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ハロウィンにご用心

今日は十月三十一日、ハロウィンだ。
少し恥ずかしかったけれど思い切って購入した赤いエプロンワンピースと白のバルーンブラウスに袖を通し、赤いフード付きのケープを被る。思ったより様になっている「赤ずきんちゃん」の姿を玄関の姿見で確かめて、私はお菓子の詰まったバスケットを腕にかけた。

「行ってきまーす」

声をかけても返事は無い。今日は父さんも母さんも店に出ているから当然で、帰ってくるのは日付が変わる直前になるだろう。
何せ今日はハロウィン。ケーキ屋を営む両親は、お菓子を求めてやってくる子供達用の焼き菓子を準備するのに大わらわになっている。
私も昼間は手伝ったけれど、日が暮れる前に帰る様言いつけられてしまった。出来上がったお菓子のラッピングや接客でくたびれていたし、明日も学校があるからそのまま眠っても良かったけれど、ハロウィンで賑わう人達の声を聞いているといてもたってもいられくなった。
手持ちの服装で出来る仮装はあるかなと思案して、思いついた「赤ずきんちゃん」の仮装の出来栄えは我ながら中々だ。これで赤い靴があったら最高だったが、明るい茶色のショートブーツはそれはそれで可愛いから満足している。
玄関を開けて直ぐ、街灯に照らし出された道の向こうから誰かがやってくるのが見える。大通りに向かうのではなく、袋小路の行き詰まりにある我が家の方へやってくるということは友人だろうか。両親がケーキ屋さんということを知っている友人達が、冗談交じりに行こうかなと言っていたことを思い出す。
丁度いい、バスケットに詰めた両親謹製の焼き菓子達は彼女らに渡す為の物だ。そのまま少し一緒にうろついたら帰ることにしよう。
と。

「お、可愛い赤ずきんちゃんだ」

戸締りの為、我が家を振り返った瞬間だった。予想外に近くから聞こえてきた男の人の声に肩が跳ねる。

「あ、ごめん。 驚かせちゃった?」

ざりと砂を踏みしめる音がする。コンクリートで固められた道路から、砂地に敷石を置いた我が家の敷地内に足を踏み入れた音だろう。
恐る恐る振り返る。
街灯の明かりが逆光になっていて顔はよく見えないが、浮かび上がるシルエットからして体格が良いのは間違い無い。男性パティシエとして力仕事もこなす父もそれ故に体格は良い方だが、それをはるかに凌いでいた。

「こんばんは、かなみちゃん」

街灯から玄関灯の影響下へ移動したその人の顔が見えて、名を呼ばれて。
私は漸くほっと息が吐けた。

「こんばんは、杉元さん」

整った顔に走る歪な十字傷。優しくて可愛らしいものが好きという一面も持つその人は、頭に茶色の犬耳を生やし、同色のファーがついた黒のライダースジャケットを羽織っていた。いつもはおろしている髪を後ろに撫で付けて、毛先をぴんと跳ねさせているあたりいつにない拘りが見える。
仮装としては中途半端だが、只でさえ男前の彼が身なりをワイルドに整えているとなると文句など出るはずもない。

「狼男ですか?」
「そ。 わおーんってね」

ジョークグッズの一種らしい、鋭く尖ったつけ爪は正に狼のそれだ。にっと笑う彼の口元から覗く八重歯が本当に牙に見えてくる。

「かなみちゃん、仮装はしないんじゃなかったっけ? 気が変わった?」

はて。杉元さんと仮装に関する話を、ハロウィンの話をしたことがあっただろうか。覚えがないが、仮装するつもりがなかったのは本当のことだし、していなければ杉元さんが言い当てられるはずがない。きっとしたのだろう。

「外が賑わってるのを聞いたらしたくなっちゃって。 手持ちの服で出来そうなのがあったから」

似合いますかと訊く勇気は無かった。ケープについたフードを目深に被って顔を隠す。

「そうなんだ。 うん、すっごく可愛いよ、似合ってる」

言って微笑ましいものを愛でる様に細められる杉元さんの瞳が、不意に金色に煌めく。カラコンまで入れるのなら黒のスラックスではなくて茶色のズボンにすればよかったのにと思うが、二つ瞬きをする間に杉元さんの瞳は黒に戻っていた。光の加減で見間違えてしまったのだろうか。

「かなみちゃん? どうかした?」
「あ、ごめんなさい、なんでもないです。 杉元さんもすっごく似合ってますよ」

凝視していたことを誤魔化す様に、しかし本心からの賛辞を口にする。
杉元さんの身内への優しさと、外敵への容赦の無さ。それらは犬とか狼とか、そういうらしさがある。

「え〜本当? ぎりぎりまで何の仮装にするか決まんなくてさ、急拵えだったからちょっと中途半端になっちゃったんだよね」

本当は上着ももっとファーと近い色のジャケットを探していたとぼやく姿は照れ隠しに他ならず、つい笑みが溢れる。本当に杉元さんは可愛い。

「じゃあかなみちゃん、行こっか」

はいと返事をしかけて、止める。
あれ、私は、杉元さんと行っていいんだっけ。
腕にかけたバスケットの中身を確かめる。小包装されたこの焼き菓子は友人の為に。

「ほら、お見舞いの為のお花を摘みたいんでしょ? 病気のお婆ちゃんの好きなお花、この季節だとどこの花屋さんにも無いって言ってたから見つけて来たんだよ。 ちょっと遠いけど俺がいるから大丈夫」
「…そうでしたっけ」

お婆ちゃん。父方と母方、どちらのお婆ちゃんの話を私はしたのだろう。入院なんて、いや、していたけどそれは数年前の話で、私がその話をした相手は。

「そうだよ。 あの時は何もしてあげられなくてごめん」

…佐一。そう、私がお婆ちゃんのお見舞いの相談をしたのは、佐一だけだ。
隣家の若夫婦が家ごと親から受け継いだという、三十年を生きたというあの老犬にだけ、当時小学生だった私は泣きながら訴えた。何にもしてあげられなくて悔しいと。
介助がなければ排泄さえ難しくなっていた佐一の看病を時折頼まれていた私は、誰にも聞かれないのを良いことに彼を捌け口にして、何度も何度も。

「もう泣かせたままになんかしない。 俺が守ってあげるから、俺と行こうね、かなみちゃん」

ぐいと手を引かれる。
杉元さんは佐一なのか訊こうとして、そんなことある訳が無いと口を噤み、でもそれしかないと疑念が首を擡げる。
だって隣の若夫婦の、杉元夫妻にはまだ子供が居ない。旦那さんは目の前のこの人じゃない。
だから彼は…私は、どうして彼を杉元さんと呼んだのだろう。
歪な十字傷を見上げる。
幼い私を野良犬から守る為、佐一が顔面に負った深手と同じ形をした傷を。

「…化け猫がいるんだ。 化け犬がいたって何の不思議もないだろ?」

金色が、滑る様に鈍く光る。
この狼男には猟師や鋏程度では勝てないのだろうと、諦めるしかなかった。

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