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空腹にて生を知る(スコッチ視点)

スコッチというコードネームを与えられ、漸く人心地着いたと言ったところか。
それにしてもこの手は血に染まり過ぎてしまって、この潜入捜査が終わったとして警察官に戻れるのだろうかと悩んでしまう。
しかし憂いに浸っている暇は無い。ネームドになったことで厄介な人物との接触の機会が増えてしまい、これまで以上に気を張らなければ路地裏の身元不明死体となる明日が待っている。
頭が痛い、胸が重い。
何でも笑って済ませられる性質だと思っていた己の身体は、心は、明らかに悲鳴を上げていた。
そんな時だ、彼女に出会ったのは。
その日も誰かを射殺した帰りだった。バーボンのコードネームを与えられた相棒に後始末を任せ、重い足を惰性で動かして報告に戻る最中。目的階より下の階で停まったエレベーターに乗り込んできたのは、こんな組織にいるとは思えない程に陰の無い女性だった。まだ服装次第では少女と形容するに相応しい幼けなさを残し、背筋が見倣いたいと思う程真っ直ぐなのに眼が死んでいる。無気力に沈んだ瞳は先客であるこちらの姿を認めて静かに瞬き、無言のまま乗り込んできた。
白衣を纏っているということはただの研究員だろうかと、その後ろ姿を観察する。少しぱさついた髪は毛先が方々へ跳ね、縒れた白衣からしても身嗜みに頓着していないことが窺えた。何より、まさかこの組織内で某ブランド発信の解放感溢れるお洒落サンダルを見かけることになろうとは思わなかった。そんな新鮮な驚きに目元が緩む。そうして視線をまた彼女の頭あたりまで持ち上げた時、目が合った。

「酷い顔」

挨拶の一つでもした方が良いかと思案すると同時、ぽつりと零れた声に目を瞠る。しかし納得した。酷い顔。嗚呼そうだろう。

「ちゃんと食べて、寝てる? 誰か殺してきたんだろうけど、あなたの方が死体みたいな顔色してる」

続けられた言葉に胸を突かれる。そんなさも当たり前の様に殺してきたなどと物騒なことを言わないで欲しい。只の雇われ研究員では無く、この組織に染まり切った構成員なのだろうか。こんな何処にでもいそうな普通の女性が。

「はは…食べては…ん? 朝は食べたが…今何時だ?」
「午後三時」
「あーそっか…待機時間長かったからなあ…昼メシ喰い損ねてる。 ってもあんまり空腹って感覚は無い、か?」

バーボンが標的を指定のポイントへ誘導してくるまでの間には、昼には何が食べたいだのを考えていた、様な気がする。ビルとビルの隙間、あらゆる角度の中から最も厳しい狙撃を選んだのは組織へのアピールの為だった。ポイントへ近付いたと言うバーボンからの連絡を受け、標的が僅かな峡間から姿を覗かせるのをひたすら待った。既に決めた銃口の向きは変えない。忙しなく動く的を狙うならともかく、無警戒の人間が散歩の速度で移動するのを捉えるだけなら後はタイミングの問題だ。一瞬を逃してはならなかった。

「それだめでしょ。 あなたみたいな成人男性じゃなくても六時間以上の経口摂取が無ければ誰でもお腹は空くの。 その感覚が無いなら不健康、不健全の証。 食べて食べて、寝なさい」
「不健全って」

思わず笑いが漏れた。こんな組織に居て、今更何を不健全と憂うのか。空っぽの臍の下に己の声が響いて、成程空腹だと気付く。

「分かったよ、ありがとう。 報告が終わり次第帰って寝るとする」
「食べろって言ってんでしょ」
「はは、食べる、食べるよ。 ちなみにオススメは?」
「○亀製麺の鍋焼きうどん」
「ガチかよ!」

自信満々の顔でうどん、と言い切った彼女が無性におかしかった。ライフルを詰めたギターケースごと身体を揺らして笑えば、うどんをオススメしたことを笑われたと誤解した彼女が眦を釣り上げて怒鳴る。曰く、鍋焼きうどんくらい作れるけどあそこのは別なんだ、と。己の笑い声に混じって腹の虫が聞こえる。報告を後回しにしては駄目だろうか、今はとても腹が減っているから。



「…ノック、って言ったな」

己の喉から出たはずのそれは、自分でも聞いたことの無い程不気味な声だった。抑揚の無い静かな、感情が削ぎ落されてしまった音。

「ああ、俺にもそう聞こえた」

しかし己を凌ぐ冷徹さで、相棒のバーボン―――安室透を名乗る降谷零が肯定する。

「ゼロとも言ったな」

言ったなと、今度は自分が肯定を返す番だった。もう夢の世界へどっぷり浸かってしまった彼女はちょっとやそっとじゃ起きる気配が無い。いつもなら微笑ましいと頬を緩めるところだが、今ばかりは空恐ろしくてならなかった。彼女は何を、どこまで知っている。

「俺達がそうだと知っていてこれを寄越した、そういうことか」

降谷がポケットから取り出したのは薄手のビニールだった。口をパッキングされたその中には一錠の錠剤がある。彼女が望まず生み出してしまった試作品、その一錠。体内から毒物として検出されずに標的を殺す、稀代の毒薬が。

「内部告発か、罠か」

彼女は毒を作っているつもりは無いと言った。両親の遺した研究を、悪いものではないのだと証明する為に此処にいるのだとも。
…その白い首を手折るのはきっと容易いだろう。今なら十分証拠を残さない工作をして始末出来ると冷静に判断する自分がいる。その自分が警察官なのか、組織の構成員スコッチなのか。よく分からないけれど。と。

「っと」

微かに上下する肩から白衣がずり落ちた。また替えが無くなったからと、無理して大きいサイズを羽織っていたらしい。無造作に切られた袖口の何と無残なことか。そうして白衣を極自然にかけ直してやろうとして、おかしくなった。一瞬でも殺害を考えた相手に何の世話を焼こうとしているのだろう。

「スコッチ?」

口の端に浮いた笑みを隠す事無く、降谷の訝しげな視線を受け止める。成程、今の自分はスコッチだったか。

「少し調べてみよう、バーボン。 彼女が一体どうやって俺達のことを調べて、何を知ったのか。 その経由次第では彼女は俺達の味方になる」

出来る、というべきだったかも知れないと直ぐに省みたが、降谷は幸いにも気に留めてくれなかったらしい。顎に手を当てて思案している。ここで彼女の口を封じて安全策を執るべきか、彼女を泳がせてみるかを。
長い長い沈黙を耐える。人の気もしらないで、渦中の彼女は穏やかに寝息を立てている。

「…彼女に何かあれば、目付役のジンが動く」

それは突然だった。一通りの思索を終えた降谷が口にしたのは、そう言えばそうだったなとしか思い出せなかった、しかし重大な事案だった。
ジン。潜入捜査するにあたって誰よりも警戒しなければならない要注意人物。だが逆に言えば、彼からの信を得られれば組織内では多少の無理が利く様になる。
生憎バーボンはとんと嫌われてしまっているが、自分にはまだ取り入るチャンスがあった。だからこそ慎重に判断しなければならない場面なのだ、ここは。チャンスを潰さない為に、彼女を見逃すか否か。それも降谷の一言を聞けば決まった様なものだが。

「それに俺達のことに感付いていたにも関わらず、誰に密告するでもなく支援じみた手回しをしてきた。 そして寝入る前に「つぶして」だの言っていたことを鑑みると……確かに味方になる可能性は高い」
「…そんなこと言ってたっけか?」

言ってただろと呆れた視線を寄越されても判然としない。確かになにやらむにゃむにゃもごもご言っていた様な気もするが、己の声と重なってしまったこともあってまるで聞き取れていなかった。

「とりあえず仮眠室に運ぼう、ここで寝たんじゃ風邪をひく」

またずり落ちてきた白衣をもういいかと剥いでしまう。抱え上げた身体は随分と軽く、人に言う割には彼女自身然程食べていないらしいことが窺えた。

「起きたらすぐ連絡をくれる様伝言残しとけ、俺は皿を片付けてくる」

サンドイッチを並べていた大皿を抱えつつスマホを操作する降谷はこちらを見ていない。恐らく公安の部下に彼女のことを調べるよう指示を出しているのだろう。と、滑らかに動いていた手がぴたりと動きを止めた。

「どうした?」
「…なあ、彼女の本名、知ってるか?」

嗚呼だから困った顔をしていたのかと合点がいく。シェリーの首にかかるセキュリティカードを見たところでコードネームが刻印されているだけであり、しかし本名を教えてくれなどと踏み込んだ質問をネームドの幹部同士でするなど不審でしかない。何かの拍子に聞いておいて良かったなと思いつつ彼女を抱え直した。

「かなみだよ、宮野かなみだ」

肩口に凭れた頭が小さく返事をする。ん、と掠れた声は甘えている様だった。