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山猫の罠は深く食い込む

尾形が好きなのかと問われたら好きだと答えるだろう。ただそれは愛着故の「好き」であって、恋慕由来の「好き」では無い。
何せ恋人を電話一本、通話時間五秒で捨てる男だ。日替わりと称しても差し支えない程にとっかえひっかえで遊んでいる男と分かっていて惚れる程、私は恋に飢えていない。
それなのに、何故あんなことを言ってしまったのだろう。

「白石、どうしよう」

尾形が出て行ってから直ぐ荷物を纏め、一番安心出来る場所であるはずの自宅から近場のネットカフェまで避難してきた私は白石に電話をかけていた。割り当てられた個室内では無く、通話OKのロビーの隅に人目を避ける様に座り込んで。
杉元くんは自分の家に来ていいと言ってくれたが、彼のところに行ったと尾形に知れたら後が怖い。杉元くんが駄目となると、他に尾形とのことを相談出来るのは事情を知る白石しか居なかった。相談に向かない男だと分かっていても、今の私は縋れるものなら壺でも買ってしまうかも知れない程に追い詰められていた。

『えっとお…尾形ちゃんがかなみちゃんのこと好きなのは知ってたって言うか、すごい、今更って言うか? かなみちゃん、全く気付かなかったの?』
「どこで気付けって言うの。 無理でしょ」

だって尾形は私の家に我が物顔で出入りする様になってからも女癖が悪かった。直そうとする様子も、頻度が減ったという様子も無い。好きな相手の前でするべき振る舞いでないことは火を見るより明らかで、更に私はその所為でとんだとばっちりを喰らってきた。私を恋敵と勘違いした───実際そうだったのだけれど、それは置いといて。元カノのお歴々に詰め寄られたり、掴みかかられて怪我をしたり、謂れの無い妙な噂を流されたり。暫くは見知らぬ同性に近寄られるとびくついてしまったくらいには色々されてきた。
その都度苦情は大本である尾形にぶつけており、その際の剣幕は我ながら相当だったと思う。しかし尾形はと言えば悪びれた風も無く、とんだ馬鹿がいるもんだなと他人事の様に言ってのけて。私は何度堪忍袋を爆発させただろう。それを受けても尾形は態度を改めることをしなかったのに、何故口説かれているなどと思えるのか。頭がお花畑どころの話では無い。

『ま、だよね。 まさか尾形ちゃんが本命に弱っちくなっちゃうタイプだなんて俺も思わなかったしな〜。 元々来る者拒まずってスタイルだったし、自分からモーションかけるだなんてしたこと無かった所為もあるんだろうけど』

本命という言葉にどきりとする。同時に、尾形から言い放たれた言葉が耳の奥で木霊した。
曰く、自分以上にお前を好きなヤツなんて居ないと。

「…本当に、好きなんだと思う?」
『ふふ、分かってんでしょ?』

電話の向こうで白石がにやつく姿が見える様で、無性にあの坊主頭を叩いてやりたくなる。
…そう、本当は確信している。
あの尾形がまさかすぐさま病院に向かうなんて完全に予想外だった。性病の疑いを向けてやれば萎えるんじゃないかと、それくらいの算段だったのに。あんな一目散で実行に移すなんて、それじゃまるで本当に私と恋人になりたいみたいではないか。

『俺としちゃかなみちゃんが満更でもなさそうなのが意外かも。 杉元が好きなんじゃなかったの?』
「好きだよ好きに決まってるでしょ。 あんな可愛くて格好良い人、嫌いな方がおかしい」

つまり尾形のことなのだが、今はあの小憎たらしい顔を思い浮かべるだけで脳が茹りそうになる。
…ふうんと語尾を上げた相槌は腹が立つが、白石には感謝している。こんなどうしようもない、相談なのかもよく分からない話に付き合ってくれるのなんてこの男くらいだろう。面白がられているだけでも構わない、とにかく今は誰かと話して落ち着きを得たかった。

『じゃあ尾形ちゃんのことは?』
「…尾形、は」

あんな男と付き合いたいと願う彼女らの気が知れないと思っていた。あんな最低な男の特別になれたところで幸せになれる訳が無いし、現に数日という論外の短期間で破局する様を見て来た。
中には本気で無く、尾形同様、火遊びくらいの気持ちだった者もいるのだろう。
けれど私は元カノ達の本気の怒りと嘆きをぶつけられてきた。その根源にあるものが尾形への恋慕だとは、言うまでもない。

「いちばん好きになっちゃだめなヤツだと思ってた」

尾形がどういう人間であるかは、初めて家に上がり込まれたその日に白石に詰め寄って教えてもらった。ただ単に飲み会で隣り合った白石の知り合い程度の認識だった男が突然訪ねて来たのだから、なんだあれと動転するのは当然だろう。
尾形の為人を聞いて初めに思ったのは、本当にそんな人間が居るんだという驚愕だった。素面の状態で半日向き合ってみたが、とても口説くのが巧いとかまめに気を利かせられるタイプとも思えず、何が良くて女が途切れないのかと訝しみもした。
入り浸るのを許したのは、その理由が知りたいという好奇心が二割で、後の八割は尾形の強引さに根負けしたからだ。まさか他の住人がオートロックキーの解除コードを打ち込む様を見て部屋の前まで来る様になるとは思わなかった。その内合鍵どころか家の鍵を取り換えられるのではと危ぶんだのは行き過ぎではないだろう。本当に、何故こんな男がモテるのか理解に苦しんだ。

『そっか。 じゃあ今は?』

ふんわりとした口調で鋭く斬り込んでくる白石の問いに頭を抱える。
そう、一番好きになっちゃいけないと思っていた男を、今どう思っているかが問題なのだ。

「…フッたらやっぱりもう家には来なくなるのかな」

健康体であれば付き合うと宣言してしまった。それを気持ちが全く無いからと反故にすることは、不可能では無い。
けれどそうした先にあるのは尾形との離別で、この一年以上、共に過ごしてきた日々がどうしても頭を過ってしまう。
そう仲良くつるんでいた訳では無い。構われるのを嫌う猫そのままの生態の尾形と、同じ空間にいただけに等しい。
終電も終わったと言って泊まろうとすれば躊躇わず杉元くんを呼んで近くのネットカフェまで追い出してもらったし、着替えを置こうとすれば一部盗まれることを承知で白石に預けるぞと脅した。
互いの隙を探り合う様な、警戒心を残したままの生活を惜しんでいる自分が信じられない。けれどもう尾形が通ってくる以前の生活が思い出せないのだ。あの日当たりの良い場所にラグマットが無くて、分厚い身体がふてぶてしく横になっていない光景が見えない。
そんな想像さえ出来ない光景を眼前に突き付けられたら、私は平生でいられる自信が無かった。

『ん〜どうだろうね。 あんだけ執着してる尾形ちゃんが一度フラレたくらいで諦めるとも思えないけど、完全に脈無しって思ったらかなみちゃんの家に来なくはなるかも。 尾形ちゃん、精神的にはそうタフって訳じゃ無いじゃん?』

白石の言葉に大きく頷く。尾形は決して打たれ強くない。色々顔に出難くて、他人の言葉を滅多に聞き入れないだけで。
ふふふと白石が忍び笑いを漏らす。

『俺からしたらかなみちゃん、ばっちり尾形ちゃんのこと好きに見えるけどな〜?』

馬鹿言わないでとは、言い返せなかった。

「…そうなの?」
『うん。 尾形ちゃんの作戦勝ちかな? 絆されちゃってかーわいい』

尾形は言った。自分の存在に依存させようと画策していたと。その腹積もりを白石は察していたのか、あっさりと作戦勝ちなどと宣う。

『まあ一回付き合ってみたら? かなみちゃんの身持ちの固さは知ってるけど、流石に最初に付き合った人と結婚しなきゃって思ってるワケじゃ無いでしょ? やっぱり違ったって振り切る為にも必要だと思うなあ俺は』

やたら付き合えと後押しをしてくる白石に不信感を覚える。尾形から袖の下でも受け取ったのかと勘繰るが、そこらの女子より余程恋愛脳な白石は何かしらのネタが欲しいだけだろう。私と尾形が付き合うか否かでトトカルチョなんてやっていたら中学時代の恥ずかしい話をばら撒いてやる。

『ねえ今なにかおっかないこと考えなかった?』
「無いけど、…あ」

不意の沈黙に危険を察知出来るあたり、白石の生存能力は本当に高い。それも博打好きという困った嗜好の所為で台無しにすることが多いが、寸でのところで修羅場を避け続けてこれた実績もある。
そう、私とは違って。

「よう、ただいま」

誰かが私の前に屈み込んだ。注意しにやってきた店員さんかと思って勢いよく顔を上げた先、がらんどうの瞳と目が合って息を呑む。電話の向こうで呼びかけてくる白石の声に返事も出来ない。

「そうやってコソコソしてる方が余計目立つんだよ。 声だけ聞こえてくるから尚更な」

するりとスマートフォンを取り上げられる。白石の声がぷつりと途切れ、通話時間を示す画面のまま返された。

「…なんでここが分かったの」

高校時代、杉元くんとの大乱闘の末に顎を割るという重傷を負った名残を見つめて答える。それ以上視線を上げるには少々こころの準備が足りない。グループチャットアプリで寄越された、あの最低なメッセージが頭の中をぐるぐる回っている。

「お前の家から追い出された時、ここに泊まってる。 お前もわざわざシティホテルに泊まらねえだろと思ったまでだ」

私の家の周辺にある宿泊可能な施設の内、最も安価で気軽に夜を越せるのはこのネットカフェしかない。小奇麗なビジネスホテルも駅前まで行けばあるが、学生の身ではああいったところでもまだ敷居は高い。
成程、見つかるのは当然のことだった。

「荷物持って来い」

私の家から出て行った時と同じ格好の尾形が、そこに居る。踵を浮かせた何とも不安定な姿勢で私の正面に屈み込んでいる所為で、上着の裾が床に着くか着かないか、微妙なところで揺れていた。

「いや…今日はここに泊まろうと思ってフリータイム選んだから…」
「今日、ここでぶち犯してもいいんだぞ」
「良いワケないでしょ!?」

つい声を荒げてしまったが、幸いロビーに私達の他に人影は無い。ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間で、尾形に腕を掴まれて無理矢理立ち上がらされる。長いこと屈み込んでいた所為かくらりと眩暈がした。

「持って来い。 送ってやるから」

表で待ってると言い残して尾形が店外へ出ていく。送ってもらう程の距離では無いが、自分の足では帰らないだろうことを見越されていると分かる。また乗り込まれても敵わないし、従うしかないのだろう。
白石からの着信でスマートフォンが震える。散々相談に乗って貰っておいた身で恩知らずだが、今は出られる余裕が無い。荷物を取って支払いを済ませて───尾形のところに行くと思うだけで頬が火照って仕方ない。

「…絆された、か」

白石の軽薄な声で突かれた図星が未だどくどくと大きく脈打っている。絆されると惚れる、これらにどれ程の違いがあるのか、まだ私にはよく分からない。尾形から提示された日までに判別することは出来るのだろうか。
すっかり日が暮れた空の下、尾形の黒い愛車は街灯に照らされて不気味に光っていた。

「…あれ? 尾形、こっちうちの方向じゃなくない?」
「ああ。 俺の家に向かってる」
「嘘でしょ下ろして!?」
「安心しろ。 結果の出る日までは何もしねえから」
「じゃあ連れ込むのもやめてよ!」
「逃げるだろお前。 結果が出る日も病院まで連れて行くからな」
「にっ…逃げないから…!」
「ハッ、現に逃げてたヤツが何言ってる。 信用があると思うなよ」
「アンタにだけは! 言われたくない!!!」

数日後。
陰性を示す数枚の診断書を車中で突き付けられた私は、ぐうの音も出ずに尾形の彼女になった。

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