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山猫の逆鱗

「二人って本当に付き合い始めたんだね」

白石と会うのは久し振りだった。元々同学年と言えど白石は再履修ばかりで私とは早々講義が被らなくなっていたものの、昼時に学食に行けばほぼ必ず見かけていた。そういう一方的な接触にせよ白石を見ない日は無きに等しく、だから学食でも見かけなくなっていたここ暫くの間はどうしたのかと流石に心配していたところだった。
学食で久々にその姿を見かけたものだから思わず声をかけて、訊いてみれば非常にくだらない。ずっと続いていた恋人の元を叩き出されてから定宿を失くしており、改めて自宅を借りようとしても元手が無く、その元手を稼ぐ為に色々駆けずり回っていたのだと言う。

「まあ…うん」

そんな文無しが日替わりランチに唐揚げ一皿までつけた豪勢な昼食にありついているのは、私が奢ると申し出たからだ。一応白石には世話になったので、まあ仕方なく。安くて美味いと評判の学食で恩を返しておいた方が、後々お高いランチだのを集られなくて済むという打算もあった。

「お蔭サマでな」

そうして私と白石が同じテーブルについて間もなく、尾形がやって来た。尾形も白石を見て久し振りだなと零したあたり、白石は大分長く大学自体に来ていなかったらしい。
そして尾形はどうやら既に余所でランチを済ませてきた様で、持参してきた缶コーヒーだけを啜りながら私と白石の話に適当な相槌を挟んでいた、のだが。
不意に白石が私と尾形を見比べて発した言葉に、私は一瞬固まってしまった。
そう言えば尾形と付き合い初めてから白石と直接会うのは初めてだったか。
気恥ずかしくて素っ気なく頷くだけの私に対し、尾形はにやりと口の端を吊り上げて笑った。

「そっかー…そっかあ。 うん、オメデト」

日替わりランチのメインであった豚の角煮をすっかりたいらげて、白石は笑う。よく見せる企み顔で無いから純粋な祝福なのだろうが、白石らしからぬ慈しみを滲ませた笑みは中々に無気味だ。あとなんか腹立つ。
と。

「かなみちゃん、催涙スプレーとか防犯ブザー持った方が良くない?」
「は?」
「スタンガン持たせた。 大丈夫だろ」
「えっうそ」

唐突な白石の切り出しに尾形がすっと返す、妙なやり取り。そんな物騒な物を持たせられたっけと記憶を掘り起こすと、そう言えば尾形のマンションに引っ張り込まれたその日に受け取った物があったなと思い至る。握る分には苦の無い太さだが、掌に収まらない丈のスティック状のそれは、確か痴漢撃退用のジョークグッズだと言ってなかったか。

「あれスタンガンだったの?」
「威力はそう強くねえけどな。 強く押し付けるか長く当てるかすりゃ火傷はさせられる」

知らない内にそんな物を持たせられていたなんてと、傍らの鞄を見下ろす。どの程度の物かなと白石で威力を試してみなくて本当に良かった。

「…でもなんでそんな物くれたの?」

尾形と暮らす様になってから夜の一人歩きは許されていない。例えばバイト終わりに迎えに来るのに始まり、ちょっとした買い物を思いついてコンビニしか開いてない時間に出かけようとすれば明日でいいだろうと鍵を取り上げられ、たまの飲み会も店と時間を必ず報告した上で尾形からの連絡が入れば必ず応答しなくてはならないなどなど。
親元にいる時でさえこうまで過保護にされなかったとぼやけば嫌なのかと拗ねるのが本当にもう、面倒くさくて可愛い。

「なんでって、そりゃ尾形の元カノ対策でしょ。 けっこー過激なのもいるんだから、さ」
「ああ…そっかあ…」

そういうこと、と納得出来てしまうのが悲しい。付き合い始めてからこちら、思った様な被害が無いから忘れかけていた。というか尾形との関係が変化したことを知っているのは白石や杉元くんを始めとしたひと握りだけだから、あまり気を張っていなかったというのが正しい。今まで通りの調子ならかわせないことも無いだろうし。
が。

「かなみちゃん、そろそろその使い方覚えといた方がいいかもよ〜? 」

唐揚げにかじりつく白石は、口調とは裏腹にいやに真剣な目をしている。それとは十中八九スタンガンのことだろう。何故だと視線のみで問いかける。

「尾形ちゃんだって分かってんでしょ?」
「…ま、潮時だろうな」

しかし返されたのは微妙にはぐらかす様な、思わせぶりなやりとりで。
潮時と口にした尾形に視線を移す。横目で見返してきた尾形は直ぐに視線を逸らし、随分軽くなった缶コーヒーを手で弄びながら口を開いた。

「元々お前以外に興味なかったんだ。 だから手当たり次第はやめたってだけなんだがな」

どこかバツが悪そうに吐露されたそれの意味を咀嚼して、考えて、理解する。嗚呼だからバイト先まで迎えに来てくれたりした訳だ。

「三ヶ月…か、もう少し短いくらい?」
「そのくらいかな。 急に身持ち固くなるんだから、そりゃ探られるよねえ。 現役のつもりのもいただろうし、後釜狙いも多かったから」

尾形の女癖の悪さはそこそこ有名だった。ひっかけられた女性達が悪評を流してやるとばかりに声高に罵るから誰がどの時期に遊ばれていたか自然と耳に入ってしまうような有様で、事実私の耳にもその手の話はよく聞こえていた。そうして耳をそばだてずとも聞こえてきていたそれがぷっつりと途絶えたなら、暇な人間なら興味を覚えて調べてみたりするのかもしれない。尾形の恋人は自分だという認識でいた女性がいるなら、次は自分が恋人になるのだと狙いをつけていた女性がいるなら、それこそ血眼になる可能性は十二分にある。
成程、同棲まで始めてしまった私の存在なんて簡単に発覚してしまうだろう。

「うわ…やだなあ」
「言っとくが別れねえぞ」
「そこまでは言わないけど」

やっぱりはやまったかなと後悔するくらいには、私はまだ尾形にハマりきっていない。と思う。
以前なら呆れただろう気紛れな所作を可愛いなと思ってしまうくらいで、身の危険を感じれば尻尾を巻いて逃げ出せる程度だ。たぶん。
尾形の為に耐えてみせる、乗り切ってやるなんて気概が湧いてこない。好きだと言ったクセに薄情で申し訳ないけれど。

「…そこまでってなんだよ」
「いや、深い意味は無いよ」

せめて同棲はつっぱねればまだ誤魔化せたという心の内は聞かせられない。その手の中でめこめこと音を立ててひしゃげるコーヒー缶には同情するが、私はそうなりたくなかった。

「ま、一つ下にも結構な遊び人のお坊ちゃんが来たからね? このまま大人しくしてたら来年の今頃には尾形ちゃんの浮名なんか掻き消えてるんじゃない、って、うわ」

なんとも気長な話だと憂鬱になった直後だった。最後の唐揚げにかぶりついた白石の顔が瞬時に死ぬ。ぽとりと皿に落ちたかじりかけの唐揚げが弾みで床に転がるのを一顧だにせずその視線が一点に注がれていふのに気が付いて、つられる様に振り返った。
…どこかで見たことのある女性が一人、両脇に一人ずつ友人を従える様にして立っていた。
愛くるしい顔立ちを際立たせるメイクは少しチークが濃い気がしないでもないが、ぷるぷるのピンクに彩られた唇の方が目立っているから一度気を逸らすとそのまま忘れる程度だから派手とは言い難い。ミルクティーを思わせる髪は緩く縦に巻かれていて、白とピンク、それにグレーを貴重にした所謂モテかわ系の服装とよく似合っている。私からすればまるで合コンに行くような気合いの入りように見えるが、一日一日頑張ってこのクオリティを整えている女子がいることは知っていた。すごいなあと感嘆半分で眺めていた対象に、しかし話しかけられる心当たりは無い。私が好む服装がカジュアル系だからか、交友関係も自然と似た様な服装を好む人達で構成されている。一回生の頃、必修授業で見ていた顔だろうか。

「白石、知り合い?」

リアクションからして白石の知り合い或いは顔見知りと判断し、未だ唐揚げの落下に気が付かない白石に小声で問いかける。しかしそれに答えたのは白石ではなかった。

「私、尾形先輩のカノジョなんですけど」
「え」

白石と向き合う為に戻していた体勢をもう一度捻って彼女を振り返る。敵意剥き出しの視線とは裏腹に、組んだ両手を捏ねながらもじもじと内股を擦り合わせている。
…尾形の、カノジョ。

「違う」

つい懐疑的な視線を向けそうになった相手から先手を打たれて面食らう。テーブルに向き合っていた身体をこちらに向け、突然の闖入者には目も向けないその態度はある意味いつも通りと言えた。

「違いません! しばらく連絡とっていませんでしたけど、別れ話なんてしてないじゃないですか!」

尾形の否定に悲痛な声で噛み付く自称カノジョの眼差しは私に向けられるものとは一転している。関係を否定されたにも関わらず、一瞥も寄越されないのに、敵意なんて一片も無い。その代わりに両脇のお友達の視線がとても怖いけれど。

「…だそうだけど」

私達の周辺の席が聞き耳を立てているのが分かる。さらし者にされるのは勘弁だけれ逃げられる雰囲気でもなく、なら早期終結を願うも渦中の根源である尾形がだんまりで。
何を考えているのかと反応を促す。今度は私が横目で注がれる視線を受け止める番だった。

「付き合ってもねえのに別れ話もなにもないだろ」
「「うわあ」」
「な…なんですかそれ!」

私と白石と、自称カノジョの悲鳴が唱和する。いや、尾形はこういうやつだと知らなかった訳じゃないけど、改めて目の当たりにすると引く他ない。

「さ…サイッテー! そっちから声掛けてきたクセに、なんなのその態度!」
「この子初めてだったのに! 知ってて手ぇ出したなら責任あるでしょ?!」
「「うわあ…」」

泣き崩れた自称カノジョの為に、それまで怒気を漲らせながらも静観を決め込んでいた友人達が吠え始める。そのあまりの暴露に再び私と白石の声が揃うが、尾形は至極面倒臭そうに溜め息を吐いただけだった。

「色々手ぇ出してたのは確かだが、処女なんかいなかった。 そういう触れ込みでキャラ作ってただけだろ、そいつも。 遊ぶだけなのに処女なんて面倒くせえの選ぶかよ…だからおい、引くな」

最低が過ぎる。言葉もなく静かに椅子ごと後退りを始めた私に向けて伸ばされた手は背もたれを捕え、ぐいと引き戻そうとする。

「むり…さいてい…」
「お前が本命だって言ったのになんでそんな顔なんだよ」
「は?」
「嘘でしょ? 惚気のつもりだったの? 尾形ちゃん口下手とかそういう次元じゃなくない?」

…ああ、遊び相手で処女に手を出さないというなら、処女にも関わらず手を出したならそれは本気と言いたかったのか。つまり遠回しに尾形が初めての相手と暴露されたことにも気付いて消えたくなる。一言でどれだけの被害を出すのだ、この男は。

「尾形先輩…どうしてそんなこと言うんですか? 私、本当に先輩のこと、好きで…初めてじゃなかったからがっかりしたんですか? でもそれは、男の人は初めての方が良いって聞いたからで、」

しゃくりあげながら健気に尾形を見つめる目には涙の膜が張っていて、しかし言っていることは冷静に見れば中々えげつない。処女を騙っていたことを認める発言に友人達もやや鼻白んでいる。周囲で様子を伺っていた誰かもマジかよという呟きを零しており、これからあの自称カノジョちゃんは少々生きにくくなるのではなかろうか。
と、ここで初めて尾形が自称カノジョに目を向けた。決して好意的では有り得ない、蔑んだ眼差しを。

「そういう嘘をいけしゃあしゃあと吐ける女だから気兼ねなく手を出したんだよ。 お前、隣駅でオッサン相手に荒稼ぎしてるって有名だぞ」
「あ」

思い出した。どこかで見たことあると思っていたら私のバイト先によくやってくるキャバ嬢だ、彼女。チェーン店のコーヒーショップにやってくる、如何にも出勤前と言った出で立ちのキャバ嬢の存在はとにかく目立つ。同伴というらしい、出勤前にお客さんと会うオプションの待ち合わせにも使うから尚更だ。確か源氏名は。

「ユリアさん」
「!!!」

びくりと、危うい程に自称カノジョの身体が震えた。いつだったか待ち合わせに現れたサラリーマンが彼女をそう呼んでいて、そこから私達店員の間でもユリアさんと呼ぶ様になっていったから間違いない。その反応こそが何よりの証拠だった。

「知ってたのか?」
「うん…まあ、ちょっと」

バイト先で見かけていますとは言いづらい。変に報復を受けても嫌だからと言葉を濁す。

「ほらな、お前が身体で客を寝取るキャバ嬢だってのは殆どみんな知ってんだよ。 分かったらとっとと帰れ、これ以上恥晒す前にな」

しっしと虫を払う仕草で追い返そうとする尾形に、そこまで知るわけないだろうと抗議したかったが黙っておく。それでこの修羅場が長引いても嫌だ。しんと静まったこの一帯から一刻も早く離脱したい。

「も…もういいです! そんな嘘で人をバカにする人だなんて思いませんでした!」
「あっ…ちょっと!」
「…やめとこ」

事実上の敗北宣言を叩き付けて、自称カノジョだったユリアさんは踵を返して食堂から駆け出して行った。それを追おうとした友人を、もう片方が引き止める。先程見せた友人の為の怒りはどこへやら、私達に一礼する冷静ささえ見せた片方は引き止めた友人を引きずる様にして離れた席へ座った。すごい、あれだけ騒いだ場所で食事しようなんて肝が据わってる。

「…お疲れ、かなみちゃん」
「疲れた…ホントさいあく…」

しばらくバイトでは裏方勤務にまわしてもらおうと心に決める。あのコーヒーショップでキャバ嬢の格好をしておきながら暴れるとは思えないが、現に今の大立ち回りがあったことを思えばバレないにこしたことはない。

「白石、知ってたの?」
「ユリアちゃんのこと? まあ、ほら、尾形ちゃんも言ってたじゃん? 有名なんだよね、悪い意味で。 だから尾形ちゃんがあの子に手を出したって知った時はちょっと焦ったかな。 同性に勝つことに生き甲斐感じてるタイプだから」
「後腐れなくて良いと思ったんだけどな。 粘着されるとは思わなかった」
「尾形ちゃんのマンションのこと聞いたのかもね。 そういう情報網持ってるから」
「…クソ。 厄介な女だ」

尾形は生存贈与されたとかでマンション一棟を丸々所有している。そんな懐事情を探り当てた上で粘着していたのだとしたらやばい、怖すぎる。
いや、それでなくたってこんな昼時の食堂で痴話喧嘩しようなんて発想が怖い。例え尾形に選ばれる勝算があったのだとしても恥ずかしくないのだろうか。
…尾形は、ああいう人だと見た上で手を出したのか。

「尾形、あと二回ね」
「…なにがだよ」
「あと二回、こういうことがあったら別れる」
「あ?」
「えっ」
「仏の顔も三度までって言うでしょ。 仏様でも四回目は無いんだから、私なんか三回目があったら愛想も何も尽きるし」

今でさえちょっと気持ちが引いて、一部分が戻ってきていない。尾形が遊んでいた過去を知っていて付き合うと決めた時、修羅場があることは漠然と予想していたが思った以上にすり減るものがあることを知った。うん、あと二回こんなことがあったら絶対に情も何も無くなるだろう。いくら相手に落ち度があっても、そういう相手に手を出した尾形に対する嫌悪感も共に拭えない。

「別れない」
「うん、これが最後ならね」
「何処行く」
「三限目。 白石、アンタもでしょ」
「あ、はい、うん」

少し素っ気ない口調になってしまうのは仕方ないだろう。こんな公衆の面前で晒し者にされたのだから怒る権利がある。
白石が食器を片付けるのを待たずに席を立つ。三限目が終わる頃には私の頭も冷えているだろうから、尾形を労って甘やかすのは今夜帰ってからだ。



「…尾形ちゃん? あの、目がめちゃくちゃ怖いんだけど…」
「………す」
「え?」
「ころす、残らずぶっ殺す…二度と俺とかなみの前に現れねえように…」
「だめだよ? 法に触れるやつはアウトだよ〜? お願いだからマジな目して言わないで!?」
「実質あと一回で終わりだって言われてんのに手段なんか選んでられるか。 ちょっとでも怪しいのは根から絶つ」
「根っこはだから尾形ちゃんじゃん!! 俺も出来ることはするから思い直して!!! それこそかなみちゃんと会えなくなるよ? ね?」
「……別れたくない」
「うんうん、分かる分かる。 ね、ゆっくり対策考えよ!」