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山猫の狩りは失敗したか否か

「暇だ」
「帰れば?」

人の家に上がり込んでごろごろと、それこそ猫の様にフローリングの上を転がっていた尾形の呟きを叩き落す。じとりとした視線で背中を刺されても気にならない。招かれざる客の分際で横柄が過ぎるこの男に気を遣うのはとうに止めた。

「彼女のとこ行けば良いでしょ」
「別れた」
「じゃあ元カノのとこ行けば良いでしょ」
「じゃあってなんだじゃあって。 行くワケねえだろ」

尾形とは大学に入ってから知り合った。専攻もサークルも違う中、ある顔の広い友人が知り合いをとにかく呼びつけて開いた無作為な飲み会で同席したのが始まりだった。
最初年上だと思って敬語で話していたところ、それに気が付いた友人に指摘されて同い年だと知り、尾形は尾形で私のことを完全に年下だと思っていたと驚いていた。まあ、童顔なのは事実であり家系なので仕方ない。
そこから何事も無く、ただ友人を介して顔見知りとしてだけ過ごしてきたはずなのに、尾形はある日ふらっと私の家を訪ねて来た。
曰く、大学から近いと聞いて涼みに来たと。
確かに私の家は大学から近い。通学に電車を使うのはもう御免だと高校の時に決意し、下宿して通うことが決まっていた大学では絶対に徒歩通学出来る距離と決めていた。
家賃の都合もあり、実際は自転車通学でないと億劫な場所になってしまったが、それでも十分近い我が家は周辺の環境も良く、自慢の立地である。
多分、情報元は尾形と私を引き合わせるきっかけを作ったあの友人だろう。私の住所を知っている共通の知人となるとそこしかない。
そうしてずかずかと上がり込んできた尾形を追い出しきることが出来ず、結局夕飯までたかられたあの日からヤツはすっかり我が家に入り浸っている。
最後の一線として宿泊だけはさせまいとした私は、対抗手段とする為、頑張って杉元くんの連絡先をゲットした。どうか尾形から助けて下さいと土下座した甲斐もあり、すっかり同情してくれた杉元くんは今や電話一本で飛んできてくれる。もし駆け付けられない時は自分の家を使ってくれていいと合鍵を渡された時は彼に嫁ごうと決意した。

「尾形には次々彼女が出来るのに、何で杉元くんには出来ないのかなあ」
「…俺の前で杉元の名前出すな」

凄まれたところで全く怖くない。私は尾形という存在にすっかり慣れ切っていた。
手近にあった雑誌を広げ、クッションを顎の下に置いて寝そべる。今度の休日杉元くんとカフェ巡りをしようという約束の為に買った雑誌は、この辺りの隠れ家的カフェを特集している。お互いに一件ずつ美味しそうなところを見つけてくるという課題を外す訳にはいかなかった。
だって美味しい物を食べている時の杉元くんはとっても可愛い。あの精悍な顔がふにゃふにゃに蕩けるところとか、食べきっちゃったらすごく寂しそうな顔をするところとか、見ていて全く飽きない。私にもっと財力があれば好きなだけ奢ってあげられるのに、学生とは実に悲しい。

「にやにやして何見てんだよ。 エロ本か?」
「馬鹿じゃないの」

ごろごろと私の隣まで転がって来た尾形が雑誌を覗き込んでくる。白石じゃあるまいし誰がそんなものを他人の居る空間で広げてにやにや眺めるというのか。

「…ふうん。 お前もこういうの、好きなのか」

ケーキにタルトにクッキーと、美味しそうな焼き菓子特集のページを一瞥した尾形はそう呟いた。多分、歴代の彼女達のことを思い出しての一言だろう。可愛い系から綺麗系まで、多種多様ながら平均以上のルックスだったことは私も知っている。何人かには尾形に近付かないでと苦情を頂戴したことがあり、また何人かにはアンタの所為でフラレたと掴みかかられそうになったことがあるから。
尾形は困ったことに、彼女が居ても居なくても私の家に入り浸るのだ。前述の件があるし恋人がいる身で来ないでくれと嘆願しても無駄で、じゃあ別れると言ってその場で彼女に電話を掛け五秒で元カノにした時は全力で引いた。絶対にこんな男とだけは付き合うまい。

「まあね。 甘い物は基本的に好きだけど、ごちゃごちゃフルーツが乗ってるやつは苦手かな」

ぺらりとページを捲る。ベリージャムがこってり盛られたスコーンが大きく紙面を陣取り、その直ぐ脇には店名と住所、電話番号が記載されている。大学から近いしスコーンは好きだが、お腹に溜まりやすいから数が食べられない。カフェ巡りなのだからここは止めておこう。いやでも、杉元くんはよく食べるからこういう食いでがあるものがあっても良いかも知れない。

「こういうのか」

尾形が指したのはミルクティー風味のミルフィーユだった。紅茶専門店が最近イートインを始めたらしく、そこのイチオシ商品だと言う。素直に美味しそうだと感嘆し、その店名を確認して驚いた。

「えっ、ここ、イートイン始めたんだ」

私の好きな紅茶屋さんが、そう言えば一部改装するとかで売り場面積を小さくしていた。まさかイートインを始める為の改装だったとは思わず、これは嬉しい驚きだ。

「お前の好きな店だろ」
「うん」

ぴたりと肩同士をくっつけてくる尾形は、もうすっかり一緒に雑誌を見る気でいるらしい。何を食べても目立った反応を見せないくせに、実は甘い物が好きだったのだろうか。

「…あれ? 尾形にこの店の話、したことあったっけ?」

杉元くんは紅茶好きかなと思案してはたと気付く。
この店に行く時、私はいつもひとりだった。試飲は出来るものの、紅茶が飲めるでもなくただ茶葉を売るだけの店だったので誰かを誘うには向いていなかったから。況してやコーヒーを常飲している尾形になんて。

「キッチンやら棚やらに缶並べてるじゃねえか」

飛び抜けて可愛いデザインという訳では無く、むしろ飾り気の無さを気に入って店で貰える缶をコレクションしている。中身が無くなって、その茶葉が気に入れば中身だけ買い足してきたりしているので半分程は現役だが、残り半分は小物入れにするなどして活用している。
それに尾形が気付いていたのは本当に意外だった。その上、その缶を扱ってる紅茶専門店のことまで。

「尾形、紅茶好きなの?」
「…そっちじゃねえ」

謎の返しに首を捻る。

「そっちってなに? コーヒー好きなのは知ってるけど?」
「だからそうじゃねえよアホ女」

肘をついてうつ伏せた体勢のまま俯き、後頭部をがしがしと掻き毟る姿から苛立ちと呆れを感じ取る。未だ肩がくっついたままの至近距離故に、尾形愛用の整髪料の香りがふわりと漂ってきた。この、そこまで男くさくない香りは好きだ。

「…で、行きたいとこあったのか」

自分で乱した髪を撫で付け、整えながら尾形が訊いてくる。なんだその諦めた様な目は。

「うん、ここ」

指したのは先程のスコーンのお店だ。多分杉元くんは私に気遣ってお店選びをするだろうから、それなら私も彼の為のお店選びをする。女子と遜色ない舌の杉元くんなので、そう恩着せがましいものでもないけれど。

「ハッ。 やっぱりお前はお前だな、がっつり系じゃねえか」

尾形の目から見てもスコーンはそうカウントされるらしい。小馬鹿にした笑みは明らかに挑発していて、かちんと来たがこれにのったら私の負けである。尾形から紙面へ視線を戻し、平静を装って返す。

「杉元くんが食べるんだからこれでいいの」

写真通りならスコーンが五つに飲み物がついてこの値段ならコスパが良い。杉元くんと相談して決めた予算内に収まって一安心だ。
と。

「…杉元?」

隣でぴったり寝そべっていた尾形がごそりと起き上がる。その地を這う様な声音は久々に聞いた尾形の所謂「本気」だが、何故今ここで。
恐る恐る振り返った先では、尾形ががらんどうの瞳をじっと私に向けていた。

「杉元と行くのか」

床に投げ出されたままの紙面と私とに視線を往復させて、尾形が問うてくる。
杉元くんとの仲の悪さは知っていたが、今まで杉元くんと私がつるんでいても何も言ってこなかったのにどうして。

「…その、日頃のお礼に、奢ろうかなって」

始まりは確かにそうだった。いつも尾形から助けてくれてありがとうの意味を込めて、杉元くんとデートしたいという下心も込めて、奢るよと声をかけた。
でも女の子に奢らせたくない、悪いのは尾形だからと固辞する杉元くんが、奢り奢られ無しでカフェに行こうと誘い返してくれたのだ。
そしてすっかり浮かれた私はカフェ特集なんて丁度いい雑誌を見つけて買って帰ってきて、そしたらやっぱり尾形が来て。
そう、いつも通りだったのになんでこんなに怒っているのだろう。

「杉元が好きなのか」

問いながら、尾形が覆い被さってくる。咄嗟に逃げようと身を捻ったが遅く、転がろうとした先にあった尾形の腕にぶつかって仰向け寸前の体勢で止められてしまった。

「なに…今更」

私は普段から尾形の前で杉元くんを褒めちぎっている。可愛いのにいざとなったら格好良くて頼もしいなんて最高、大好きなんて言葉は日常茶飯事だ。
尾形が厚かましくなかったら杉元くんと出会えなかったよと、宅飲みしながら肩を叩いたこともある。だからとっくに知っているとばかり思っていた。知っていて普段の態度だから、私のことはやはり全く女と見ていないのだと安心していたのに。

「今更?」

ぴくりと跳ねた眉と眉の間、眉間に見る見るうちに断崖絶壁が築かれる。それがずいと鼻先まで迫ってくるからつい肩がびくりと跳ねてしまった。その肩を押さえ付けてくる尾形の手は分厚く、固く、熱い。

「なんで俺じゃなくて杉元なんだよ」

…意味が分からない。
そんな心境が顔に出てしまったか、尾形の顔からすっと表情が抜け落ちる。やばい、そのパターンも見たことがある。
杉元くんとガチの殴り合いをした時の、直前に見せた表情だ。

「優しくしてやっただろ。 特別扱いして、お前に因縁つけるバカとは直ぐ手を切った。 大体あの尻軽共だってお前を焚き付ける為に引っ掛けてたのに、お前が、取っかえ引っ変え不潔だって言うから止めたのに。
杉元みてえな童貞ヤロウのどこがいいんだよ。
俺の方がお前を知ってる、俺よりお前を好きなヤツなんていねえ。 杉元なんざ論外だ。 あんな夢見がち野郎がお前に合うかよ」

尾形の言っていることの、半分も分からない。
冒頭の優しくしてやったという発言に呆気に取られている内に、特別扱いだの焚き付けるだのと畳み掛けられ口を挟む余地を与えられず、私はただ尾形を見上げていた。杉元くんが童貞だとかなんで尾形が知っているのか、そんな突っ込みを入れられる雰囲気でもない。尾形の顔が、どんどん近付いてくる。

「尾形、待って」

危険を感じて己の唇の前に手を翳す。掌に感じる柔らかさは尾形の唇だろう。合間から零れる吐息は熱く、掌を擽る。穴みたいな瞳がちらと私の手を見下ろした。

「邪魔だ」
「、ンっ」

あっという間に退けられた自前の盾はそのまま床に縫い付けられ、私の唇はぱくりと食われた。
キスといえば唇同士を閉じたまま合わせるという知識しかなかった私にとって、尾形のキスは衝撃的に過ぎた。驚きで空いた隙間からぬるりと忍び込んできた舌に舌を舐られ、舌先を歯で挟まれて尾形の腔内へ拐われる。引き戻そうとしても舌の根元に尾形の舌があって邪魔をし、そのまま裏側を舐め上げては私の唾液を啜っていく。代わりに舌を伝って流れ込んでくる尾形の物らしい唾液を、私は窒息しない為に飲み下すしかなかった。
こくり、こくり。
舌を封じられたまま何かを飲むのがこんなに難しいなんて、知りたくなかった。

「…ハ、やらしい顔」

不意に尾形の舌が腔内から退いて、漸く戻せた私の舌は尾形に甘噛みを繰り返されたことで若干痺れていた。最後にちゅうと音を立てて唇を離した尾形は、じっと私の顔を見つめて至極満足そうに呟いた。うるさい。

「…なに、するの」

尾形は私に異性として気のある素振りを見せたことなんてなかった。家に居座ろうとしたことがそれだと言われても、第三者を介入させてまで拒否したのに諦めない尾形が異常だ。

「キスだよ。 今更だろ?」

また尾形の唇が降ってくる。今度は軽く表面同士をくっつけただけであっさり引いていったが、私の頭はそれどころでは無かった。なんだ、今更って。

「お前が俺の前で呑気にうたた寝してる時とか寝惚けてる時に何度もした。 舌を入れたのは今のが初めてだが、やっぱ起きてる時にするもんだな。 すげえイイ声」

とろりと、欲を滴らせる様な笑みを浮かべた尾形が下半身を擦り付けてくる。太腿に当たるごりとした硬質な感触に戸惑ったのも一瞬で、その正体を悟った私は必死に身体を捩って尾形の下から這い出ようと足掻く。信じられないことにこの男、勃ってる。

「お前が俺の存在を受け入れて依存するまで気長にやろうと思ってたがヤメだ。 余計なムシに余所見されるなんざ許せるか。 身体からじっくりオトしてやる」
「ばっ…ばか言わないで! やめて!」

腰の下に回される腕に抱えあげられない様、必死に背中を床にくっつける。狭い我が家のベッドはすぐそこで、普段私の癒しの場であるそこが地獄の入口にしか思えない。尾形の肩に手を付き足をばたつかせ、なりふり構わず抵抗した。

「俺は別に床でも構わねえんだぞ。 そっちの方が犯してるって雰囲気出てイイしな」

あまりに最低な発言だが、尾形は尾形でやけっぱちになっている気がする。なんとか落ち着かせないと、互いにとって最悪の展開は避けられないだろう。死に物狂いで思考を巡らせた結果、つい昨日、白石とした会話が光明の如く頭上で輝いた。

「病院!」
「…なに?」

尾形がいつから私のことを狙っていたかは定かでないが、本当につい最近まで多数の女性と関係を持っていたことは確かだ。風俗通いの白石はそうした素人を食い物にする尾形に嫉妬半分、本気半分で、ある心配をしていた。

「病院行って!! それで尾形がなんの性病にもかかってなかったら付き合うから!!」

私を持ち上げようと力んでいた尾形の腕から、するりと力が抜ける。そろりと窺い見た尾形は、何とも言えない顔をしていた。
しかし性病、と小さい声で復唱し、己の下半身を見下ろす仕草から興が削げたことを確信する。

「……病院、行ってきたらいいんだな?」
「何にも無かったら、うん」

顔を上げないままの尾形がどんな顔をしているかは分からない。が、すぐに私の上から退くと上着を羽織って出ていったところから笑顔では無いだろう。いや、尾形は悪いこと考えてる時ほど笑うんだったか。とにかく尾形が戻ってくる前に逃げなければいけない。

「もしもし杉元くん助けて!!! 尾形に犯される!!!」
『かなみちゃん早くおいで!!! 俺が護るから俺と住もう!!!』
「……す、杉元くんのえっち!」

願ってもない申し出に喜んでと返すべきなのに、まさかの暴言を返してしまった自分に驚く。そんなつもりじゃないよと喚く杉元くんの声を聞きながら、私はとりあえず家を空ける準備を始めた。
さしあたっては三泊程、誰が好きなのか自分とじっくり見つめあわなくては。

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