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物理的溺愛

職場のデスクの上に、ぽんと置かれたボールペン。会計の際に印だけで良いと断わったのだろう、近場の文具店のロゴ入りテープがべたりと貼られていた。
さて、これが何故私のデスクの上に転がっているのだろう。誰かが置き忘れたか、落とし物を拾った誰かが私の物だと勘違いしたか。
隣のデスクの人に訊いてみることにした。

「あの、これ尾形さんのですか?」
「やる」

予想外の答えに思わず静止する。
やるとは、くれるという意味でいいのか。

「えっと、どうしてまた」

デスクこそ隣同士だが、私は尾形さんと仲が良いと言う訳では無い。
営業である尾形さんは専ら外に出ていて篭りきり事務職の私とは日中顔を合わせないし、外回りから戻って来たら来たで尾形さんはパソコンに齧りついて外部からの接触を雰囲気で威嚇し、遮断している。同僚の子からは尾形さんの隣ってしんどくないかと声をかけられる程剣呑なそれに、半月も経てば慣れてしまった私も大概図太いと思う。

「お前のペン、踏んづけて壊したから弁償した」
「えっ」

胸ポケットに常駐させている三色ボールペンを思わず検める。いや、ついさっきも使っていたこれのことである訳が無い。
デスクの上のペン立てを見てみるが、自前で揃えた書き易さ重視のペンは皆無事だった。一本一本選んで揃えた物なだけに、これを壊されたということなら流石にショックだったかも知れない。

「全部あるみたいですけど…」

もし尾形さんが踏んで壊したというペンが他の人の物であるなら、この弁償の品もその人に渡るべきだろう。暗に勘違いしていないかと問いかけるが、尾形さんはちらりとこちらを一瞥しただけで無言を貫く。

「…貰っちゃいますよ? いいんですね?」
「やるって言っただろ」
「はい、ありがとうございます」

頂いてしまったペンを手に取り、ロゴ入りテープを剥がす。私が愛用している物とは型違いの三色ボールペンかと思いきや、うち二色は太さ違いの黒のボールペンで驚いてしまった。こういうのもあるのかと感心しながら胸ポケットに差し込む。使い心地が良い様ならリピートしよう。

*

尾形は自分の隣のデスクが鬼門と呼ばれていることを知っている。別に狙っている訳でも無いのに、そこを宛がわれた者らが次々と辞めるか異動を希望するかでいなくなるのだ。
誓って言うが、自分は何もしていない。
営業として日中は外回りをしていることが多く、夕方に帰社してからは報告書やら見積もりやらの制作に没頭する為にコミュニケーションを取っている暇など皆無だ。転じてそれは嫌がらせの暇が無いことも証明している。だと言うのに、皆半月もすれば帰社してきた尾形を見ると渋面を作る様になるのだ。礼儀として挨拶程度は交わしていると言うのに。
一度、女子社員が泣いて帰ったことがある。そのまま二度と出社してこなかった時には流石に後味の悪さを覚えたが、本当に何もしていなかった自分が悪びれる必要は無いと開き直った。すると周囲の眼も少々厳しくなった様に感じたが、自分の何処に非があるというのか、言えるものなら言えば良いと無視をした。
そうしてある日。彼女が、日鳥かなみがやって来た。

「これ、やる」
「えっ。 ありがとうございます」

帰りがけに立ち寄ったコンビニで購入した飲料用ヨーグルトを彼女のデスクに置く。もう何度もくれてやっているのに、未だ第一声が戸惑いの声であるのがおかしくて口の端が知らず持ち上がる。
彼女が隣のデスクで仕事をする様になって、もう三ヶ月が経つ。
最初こそそれまでの誰か達と同じ様にびくびくとこちらの反応を窺っていたり自分が帰社した途端席を離れたりしていたのに、少し経つと、最初から自分の存在など意に介していなかったかの様に平然と仕事をする様になった。報告書の作成を面倒がって自分が舌打ちしても、見積もりのやり直しを要求される度に黙って苛々を募らせていても。我関せずとばかりに己の作業を続ける彼女の知らん顔は、こちらの神経を逆撫ですることは無かった。漸く良い隣人が巡って来たのだと安堵する。
だから、その礼と言う訳では無いけれど。彼女にささやかな贈り物をした。
自身が気に入って数年来愛用し続けているペンがある。一見只の三色ボールペンだが、その実太さ違いの黒が二本入っており、今までインク詰まりを起こした事の無い優秀な文具だ。
しかしそれまで業務連絡さえメールでやりとりすることの多かった彼女に突然渡すというのは、我ながら突飛過ぎて躊躇うところがあった。
だから彼女のペンを踏んで壊したからなどと直ぐバレそうな嘘を吐いて、代償として押し付ける形を取る。
彼女が然程詮索するでもなく受け取ってくれたのは僥倖で、それが使われているのを見かける度に嬉しくなる自分に驚いた。まさか。

「やるよ」

それから何くれとなく、彼女に物を与え続けた。
取引先から貰った試供品の横流しに始まり、コンビニで缶コーヒーを買うついでに彼女がよく飲んでいる飲料用ヨーグルトをレジに並べ、間違えて買ったからと様々なオフィス用品を押し付ける。
気が付けば彼女のデスクは、自身が買い与えた物で溢れ返っていた。それを見て満足する自分の気持ちに気が付かない程、尾形も子供ではなかった。

*

「いいですか尾形さん。 物を買う前に、先ず私にどういう物が欲しいか教えて下さい」

やばい。尾形さん、やばい。
営業のエースなのにこんなに買い物下手な人だったなんて聞いてない。いや、誰も知らなかったんだろうけど。
尾形さんの隣のデスクになってから半年程経ったが、その間、尾形さんはほぼ毎日私に何かしらをくれている。飲み物や取引先から頂いた試供品などは有り難いのだが、間違えて買ったから使いたくないとメモ帳やらペンやら針なしホッチキスやら、とかく様々なオフィス用品を寄越してくるのには参っていた。大半が貰ったら使える物だから良いが、如何せん頻度が高いのと、ニッチ過ぎる便利グッズは私も持て余してしまう為に何とかしないとならなかった。
豪雨の為に電車が遅延している今日、尾形さんは珍しくオフィスに居る。手持無沙汰気味にしている姿に、この機を逃してはならないと意を決して話しかけた。

「…なんで」

億劫だと隠しもしない態度は威圧的でもあるが、この半年間餌付けされ続けた結果、私は一方的に尾形さんに懐いていた。故にこの態度にも臆せず、憎たらしいと思える程度には耐性がついている。

「貰っておいて言うのもあれですけど、尾形さん衝動買いが過ぎますよ。 見て下さい私のデスクの上。 尾形さんから貰った物で等々間に合う様になっちゃって」

ペン、ペン立て、メモ帳、卓上カレンダー、色つきクリップ、パンチ、テープ台、マウスパッドにUSBメモリなどなど。
ペン以外には拘り無く間に合わせの物を使っていた私だから良かったものの、別の人だったら大半が御蔵入りになるところである。

「使ってるんならいいじゃねえか」
「良くありません」

尾形さんの金銭感覚はまともなはずだ。以前、某ファストフード店の牛丼が二十円値上げになるというニュースを見た時、あの量でその値段はねえだろとぼやいているのを聞いた覚えがある。私も同感だった。

「衝動買いというか買い物自体がストレス解消になるって聞いたことありますけど、行き過ぎると買い物依存症になるんですよ? 尾形さん、一歩手前じゃないですか?」

買い物依存症と言われるとブランド品を買い漁る女性というイメージがあったが、尾形さんのこともあって調べてみると日用品だの食料品だのを買い込むタイプもあれば、必要でなくても目に付いたものを気軽に買ってしまうタイプもあるのだとか。後者に関しては自覚が無いことが多く、エスカレートしていきやすいのだと言う。
が、逆に言えばそれは初期症状だ。心がけ次第で治療に通う必要は無いかも知れないらしい。

「俺が? 買い物依存症?」

片眉を器用に跳ね上げて復唱する尾形さんの声に、私の対面で仕事をしていた同僚の肩がつられる様にして跳ねた。ちなみに彼はひと月で尾形さんの隣に音を上げた。

「これだけ買って来ておいて違うなんて言わせませんからね」

尾形さんの鼻先に突き付けるのはつい昨日押し付けられた伝言メモだ。一行毎に設けられた横入りのミシン目は好きなところで切り取れる様になっており、右端は糊付けされている。大きさを自在に変えられる付箋メモと言ったところか。目新しさもあって受け取った時は思わず歓声を上げてしまったが、帰りに立ち寄った文具店で同じ物を見つけ、その値段に度胆を抜かれて今に至る。
私のポリシーとして、いくら使い勝手が良くても消耗品はワンコインに抑えるべきだと思っている。況して付箋。あの値段なら百円均一に行けば八倍の量が買えると言うのに、何て勿体無いことをしているのか。

「俺、筆圧強いからそんなモン書いてる間に千切れて鬱陶しいことこの上ない」
「それ買う前に気付くべきやつじゃないですか」

悪びれた様子も無くしゃあしゃあと言ってのける姿に実家の飼い猫を思い出す。ふてぶてしい態度を取ってもつい撫で繰りまわりたくなる可愛さがあるのが猫の不思議な魅力だと思う。

「別にお前は損してないから良いだろ」

何を構うんだと潜められる眉間をぎっと睨む。

「良くありませんってば」

最近、私と尾形さんが実は付き合っているんじゃないかと言う噂が流れている。
無理も無い、私だって同僚が先輩にこれだけ何かしらを貢がれている状況を見たらそう思う。まだ親子程歳が離れているとかであれば我が子に文具を買い与える親の様に思えて微笑ましいと逃げられるのに、私と尾形さんは多分五つかそこらくらいしか違わない。
況して尾形さんはちょっと前まで隣のデスクの人間を必ず辞めさせてしまうという曰くのあった人だ。そんな人が大っぴらに見せているデレが話題を呼ばない訳がなく、気付かずに甘んじていた自分に呆れてしまう。

「噂のこと気にしてんのか」
「…知ってるなら分かるでしょう」

にやり、いや、にたりか。嫌な笑い方をするその人が何時噂を耳にしたかはわからないが、知った上で尚続けていたのなら悪趣味なことこの上ない。対面で固唾を飲んでいた同僚がふらふらと立ち上がって逃げていく。ずるい。

「日鳥」

尾形さんの指がかつりとデスクを突つく。

「お前、本当に俺がタダの買い物下手で、要らないもんをお前にやり続けてたって思うのか?」

…何を言い出すのだろう。それ以外になにがあるというのか。
デスクの上を、或いは中を占める貰い物達のことを思い浮かべる。
人に下げ渡すより返品に行くべきではないかと慌てた貰い物が、確かに無いでは無い。消耗品なのだから自分で使えばいいのにと思った物も、これは何と間違えて買った物なのかと首を捻らざるを得ない物も。
自分ならこれはプレゼントに選ぶなと思った、普段使いの品としては上等な物も。

「俺はどうやら、惚れた女は甘やかしてやりたくなるタイプらしい」

言って尾形さんは、上着も羽織らず財布だけを手に席を立つ。そう言えばもうお昼の時間だ。
助かったと胸を撫で下ろしたその時、不意に腕を引かれ、つんのめる様にして立ち上がらされる。呆然と見上げた先、人の悪そうな笑みを浮かべたその人は心底愉しそうに囁いた。

「好きなモン奢ってやるよ。 明日も、明後日もな」

明日から連休ですよと言おうとして口を噤む。だってつまりこれは、そういうお誘いなのだろう。
連れ立ってオフィスから出た後ろ、閉じられたドアの向こうから聞こえる同僚達の騒めきに耳を塞ぎたかった。

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