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山猫に非ず、家猫である

なし崩し、というよりは押し切られて始まった関係だった。
今独り身ならいいだろうと一歩も退かなかった男───尾形百之助は会社の同期だから、あまり撥ね付けて変に仕事に影響が出るのが嫌で受け入れた、それだけの始まり。同様に終わりも向こうが決めてくれるだろうと思って放置しているが、最近、もしかして私達は思ったより真っ当に「恋人」をしているんじゃないかと考える様になってきた。

「おい、膝」

金曜の仕事納めの流れから我が家にやって来る尾形は、そのまま土曜日の終電直前までどっしりと居座る。好き合って始まった関係ではないからべたべた触れ合うこともないけれど、それは私からの話で、尾形は意外にスキンシップを図ってくる。
例えばこれもその一環で、膝を立てて座って居たところ、横に倒せと指先で突いて指示された。言われた通りにすれば当たり前の様に尾形の頭が置かれて、風呂上りで程好くしっとりとした髪が剥き出しの太腿に直接擦れてくすぐったい。整髪料がすっかり拭われたその髪を梳いてみると意外に指通りが良く、関係を始めた頃は早々自分からは気後れして触れられなかったことを思えば大そうな進歩だと思った。尾形はと言えば最初の頃から変わらず、私が触れようと離れようと眼差しひとつ寄越さないけれど。

「お願いだからそのまま寝ないでね」
「ん」

本当に分かったのかと疑いたくなるのはそれが夢心地の返答だったからだ。その緩んだ寝顔を見ていると普段の小憎たらしい態度も許せてしまうのだから羨ましい。初対面の人間さえたじろがせる昏い眼差しによって台無しにされているとは言え、ひとつひとつのパーツが整っているこの顔はやはり端正という言葉が相応しいのだ。
…だから、尾形曰く本来の好みである「頭の悪いオンナ」なら容易く騙せる面相だろうに。何故余所へ行かないのかが不思議でならない。
どうして私を選んだかについては、その時丁度好いのが私しかいなかったからで納得出来ている。何せ当時の尾形は私以外の同期に総スカンを喰らって孤立していた。社会人になってまで仲間外れなんて真似をしたくなかった私もまた同期の和から外されたところ、同じ穴の貉と認識したのか、尾形が寄って来た。
しかし逸れ者同士だからと言って意気投合出来るかと言えばそうでもなく、何せ尾形はクセの強い捻くれ者だ。一番痛いところを突いてくる憎まれ口には今も辟易させられるし、何を考えているか分からない仏頂面から放たれる冗談はとても分かり難い。困り果てて閉口してしまう私を鈍いとろいと罵倒しつつ付き纏ってくる尾形の所為で退職を考えたこともあったが、違う部署に配属されたことが救いとなって持ち堪えられた。
そしてその配置換えから一年後、尾形への蟠りを忘れて来た頃にこの関係が始まって。
及び腰ながら一通りの行事を共にすれば慣れもするのだなと、膝の上の頭を撫でながら感慨深くなる。寝るなと言っておいて寝かし付ける様なことをしてしまっているが、こうして微睡んでいる間は流石の尾形も大人しいので起こす様なことはしたくなかった。

「尾形、起きてる?」
「ん」

だんだんと深くなる呼吸を危ぶんで声をかけるも、寄越される返事はやはり夢見心地でアテに出来たものではない。私では尾形を寝床まで運べないのだから寝入られたら困るのに、それで体調を崩して困るのは尾形自身なのに。
しかしそれより何より、私の膝が限界を迎えようとしているのが問題だ。みっしり中身の詰まった人の頭というものは存外重い。

「もぞもぞ動くな。 寝にくい」
「いたっ…ッ〜〜〜〜〜!!」

痛みやら痺れやらの感覚が耐え難く、少しでも体勢を変えたくてもぞつかせていた足をぴしゃりと叩かれた。一拍遅れてやって来る形容しがたい刺激の波に息を呑んで倒れ込むが、その方向は正面の尾形ではなく右手にあったクッションの上を選んだ。下手をすれば悶絶する百面相を見られてしまう。いくら名ばかりの恋人とは言え、そういう顔を見せたくないと思うくらいの何かはある。

「…ッの、恩を仇で返してっ…!」
「膝枕くらいで恩着せがましいこというなよ。 人が気持ち良くうとうとしてたところ邪魔しといて…ふあ」

大きな口をこれでもかと開けて大欠伸を溢しつつ、身を起こした尾形の眼は常より据わっている。けれど寝入り端を邪魔されたにしては機嫌が悪くなくて、私はまだ感覚がぼやけた足をそっと抱え込んで保護した。これ以上突かれたら蹴飛ばすかも知れない。

「…もうこんな時間か」

尾形の目線の先には壁掛け時計がある。元々私の部屋にある時計は目覚まし時計だけだったのだが、1Kの部屋の片隅を占めるベッドにあったりテーブルの上にあったりと位置が定まっておらず、それを不満とした尾形がある日持ち込んできたのがその壁掛け時計だった。鳩時計を模した可愛らしいデザインのそれは明らかに尾形の趣味では無くて、と言うか私の好みにぴったりだった。尾形は分かってこれを選んだのか、結局まだ聞けずにいる。

「寝るぞ」

のっそり嫌々怠そうに立ち上がる姿を何となく眼で追う。
本格的に寝るなら寝床に妥協しない姿勢が本当に猫だなと思いつつ、腕を取られるままに私も立ち上がる。そろそろ二人分の体重を受けることに悲鳴を上げつつあるマットレスを買い直さなくてはならないかも知れない。



自分が人に好かれない性質だという自覚はあった。自分に言わせればどいつもこいつも打たれ弱過ぎて話にならないだけなのだが、世間様は人の気に障るお前が悪いと数で畳み掛けてくる。
確かに自分は口が悪いが、そうして束になってかかってくる奴らは底意地が悪いと思う。お前らなんかこっちから願い下げだと背を向けて、ひとり逸れて。
学生の頃から一端の社会人となった今でも繰り返されるその孤独にはすっかり慣れていた、はずだった。

「お前、なんであいつらといねえんだ」

新卒としてとある企業に召し上げられて暫く。
それまでと同じ様なことをして同期から爪弾きにされたばかりの頃、不意にもう一人、自分と同じく取り残されている誰かを見つけた。
名前は確か日鳥かなみとか言ったか。違う部署に配属されても尚強い同期の繋がりに一時は組み込まれていたこともあり、同部署ならば話したことがなくとも顔と名前をある程度一致させることが出来る。
研修も終えて正式採用が決まるなり髪を好き好きに染め変える女性陣の中、その黒髪が浮いていたこともあるだろうか。茶髪が似合わないんだと愚痴を溢す顔は幼くて、高卒が紛れ込んだかと首を捻ったこともあった。

「こんな歳になってまで大勢でつるむの、いやだから」

そう面白くなさそうに言い捨てる横顔に、それまでの印象が一変する。童顔の地味な女から似た者同士へ。
悪友や腐れ縁はいても真っ当な友人は一人もいなかった自分にも、漸く縁が巡ってきたのかと本気で浮かれてしまった。

「よう丸顔。 前髪伸びてるぞ」

一人逸れて歩く小柄な背中を見つけることは容易い。見かける度に出来るだけ声をかけて揶揄えば、彼女は必ず期待以上の反応でもって答えてくれた。

「昨日切ってきたところなんだけど!」
「まだ長いだろ。 ただでさえぱっとしない顔が益々陰気くせえからもっと切ってこい。 なんなら俺が切ってやるぞ?」
「うるさいって日に何回言われたら黙るのアンタは!」

頭ひとつ分の身長差もあるが、眉よりやや下へかかる前髪も手伝ってその顔は確認しにくい。眉の上で切り揃えるか横へ流せと何度も言っているのに聞き入れられないことに焦れて鋏を持ち出したこともある。あの時ばかりは本気で逃げられたなと思い出して、そう、そう言えばあの直後に部署変えになって中々会えなくなったのだ。偶に見かけても話しかける余裕もない程に仕事に追われる日々の中、心臓の上に積もり続けた澱みを何と形容したものか。
夜、帰宅して寝るまでの間に何度も考えた。
何故こんなにも執着してしまうのか、明日も顔を見られるか、今度こそ話す暇くらいもうけられるか。
…自分はこんなにもかなみのことばかり考えているのに、あちらはなんとも思っていなかったらどうしようか、と。
ではどう思われていたら満足なのかと感情パターンを脳内で試行して、探り当てた答えにひとり悶絶する。生まれて初めて損得無しに好かれたい相手が出来てしまったと、認めざるを得なかった。

「うわ」
「…ご挨拶だな。 久々だってのに」

自覚した翌日、エレベーターで乗り合わせた顔を見て思わず言葉を忘れた。あからさまに引き攣った顔に少なからず傷付くが、そんな女々しい顔は見せられないと無理矢理に口の端を上げた。我ながら憎たらしい笑い方が彼女の気に障らなければいい。

「そうだっけ」
「そうだろ。 お前が部署変わってから殆ど会ってねえ」

降下していくエレベーターの駆動音に紛れる様に、もう一度そうだっけと彼女が呟く。その途方に暮れた横顔に肺が痛む心地がした。
…明らかに自分という存在を迷惑がっている。これまでの誰か達と同じ様に、自分を嫌おうとしている。それだけは止めてくれという懇願の代わりに、口から出ていたのはもっと素直な言葉だった。

「なあ、俺と付き合え」

は、という胡乱気な呻きと共に正気を疑う眼差しを寄越されて我に返る。自分は今、何を言ったのか。

「…今フリーだろ。 それとも片想いの相手でもいんのか? そっちの部署、ウワサの鯉登坊ちゃんがいるしな」
「いやいないけど」
「じゃあいいじゃねえか。 その歳で好きな人としか付き合いませんなんてネンネなこと言わねえだろ? 割り切ったお付き合い、しようぜ」

動揺を悟られない様、彼女の顔ではなく正面の扉を見つめながら畳み掛けた。
一度口にしたからには退けない。身体の関係だけを求める様な言い回しになってしまったことは不本意だがまだ言い逃れ出来る。しかし独り身ではないという安心感を互いに提供し合おうと、そう言う解釈だという弁明にどう持っていくかが問題だ。
…いや、それよりも手っ取り早く頷かせてしまえばいいか。

「うんと言わねえなら今の告白、コレが開いたらもう一回してやろうか?」

コンコンと、指の背でエレベーターの扉をノックする。昼食時の今、一階には人がひしめいているだろう。そんな中での告白劇は可否を問わず社内を駆け巡る話題になるに相応しい。
さっと彼女の顔から血の気が引く。呆れたと言わんばかりだった表情が焦りへ変わり、視線が彷徨う。どうすべきか決めかねているのは一目瞭然で、しかしそんな彼女を他所にエレベーターは振動を止めた。一階へ着いたのだ。
わざとゆっくりとした動きで彼女に向き直る。はっと見上げてくるその顔が決意を固めたものへ変わる瞬間を見た。

「尾形、起きてる?」

───意識が浮上する。
頬に当たる柔らかい人肌の温もりと、髪を梳く様に頭を撫でる優しい手のひら。
懐かしい夢を見ていたのだと気付いた。

「ん」

喉を鳴らして彼女の剥き出しの腿に頬擦りする。明らかなセクハラ行為だが、それを咎める気配は全くない。受け入れられているという充足感は眠気と結び付き、また瞼をとろとろ落とそうとしてくる。
…それに抵抗し、薄く瞼を開けて上を窺う。
少し困った様に笑って自分を見下ろす彼女がそこにいて、飽きもせずに髪を梳いている。これを見て嫌われているなんて勘違いを起こす者はいるだろうか。

「もぞもぞ動くな。 寝にくい」

勝手に緩む顔を見られるのが恥ずかしくて、痺れに耐えかねてもぞつく脚を叩く。途端悶絶して倒れ込む彼女に覆い被さろうとして止めたのは、もう良い時間だったからだ。どうせ遅かれ早かれベッドに行くのなら、何も床でことに及んで彼女に負担をかけることはないだろう。
今日は特別、念入りに可愛がってやろうという下心を隠して彼女の腕を引く。大人しく着いてくる彼女をベッドで組み敷くのが楽しみだった。