腕はまるで緩むことなく絡みついて、その強さは酒に巻かれた人間のものではない。嗚呼そういえばこの人が酒豪と呼ばれる所以は、偶に酔い潰れても二日酔いとは無縁の回復力にもあるのだったか。

「……来年からは、俺達も積立金の返還申請しましょう」

少しの間を置いて、ふふと笑う声が直接首筋に触れた。

「ことしはひとりべやでよかった」

甘い囁き共に頬へ口付けられ、ふるりと背筋が震える。今年こそという積年の決意の実りは、もう腕の中にあった。